不動の動

洞察しましょう――(観相学的)断章(フラグメント)。。う〜ん、、洞察には至らない印象を書き留めるメモ、いや落書きかな。

韓国語

2012-03-31 | Weblog

セクハラを韓国語でいうと「ソンヒロン」というらしい。漢字「性戯弄」のハングル読みだそう。

・鳥インフルエンザの研究公開へ
ワクチン開発のため
テロに使われると公開が差し止められていた。
以前中高年の中国関係の仕事を長くしてこられた知り合いが、北朝鮮はアメリカに生物兵器によるテロをできるよう、準備を進めている、アメリカもそれを恐れている、とおっしゃっていた。なんでもサリンのような猛毒を飲料水源の湖などに投下する、というのだが、それだけなら変な話、だが、それを中国の報道関係者から聞いた、というのだからいろいろ考えさせられる話ではある。

memo:asahi

鳥インフル論文、一転して公開OK テロ直結せずと判断

 高病原性鳥インフルエンザ(H5N1)が哺乳類でも空気感染することを示した日本とオランダの論文に対し、バイオテロに関する米政府の委員会が内容の一部削除を求めていた問題で、委員会は30日、一転して論文の全文公表を認める声明を発表した。

 2論文が投稿された英米の科学誌ネイチャーとサイエンスの編集長は、委員会の声明を歓迎するコメントを発表。論文は全文掲載される見通しとなった。

 委員会は昨年末、「テロに悪用されかねない」として実験の詳細を論文から削除する勧告を出した。しかし、著者らから提示された追加データなどを検討した結果、公表してもテロには直結しないと判断。河岡義裕・東京大学医科学研究所教授らの日本の論文については全会一致で、オランダの論文については賛成多数で、全文公表を認めた。



昨日の朝日朝刊
・名護市辺野古への米軍基地建設に伴う環境影響評価(アセスメント)で業務を受注した業者の半分以上が防衛省OBの天下り団体だったそうだ。信頼性はない。

・阪大小野氏 マネー信仰 期限付きの介護券や保育券などの現物給付政策を


・寺田寅彦「津波と人間」
・NHKスペシャル

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はは、なるほど

2012-03-31 | Weblog

毎日新聞

余録:中国は唐代の奇談である。ある青年が倩という娘と…

 中国は唐代の奇談である。ある青年が倩(せん)という娘と相愛の仲になり駆け落ちした。5年後に倩の親にわびようと青年が帰郷すると、何と倩は5年前から病気で家にいるという。それぞれの倩を会わせると、2人は合体して1人に戻った▲「さて魂と肉体が離れた2人の倩、どちらが本物か」。宋代の禅僧が編んだ「無門関」にある禅問答だ。真実の自分を悟れば、体から体へと移ることなど旅館に泊まるようなものだ。問いには、こんな答えが返されている▲「めでたしめでたし、それは一なのかそれとも二なのか」。これも先の問答に付された詩だ(秋月龍※=りょうみん=著「無門関を読む」講談社学術文庫)。分かったような分からぬようなのが禅問答である。だが俗界の思惑や利害がせめぎ合うわが政界も不可思議では負けない▲では連立を離脱した国民新党と離脱しなかった国民新党、どっちが本物か。消費増税法案の閣議決定をめぐり亀井静香代表らと下地幹郎幹事長らとの間で分裂状態になった同党だ。ともに本物を名乗るからには、今や与党にして野党という禅問答のような党の出現だ▲野田政権にとってのさらなる難問は、閣議決定を受けて政務三役たちの集団辞任に踏み切った民主党内の小沢一郎元代表のグループの動きだろう。長時間をかけた事前審査もむしろ党内の対立を深めるかたちとなり、はてさて民主党は「一なのかそれとも二なのか」▲今までの政治の枠組みに新たな亀裂をもたらし、時に政治家の魂と肉体の分離も巻き起こす消費増税法案である。いよいよ国会での与野党による審議に入るが、くれぐれも問答は分かりやすく願いたい。(※は王へんに民)

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記事

2012-03-31 | Weblog

過労状態を前提としない働き方を目指せ―NPO法人POSSE事務局長、川村遼平氏インタビュー

http://blogos.com/article/35139/?axis=&p=1

 

ヒルズ族よりノマド族(若者、地方へ) 低温世代の経済学パート4

http://www.nikkei.com/biz/focus/related-article/g=96958A9C93819499E0E3E2E0E18DE0E4E2E1E0E2E3E0E2E2E2E2E2E2;bm=96958A9C93819499E3EBE2E6968DE0E5E2E1E0E2E3E0E2E2E2E2E2E2;p=9694E2E3E2E1E0E2E3E0E4E7E5E7

