日々の吐露を綴って。。

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「生かされている」説

2016年09月15日 18時52分31秒 | 日記
これ、小さい頃から周囲の大人たちが口を揃えて言っていた。


両親親戚中が宗教の信者ばかりだったから、何故そう言われているかを考えようと思ったことがなかった。


教えた大人たちも、誰それがそう言うんだからそうなんだ、という「情報」で納得してしまって、説明できなかったんだろう。


集団で考えることなどできない、なのに宗教は皆で同じ考えを考えられると信じている。


そうだそうだと同意して自分が考えずに他人が考えたものを信じる、妄信。 それで一体なにを信じたことになるのか。


それで救われるのは、孤独感を和らげる以外にいったい何があるのか。






生かされている、そうかもしれない。


「生き方」は、生きているあいだ、考えていたり行動にだしていたりする、選択している。


しかし「生」そのものは選んだ記憶はないし、気が付けば生きていた、だから生きてる、といったところ。


誰しも「自分はなんで生きているのか」「自分は生きていていいのか」という問いを一度は思ったことはあるに違いない。


「生きる」ことを肯定できる確たる証しがない、そりゃあ、何でかわからないけど気づけば人間やってて、この生きる謎を消化できずに毎日過ごしてる、自分の人生なんだから自分で何とかしなさいって、言ってくれるじゃないか。


「死に方」も、生きているあいだ考えて、痛いのはやだなとか、こうだったらいい、など選んだりすることはあっても、「死」そのものは選択することはできない。


ちょっと転んだだけなのに打ち所が悪くて死ぬ場合もあるし、九死に一生を得るといった場合もある、確実に己で決められないのだ。


じつは「生」も「死」も、自分では、意思では、自由にならないということの衝撃。


己の意思でなければ、たまたまそうだったにしても、何か作用しているのか。


私の、「生」は「生かされている」、「死」は「神に召される」ということも言えると考える所以。


はなっから「自由」なんてないじゃないか、でもその何だかわからないけど「生きる」ことを、そこに「私」という意識があり、考える自由がある。


意識はどこまでも広がれる、これはいったい「何」なんだ?、どっから来た?、私は何だ、何故「私」はこの身体なのか?


気質・性質が脳の遺伝子が決めているにしても、こうとしかできないと悶々としている「私」の中のまさに「わたし」の不思議。


前世を知ったところで、霊能力を持ってしても、わたしが「私」に宿っている不思議は説明つかない。
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