不動の動

洞察しましょう――(観相学的)断章(フラグメント)。。う~ん、、洞察には至らない印象を書き留めるメモ、いや落書きかな。

水深夜

2013-09-19 | Weblog

・カシュガルでウイグル族12人射殺=テロ訓練か、緊張激化-中国新疆

 【北京時事】米政府系放送局ラジオ自由アジアが18日までに伝えたところによると、中国新疆ウイグル自治区カシュガル地区ポスカム県で8月23日、テロ訓練を行っていたとして、ウイグル族12人を武装警察が射殺する事件が発生した。負傷者も多数出たという。
 ウイグル族二十数人がロケット砲を組み立てていたところ誤って発射。それを見つけた当局が100人近い武装警察を出動させ、少なくとも12人を射殺したという。
 カシュガル地区では8月20日にも、ウイグル族と警官隊の衝突で20人以上が死亡。同地区では民族対立が激化し、緊張が高まっているもようだ。(2013/09/19-00:48)

 

・アレバを批判しよう:

仏週刊紙、「過ちない」と反論=原発事故風刺画で謝罪拒否

 【パリ時事】18日付のフランス週刊紙カナール・アンシェネは、東京電力福島第1原発事故をやゆした前週号掲載の風刺画に日本政府が抗議を申し入れたことを受け、「われわれに過ちはない」と反論する記事を掲載した。記事は「(被災者を)傷つけたのは日本のメディア」と開き直り、謝罪を拒否した。
 記事は「日本にいる本紙の予約購読者はわずか51人」だと指摘。「ひどい風刺画を報道して国民を傷つけたのは日本のメディアではないか」と批判し、風刺画を伝えた日本の報道機関に責任転嫁した。
 また、風刺画掲載後、「日本語や英語で数百通の脅迫的なメールを受けた」と主張。「われわれは深く良心に問い、集団ハラキリの可能性も検討したが、よく考えたら過ちはないので断念した」とちゃかした。
 カナール・アンシェネ紙は11日付の紙面で、福島第1原発の汚染水問題を報じる記事に手や足が3本ある力士を描いた風刺画を掲載。2020年夏季五輪の東京開催決定と絡め「福島のおかげで相撲が五輪競技になった」などとやゆし、日本政府が不適切だと抗議していた。(2013/09/19-00:57)

 

・僕も鈍感だったな、と思うのだが、日本は8月に戦争関連の報道が集中的になされる。終戦の日があり、原爆が投下されたことなどによるだろう。

でもこれは中国にはほとんど関係ない。天皇が玉音放送しようと、中国ではミズーリー号で降伏調印式が行われた9月2日あるいは時差で3日のほうが大事かもしれないし、8月14日や15日の日本の降伏宣言後も国共内戦が徐々に始まるだけで戦争はある意味続いていた。(中国が騒ぐのは靖国参拝に関してが主だと思う)

これよりも重要なのはやはり戦争の開始だったのだな、と。

中国ではなぜあれほど満州事変発端の柳条湖事件を国恥の日として記憶するのか、というのはやはりそういうことなのかな、と。当たり前のことだけど、中国は終わりに文句をつけようとはしていない。ただ終わりで約束したことをなかったことにする日本に対して批判はするが。文句をつけるのははじまりなのだろう。

で、時事は以下のようにまとめている。

・社会の安定を優先=過激な反日、影潜める-中国

 【北京時事】満州事変の発端となった柳条湖事件から82年となった18日、中国では反日デモが吹き荒れた昨年とは異なり、目立った反日活動は確認されていない。沖縄県・尖閣諸島の領有権をめぐり日中が譲歩することは難しく、対立の長期化も念頭に、社会の安定を優先させた中国政府の姿勢がうかがえる。
 「(尖閣国有化は)中国の領土主権の侵犯、第2次世界大戦後の国際秩序への挑戦であり、中国国民の厳しい非難を受けた」。
 18日の記者会見で、昨年と一転して激しいデモが見られないことを尋ねられた中国外務省の洪磊・副報道局長は直接質問には答えず、こう述べるにとどめた。一方で「日本が釣魚島(尖閣諸島の中国名)問題で、歴史と現実を直視し、適切な行動を取り、実際の行動で中日関係発展の障害を取り除くよう求める」と、主権にかかわる問題では譲らない考えを強調した。
 昨年の尖閣諸島国有化を機にしたデモは、政府が当初、「国民の強烈な義憤は理解できる」(外務省報道官)として容認。その後、一部が暴徒化すると、過激な反日による悪影響を懸念し、押さえ込みに転じた経緯がある。
 18日付の中国各紙では、柳条湖事件に関する記事は全体として目立たず、反日的論調で知られる共産党機関紙・人民日報系の環球時報は、日本で中国人留学生が、台風の影響で増水した川に流された男児を救助したニュースを掲載した。
 また、日中間では民間レベルの交流が徐々に増えており、尖閣国有化1年の11日には、日本の公益財団法人が北京市で計画した育樹活動も予定通り行われた。
 ただ、人民日報は「誰も中国の頭上で粗暴な振る舞いはできず、どんな挑発も成功することはない」と強調しており、中国が尖閣諸島の領有権で強硬姿勢を貫く構えは変わっていない。(2013/09/18-19:34)

