散歩から探検へ~政治を動かすもの

自己認識の学・永井陽之助の政治学を支柱に、自由人による主体的浮動層の形成を目指し、政治状況の認識・評価・態度を語ります。

ドン・ジョバンニ亡き後の人物像~モーツァルト「魔笛」考

2016年01月29日 | 文化
ドン・ジョバンニは地獄に落ちて死んだ。その人物像を継続させることは、モーツァルトにとって、できないはずだ。それを永遠に残すためには、尚更のことだ。では、次の作品は如何なる人物像を描くのか?特に男性像だ。
「魔笛」は傑作との評価を受けている。その要素は認めたとしても、娯楽としてだけではなく、作品として如何なる形でモーツァルトが成熟に向かっていたのか?昨日の国立新劇場では、それを実際のオペラ鑑賞の中で確かめたかった。

印象だけを取りあえずランダムに挙げれば、以下の様になる。
1)主人公がいない
2)セリフが多いー神父と王子の対話、神父が賛否を問う→無主人公に対応
3)道化の進化―対応女性の登場
4)悪女の存在感 アリアに表現
  ・個人の怨念を世界への復讐として表現
  ・心情を切々と唱う娘を超える ジョバンニを女・悪へ転換
5)異端の宗教集団―一般人の支持基盤大きい
  ・神父―復讐はしない 和解へのアプローチ→“バス”(低音)で表現
  ・合議の場面を設定―王子の前に人間 救済する
  ・宗教は世界を支配するのではなく、人間を救済・世界を保護・維持

印象に残るのは、やはり「夜の女王」だ。ドン・ジョバンニと同様に、地獄に落ちて死ぬ。この地獄に落ちるシーンは共に、歌舞伎「義経千本桜」の平知盛が錨を体に巻き付けて海に身を投げるシーンと何処か似ている、というか、想い起こさせる。自らよりも圧倒的に巨大なものに負ける姿を表現しているからだろう。

「夜の女王」のアリアは前半も、後半も圧倒的な迫力で観客に迫る点では、女心を切々と唱い上げるアリアとは、全く別な表現形態になっている。ドン・ジョバンニが女になって、世界に復讐を試みているかのようだ。筆者にとってここが一つのポイントと感じる。

      
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