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湘南新宿ライン

2012-03-31 | Weblog
赤羽→大宮
長い。途中、川口、浦和など
大宮から高崎線
熊谷で新幹線に乗り換えることができる。
深谷は渋沢栄一生誕の地だそうだ。
岡部、本庄(塙ほきいち生誕の地、八高線児玉)
このあたりまで来ると遠くに山が見える。
貨物列車が通る。


八高線

かんな川


・東京スポーツは江東区越中島にある。

・『世界は恐怖する』1957年 亀井文夫監督


・テレビ局主導で巨額の製作費をかけた映画とデジタルビデオで簡単に撮れる低予算の映画が増えた。逆にその中間の映画が減り、中堅の腕のある監督が撮れなくなっている。山根貞男
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原発と教科書 考える材料を十分に

2012-03-30 | Weblog

東京新聞社説

人の生き方やものの見方を変えるような前代未聞の原発事故をどう学ぶのか。先生も生徒も共に悩み、教え合うしかあるまい。そのための材料を教科書にはたっぷりと盛り込んでおかなくては。

 来春から高校で使われる教科書には原発事故を取り上げたものも目立った。社会や理科、家庭、美術など教科を超えて十六冊が書き込み、検定に合格した。

 現代社会の教科書の一つは、日本での大震災と原発事故が世界の原子力政策の見直しを迫っていると踏み込んだ。併せて「私たちの生活のあり方をも問うものとなっている」と記した。

 原発の仕組みの図解を載せ、事故について「複数の炉心冷却機能がすべて失われて炉心溶融が起き、原子炉内の放射性物質が外部に放出された」と詳しく説明した物理の教科書も登場した。

 原発の安全神話は崩れた。誰しも史上最悪の深刻さを肌身で感じ取り、脱原発依存の意識も急速に高まった。その変化に反応し、原発の利点のみならずリスクに言及した教科書を評価したい。

 検定の申請は事故発生からほどない昨年五〜六月に締め切られた。原因や影響の全体像が判然とせず、記述を見送った教科書会社も多い。検定意見を恐れ、二の%

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近代主義者

2012-03-30 | Weblog
火曜日朝日夕刊文化欄
丸山よりも「近代主義者」姜尚中 吉本隆明を悼む
なかなかいいと思ったけど?

隣の藤原帰一氏の時事小言もいい。
アフガニスタンの米兵銃乱射 アメリカの報道は子煩悩の容疑者がなぜ?という一点に焦点。一方アフガンでは犠牲者に関心が集中。
「アメリカの報道は米兵の内面ばかりに目を向け、殺された人々がほとんど登場しないばかりか、アフガニスタン介入の是非を問う報道も少ない。
沖縄の米軍基地の暴力事件と重なる。日本の報道が犠牲者に集中する一方、アメリカでは日本人犠牲者について伝えられることは少なかった。
だが日本も第二次大戦で、日本兵はアメリカの立場と重なる。
故郷では好青年や子煩悩の父である人が戦場で酸鼻な暴力を繰り広げる事件が繰り返された。
犠牲者から見れば日本兵はとても人間ではないもののように映るが、日本の国民は、そのように兵士を突き放して見ることはできない。戦争で人間が変わったのだという声はまだ良心的な方で、虐殺など言いがかりだという反発が繰り返されている。」
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手話版Wikipedia

2012-03-30 | Weblog
大木氏
28日日経夕刊
動画でつくりサイトにまとめる 日本だけでなく各国でつくりたいという。若い人、すごいと思う。

ベネズエラ・チャベス大統領とキューバ・カストロ前議長の盟友関係
朝日25日

これまでの地下資源文明から、自然の恵みとも言うべき太陽、風、森林、海流などの再生可能なエネルギー源が支えとなる地上文明へ池上了氏

・山田洋次監督の著者にこんな話があった。明治のころ、急行列車が初めて東海道線を走ることになったとき、急行料金が別にかかることに文句を言った人がいたそうである。「同じ距離なのに、短い時間しか乗れないのがどうして高いのだ、というのが抗議の理由だったそうです。寅さんも飛行機や新幹線は嫌いだった。似合わなかった」

・4歳の息子、着替えるお母さんに、「どうしておっぱいにマスクするの?」

→久しぶりに、「あのね」コーナーを見た。いいなあ。
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う〜ん

2012-03-29 | Weblog

打ち砕かれた東北とは、実は、この国の明日の姿そのものなのだ。高橋源一郎

朝日朝刊

社会面 南京虐殺全教科書に

昨日の夕刊
安全第一 国鉄 一人乗務を巡って

・送電線地図に復活へ

・揚水発電

 

