神に通じる真の行いすなわち真行の生活こそが大切な事であるそうです。
お願い信仰、お頼み信仰、苦しいときの神頼み、という生き方あたりまえと思っていた私でありました(二十年前ぐらいまでは)
しかし、その生き方は大きな間違いであると気づけました。
この世のすべては無駄な事は一つもないということです。
すべて必然・・・なにがあっても感謝で受ける心作りをすることができるか、できないかによって人生大きくかわってしまいます。
早いもので今年度前半の締めくくりの月・・・六月も半分が過ぎようとしています。
じつは先月母が脳梗塞で倒れました。。。。。
手足が麻痺し、ろれつが回らず一時はどうなるかと思っていました。。。
土曜の夜中に倒れたのですが有り難いことにかかりつけの先生が来て下さいましたが、専門でないので早く専門医にかかったほうが良いと言うことでした。。。
でも私はいままで勉強をさせて頂いたことを日曜日は家でさせていただき、月曜に専門医にかかりました。
お蔭様で入院することもなく、二週間の点滴治療で良いとのことで手も足も、口も大丈夫でした。
私は親には産んでもらっただけで感謝なんだ・・・自分が育ってもらっただけのことはどんなに返しても返しきれない恩があるんだ・・・と二十数年前に教えてもらっていましたが口で言うほど感謝などしていなかったことを本当に反省しました。
倒れたとき、大腿骨を骨折しなくて良かったというほどオオアザができていました。
どんなに大きな守りをいただいたか感謝以外ありません。
このお返しはやはり世のため、人のため、少しでも社会の役に立つ人でありたいと願ったしだいです。
親という字は「立ち木を見る」と書くように木の根が親であり先祖、当主は幹、子供や孫は枝葉と見ることができるのだそうです。
親や先祖を大切にしないと、水や肥料に心を配りながら根を培うことをしないのと同じであるから、幹も枝葉も繁らず栄えようがない・・・
世の中には、わが子の養育に力を入れさえすれば、その子が立派に育って、一家が繁栄すると考えている人が多いようですが、それは幻想にすぎない、まったく考え違いだそうです。
枝葉に消毒薬や防虫剤をかけ、どんなに一生懸命水をあげても、根が腐り、幹が空洞になったら枝葉は当然枯れてしまいます。
頭は目よりも上にあるから〝目上〟を表すそうです。
目上とは、まず神、仏。。そして親、先祖。。
伯父や伯母、兄や姉、それに会社の上司や先輩、学校の先生すべて目上・・・であるからやはり、神仏、先祖、親と同じように尊ぶ存在であるそうですが・・・さらに、妻にとって夫は「主人」目上です。
現代社会は「男女同権」があたりまえになって、「夫婦平等」の時代ですが、一つの家庭をまっとうしてゆくには「中心」が必要です。
その中心となるのは「家長」たる夫です。
夫という字は天をも貫くと書くように尊いお役目をいただいているのです。
私は、そんな大事なことを少しも知らず結婚したわけですから・・・
結婚前に誰か教えてくれる人がいたならよかったのにと思いますが、縁がなかったんです。
だからこそ、気づいたときから少しでも努力して、努力してほんの少しづつ・・・
中心を尊ばなかったら、「夫を尊ばなかったら」・・・どうなるかという事を色々な人の体験を聞かせてもらってつくづく思います。
子供のいない人はいても親のない人は一人もいないわけです。
親というものは無限の愛で子供を見守っていてくれています。
夫の親、自分の親を大切にし、中心を尊んで家族仲良く暮らしている家庭が一つでも多くなったら、社会は黙ってもよくなり、日本が平和になり、世界が平和になります。
先日いとこが死後の世界へと旅立ちました。
死んだらお終いと多くの人が思っていますが・・・魂は永遠に生き続けるんです。
私たち人間は、それぞれ役目を頂いて親を縁としてこの世に生まれ魂を磨く修業をし、修業が終ったら借物の身体をお返しし、魂のふるさとに帰っていくのだそうです。
あの世に帰ったら、自分の人生すべてが分かっていて、良いことをしてあればその道に進み、自然の法則を犯した事ならそのような結果の道にいかなくてはならないのです。
誰がそんな事言っているんだと疑問に思う人がほとんどですよね。。。
私は、あの世に行った人に聞くことができたんです。。。(方法はここに説明できないのが残念ですが・・)
人間は生きているのではない!!養われて生かされているんであると・・・
たとえおしめをして寝かされていてもその人に役目があるから生かされている病む人が三分、周りの人が七分気づかなくてはならないものがあるのだそうです。
その家の家庭伝統の中に、精神伝統の中に。。。。
