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プロテスタントから見ても変 

2017-05-20 | F1 フランシス一世

*幸せな生活を得るために守るべき原則として紹介された10の戒めの中で、5番目と9番目が目立つ。 

「日曜日は、家族の日(Sunday is for family)」と呼んだ法王の主張は、この日を神に仕えるために区別された日、すなわち主の日(Lord's Day)はクリスチャンにとって神聖であるという考えと真っ向から反する。このような言及を通して、教皇は、神を人生の中心にする人「神本主義」ではなく、人間を生活の中心にする人「ヒューマニスト」であることを示している。 

幸せになるために、「他人を改宗しようとしてはいてはいけない(Stop proselytizing)」という教皇の主張は、「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい」というイエスの宣教命令を正面から敵対している。 「神の代理人」と自認する教皇が、クリスチャンへの最初の使命である伝道を幸せに役立たない「悪い行為」だと烙印を押しているのだ。 

法王は、昨年5月にも「無神論者も善を行なえば、救いを受けることができる(韓国語)」という言及によって「宣教不要論」を主張している。 

「幸せになる十戒」というもっともらしい言葉で、神の言葉を正面から敵対しているフランシスコ法王が、私たちが警戒するべき最も危険な「偽預言者」なのだ。


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