東日本大震災が起こってからの1年、新聞各紙の調査報道の充実ぶりには目をみはらせるものがあった。老若を問わず、新聞人にとって、事態の深刻さそのものが、自らの存在意義を見つめ直させることとなったのではないか。
東京電力福島第1原発の事故調査については、政府、国会による検証が進行中だ。民間による調査報告は、一足早い2月末に発表され、「福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書」として市販もされている。だが、日々の学業、仕事、生活に追われる身であれば、政府の事故調査委員会がホームページ上で随時発表する内容を確認し続け、公開で行われる国会事故調査委員会の実況を動画で確認し続けるのは至難の業だろう。
よって、全体の動向をまずは新聞からおおづかみに押さえ、各紙の論調に甚だしい差異がある場合には元の記録に戻って確認するようにする。そうすれば、偏向に陥る恐れも少なかろう。新聞は、新しい知見への導入役として比類のないものだ。新聞のコラムでその大切さを説く臆面のなさはわかっているが、本欄への寄稿も最後となるので、寛容をお願いしたい。
大震災は、たしかにけた外れの天災だったが、政府や地方公共団体のとった施策の中には、人災と呼ばなければならない部分もあった。天災を記録し、人災を歴史的に検証する義務が、これからを生きる我々にはある。こう書くのは、伊丹万作のエッセー「戦争責任者の問題」(1946年)が私の頭を離れないからだ。伊丹は「国士無双」を撮った監督として知られる。
「多くの人が、今度の戦争でだまされていたという」。だまされたと嘆き、一切の責任とは無縁であるかのように多くの人々がふるまう様子を見た伊丹は、次のような言葉を死の床で書いた。
「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。
真剣な自己反省と努力なしには同じことが繰り返されるとの、暗たんたる警告の言葉だ。たしかに、今回の大震災にあって、政府の記録の残し方に問題があったことを想起すれば、伊丹の言葉は予言的な響きで迫ってこよう。ただ、焦点を少し手前に合わせ、個人の奮闘に目を移せば、希望もわいてくるというものだ。その一つ目の例が、宮城県石巻市へ葬儀のため帰省中被災し、石巻にとどまりながら市の災害対策の渦中に立ち、またその経緯をつぶさに記録した農林水産省職員・皆川治氏による「被災、石巻五十日。」(国書刊行会)である。
本書は、当時秘書官として仕えていた副農相・篠原孝氏に宛て、皆川氏が毎日ファクスで送っていたという現地の状況報告と分析からなる。本のカバーには3月14日付で送られた手書きメモが使われており、その乱れた文字からは切迫感が伝わる。石巻に残り復旧に専念すべしとの英断を下した篠原氏は、地産地消を早くから説いていた理論家として知られる。
二つ目の例は、東北方面総監部政策補佐官・須藤彰氏による「自衛隊救援活動日誌」(扶桑社)である。政策補佐官とは通常、自治体や国の出先機関と自衛隊との調整役を務めるが、今回の震災においては本省内局と現場との意思疎通に動いた。本当に大切なことは何かをその時々に考え、行動していた隊員や地域の人々の活動状況が、独特のユーモアとともに日記体で活写されている。英ケンブリッジ大大学院で国際政治を学んだ人物だったからこそ、内なる平静心で難事に対処しえたのかもしれない。
このような、個人の奮闘の記録を読んでいると、どうしても、国がとった対応を時系列で確認したくなってくる。今月9日、政府は議事録・議事概要を作成していなかった会議につき、メモや資料から再現した議事概要を一斉に公表した。試みに、原子力災害対策本部の議事概要を読んでみることにしよう。
まず気づいたのは、会議ごとに冒頭でなされる菅直人首相(以下、肩書はすべて当時)の発言が軽いということだ。善意と熱意に満ちてはいるが、全閣僚を率いて議論を導き、政治的決断を行う首相の役割を果たす者が他ならぬ自分だとの自覚が、その言葉からはうかがえないのだ。
とはいえ、この議事概要は読んだ者に希望と信頼をも与えるものとなっている。修羅場の続く中、実務的オペレーションの統率は誰がとるのかをただした片山善博総務相の発言、福島第1原発を更なる津波から守るための防潮堤工事の説明責任について強く迫った北沢俊美防衛相の発言などからは、内閣としての責任と気迫が伝わってきた。
最も注目すべきは、玄葉光一郎・国家戦略担当相の発言だろう。福島県出身で佐藤栄佐久・前福島県知事を岳父に持つ有利さはある。だが、「悪い情報も含めて情報を100%福島県知事と共有することが大事(中略)、知事と大臣レベルで話をすべきだ」(3月14日)との提言や、「自民党総裁とも話した。国が最終的に責任を持つというメッセージを出すことが大事」(同31日)との言葉は、選択と責任を負う政治家の発言として後世にも残るものと思われた。
25日日経春秋
中国のレストランでウエートレスに注文する際、なんと呼び掛けるか。これは決して簡単な問題ではない。計画経済の色濃い時代は「同志(トンチー)」だった。そしてサービスは悪かった。同志が同志に提供するのだから、と納得した記憶がある。
▼改革・開放政策が本格的に動き出して急速に台頭したのが「小姐(シャオジエ)」という表現だ。もともとは、未婚の女性に対する伝統的な呼び方。中国大陸では共産党政権の下でいったん絶滅したかにみえたが、政策が変わったおかげで晴れて復活した。台湾や香港など大陸以外の中国語圏では、昔も今もこれが一般的らしい。
▼ところが大陸、特に北京や東北地方の都市部などでは近年、またもこの言葉が使いづらくなっている。今回の原因は政治ではなく、1990年代からの社会の変化にあるようだ。ウエートレスたちにとっては好ましくないニュアンスが、つきまとうようになった。代わって広がったのは「服(フー)務(ウー)員(ユエン)」という呼び方だ。
▼これはいくら何でも味気ない、ということなのだろう。上海ではさらなる変化が生まれている、と聞く。「服務員」にかえて「美女(メイニュー)」と呼び掛ける人が、増えているそうだ。時代が移ろうにつれて言葉も変わるのは、当たり前。だが、高成長を続ける近年の中国では何とも速い。ついていくのも一苦労だ。