表通りの裏通り

~珈琲とロックと道楽の日々~
ブルース・スプリングスティーンとスティーブ・マックィーンと渥美清さんが人生の師匠です。

27周年!!

2017-02-17 10:36:21 | ローリング・ストーンズ
夢にまで見たローリング・ストーンズの来日公演。1990年の2月はまさに日本中のロックファンが熱狂した一ヶ月でしたね。

しかしときはバブル期。明らかにストーンズに興味のないような連中が(接待かなにかで)アリーナの前の方を占領していたのにはガッカリしたけど(大物アーティストのコンサートはそんなもんでしたよね)、バンドとしては久し振りのツアーと初めての日本公演に気合い入りまくりの面々。しかもまだ四十代!!さらに(結果的に)ビルが参加した最後のツアー。そして度肝を抜かれた巨大なセット。盛り上がらないワケがありません。翌日のスポーツ紙各紙も一面で取り上げていましたもんね。

僕が最初に行ったのが三日目の今日17日。前の日眠れなかったのを覚えています。


現在のようにインターネットが普及する遥か昔なので、来日前までは"オープニングナンバーは絶対「ホンキー・トンク・ウィメン」だ!!"とか"いや絶対「アンダー・マイ・サム」だ!!"とか当時正規のライヴ盤(名作『ラブ・ユー・ライブ』と『スティル・ライフ』のオープニング・ナンバー)をしたり顔で熱く語るファンが大勢いました(笑)
今思えば殆どのステージ構成をキッチリ作り上げてツアーをするローリング・ストーンズがそんな先祖返りのような愚行をするハズがないんですけどね。とにかく来日前は色んなところでそんな話題で盛り上がっていました。
結果前年のアメリカ・ツアー(おおよそ25~27曲)をコンパクトにした24曲のセットリストは10日間ほぼ変わらずでした。

当時の雑誌で確認してみたら、この三日目は『スティール・ホイールズ』収録のバラード「オールモスト・ヒア・ユー・サイ」が初登場。前後の日にやっていた「悲しみのアンジー」が落とされました(その後のツアーでイヤというほど聴かされましたが)。他は特に代わり映えにしないスタンダードなセットリストでしたが、何と言っても初めての"ナマ・ストーンズ体験"。観るもの聴くものすべてが新鮮で衝撃的で圧倒されました。周りには72年の幻の日本公演のチケットを持った人や、当時の僕(23でした!!)の親世代がローリング・ストーンズ愛を熱く語ってくれたのは楽しかったなぁ。スタンド席にはアリーナを取れなかった(スポンサー枠やら何やらのせいで取れなかった)生粋のローリング・ストーンズ好きが日本全国から集まっていました。

場内暗転と共に始まったコンサート。ほとんどサブリミナル効果のように脳裏に刷り込まれた、徐々に音量が上がっていく「コンチネンタル・ドリフト」~「スタート・ミー・アップ」の鉄板のオープニング。今でも『フラッシュ・ポイント』やその後に出た『ライヴ・アット・ザ・トーキョードーム』を聴くとあの日の戻れます(笑)もちろんその他の各曲にも思い出はいっぱいあるけど、それは長くなるので割愛します。

特に印象的だったのがこの辺。キースの爪弾く「ホンキー・トンク」のイントロと同時に膨らみ始める巨大な風船人形にブッ飛び、ミックのハーモニカが炸裂する「ミッドナイト・ランブラー」にイキそうになり、それまで真剣に聴いたことのなかった『サタニック・マジェスティーズ』収録の「2000光年の彼方に」にビックリ(未だに何故この曲が入っていたのかが不思議)し、キースの二曲を挟んで悪魔に変身して舞台下から競り上がってきたミックの「悪魔を憐れむ歌」にシビれ、ラスト四曲「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」「ブラウン・シュガー」「サティスファクション」「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」とたたみ掛けるような怒涛のロックンロール・ショウには本気で失神しそうでした。

仕事の都合で(今なら何をおいても全部行くけど)この後一回しか観にいけませんでしたが、今に続く僕のロック好きの基礎を強固なものにしてくれたローリング・ストーンズの面々に感謝し、今日は一日ローリング・ストーンズを流します。



この来日時、彼らが宿泊していたホテルに会いに行った話(なかなかドラマチック)はまたいつか(^^)
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