古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆など)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

△伊勢神宮・内宮-竹島-豊前国・京都郡

2017年05月16日 12時36分20秒 | Weblog
慶州(キョンジュ)・芬皇寺(プナンサ)-竹島-豊前国・京都郡は直角三角形になりました。
では、その慶州(キョンジュ)から垂線を降ろし、その延長線はどこに行き着くでしょうか。
難波宮跡は外れますが、生駒山上を通ります。さらに進むと平城宮跡・藤原京跡の間を通ります。そしてなんと伊勢神宮・内宮(皇大神宮)に行き着きました。


△伊勢神宮・内宮-竹島-京都郡・豊前国府跡公園は二等辺三角形になります。
これまで,伊勢神宮・内宮-平城京・朱雀門-出雲大社-公州(コンジュ)・武寧王陵が一直線上であることに注目して、百済と大和朝廷の緊密な関係を推定して進んできました。
(それと高千穂峰を結んだ三角形は直角三角形というには,高千穂峰での角度が少し大きい。ピョンヤン-ソウル-高千穂峰の直線が, 高千穂峰-江戸城(皇居)-鹿島神宮と直角になり、伊勢神宮・内宮もほぼその線上といって良いはずです)



ところが、前回の
芬皇寺(プナンサ)-竹島-京都郡・豊前国府跡公園が直角二等辺三角形だったことは、
新羅と大和朝廷の関係を考え直すきっかけであるべきでしょう。
確かに,朝鮮半島では,百済と新羅は争いました。しかし、朝鮮・百済、新羅から日本に渡来した人たちはどうだったんでしょうか。

△伊勢神宮・内宮-竹島-豊前国・京都郡
伊勢神宮・内宮→竹島
 ①306°34′01.77″ ②123°43′18.14″ ③536,408.692(m)
伊勢神宮・内宮→豊前国府跡公園
 ①262°29′02.50″ ②79°15′56.06″ ③536,717.604(m)
竹島→豊前国府跡公園
 ①191°47′29.76″ ②11°16′38.06″ ③402,312.884(m)

伊勢神宮・内宮での角度
 306°34′01.77″-262°29′02.50″=44°04′59.27″≒44.0831度
竹島での角度
 191°47′29.76″-123°43′18.14″=68°04′11.62″≒68.0699度
豊前国府跡公園での角度
 79°15′56.06″-11°16′38.06″=67°59′18.00″≒67.9883度

この二等辺三角形は頂角が45度、底角が67.5度の,大和三山の造る二等辺三角形と同じものです。
ですから,偶然とは思えません。
以前も,確か白頭山の時に同じような、十字架と見まがうような,直角二等辺三角形と二等辺三角形を足したものをみたことがありました。

伊勢神宮・内宮
北緯34度27分18.00秒 東経136度43分30.60秒
34° 27′ 18.00″ N, 136° 43′30.60″ E
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=342718.00&l=1364330.60

高千穂峰
北緯31度53分10.63秒 東経130度55分08.29秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=315310.63&l=1305508.29
31°53'10.63"N 130°55'08.29"E

竹島
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=371423.42&l=1315211.01
北緯37度14分23.42秒 東経131度52分11.01秒

豊前国府跡公園
北緯33度41分12.79秒 東経130度59分1.01秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=334112.79&l=1305901.01
33°41'12.79"N 130°59'1.01"E


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