⇒ まあ、全体として目立たない、というのは新聞で、テレビはまたたぶん異なるだろう。

 

ということで、中国側がただ騒いでいるだけ、歴史に固執しているだけ、という見方はそう主張したい気持ちはわかるけれど、問題はこれだけ認識の落差があるということをどう考えるか。

日本ではもううんざり、と言う感じだろう。ただ、もううんざり、というわりには上のような記事はあれども、中国の被害者によりそう報道は見られなくなった。8月15日前後には少しはあると思うが。

中国側の報道を中国語で触れると、なかなかきついことだが、このきつさを日本の中国語を解さない大部分の人たちと共有するのは難しいと思う。けれども、少しずつでも相互理解していかないと、結構将来は悲観的になる。

もちろん、中国側の無理もあるとは思う。やり過ぎな面もあると思う。

解決や和解の糸口は見えないなあ。

下はNHKの記事。同様、日本が発動した戦争(事変というのは戦争というのを避けた物言いという)という視点への言及はない。

・反日デモなし当局抑え込んだ形
9月18日 21時2分
18日は満州事変の発端となった事件が起きて82年となる日で、事件のあった中国東北部の遼寧省瀋陽では記念行事が開かれましたが、反日デモなどはなく中国当局が抑えこんだ形です。

9月18日は82年前に満州事変の発端となった柳条湖事件が起きた日で、中国では「国の恥を忘れてはならない日」とされ、国民の反日感情が高まると言われています。
事件があった瀋陽では18日、博物館で記念行事が開かれたほか、日付にちなんで午前9時18分から3分間、市内に防空警報のサイレンが鳴り響きました。
去年の同じ日には、日本政府による沖縄県の尖閣諸島の国有化の直後だったことから、中国各地で反日デモが行われ、瀋陽の日本総領事館では建物の窓ガラスが割られました。
このため瀋陽の日本総領事館は滞在している日本人に対し、安全に注意するよう呼びかけました。
博物館周辺には大勢の警察官が出て、会場への一般の人たちの立ち入りを規制する措置が取られ、結局、反日デモはありませんでした。
また北京の日本大使館周辺にも大勢の警察官が配置され、取材しようとしたNHKの記者がパスポートなどをチェックされたうえ、立ち去るよう求められるなど張り詰めた雰囲気でした。
しかし北京を含めて中国本土では大規模な反日デモなどはなく、結局、中国当局が抑えこんだ形となりました。
広州や香港では
南部広東省広州にある、日本総領事館が入るビルの前では、昼ごろ中年の男性1人が「島を返せ」などと叫んだり、沖縄県の尖閣諸島を中国のものだと主張する文書を配ったりしましたが、すぐに警察に取り押さえられ、車で連行されました。
去年は広州でも大規模な反日デモが行われ、日本総領事館が入るビルは一連のデモでデモ隊の一部が突入してガラスが壊されるなどの被害が出ました。
18日はふだんより多い、武装した警察官を含む数十人の警察官が警戒に当たり、日本総領事館によりますと、大規模なデモや被害は確認されていないということです。
一方、香港では、毎年この日に日本政府に抗議する活動が行われていて、18日も日本総領事館が入るビルの前では尖閣諸島に上陸した活動家など合わせて5つの団体が相次いで抗議活動を行いましたが、混乱はありませんでした。

⇒ もちろん、日本人は反省しているに違いない、おろかな戦争を行った、と。

しかし日本が謀略を講じて発動した戦争開始の日を日本で記念する活動については言及がない。活動自体たぶんほとんどない。これはやはり大きな落差と言わざるを得ない。僕はこのことでは中国に同情的である。

 

・柳条湖事件:中国で目立った抗議行動なし

毎日新聞 2013年09月18日 11時13分(最終更新 09月18日 11時32分)

 【北京・石原聖】満州事変の発端となった柳条湖事件(1931年)から82年の18日、地元メディアが論評を載せるなどしたが、北京の日本大使館をはじめ日本関係企業などに対する目立った抗議行動はなかった。

