古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆など)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

△白頭山-宮南池-平城宮跡と△宮南池-高千穂峰-平城宮跡は直角三角形

2017年05月05日 15時16分28秒 | Weblog
頭が働きませんで、どうやら、同じことを繰り返しています。どうにも進みません。
△白頭山-扶余(プヨ)・宮南池-平城宮跡は直角三角形
△扶余(プヨ)・宮南池-高千穂峰-平城宮跡は直角三角形
しかし、△白頭山-平城宮跡-高千穂峰は、平城宮跡での角度は85度ぐらいで少し直角三角形には届きません。






前々回やったことは以前にも、ほとんど、同じようなことをやっていました。
竹島から武寧王陵までの距離は、竹島から日本の阿武山古墳、百済王神社までの距離がほとんど同じでした。
以前やったものは、竹島から百済の首都であったプヨとの距離が竹島から平城宮跡の距離が同じであったということでした。
滅亡した百済だけでなく新羅の人たちも亡命してきていないとおかしいです。

2012年09月14日
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/abe662a8b104d7073dbfac4f04b2d3a5
百済の都であった扶余(プヨ)と竹島の距離は竹島と平城宮の距離と同一ではないかと推定します。

http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/4b8b2d9440f03952cf6d4be3d75280af
⊿扶余(プヨ)-高千穂峰-平城京、たぶん再検討 2015年05月10日
百済の都と竹島と平城宮それに京都御所

http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/fdb1246c9e3214a7cfcc4f234fed7068
竹島-武寧王陵-阿武山古墳・百済王神社
2017年04月26日

△白頭山-武寧王陵-竹島は二等辺三角形でした。
百済は竹島に何らかの意味を見ていたのでしょうか。
ここが不思議でした。



竹島は白村江の敗戦で朝鮮から日本に戻ってくるための目印だったはずです。
白村江の戦い以前に重要であったならば、それは日朝の交易の時の目印だったからでしょう。
しかし、それならば百済よりも新羅との関連が深そうな気がします。









△宮南池-白頭山-平城宮跡
宮南池
北緯36度16分11.07秒 東経126度54分44.28秒
平城宮跡
北緯34度41分26.44秒 東経135度47分39.75秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=344126.44&l=1354739.75
白頭山
北緯42度00分23.36秒 東経128度03分27.05秒
42°00'23.36"N 128°03'27.05"E

宮南池→白頭山
 ①8°28′43.08″ ②189°12′08.67″ ③644,515.400(m)
宮南池→平城宮跡
 ①99°39′24.42″ ②284°49′10.23″ ③824,553.335(m)
白頭山→平城宮跡
 ①137°44′34.12″ ②322°33′26.76″ ③1,055,850.637(m)

宮南池での角度
 99°39′24.42″-8°28′43.08″=91°10′41.34″≒91.1782度
白頭山での角度
 189°12′08.67″-137°44′34.12″=51°27′34.55″≒51.4596度
平城宮跡での角度
 322°33′26.76″-284°49′10.23″=37°44′16.53″≒37.7379度


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