古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

ヤマトタケルの騙し方

2005年04月09日 23時12分11秒 | Weblog
 ヤマトタケルは前王朝(磐之姫・スサノヲの系列)を象徴する人物です。後王朝(卑弥呼トヨ・スサノヲ)の系列ではありません。
前にも書きましたが、ヤマトタケルが後王朝の系列ならば福井・伊勢神宮の聖線上にのる伊吹山の神を‘とりに行く’はずがないからです。
 また、それを証明すると考えられるヤマトタケルの行動があります。策略というか、だまし方というか、それはひどいものです。
 クマソタケルを討つ際の女装も騙しのうちに入りますが、この女装は他の意味を持つことに主眼がありますから、大して悪意を感じることはできません。
 しかし、イズモタケルを討つときは悪意に満ちた計略を用います。(前にも書いたかもしれませんが、繰りかえさせていただきます。何処に書いたか、確認できませんので。自分で書いたものをブログに移すとき省いたような、省かなかったような、あいまいなのです。もし書いてあったら、ごめんなさい。)

≪其の出雲建(いずもたける)を殺さんと欲いて、到りて即ち友を結びき。 故、竊(ひそか)に赤梼(いちい)を以ちて詐りの刀(たち)を作り御佩(みはかし)と爲し、共に肥の河に沐しき。
 爾くして倭建の命、河より先ず上り、出雲建の解き置ける横刀を取り佩きて、詔らししく、「刀易(たちかえ)爲(せ)ん」 故、後に出雲建、河より上りて倭建の命の詐りの刀を佩きき。 
是に倭建の命、誂(あとら)えて云いしく、「伊奢(いざ)刀(たち)合わせん」。 爾くして各(おのおの)其の刀を拔きし時に、出雲建、詐りの刀を拔くを得ず。 即ち倭建の命、其の刀を拔きて、出雲建を打ち殺しき。≫

ヤマトタケルはイズモタケルと偽りの友達となり、安心させ、刀を外させて、密かに自分の偽の刀と変えて立ち会い、打ち滅ぼします。
 これを卑怯といわずして、何が卑怯になるか、というぐらい卑怯の代表みたいなものです。
しかも、その後、‘騙されるほうが悪いんだ、ザマーミロ’と思わせるような歌を残します。
驚いたことに、ほとんどの識者(私が読んだ限り全員)は、このようなだまし討ちを、大和朝廷は当たり前と思っていたか、自慢しているものと、勘違いされているのです。文化が遅れていた、とお信じになっているようです。
 

 古事記が編纂された当時の大和朝廷は、世界でも相当進んだ知識人の集まりだったはずです。我々はその片鱗を既に知っています。
 仮にだまし討ちが実際にあったとしても、恥ずかしくてそのまま書物に残せるわけがありません。倭王武の上表文をもう一度見てください。これは、古事記が編纂された西暦712年よりもずっと前の、西暦478年(順帝・昇明2年)のものです。

≪「昔より、祖彌(そでい)躬(みずか)ら甲冑(かっちゅう)を環(つらぬ)き、山川を跋渉(ばっしょう)し、寧処(ねいしょ)に遑(いとま)あらず。東は毛人を征すること、五十五国。西は衆夷を服すること六十六国。渡りて海北を平らぐること、九十五国。」(『宋書』倭国伝)≫

倭王武の祖先は、自ら先頭に立って、泥をかぶって休む間もなく正々堂々と戦った、という風に、誇りを持って書いているようには読めます。しかし、汚い卑怯な手を使ってだまし討ちにし、それを自慢しているという風には、小指の先ほども窺えません。
 勝手にだまされているのは、識者の方たちです。
まず、ヤマトタケル、イズモタケルが誰を象徴しているかで、がらりとこの物語の様相は変わります。
だまし討ちにあったのは、後王朝・大和朝廷の先祖です。だまし討ちをしたのは、前王朝です。客観的にみれば、だまし討ちとまでは言い切れませんが、不意打ちだとはいえます。
 だまし討ちの物語は、逆になっていると考えたほうがいいと思われます。そして、このような物語は後王朝・大和朝廷に‘二度と騙されるな’と自戒を促すもののはずです。
 最初の卑弥呼は、奇襲を受けた戦争そのもので、最後の卑弥呼トヨは内乱という形の奇襲で殺されました。この騙されたという思いは、卑弥呼の子孫が復活した後でも、後々まで、卑弥呼の子孫にトラウマとして残ったのです。
 ここは、その他の場面よりも特に、前王朝(磐之姫・スサノヲ)の系列に対する後王朝の本音があからさまに窺えると考えた方がいいのです。
 怨霊の祟りを防ぐために、前王朝も取り込んで万世一系にしなければなりませんから、無理が生じているのです。
 よくはわかりませんが、南北朝の時代にも同じことが起こり、無理が生じているのでしょう。
また東国に領土を広げたのは前王朝の時代だっただろうと推測されます。卑弥呼トヨの生存中だったとしても、その功績はスサノヲの兵士たちのものでしょう。たぶん卑弥呼トヨは戦争により、領土が広がるのを嫌がったと思います。
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