一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

瀬島龍三氏逝去

2007-09-05 | よしなしごと

瀬島龍三氏が死去=伊藤忠元会長、政財界「参謀」で活躍
(2007年9月4日(火)11:08 時事通信)

戦前、戦中、戦後を通じて政、財界の「参謀」としての道を歩んだ伊藤忠商事元会長の瀬島龍三(せじま・りゅうぞう)氏が4日午前0時55分、老衰のため東京都内の自宅で死去した。95歳だった。富山県松沢村(現小矢部市)出身。

1938年12月陸軍大学校卒、大本営陸軍参謀として太平洋戦争を中枢部で指揮した。満州で終戦を迎えたが、旧ソ連軍の捕虜となり、11年間シベリアに抑留された。
56年に帰国。58年1月、伊藤忠に入社し、主に航空機畑を歩いた。68年専務に就き、いすゞ自動車と米自動車大手ゼネラル・モーターズ(GM)との提携を仲介した。72年副社長に就任し、安宅産業との合併を担当。副会長、会長、相談役などを経て87年7月から特別顧問、2000年6月に退任し、理事。航空機商戦を描いた山崎豊子氏の小説『不毛地帯』の主人公のモデルといわれた。

10年くらい前に出席した結婚式で瀬島龍三氏を見かけたことがあります。
著作を読んだこともなく、雑誌や噂話でしか知らなかった人なのですが(そういえば何年か前にHNKの大晦日から元旦にかけての深夜インタビューに出ていたのを見たなぁ)、顔写真は見たことがあったので同じテーブルにいた友人が気づきました。

当時既にかなりのご年配でしたし、末席の私と上席の瀬島氏とは離れていたこともあり正直ご本人の「オーラを感じた」とまではいきませんでしたが、列席者の間には「セジマリュウゾウがいるぞ・・・」というささやきがさざなみのように広がって行ったことを思い出します。

陸軍士官学校を2番、陸軍大学校を主席卒業、大本営参謀から関東軍参謀、シベリア抑留を経て伊藤忠に入り、安宅産業の合併を演出するなど「昭和史」的には最後の大物といっていいかもしれません。

若造のときに仕事の向こうの端~~~~っこの方で間接的に聞いたことがあるのですが、そのときも実際にどこまで瀬島氏が主体的に関与していたのかは確認できないものの「触らぬ神にたたりなし」的な存在だった記憶があります。

本人が具体的なアクションを起こさなくても「この人が動いた」と噂されるだけで周囲が影響されるというのが、よく評される氏の「隠然たる影響力」ということなのでしょう。
これは「ブランド力」とも「カリスマ性」とも違う力だと思います。
ただ昨今の情報開示の時代においてはなかなか成り立ちにくい類の力でもあると思います。

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