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per l/a psicoanalisi

美しい仮象

2017-05-19 01:46:02 | Note
《……模倣 Nachahmung するのであれ、あるいは偽造 Nachmachung するのであれ、いずれにしても反復されている。》Derrida, Economimesis


美しい仮象のレトリック的偽造の性格。仮面愛への幻惑と変身願望。

表層/深さの愛は、物の犠牲のナルシシズム的イメージを、表面/高さに映し出す。(introjection)
レトリック仮面劇。その時、享楽は自己-触発的なエコノミーの循環-閉域に嵌り込む。

一方、“純粋な”表面においては、S1 は既に、喪失の代償のイメージである。それは、失われていく限りで、知を横切る。 その時、主体は自らの経験を知り得ない。
主体の変身ではなく、変化を支えるような、無意味な知。(incorporation)


■欲望の根源と幻想の起源の分岐

「欲望の根源」とは、そもそも真理の出来事性のレベル(発話行為を含む)にあるが、それは美的仮象を纏って現れる。純粋な見せかけ・ミメーシス〔模倣〕の次元。詩人と神のアナロジー。

「幻想の起源」とは、忘却により論理的仮象を纏って発生する。ソフィズム。しかし、ソフィストにおいては、論理的仮象の方が“美的”であると幻惑されている。

両者は、欲動の辿る運命が異なる。
後者は、特に享楽によって、喪=哀悼の作業の機会が阻まれる。


■しるしと痕跡

カントは「しるし」や「痕跡」について、「自然がその美しいフォルムにおいて象形的にわれわれに語りかけるところの暗号化された文字表記」と述べている。そして、この自然が示すしるしや痕跡は、概念に基づく学知によってコントロールされる必要がない。

もともと、カントにおける美的な趣味判断は、享受については無関心である。かといってそれが、共通感覚による伝達から阻まれているわけでもない。さて、こういう問いを発してもいいだろう。

ララング=エコノミメーシスにおいては、享楽は断念されて、失われており、それは喪に服する可能性を得ている。つまり、これは“範例的な”口唇性だが、そのような口は、対象の消費=飲食を諦め、それによって味わうこと=趣味の可能性を持つ。
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