・非正規労働者について、など:

http://www.youtube.com/user/jilptdouga

濱口氏のところから。

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ふう

2012-03-29 | Weblog
非日常気分は終わり。現実が。

旅人ではいられませんなあ。

昨日はその延長で、用事があり霞が関周辺へ。

経産省前にも行き千円ほどカンパ。Mさんという方にいろいろお話を聞いた。感銘。

友人のKさんと一緒に、住まいの貧困を考える会の被災地の住に関する提言を議員会館で聞いた。国会議員は民主、社民、共産、みんなが来て、自民党の議員は来なかった。
この3月で退職する神戸大学の先生は、東北の被災地の住環境整備のシステムの欠陥をしてきしておられ、日本でこれまであった阪神淡路大震災や中越地震などの経験が生かされていないことに憤っておられた。、
今回の東北の被災地に復興の経験はなく、行政に人は足りない。

災害救助法も不備があり変えるべきだが、特に知事権限で今のままでも十分できることがあるのだが、知事は知らないだろうし、中央は曲解して説明する。

このままでは復興支援金は変な方向にばかり使われ当事者に渡るのは少なくなってしまうのでは、過去にもそうだった、同じ轍を踏もうとしている。

被災者にわずかでも安心させるプランを出すよう市区町村に任せているが、被災地の中で一番大きい石巻だって大都市である神戸とは違う。神戸には多くの専門家がいた。

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4月から

2012-03-29 | Weblog

今日の毎日新聞

ひと:国分良成さん 中国専門家で初の防衛大学校長に就任

 3月末で退任する五百旗頭真(いおきべ・まこと)氏の、後任の防衛大学校長への就任を防衛省から打診されたのは昨年初め。慶応大法学部長を務め、塾長の有力候補と目されていたが、「今後、中国問題が日本にとって最重要になる。長年の経験を生かしてほしい」と要請された。中国専門家では初の就任。

 慶応大での生活が長かったため迷いはあったが、東日本大震災が背中を押した。冷却機能を失った福島第1原発に陸上自衛隊のヘリが放水活動をするのをテレビで見て「自衛隊が立派に育っている。これは日本社会の強みだ」と思った。幹部自衛官を育成する防衛大の重要さを実感し、「使命感を感じた」という。

 「何といっても、英語を話せる自衛官を出さないといけない」との思いが強い。中国問題は世界中で活発に議論されているのに、その場に日本人がほとんどいない現状を見ているからだ。防衛省幹部は「国際感覚を持った自衛官を育成してほしい」と期待を込める。

 中国に行けば路地裏に入って現地の人と話したり、デパートで客の買い物の様子を見たりして、「現場感覚」を大切にしている。「中国共産党が堕落したのは大衆の中に入っていないから」と手厳しい。

 約30年間の教員生活で最も幸せだったのは、ゼミなどで学生と一緒に過ごす時間。その影響か実年齢より若く見られる。防衛大生には「個性を大切にしながら幹部自衛官になる使命を果たしてほしい」とエールを送る。【朝日弘行】

 【略歴】国分良成(こくぶん・りょうせい)さん 東京都大田区生まれ。慶応大法学部教授。専門は現代中国政治・外交、東アジア国際関係。妻と2人暮らし。58歳。

 

 

木語:太子党は元祖も失脚=金子秀敏

 <moku−go>

 「太子党」という中国語が日本でも定着した。共産党高官の子女を指す。春には重慶市党委員会書記の薄熙来氏が失脚し、秋には国家副主席の習近平氏が党総書記に就任する。2人とも太子党である。

 もとは清朝時代の皇太子と取りまき連中のことだった。政党の党ではなく徒党の党だから、太子党本部など探してもない。

 元祖太子党は、康熙(こうき)帝の皇太子、胤〓(いんじょう)である。康熙帝は正妻である皇后を熱愛した。皇后は次男、胤〓を産むと死んでしまった。妻を慕うあまり皇帝は胤〓を寵愛(ちょうあい)し皇太子に指名した。

 清王朝では、皇帝は臨終まで世継ぎの親王が誰かを伏せておくのが普通だった。皇太子指名は例外だった。康熙帝は自ら幼い胤〓に四書五経を教えた。

 やがて皇太子の周りに貴族や官僚が群がり太子党と呼ばれて権勢を振るいだした。おもしろくないのは兄弟の親王たちだ。19人の兄弟がいた。親王やその取りまきが密告したのか、真実だったかは謎だが、康熙帝は皇太子に謀反の疑いを持つようになり廃太子にした。胤〓34歳。太子党の元祖は、失脚で終わった。