私は、いとこが役目を終えてあの世に旅立つ素晴らしい姿を見せてもらって、本当に心の底から〝お役目ご苦労様、ありがとうございました〝と合掌して送らせてもらいました。
きょうは母の日・・・大偉人の蔭には必ず賢母が在る。
教育は家庭教育・学校教育・社会教育に大別されています。
人間の一生に最も影響を与えるのが家庭教育であるそうな・・・「三つ子の魂百までも」といわれていますが、その人の人間性や人となりは幼少期に家庭において作られ、それが一生を左右するそうです。
この大切な家庭教育を担う主役が母親であり、歴史上の名高い偉人もその蔭には賢母の存在がありますね。
家庭における教育は身体で体験的に学んでゆくものだそうです。
子どもは母の行動や言葉を目で・耳で・肌で感じ取って身につけてゆくんだそうです。
たとえば母の優しさにあこがれて、子供は優しい人になろうと思うんだそうです。
神 (大自然) を敬い先祖を尊び、感謝報恩に生きる母親は、最も賢い母親だそうです。
女性が母親の役目を十二分に果たすためには、夫をはじめ周囲の理解と協力が必要です。。。
死ぬ苦しみで子孫を世に出す偉大なる母に感謝する・母の日・心から感謝できたら立派なものだと思います。(父母のご恩は生涯かかっても返しきれるものではない)
しかし、世の中には幼くして母親と死別しなければならない人もいます。
母親のいない人の気持ちを思いやる事も大切なことだと思います。
昔の人が〝おまえ百までわしゃ九十九まで〟と言ったように夫婦仲良く暮し生涯を終えたいものと思っていますが先のことは神のみぞ知るであります。
夫婦の調和が一番大切です
私たちは人間は親を縁として産みなされ生かされ養われて日々生活していますが、まず国土があってこそ住むことができるわけです。
その国土つまり、住んでいる土地は自分の土地であって自分の土地でないということはほとんどの人は知らないのではないでしょうか?
私も以前は恥ずかしながら知りませんでした。
自分の土地でも、借地でもそれはすべて氏神さまのものなんだそうです。
お借りして住まわせてもらっているのであるからせめて1日、15日は氏神様に御礼
のご挨拶に足運びをする事が宗教関係なく人としての礼節なんだそうです。
でも多くの人はお願いに行っても御礼をする人は少ないのではないでしょうか?
氏子・氏神は親子関係なので親のところに常に足運びをし、人としての道を間違えないで歩ませいただけますようにお導きください・・・とごあいさつしていると心が豊かになっていきます。
お年寄りでも氏神様を知らないでいる人がたくさんいます
人の眼はごまかせても、神仏の眼をごまかしすことはできません。
神様は素直な人がだいすきだそうです
※氏神様は神社庁に住んでいる住所をいうと教えてくれます
人々は大変なことが起きたとき「神も仏もあるものか!」とよく言います。
しかし、「大変」とは「大きく変わる」ということ、自分を変えるべき時がきている・・つまりこれからの人生にとってチャンス到来でなんです。
有難いとは、難有りと書くように何か無ければ自分の心のあり方など考える事は無いと思います。
だから、信じられる人は・気づける人は・幸せものだと思います。
何故なら、この世の中はすべて神の御心の表現であり、あらゆる現象の奥には神の おはたらきがあるという事だそうです。
風も・水も・空気も人間には作る事ができない自然=神であること信じられればのことですが・・・
神の御心は〝愛と誠〟で、その願いは共存共栄の世界が実現することにある。
そしてその〝愛と誠〟を尽くす生き方は無限にあるそうな・・・
例えば、親切や温かみを込めて人に話すことも、後から使う人を気遣って履物をそろえることも、また世のため人のために役立つようにと仕事に精魂を込めることも愛と誠の実践例・・・・
意識すれば日常生活のあらゆる行動のすべては、人が仲良く生きていくことができようにんなっているということであります。
そうなれば、世界平和が実現しないわけがないですね
人それぞれいろいろな宗教を学んでいる人がいますが、その根底にある枠のない世
界に目を開くとき・・・自分とは異なる宗教・文化伝統・価値観を受容・理解し、尊重し
てゆくことのできる心が生まれてこなくてはいけないのだそうですが・・・なかなか思う
ようにいかないのが現実です。
しかし、そのような心を通じてでなければ世界平和への道は開かれる事はできない・・・
自分が絶対、自分以外を否定するような宇宙大自然に仕切りをつくり、自分の回り
に高い垣根を築くような狭い心の自己中心の考えではではいけないという事だそうです。
般若心経は天地宇宙大自然の法則を説いているそうなので枠のない生命世界を目
覚められるようになりたいものです。