散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

“戦争と革命”に関する丸山と永井の見解の相違(2)~「観念の冒険」を巡って

2015年06月09日 | 永井陽之助
ここでは、ホワイトヘッドの「観念の冒険」(1933)を論じるわけではない。科学者、技術者が新たな成果を求めて、アイディアを練り、それを実験的に試みることを想起すれば良いだけだ。但し、主題は科学技術ではなく、戦争と平和の問題であり、そこに革命が絡む国際問題、即ち、人間行動の分野なのだ。

1965-1966年頃に国際政治の領域を振り返って、
丸山は「観念の冒険」は見当たらないと云い、
永井は「観念の冒険」が過剰であったと云う。

それぞれ、前回紹介した『憲法第九条をめぐる若干の考察』「世界」1965・6月号及び『国家目標としての安全と独立』「中央公論」1966・7月号に書かれている。
順序からすれば、丸山を永井が批判したことになる。
 『“戦争と革命”に関する丸山と永井の見解の相違~憲法九条を巡って150607』

文脈の中で比較してみよう。
永井は「平和の代償」における最後の部分で、平和への方法論として「恐怖の均衡」から「慎慮の均衡」へ転化させる道を示唆する。その議論の中から、「国際関係や外交の領域で政治家や外交家が「観念の冒険」(ホワイトヘッド)を行うことほど、平和にとって危険なことはない。現代は宗教戦争の時代なのだ。その危機は、「観念の冒険」が過少であるからではなく、過剰であった故である。」と云う。続いて、米国、ソ連、ヒトラーが例示され、特にナチのリーダーが「観念の冒険」を政治や外交の領域で試みたとき、狂気の“最終的解決”が生まれた、と論じる。

日本も負けずに“大東亜共栄圏”という「観念の冒険」を持ち出したことは誰でも承知のことだ。筆者の小学校の担任の先生は、歌人であり、若い頃(太平洋戦争中)に「少国民軍唱歌」(うろ覚えだが…)の歌詞の募集に応募して当選したことを一面で悔やんでいた。そんなこともあったのだ…。閑話休題!

「外交や政治の領域では、常に一億の同胞、あるいは人類全体の生命が賭けられている。…外交や政治の領域で、紛争や問題を、最終的にラディカルに解決しようという発想は、未成熟な政治的思惟を示すものである」とも云う。

一方、丸山は論考の最終章「三.現代国際政治の発展傾向と第九条」において、「第九条の原理と直接関連する戦争と平和の存在形態が昨日のそれと大きく変わって来たと思われる側面に着目しての抽象的観察」を試みる。

先ず、「両大戦の経験から感じられることは、国際政治の領域では、「観念の冒険」を行ってそのため危険に陥ったという例は、先ず見当たらない…」と述べる。突然に「観念の冒険」が出てくる。のだが、何を意味するのか実は良く判らない。

即ち、これに対比する「微妙な変動を見落とし、既成の固定観念で現実に対処…致命的な錯誤を招いたケースが少なくない」の枕言葉になっているだけだ。共に例示がないのが、この話の特徴だ。そこから、イデオロギー(=観念)を抜きに、昨今の国家及び国際政治の動向を語ろうとの意図を筆者は読み取るのだ。

そこで、丸山は現代国際政治の非連続面に注目する。
先ず、戦争形態と戦争手段に両極分解傾向を見る。一つは核兵器の国際管理等に表れる超国家化であり、もう一方は、パルチザン、ゲリラに見られる人民レベルへの下国家化だ。ここでゲリラは局地性と土着性の性格を有し、抵抗と防御の域を出ないと云う。

丸山の論点は、ゲリラの規定にあるのだ。ここからイデオロギー、特に共産主義がすっぽりと抜け落ちる。そこで第九条に問題を返して、「丸裸で侵略を防げるか」という論者に対して、「一般人民の自己武装(民兵)を許す用意はあるのか、との反問を禁じ得ない」との飛躍になる。ここで、イデオロギー、ナショナリズムは抜きで主権者たる人民の権利を論じられるのは、「観念の冒険」は見当たらないとの最初の設定が効いているからだ。

丸山は自己の論理を構築するために、「観念の冒険」をダシに使った様だ。しかし、論理実証学で理論武装した時期を持ち、政治的象徴論(イデオロギー論)を50年代に深めた永井が、そのような論理操作に対して何も感じないわけがない。

永井が云う「正義」より「平和」を上位の価値にすえざるを得ない深刻な苦悶を味わっていない平和主義者、いまなお「平和」より「正義」を上位の価値におく素朴な革命主義者のどちらが丸山を指しているのだろうか?あるいは…その意図はないのだろうか。

      

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