 臨終を迎えた康熙帝は、震える手で筆をとり側近の手のひらに四の字を書き、四男の親王が後継者になった。雍正(ようせい)帝である。

 だが十四の十を消したのではなどの疑惑が残ったので、雍正帝以後は後継者の名前を書いた紙を小箱に入れ宮殿の額の裏に保管した。皇帝の死後、みんなの前で開封するようになった。(王敏編著「中国歴代王朝秘史事典」河出書房新社)

 共産党時代に入ると李鵬元首相が太子党と呼ばれた。父親が海南島のゲリラ部隊の指揮官、母方の叔父が上海の労働運動指導者で、どちらも国民党に処刑された。革命烈士の遺児たちは陝西省延安の革命根拠地で周恩来夫妻に育てられた。その長兄格が李鵬氏だ。この頃の太子党は、抗日戦争中に革命根拠地で育った革命遺児たちのことだった。中華人民共和国が成立すると周恩来は初代の首相、李鵬氏が第4代首相となった。

 太子党が皇太子の党だとするなら、いま太子党と呼ばれる資格があるのは中国共産党の次のトップリーダーとなる習氏だけではないか。

 だが、天安門事件の前後の党内権力闘争で、薄氏の父親は習氏の父親を失脚に追い込んでいる。その頃は薄氏は自分こそ正統派太子党であると信じ、習氏など眼中になかったろう。

 元祖太子党の研究をしておくべきだった。(専門編集委員)

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メモ

2012-03-29 | Weblog

中日新聞

全国初、満蒙開拓の記念館 長野で建設へ 

2012年3月29日 00時42分

 長野県阿智村に全国初の「満蒙(まんもう)開拓平和記念館」が建設される。6年がかりで計画を進めてきた事業準備会が28日、来年4月末の開館を目指すと発表。資料の提供を呼び掛けている。

 1932年の旧満州国(現中国東北部)建国から終戦間際までに27万人が移住した満蒙開拓。長野県は全国最多の3万3千人を送り出し、うち4分の1は飯田下伊那地方の住民だった。開拓団では終戦後のソ連軍侵攻で8万人の犠牲者があったほか、多くの中国残留邦人を生んだ。

 この悲惨な歴史を後世に残し、平和教育の拠点にするため、地域の日中友好協会会員らが2006年、全国初となる満蒙開拓にテーマを絞った記念館建設を構想。全国に資金協力を呼び掛けるなどの活動をしてきた。

 記念館は、阿智村が無償提供する村有地1450平方メートルに木造平屋440平方メートルを建設。当時の写真や手紙などの資料展示室、語り部の話を聞いたり映像を観賞したりする学習研究室などを備える。建設費は約1億2千万円で今年7月、本館建設に着工する。

 準備会の河原進会長は「全国の方から多くの寄付金を頂き、開館の見通しが立ったことが何よりうれしい。館の内容充実のため、資料収集の呼び掛けを強めていきたい」と話した。

(中日新聞)

 

天声人語

 「海へ小便したって海の水は小便にはなるまい」と勝海舟が談話集「氷川清話」で述べている。公害の原点とされる足尾銅山鉱毒事件について、人間の素朴な営みなら天地(あめつち)を損なうことはないのだが、との意味で例えたものだ▼しかし文明が発達すれば話は違う。勝は鉱毒事件を「文明の大仕掛けで山を掘りながら、その他の仕掛けはこれに伴わぬ……元が間違ってる」と喝破した。あらゆる文明災害を射抜く洞察だろう。人間は海を汚し、空を汚し、そして放射能をまき散らしている▼きのうに続いて原発の話になるが、福井県の大飯原発の再稼働をめぐり、隣り合う滋賀県の嘉田(かだ)由紀子知事に共感する人は多いのではないか。地元同意の「地元」に滋賀を入れたくない政府や関電に、「行政上の境はあっても大気はつながっている」と猛反論している▼「水源を預かる責任」も強調する。琵琶湖は関西の1400万人の水をまかなう。最も近い原発から県境まで13キロしかない。ひとたび事故が起きれば京阪神は干上がってしまう▼原発という文明の大仕掛けを中心に、目に見えない同心円が存在している。地図上でコンパスを回せば、遠くに思えても直線距離は意外に近い。狭い国土は津々浦々が「地元」と言って過言ではない▼〈真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし〉。これは鉱毒事件を告発し、民衆の先頭で闘った田中正造が言った。勝海舟の卓見と見事に響き合う。教えられることが多い。

 

