古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

「かしひ」のもう一つの意味の空想

2016年12月22日 00時34分18秒 | Weblog
以下、思いつきだけで、どうも良くありません。ご勘弁のほど。

香椎・KHASHIHI→HASHIKHI・ハシキ・愛しきとしました。
今回は
香椎・かしひ→《かし・く・ひ》とカ行の「く」を挿入してみました。
(もちろん、隋書倭国伝の阿蘇山は「アスカ」のことですから、「カ行」の音の出し入れを行うわけです)

初め、この「かしく」を「傾く」という意味の「かしぐ」なのかと考えてみました。
「かしくひ」は「傾く日」と読み替えられることになります。
「日」は、太陽で「卑弥呼」を指すと考えますと、
「香椎廟」は「ハシキ・愛しき墓」箸墓と同様の「卑弥呼の墓」となります。
ところで、古語には「かしく」がありました。
http://kobun.weblio.jp/content/%E3%81%8B%E3%81%97%E3%81%8F
学研全訳古語辞典
かし・く 【悴く】
自動詞カ行下二段活用
活用{け/け/く/くる/くれ/けよ}
やせ衰える。みすぼらしくなる。やつれる。(草木や花が)しおれる。
出典枕草子 見ぐるしきもの
「ひげがちに、かしけやせやせなる男と」
[訳] ひげが多く、やつれてひどくやせている男と。◆後に「かじく」とも。

で、古語には「かしぐ」はありませんでした。
http://kobun.weblio.jp/content/%E3%81%8B%E3%81%97%E3%81%90
古語辞典で「かしぐ」に一致する見出し語は見つかりませんでした。
以下のキーワードの中にお探しの項目があるかもしれません。
検索語の読み方に基づいて、予想される用語を表示しています。
・最も可能性の高い語
炊ぐ傾ぐ
・可能性がある語
爨ぐ

とすると、「かしくひ」は、そのまま「衰える、やつれる太陽」となり、
「香椎廟」は「卑弥呼の墓」となりえます。
卑弥呼・臺与(とよ)の墓はヤマトの箸墓ですから、九州に造る必要はないと思えますから、先代の卑弥呼の何らかの遺物があってもおかしくはありません。
ただ、「魏志倭人伝」は二人の卑弥呼を勘違いで同一視してしまいましたから、卑弥呼・臺与(とよ)の遺物が保存されているのかもしれません。

http://kashiigu.com/publics/index/7/
◆御由緒
香椎宮は仲哀天皇九年(200)、神功皇后躬ら祠を建て、仲哀天皇の神霊を祀給うたのが起源であります。
神功皇后の宮は元正天皇の養老七年(723)に皇后御自身の御神託により、朝廷が九州に詔して社殿の造営を創め聖武天皇の神亀元年(724)に竣工したもので、此の両宮を併せて香椎廟と称しました。
明治以来には官幣大社香椎宮、戦後は香椎宮と称しております。

香椎宮は神功皇后の御神託により元正天皇の養老七年(723)に造営を始められた、とされています。
先代の卑弥呼がスサノヲに殺されたのは247年のはずです。
すると
723-247=476となりますが、475=19×25ですので、1年違ってきます。
手前味噌ですが、1,2年の違いは良く見受けられました。
(また、先代の卑弥呼の死亡年が248年ならば良いわけです)

http://kashiigu.com/publics/index/84/
「養老七年二月六日託宣あって曰く『昔年、我、足仲彦天皇の神明を安置する香椎の古宮のほとりに於て、三種の神器を埋め、其上に植うるに鎧の袖に挿せる杉を以てして誓って曰く、・・・・・・』」   -香椎編年記-   

古宮のほとりに三種の神器が埋められているそうですが、鏡があるならば、卑弥呼ゆかりのものになることでしょう。
仲哀天皇も卑弥呼の子孫となる方が投影されているものの、カモフラージュの感があります。

以上全くの思い付きだけで、伸びそうもありません。
香椎宮の位置が卑弥呼関連と結びつくならば続けられそうですが、うまくいきませんので、中断というところです。

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中目黒の目黒川 以前より眼が痛くならない。 9時には終了しているらしい。










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