散歩から探検へ~政治を動かすもの

自己認識の学・永井陽之助の政治学を支柱に、自由人による主体的浮動層の形成を目指し、政治状況の認識・評価・態度を語ります。

虚の世界にも生きたサイドミラーとしての知識人~澤昭裕氏の訃報

2016年01月17日 | 文化
朝、起きて一通りの準備の後、いつものようにメール、ツイッタの順で閲覧したら国際環境経済研究所所長の澤昭裕氏の名前で奥様の文章による、ご本人の訃報に接した。
「夫 澤昭裕は1月16日午前2時39分に永眠いたしました。亡くなる2日前に最後の原稿の仕上がりを確認後、緩和ケア病棟に移り家族と友人に看取られ、穏やかに旅立ちました。2月に遺稿となる記事が雑誌に出ます。読んでいただけたら幸いです。」

ツイッタをフォローしていたから当然なのだが、この形での訃報は初めてであり、文面から死を見極めて準備したことが窺われ、終末を迎えることを意識した日頃の活動に関して、しばし考えさせられた。

氏の論考は東日本大震災によって発生した原発問題だけでなく、エネルギー問題、ひいては環境問題を含めて広範囲にわたる。筆者は、その全貌を理解することは困難であることは判っているなかで、少しでも理解を進めようとする姿勢で、氏の論考に接する機会を持つようにしていた。

筆者は車を運転しないが、表題のサイドミラーとは、正面から直視するわけではなく、かといって、バックミラーで後方の注意を怠らない対象でもなく、ちらちらと横目でみて状況を把握するために、閲覧することを比喩している表現だ。
但し、いずれにしても筆者が密かに用いている方法なのだが。

筆者が正面から直視する対象のひとり、経済学の齋藤誠・一橋大教授が2015/12/23付けのツイッタで澤昭裕氏について以下の文を示した。
「「原発事故から5年 福島復興のタブーに挑む」で提示した建設的な課題解決の方向性と,人々がタブー視してあえて語ろうとしなかった重要な政策課題を取り組む勇気ある姿勢に,若干感ずるところがあったので小文を書いた。」

筆者は教授の近著『震災復興の政治経済学』(日本評論社刊行)を是非読もうと、川崎市図書館に借用を登録している。しかし、出遅れて比較的長い行列待ちになっている。
それでも、教授がコメントを付けていることに注目し、以下の論考を読もうと思っていた矢先のことでもあった。
「WEDGE REPORT 2015年12月26-28日」澤昭裕・2016年への提言(前・中・後篇)
福島のタブーに挑む・その1 除染のやり過ぎを改める
福島のタブーに挑む・その2 被ばくデマ・風評被害の根絶
福島のタブーに挑む・その3 賠償の区切りと広域復興

しかし、それ以上に関心を引いたのは、新年明けのブログ(1/4付け)における以下の「私の提言 ―総集編―」である。
「これまでこのブログも含めて、さまざまな場で日本のエネルギー政策に対して私見を述べ続けてきた。積み重ねてきた提言すべてを読んでいただければ、筆者が描いていた一筋の細い道をご理解いただけるかもしれないが、それも難しいであろう。そのためここで改めて、筆者がどのような視点でその時々のテーマを選定し、提言を行ってきたかについて、全体像を整理してお伝えしたいと思う。」

これだけの用意をするとは、自負を持ち、極めて真面目に仕事をこなしていたのだろうと想像する。誰にでもできることではないし、試みようとする人もごく少数に限られるであろう。

ただ、筋書きに描かれたような死に方にネット経由で知ることは、見ず知らずのネット上の読者に対して、死にあたって、メッセージを送るという行為があって初めて成立するものだ。
それは別の面で、“虚の世界”においても生きていると実感した人間によってのみ可能であろう。極めて現代的な、余りにも現代的な知識人の生き様のようにも感じる。

     
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