読売夕刊

 「だますつもりはなかった」――それを繰り返し主張しにきた。AIJ投資顧問の浅川和彦社長にはそんな印象だけが強く残った◆巨額な年金資金を消失させたことが露見してから初めて公の場に姿を見せた27日の衆院財務金融委員会。参考人としての招致だが、ウソをつけば偽証に問われる証人喚問にすべきだった◆そんな思いも強い。損失の実態を隠して、水増しで虚偽の運用報告書を顧客に示したことを認めながら「だますつもりはなかった」は通らない。顧客にすれば「だまし」そのもの、詐欺そのものだ◆「取り戻せる自信があった」には唖然(あぜん)。多くの顧客の貴重な年金を消失させながら、AIJは多額の報酬を取得、自身は年収7000万円で恥じない◆鉄面皮とはこのことか。今、AIJに対する強制調査の容疑は金融商品取引法違反(契約に関する偽計)で罰則は最高でも懲役3年。日本の金融犯罪に対する罰則は軽すぎないか◆AIJの被害者は刑法の詐欺罪(懲役10年以下)適用が当然だろうと考えている。

2012年3月28日13時53分  読売新聞)
 
→ この人、ようやく出てきましたね。僕の印象は、この人は何人だろう、と。日本人ではないね、なんだか。最低限の何かももっていないようだ。人あたりはきっといいのだろうけれども。モラルというか・・・「外国人」のようだ。どこに拠点を置いているんだか。
 
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太陽光発電 飛躍の条件

2012-03-27 | Weblog

日経朝刊
コスト低下普及に弾み

「グリッド・パリティ」太陽光の発電コストが家庭用の電力料金に並ぶ状態
これが普及が一気に加速する分岐点という。

 

朝日社説

公務員の採用―大幅抑制は乱暴すぎる

 政府が、13年度に採用する国家公務員の数を大幅に絞る。

 岡田克也副総理が「これまでを大幅に上回る抑制」を明言したのを受け、各省ごとの採用数の折衝が大詰めを迎えている。

 政権交代前の09年度に比べ、11年度分は4割弱減らした。それ以上の削減幅をめざす。

 消費増税への理解を得るために、「官が身を切る」という姿勢を示したいのだろう。国家公務員の人件費2割削減という民主党の公約の実現も意識していることは理解する。

 だが、大幅な採用抑制は弊害が大きすぎる。

 なにより、厳しい雇用環境にある若者に、政府が率先して門戸を閉ざしていいはずがない。海上保安官や刑務官ら現場の要員が不足する恐れもある。こうした弊害を避けながら、人件費を抑える策を練るべきだ。

 着目すべきは、採用抑制が世代間の仕事の奪い合いの側面を持っていることだ。

 民主党政権が天下りのあっせんを禁止したことで、定年前の勧奨退職は激減している。勤続20年以上の行政職の場合、05年度の勧奨退職は2千人を超えていたが、10年度には400人余りにまで減った。

 この結果、定年まで働こうとする国家公務員が増えている。

 一方で13年度からは、年金の支給開始年齢が段階的に上がるので、定年後の「再任用」が増えていくのは確実だ。

 ベテラン職員がとどまるぶん、若者の採用を減らすのは、いかにも安易ではないか。

 もっと幅広い年代で人件費を分かち合い、一定程度の採用数を確保することで、組織の活力を維持すべきだ。

 具体策は、すでに指摘されてきた。たとえば、職種や働き方に応じて、給与や昇進にメリハリをつける。人事院が「民間より高い」と指摘する退職金を引き下げる。給与上昇のカーブを見直し、子育てを終えた世代への配分を薄くする。

 働き方も変えよう。

 そもそも年齢とともに手厚く遇される仕組みは、新卒一括採用・終身雇用の慣行と一体のものだ。経済成長の時代には成り立ったが、いまは「若者排除」につながりやすい。

 公務と民間、役所と役所の垣根を低くして、柔軟な人員配置を可能にすべきだ。民間の専門家を幹部公務員に登用したり、若手官僚に民間で経験を積ませたりする。退職金を積みまして希望退職を促す制度も整える。

 こうした対策を徹底しないままで採用抑制に走る政府の対応は、あまりに乱暴すぎる。

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雑感 国の若さと

2012-03-27 | Weblog

旅先で思ったのは人通りの少なさ。

ある博多出身の下関の人が博多弁で、最近羽田から栃木に行ったんだけど東京は人が多くてびっくりした、と言っていた。

確かに東京は人が多い。多い分、細かいテクニックに迫られ、息苦しい。
住みやすいとは言えないかもしれない。

それにどうも若さがなくなりつつある。。

 

火論:紛争の季節=玉木研二

毎日新聞 2012年03月27日 東京朝刊

 <ka−ron>

 「大学へのベルトコンベヤーで、高校ではもはや師弟の情などは味わえるものではなくなってしまいました。私たちは先生の名を、先生方は私たちの名前さえ知らずに過ごしてきたではありませんか」

