カトリック情報

katorikku jyohou

現代の聖書学者は自分の考えと合わない箇所を「昔の人が勝手に聖書に付け加えた」と言って勝手に聖書を削る。神の聖典を改変して神に仕えていると思っている者は神のまなざしを見つめていだだきたい

2017-07-23 | 聖書

 

「種を蒔く人」という農作業の話の中に「敵」が登場するのは、いかにも不自然です。今日のたとえの中では、それは悪魔のことを表していると考えることができます。けれども、「毒麦のたとえ」について聖書学者は、イエスさまがお話になった話はもっとシンプルで短いもので、後の時代の教会が説明のためにいろいろな要素を付け加えて今のような形になったと言っています。

 

その後もう1つ質問がありました。「この話でイエスさまは何をおっしゃりたいのですか」

 

それは「天の国は次のようにたとえられる」(13:24)と言われていることから分かるように、今日の話は「天の国」のたとえです。「神さまのまなざし」はどのようなものなのかをたとえている話だと言い換えてもいいでしょう。

 

今日の話に、後の時代の付け加えがたくさんあると先ほどお話ししました。今日読まれたとおりにメッセージを受け取るなら、「良い種を蒔いたのに毒麦が出てくるのは敵の仕業で、世の中に悪があるのはそのためで、でも世の終わりにはきっちり裁いてくださる方があるから、今は我慢しろ」という話になります(笑)

 

でも、イエスさまはそういう話をなさったのでしょうか。違うと思います。イエスさまは、天の父である神さまのまなざしとお心がどういうものかを表そうとされて、たとえを話されたのです。でも、それを聞いてもどうも納得できない後の時代の人が、少しは納得できるかたちに話を再解釈していったように思われます。

 

さて、学者たちが「後の時代の付け加え」と言っている部分を取り除くと、もっとシンプルな話です。もともとはこんな話だっただろうというのが、次のものです。

そのとき、イエスは別のたとえを持ち出して言われた。「天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた。僕(しもべ)たちが、『行って抜き集めておきましょうか』と言うと、主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい』」

http://www.christiantoday.co.jp/articles/24149/20170723/inagawa-keizo-homily-20.htm

参考

マテオ13章

13:24また、ほかの譬を彼らに示して言われた、「天国は、良い種を自分の畑にまいておいた人のようなものである。 13:25人々が眠っている間に敵がきて、麦の中に毒麦をまいて立ち去った。 13:26芽がはえ出て実を結ぶと、同時に毒麦もあらわれてきた。 13:27僕たちがきて、家の主人に言った、『ご主人様、畑におまきになったのは、良い種ではありませんでしたか。どうして毒麦がはえてきたのですか』。 13:28主人は言った、『それは敵のしわざだ』。すると僕たちが言った『では行って、それを抜き集めましょうか』。 13:29彼は言った、『いや、毒麦を集めようとして、麦も一緒に抜くかも知れない。 13:30収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ、と言いつけよう』」。
 
ペトロ第二の手紙3章

3:5すなわち、彼らはこのことを認めようとはしない。古い昔に天が存在し、地は神の言によって、水がもとになり、また、水によって成ったのであるが、3:6その時の世界は、御言により水でおおわれて滅んでしまった。 3:7しかし、今の天と地とは、同じ御言によって保存され、不信仰な人々がさばかれ、滅ぼさるべき日に火で焼かれる時まで、そのまま保たれているのである。


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。