 18日付の共産党機関紙「人民日報」は論評で米英メディアが「愛国教育が中国の世界観をねじ曲げているとの趣旨を指摘するが、めちゃくちゃな論理だ。歴史は客観的な存在で、歴史を忘れることは国に背くことだ」と指摘。そのうえで「中国は発展し、国家主権を守る意志と十分な能力がある」と尖閣諸島への中国公船の派遣を続ける意志を示した。

 昨年のこの日は、尖閣諸島国有化直後だったこともあり、瀋陽、北京、上海、広東省広州など100都市近くで反日デモが起きた。遼寧省瀋陽の日本総領事館には1万人以上が集まり投石などで窓ガラス十数枚が割られた。

 中国外務省の洪磊(こう・らい)・副報道局長は17日の定例記者会見で、日本に対し「歴史を深く反省し、歴史と未来に対して責任ある精神に基づき、実際の行動で国際社会とアジアの隣国の信頼を得るよう求める」と述べた。

 【ことば】柳条湖事件

 中国東北地方に駐屯していた旧日本軍の関東軍が1931年9月18日、中国・奉天(現在の遼寧省瀋陽)近郊の柳条湖で日本の南満州鉄道(満鉄)の線路を爆破。中国軍の仕業として出撃、中国東北地方を占領し、日中戦争のきっかけとなった。

 

あと、中国は明日19日から中秋節で休みとなるという。ということは今日まではみな仕事、18日を意図してかせずか、外していたわけで、デモを抑えることは前々から、ということかな。もし今日から休みだったりしたら、デモは起こったかもしれない。

・薄煕来元書記裁判 22日判決
9月18日 21時2分

中国で一時、最高指導部入りの可能性も指摘されながら失脚した薄煕来元重慶市書記が収賄などの罪に問われている裁判は、今月22日に1審の判決が言い渡されることが決まり、習近平政権が幹部の腐敗に厳しい姿勢を取るなか、判決の内容が注目されます。

重慶市の元書記の薄煕来被告は、合わせておよそ3億5000万円の賄賂を受け取ったとする収賄や、公金横領、それに妻が知り合いのイギリス人ビジネスマンを殺害した事件の捜査を妨害したなどとする職権乱用の3つの罪に問われています。
先月、山東省済南で開かれた裁判で薄元書記は、取り調べ段階での供述を翻して起訴内容を全面的に否認し、検察やその背後の共産党指導部と真っ向から争う姿勢を取り続けたのに対し、検察側は厳しい判決を求めていました。
この裁判について18日、済南の裁判所は、今月22日に1審の判決を言い渡すと発表しました。
一時、最高指導部入りの可能性も指摘されながら失脚した薄元書記の裁判は、政治スキャンダルの結末としてだけでなく、当局が、法廷内のやり取りを中国版ツイッターと呼ばれるウェイボーで速報する異例の対応を取ったことでも話題となりました。
薄元書記に対しては、国民や党内の一部に根強い支持もあり、習近平政権が幹部の腐敗に厳しい姿勢を取るなか、判決の内容が注目されます。

⇒ このニュースだって、今日出すのはこれまた考えさせられるし、22日というのはなぜだろう、とも思う。

 

 

付記。

時差、などと書いたが、日本のほうが早いから、それはなかった。ではなんで2日ではなく3日? と思い検索、ウィキペディア:

対日戦勝記念日

連合国軍はドイツ降伏後も日本との戦争を続けたが、イギリスでの1945年8月15日未明、アメリカでの8月14日(日本標準時の8月15日)、日本政府はポツダム宣言受諾を国民へ知らせた(玉音放送)。そして、1945年9月2日に、日本政府は降伏文書に調印し、第二次世界大戦は終結した。

日本では、ポツダム宣言受諾を国民へ知らせた玉音放送の日である8月15日が「終戦の日」と受けとめられている。一方、連合国では、日本政府が降伏文書に調印した9月2日が「対日戦勝記念日」「VJデー」と呼ばれている。但し、連合国のうちソビエト連邦と中華民国、1945年以後に成立した国家では中華人民共和国をはじめとする冷戦時代の東側諸国では、翌日の9月3日が対日戦勝記念日となっている。

 

対日戦勝記念日

対日戦勝記念日(たいにちせんしょうきねんび)とは、連合国の第二次世界大戦における日本に対する戦勝記念日である。Victory over Japan Day、VJ Day、Victory in the Pacific Day、VP Dayともいうが、略称としてはVJ Dayが一般的である。

通常は、日本政府が公式に降伏文書に調印した1945年9月2日を指す事が多い。なお、中華民国(1949年10月1日以後は台湾のみ)やソビエト連邦や中華人民共和国の対日戦勝記念日は、その翌日9月3日である。