 1968年3月1日、福島の県立高校卒業式で生徒会長が事前に教師の目を通したのと全く別の「送辞」を読み上げ、会場がざわめいた。

 同日。京都の府立校では送辞がベトナム戦争を批判し、答辞は「無気力と無関心を打ち破り、日本と日本の教育の現状打破に立ちあがろうではありませんか」と応じた。

 翌日の毎日新聞(東京)は<型破りの送・答辞>の見出しで<現代っ子らしい一面>と評している。だが、受験一辺倒教育への失望と反発、政治的関心や行動への欲求を記事が直視した気配はない。高校紛争は全国に広がった。

 先月出版された教育ジャーナリスト小林哲夫氏の「高校紛争 1969−1970」(中公新書)は校史、ビラ、機関紙、証言など残る資料、当事者たちへのインタビューを積み上げた。読みながら、時にジンとしたのは、私がそこに描かれた高校生たちと同世代だからだろう。

 程度に差はあれ、あの空気は多くの学校を包んだ。

私の高校は、瀬戸内の至ってのどかな学校だった。それでも生徒たちは校則(日没後は男女が連れ立ってはならぬ、といった類い)改正を求めたり、同級生が檄文(げきぶん)を配って処分されるなどのさざ波は立った。デモ用ヘルメットとタオルを持っていた者もいる。

 文化祭で校庭で生徒たちが校長と話そうとしたら、なぜキミは制服を着ていないのか、と校長が言ってかみ合わず、失望したものだ。

 市内の別の高校卒業式では、校長の前で女子生徒が証書を受け取るや破り捨てた。

 米空母エンタープライズ佐世保寄港では「先進校」から女子生徒がオルグに来た。感心して聴くばかりで「連帯」することはなかったが、彼女はひとしきり、状況の切迫を語って帰って行った。どうしているだろう。

 同書が紛争のピークに挙げるのは69年9月から70年3月。エスカレートし、封鎖や占拠が各地で起き、機動隊導入や生徒の逮捕が相次いだ。

 大学紛争や他校の動きの刺激もある。「おもしろい」という側面もあったに違いない。しかし、高校生たちの独自の動機、思考、焦慮を抜きにしては、あの運動や空気の広がりは説明できない。

 制服廃止など紛争を機に変わったことも少なくない。しかし、高校教育の改革という根本的な提起は、風に吹かれたままだ。(専門編集委員)

 

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岡山

2012-03-27 | Weblog
岡電という路面電車で県庁前としろしたの間に禁酒会館という聖書を売る本屋があった。

旭川という一級河川はきれい。


というわけで、友人には大阪まで車に載せて行ってくれ、その後18切符で西日本へというのを、金曜日に学校の卒業式に出席するため断り、土曜日の夕方に新幹線で岡山へ。岡山から高松についたのは9時頃で、カプセルホテルに泊まり、うどんを食べて寝た後、次の朝、もう一人の旧友が高松周辺を車で案内してくれた。繁華街にあるカプセルホテルはがらがらといってもよかった。うどんを食べるべく付近の夜の街を歩いたが、概して人通りは多くない。もう東京では見られなくなった「マッサージいかが?」の中国人女性がたくさんいて、通りすがりの日本人に聞くと4千円の高松―上海便が竣工したからではないか、と言っていたが如何。

こんぴらさんに連れて行ってもらい、高松の栗林公園を歩き(ここは映画『春の雪』のロケ地だ)、行きには暗くて見られなかった瀬戸大橋と海を見るべく4時には高松を立った。案内してくれた友人は松山でも生活したことがあるようだから、今度は松山に行ってみたい。松山の人は郷土への誇りが強いのだという。
徳島は大阪に近く、香川はその中間という位置付けで、同じ四国でも高知は一番独特で方言も人のもてなし方や風格も他とは異なり、友人は九州、それも鹿児島に近いんじゃないか、と話していた。

そういえば、と思いだしたのが直島というユニークに観光地化して知られるところ、あったなあと思いだし地図をみたが瀬戸大橋からは見えなそうだ。

岡山で大阪からの友人と落ち合うはずだったがどうせ西へ行くのだということで一人で倉敷へ行った。

美観地区というところを見て回った。
なかなかきれいなところで、駅から若い子どもが多いみたいだなあと感じた。豊かなのか、子どもを育て安いのか、日曜だからかな。
クラボウの街、ということで、今度来る機会があれば大原美術館に行こう、と思った。あとはデートスポットらしい。気温も低く、日が落ちると寒くて…

