古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

高市山-大津皇子墓-伊勢神宮・外宮(豊受大神宮)

2011年08月16日 21時08分35秒 | Weblog
伊勢神宮・外宮-扶余(プヨ)を結ぶ線は平城宮を通る
2011年08月04日
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/cedfba056003a6b34232b97c3f0ab420
このとき思いついたのは、伊勢神宮・外宮(豊受大神宮)は斎宮の位置づけになるのではないか、ということでした。

で、今度は外宮-大津皇子墓-高市山をみます。
以前にやってなかったとすると、斎宮跡-大津皇子墓-高市山を気にしたからでしょう。




写真と計算式は伊勢神宮・外宮(豊受大神宮)-大津皇子墓-高市山が直角三角形になることを示しています。(しかも、90度、50度、40度となっています。)
斎宮跡では見るからに直角にはなりませんし、念のため計算しても直角にはなりません。

これは伊勢神宮・外宮(豊受大神宮)が斎宮という位置づけだからこそではないでしょうか。
また、大津皇子に対する高市皇子のクーデターにも関連するのではないでしょうか。
大津皇子は斎宮である姉の大伯皇女を尋ねた(即位のための禊の)帰りに高市皇子に殺されたはずです。
ですから、伊勢神宮・外宮(豊受大神宮)-大津皇子墓-高市山が直角三角形ならば、外宮が斎宮でなければおかしいはずです。
そして、斎宮ではなく外宮を創りだしたということは、女性天皇が誕生することと関係があると思われます。
遠因は卑弥呼を女王とした『魏志倭人伝』の間違いにあります。


二上山・大津皇子墓
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=343132.30&l=1354044.41
高市山
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=333129.42&l=1353833.56
伊勢神宮・外宮(豊受大神宮)
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=342914.07&l=1364213.34

大津皇子墓→伊勢神宮・外宮(豊受大神宮)
 Ⅰ92°18′04.97″  Ⅱ272°52′54.78″ Ⅲ94,197.392(m)
大津皇子墓→高市山
 Ⅰ181°44′32.14″ Ⅱ1°43′18.92″  Ⅲ111,062.332(m)
伊勢神宮・外宮(豊受大神宮)→高市山
 Ⅰ222°51′19.73″ Ⅱ42°15′43.29″  Ⅲ144,923.815(m)

大津皇子墓での角度
 181°44′32.14″-92°18′04.97″=89°26′27.17″≒89.4429度
伊勢神宮・外宮(豊受大神宮)での角度
 272°52′54.78″-222°51′19.73″=50°01′35.05″≒50.0264度
高市山での角度
 42°15′43.29″-1°43′18.92″=40°32′24.57″≒40.5402度

・・・・・・・・・・・・・
話があっちゃこっちゃ飛んでいるかもしれません。
それとも同じところばっかりやっているのでしょうか。
それもこれも暑さのせいです。
いや、ボーとしているのは、暑さだけとはかぎりません。
しかし、夜はついにクーラーをつけました。
体がベトベトで、つけないともう無理です。
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