似たような記念日にVEデー(Victory in Europe Day、ヨーロッパ戦勝記念日)の1945年5月8日がある。 枢軸国のうち最後に降伏したのが日本だったため、VJデーは即ち第二次世界大戦の終結の日となっている。



経緯

1945年8月14日、日本政府は連合国に対してポツダム宣言を受諾する旨をスイス政府経由でアメリカ合衆国大統領トルーマンに電信した。翌8月15日正午、国家元首である昭和天皇の玉音放送によって、このことが日本国民(帝国臣民)に向けて公表された。

同年9月2日、昭和天皇は「降伏文書調印に関する詔書」を発し、降伏文書への署名及びその履行等を命じた。これに基づき、同日、東京湾上のアメリカ戦艦ミズーリにおいて、日本側を代表して重光葵外相、梅津美治郎参謀総長、連合国を代表して連合国最高司令官のマッカーサーが降伏文書に署名した。

連合国

アメリカ合衆国では、8月14日に日本の降伏が報道された。その日にトルーマンは、ポツダム宣言受諾の全文を紹介した上で、「“VJデー”の布告は、日本が降伏文書に正式に署名するまで待たなければならない」と発言した。そして、同年9月2日の降伏文書調印を以って、トルーマンはラジオ演説を行い、日本が正式に降伏したこの日を“VJデー”とする、と宣言した。

VJデーは、現在でもロードアイランド州で祝日になっている。ただし、正式な祝日の名前は「Victory Day(勝利の日)」で8月の第二月曜日としている。

アメリカ合衆国やフランスなど旧連合国では、2005年9月2日に戦争終結60周年の記念行事が開かれた。ワシントンD.C.で開かれた記念行事には、退役軍人を初めとして多くの人々が集まった[2]。

イギリスでは、日本の「終戦の日」同様に8月15日をVJデーとしている。

ロシア

ソビエト連邦時代は、対日戦勝記念日は9月3日であった。これは、ソビエト連邦政府が、降伏文書調印の翌日9月3日に戦勝記念式典を開いたことに因む。

継承国のロシア連邦でも、当初はソビエト連邦と同じく9月3日を対日戦勝記念日にしていたが、2010年7月14日に連邦議会が9月2日を「第二次世界大戦が終結した日」とする法案を可決、同月25日にドミートリー・メドヴェージェフ大統領が署名し、9月2日を「第二次世界大戦終結の日」とする法改正案は成立した。これは事実上の対日戦勝記念日と見られているが、2011年3月11日に、9月3日を「日本帝国主義者に対する勝利の日」と定める法案が提出された際は統一ロシアが反対し否決している。

中国・台湾

連合国の一員だった中華民国(当時の中国。1949年以後は台湾のみ)は、対日戦勝記念日を9月3日としている。これは、日本政府が降伏文書に調印した9月2日の翌9月3日に、国民党政府がこの日より3日間を抗日戦争勝利記念の休暇としたためである。1949年に成立した中華人民共和国も、中華民国と同じく9月3日を抗日戦争勝利記念日と称している。中国大陸や台湾には、今でも多くの「九三街」(9月3日通り)や「九三小学」(9月3日小学校)が存在する。なお、台湾における「日本の統治からの解放記念日」(台湾光復節)は、台湾光復式典が開かれた10月25日である。

連合国以外

朝鮮半島、即ち現在の大韓民国及び朝鮮民主主義人民共和国は、日本政府が降伏文書に調印した9月2日に、日本の統治から正式に解放された。但し、VJデーに当たる光復節(韓国)及び解放記念日(北朝鮮)は、双方とも8月15日としている。

ベトナムでは、日本が降伏文書に調印した9月2日に、ベトナム民主共和国の樹立が宣言された(ベトナム独立宣言)。ベトナム民主共和国を継承したベトナム社会主義共和国では、VJデーに当たる9月2日は国慶節とされている。

 

終わりと始まり:

 2013年9月17日,外交部发言人洪磊主持例行记者会。

“九一八”事变是日本军国主义发动侵华战争的开端。我们纪念“九一八”,就是要弘扬中华民族热爱和平、自强不息的伟大精神,为振兴中华而努力奋斗。

  日本军国主义近代发动的对外侵略战争给亚洲近邻和受害国人民带来了深重灾难。我们再次敦促日方深刻反省侵略历史,本着对历史和未来负责的态度,走和平发展道路,恪守迄今在历史问题上作出的郑重表态和承诺,以实际行动取信于亚洲邻国和国际社会。

 

⇒ 日中戦争:「現在の中華民国や中華人民共和国での呼称は中国抗日戦争もしくは八年抗戦である」とはウィキペディア。徐々に15年の抗戦に移行しつつあるのかもしれない。