友人と倉敷のホームで落ちあい、西へと向かう。夜10時くらいだろうか? 広島に着く。

広島でお好み焼きを、と思っていたが、安宿の近くにあった555という店でカレーなどを食った。

次の日つまり月曜日は平和大通りを平和祈念公園へ。
あの中洲に行き資料館に久しぶりに入った。

少し考えて、中国語の音声ガイドを借りた。

ちなみに資料館は入場料50円で月曜日も開館している。さすがは世界遺産だ。
中国語の音声ガイド、じっくり聞いたので一時間半くらいいただろう。

思うところは多くあったがそれはまたの機会に。

原爆ドーム。

そのあと、友人の18切符を買い、西へ。宮島に行った。厳島神社を見た。久しぶりに船に乗り、シカがのんきそうにいた。あの鳥居、不思議なことを考えるものだと思った。

さらに西へ。実はどこで降りるか決めていない。さすがにずっと景色を見ているわけにもいかず、居眠りをした。

ずいぶん長いこと乗り続け、下関に来てしまった。

この本州最西の地は、もらったパンフレットを見るといろいろな見所があるのだけれど、夜ついて次の日の午前には帰路につくと決めていたので、なんだかただ来ただけになってしまった。

下関の駅前、夜は人通り少なく開いている店も少ない。
開いていた韓国家庭料理屋で広島では食べなかったお好み焼きならぬチゲなどを頼み、さて明日の朝どうするかなあと地図を見ていた。

次の朝つまり今日火曜日だが、少し寝坊してしまい、急いでホテルをチェックアウトして海を見に行く。裏に漁港があって、他方には国際フェリーターミナルがある。

時間がないから漁港をちらりとみて、昨日の夜暗くて見えなかったコリアン街という長 通りを歩いた。
がまだ早いからか活気はない。概して下関の街は、衰退気味だったようで、これからどうなるのだろうと思った。駅前に古そうな公営住宅もあり昭和が残っている感じ。その意味では大変貴重といえる。

山あり坂あり港あり、これは唐戸や関門橋のほうまでずっとそうなのだが、いわゆる名勝が集中していない。バスに乗ってみたが、唐戸や関門橋はきれいだし面白そう。火の山公園というところにあるというユースホステルに滞在して回ってみるのも良さそう。


で新下関というこだまが止まる新幹線駅から岡山へ。岡山ではお城を見ようと思った。

岡山は豊かなところだ。文化ゾーンみたいなところがあり、文化を重んじているのがよくわかる。

前に行った姫路でも感じたが、岡山はとても豊かな気がした。

いい悪いがあるが、県庁と警察の存在感が強く、その後押しであれだけ美しいエリアとなっているのか。いややはり後楽園と旭川、そして城という自然と歴史か。
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谷村美月

2012-03-27 | Weblog

夜明けのララバイ
というのを見た。
谷村美月、すごい。

 

毎日新聞25日

時代の風:大震災、国の記録=東京大教授・加藤陽子

 ◇政治家の気迫伝わるか

 東日本大震災が起こってからの1年、新聞各紙の調査報道の充実ぶりには目をみはらせるものがあった。老若を問わず、新聞人にとって、事態の深刻さそのものが、自らの存在意義を見つめ直させることとなったのではないか。

 東京電力福島第1原発の事故調査については、政府、国会による検証が進行中だ。民間による調査報告は、一足早い2月末に発表され、「福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書」として市販もされている。だが、日々の学業、仕事、生活に追われる身であれば、政府の事故調査委員会がホームページ上で随時発表する内容を確認し続け、公開で行われる国会事故調査委員会の実況を動画で確認し続けるのは至難の業だろう。

 よって、全体の動向をまずは新聞からおおづかみに押さえ、各紙の論調に甚だしい差異がある場合には元の記録に戻って確認するようにする。そうすれば、偏向に陥る恐れも少なかろう。新聞は、新しい知見への導入役として比類のないものだ。新聞のコラムでその大切さを説く臆面のなさはわかっているが、本欄への寄稿も最後となるので、寛容をお願いしたい。

 大震災は、たしかにけた外れの天災だったが、政府や地方公共団体のとった施策の中には、人災と呼ばなければならない部分もあった。天災を記録し、人災を歴史的に検証する義務が、これからを生きる我々にはある。こう書くのは、伊丹万作のエッセー「戦争責任者の問題」(1946年)が私の頭を離れないからだ。伊丹は「国士無双」を撮った監督として知られる。

 「多くの人が、今度の戦争でだまされていたという」。だまされたと嘆き、一切の責任とは無縁であるかのように多くの人々がふるまう様子を見た伊丹は、次のような言葉を死の床で書いた。

