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メタファーと転移を巡る断片的考察 (3)

2017-03-20 20:13:36 | 精神分析について
Lacan はある意味で、Saussure 的な記号論を、レトリック化した点で、評価できるのではないか? その結実が、学派のマテームだった。 だとしたら、それはロジックによらずに、パトロジックな伝達を仮象としているに違いない。その本義は、パトスとして伝達された文字を、再び“言うこと”に返還することにあるだろう。

こう考えてみよう。われわれは何故、ある文体を評価し、ある文体には心地悪さを感じたりするのだろう? もちろん、これは趣味の問題でもある。 だが、文体の良し悪しは、詩的韻律が最終的な判断の拠り所になる。 文体においては、論理的規則より、韻律的気息が優位だ。

そう考えるなら、文体(仮象として言語)は、音声の韻律的な響きや気息を、その最終的な拠り所として探し求めていると、言えないだろうか?

ここに精神分析の核心の問題がある。 “無意識の文字は、ある発話される韻律と沈黙のあいだにかかる仮象である”という問題が。



転移と無意識の問題を二段階仮設として考えよう。(Nietzsche がまたまた参照になる)

一つは「隠喩形成への衝動」、その次は「仮象による救済」。 一方が、無時間的なら、その次は、時間性が関係してくる。いずれにせよ、レトリックと音声を両輪で考えないことには、意味がない。 身体の出来事が、如何にして隠喩化され(転移し)、次に解消されるのか?

出来事としてあったもの(原因に位置する)が、結果のように錯覚されるのが、そもそもレトリカルな換喩による取り違えに起因するものだった。 (某ラカン派の記述=奇術とは、まさにこの、もっともらしい捏造に与するものだったと言える)

実は、Nietzsche が問題化する転移 Übertragung は、神経生理学と修辞学の両方に繋がる出典的な由来もある。ここから、Freud まではとても近い。

更に言うと、感覚というものは、もっともらしいこと(真実性)を論理として形成しようとする意志を内蔵しているということだ。ここに、語の転義(メタファー)の問題を見ていい。つまり、そのもっともらしいこと(真実性)のレベルの伝達というのは、誤謬に根ざすことになる。

これが、転移の第一段階。(※第二段階については、また後ほど)

しかし、Freud 的転移がそもそも、「原版の再版」だった。「隠喩形成の衝動」のみなら、別にロジック(とレトリック)だけでもよかったのかもしれない。だが、それでは精神分析を経験したとは言えない。

[理解したとしても、すべからく誤謬である]


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