炭やきは地球を救う

脱サラして10年。炭やき・木こり・木挽きを生業としています。

間伐材と言うランクの木は無い

2014-08-31 | インポート

炭やきはこれからがシーズンだけど、僕の仕事は炭やきであり、木こりでもあり、木挽きでもある。
今日も木こりとしての話になります。

「間伐材」ってランクの木はありません。僕は「間伐」を仕事で請けます。間伐した木を出して、挽いて、製品にします。その木々は立派な「木材」です。「間 伐」は施業の一種であり、木の品質を示す言葉ではない。
今まで、何度も聞いて残念だったのは「間伐材って、山に転がってるからただでくれるんでしょ?」っ て言葉。確かに、小径だったり、曲がってたりする。それらの木だって、何十年か前に誰かが苗木を背負って山に入り、穴を掘って植えた木。一本一本、丁寧 に。「いい柱になれよ」と願いを込めて。仕事で淡々と植えた人もいるのだろうけれど、田植え機で田植えするのとは違い、一本ずつ手で植えられている。全て の「木」に、植えた人の思いが篭っている。
僕がやっている「間伐」というのは、「保残木」と「将来木」を決めて、それに対して伐った方がいい木を伐る。 「太くていい木」でも、「細い将来木」に悪影響があると思えば迷わず伐る。「何割間伐だから何本伐る」じゃないんだ。その山の何十年か先、いや、何百年 先、何世代も先のことを考えてデザインする。
そして、できる限り、伐った木を出す。太くて真っ直ぐな「いい木」も、細くて曲がっている「おぞい木」も、同 じ「木」なんだから。「おぞい木」だって、山の恵みだから。
製材を始める前は、「間伐」した木を出してトラックに積んで。市場へ出していた。市の土場に着 いて、受付して、グラップルで降ろしてもらって、はい積みしてもらう。その時点で、間伐した木かどうかなんて、わからなくなる。
そこに積まれているのは 「伐採した木材」。細かったり、曲がっていたり、太かったり、真っ直ぐだったり、目が詰んでいたり、アテが入っていたり。そこに存在する価値観は、その木 一本一本の価値。ランク付けだ。つまり「いい木」か「良くない木」か。「木」そのもののランクで値が変わるのが当たり前。
「間伐材」だからと、一くくりで 「安くて悪い材」というのは有り得ない。
「間伐材の有効利用を!!」ってキャンペーンが打たれる。それは安くて大量に出る材ってことが前提になってること が多い。建築用材もあり、バイオマス利用あり。結局、山から安く買い叩くことで、企業が儲けるしくみだ。大企業を儲けさせるために、国が補助を出す。山側 に入るお金は限りなく、ゼロに近い。普通にやっていれば間違いなく赤字。
「間伐材のバイオマス利用で、林業が活性化する」なんて、有り得ない。立米あた り、3万円くらいで買ってくれたら、何とかなるだろう。
集成材がもてはやされ、山の木が根こそぎ持っていかれる。それだって、国の補助を受けて作った大企 業の巨大工場を稼動させるため、山から安く木を持ってゆく(立米数千円だ)。接着剤まみれの、換気扇を24時間動かさないと暮らせないような木材を作るため。僕はそんな大きな流れに乗って儲けようなんて、思わない。小さな仕事でも、一本一本の木の価値をきちんと出して、ちゃんとした価格で出す。
僕が拘って いる 旬、新月期伐採・葉枯らし・自社製材・天然乾燥 のスギ材は、立米15万くらいで出します。そうでないと、木こりが木こりで食えない。補助金もらわないと成り立たないのっておかしい。
大きな林業家からは鼻で笑われるようなことかもしれない。だけど、価格を決めるのは一次生産者でなければならないと思うんだ。国の根 幹を支えるのが第一次産業だと信じている。
相場に左右されたり、安いのが正義とばかりの中間業者が決めた価格ではなくて、山側が、補助金をもらわなくても やってゆける価格を考えたら最低でも立米15万なんだ。
しかも、僕は伐って・出して・挽いて・運ぶ。極力、全部自分でやることでコストを抑える。
伐り時、 初期乾燥に拘ることで価値を高める。当たり前の企業努力をした上で、山の恵みを頂くという、謙虚な気持ちと、植えた人に対する思いを形にしてゆきたいんだ。
「間伐材」って安易に使うようになったのは、林野庁から降りてきた補助金申請の文言。つまり、山側で使い始めた。自分たちの首を自分たちで絞めてし まった。
今からでも遅くないので、僕たちは「間伐材」という言葉を使わない。間伐した木を、一本一本の「木」として扱ってゆきます。
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