 「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。

 真剣な自己反省と努力なしには同じことが繰り返されるとの、暗たんたる警告の言葉だ。たしかに、今回の大震災にあって、政府の記録の残し方に問題があったことを想起すれば、伊丹の言葉は予言的な響きで迫ってこよう。ただ、焦点を少し手前に合わせ、個人の奮闘に目を移せば、希望もわいてくるというものだ。その一つ目の例が、宮城県石巻市へ葬儀のため帰省中被災し、石巻にとどまりながら市の災害対策の渦中に立ち、またその経緯をつぶさに記録した農林水産省職員・皆川治氏による「被災、石巻五十日。」(国書刊行会)である。

 本書は、当時秘書官として仕えていた副農相・篠原孝氏に宛て、皆川氏が毎日ファクスで送っていたという現地の状況報告と分析からなる。本のカバーには3月14日付で送られた手書きメモが使われており、その乱れた文字からは切迫感が伝わる。石巻に残り復旧に専念すべしとの英断を下した篠原氏は、地産地消を早くから説いていた理論家として知られる。

 二つ目の例は、東北方面総監部政策補佐官・須藤彰氏による「自衛隊救援活動日誌」(扶桑社)である。政策補佐官とは通常、自治体や国の出先機関と自衛隊との調整役を務めるが、今回の震災においては本省内局と現場との意思疎通に動いた。本当に大切なことは何かをその時々に考え、行動していた隊員や地域の人々の活動状況が、独特のユーモアとともに日記体で活写されている。英ケンブリッジ大大学院で国際政治を学んだ人物だったからこそ、内なる平静心で難事に対処しえたのかもしれない。

 このような、個人の奮闘の記録を読んでいると、どうしても、国がとった対応を時系列で確認したくなってくる。今月9日、政府は議事録・議事概要を作成していなかった会議につき、メモや資料から再現した議事概要を一斉に公表した。試みに、原子力災害対策本部の議事概要を読んでみることにしよう。

 まず気づいたのは、会議ごとに冒頭でなされる菅直人首相(以下、肩書はすべて当時)の発言が軽いということだ。善意と熱意に満ちてはいるが、全閣僚を率いて議論を導き、政治的決断を行う首相の役割を果たす者が他ならぬ自分だとの自覚が、その言葉からはうかがえないのだ。

 とはいえ、この議事概要は読んだ者に希望と信頼をも与えるものとなっている。修羅場の続く中、実務的オペレーションの統率は誰がとるのかをただした片山善博総務相の発言、福島第1原発を更なる津波から守るための防潮堤工事の説明責任について強く迫った北沢俊美防衛相の発言などからは、内閣としての責任と気迫が伝わってきた。

 最も注目すべきは、玄葉光一郎・国家戦略担当相の発言だろう。福島県出身で佐藤栄佐久・前福島県知事を岳父に持つ有利さはある。だが、「悪い情報も含めて情報を100%福島県知事と共有することが大事(中略)、知事と大臣レベルで話をすべきだ」(3月14日)との提言や、「自民党総裁とも話した。国が最終的に責任を持つというメッセージを出すことが大事」(同31日)との言葉は、選択と責任を負う政治家の発言として後世にも残るものと思われた。

 

25日日経春秋

中国のレストランでウエートレスに注文する際、なんと呼び掛けるか。これは決して簡単な問題ではない。計画経済の色濃い時代は「同志(トンチー)」だった。そしてサービスは悪かった。同志が同志に提供するのだから、と納得した記憶がある。

▼改革・開放政策が本格的に動き出して急速に台頭したのが「小姐(シャオジエ)」という表現だ。もともとは、未婚の女性に対する伝統的な呼び方。中国大陸では共産党政権の下でいったん絶滅したかにみえたが、政策が変わったおかげで晴れて復活した。台湾や香港など大陸以外の中国語圏では、昔も今もこれが一般的らしい。

▼ところが大陸、特に北京や東北地方の都市部などでは近年、またもこの言葉が使いづらくなっている。今回の原因は政治ではなく、1990年代からの社会の変化にあるようだ。ウエートレスたちにとっては好ましくないニュアンスが、つきまとうようになった。代わって広がったのは「服(フー)務(ウー)員(ユエン)」という呼び方だ。

▼これはいくら何でも味気ない、ということなのだろう。上海ではさらなる変化が生まれている、と聞く。「服務員」にかえて「美女(メイニュー)」と呼び掛ける人が、増えているそうだ。時代が移ろうにつれて言葉も変わるのは、当たり前。だが、高成長を続ける近年の中国では何とも速い。ついていくのも一苦労だ。

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