会議を終えてさあ帰ろうと思ったら、珍しく佐々木が話しかけてきて、美味いラーメン屋があるから食いに行こうと言う。時計を見たら四時になろうかというところで「こんな時間に空いてある店なんてある?」と聞いたら、「ある」と言うので、ちょうど腹も減っていたし、断る理由もないので付き合うことにした。
表に出てしばらく歩いた後、交差点の前でタクシーを拾った。六本木、とだけ運転手に告げ、そのまま腕を組んで俯きにかかる彼。窓の外は既に青みがかっていて、空にはまだうっすらと月が浮かんでいる。かつてアメリカの有名な小説家はこの空を見て「魂の暗闇」と譬えたが、その所縁がどこにあるのか、いまいち合点しない。暁、暁闇、闇、夜明け。考えていると何だか語呂合わせのようにも思えてくる。
携帯を取り出し、充てもなくメールをチェックしていると、それまでじっと眼を閉じていた佐々木が、「あちらのお国の仕事の方はどうなんだよ」とロンドンの会社のことについて訊いてきた。彼がそのことについて訊いてきたのは、それが初めてだった。ぼくは携帯を上着の中に仕舞い、すこし考えてから「とりあえず今のところは黒になる予定はないかな」と言った。彼はそれには答えず、ただ鼻で笑っただけだった。運転手は黙ってハンドルを操っている。
佐々木はこの春に専務になった。38歳。会社はじまって以来の最年少記録だそうだ。本人としてはまだまだ上を目指しているようで、こんな小さな会社で一生くすぶっていられるかという気持ちなのかもしれないが、ぼくとしては初めて会った18歳の頃からの仲なので、それなりに感慨深いものがある。思い出すのは、ぼくがまだ新入社員の頃に、初めて任された社内コンペで、プレゼンをやるという日に大遅刻をしてしまったこと。何カ月も前から準備をしてきて、やっと日の目を見るという当日の朝、ふと眼が覚めて時計を見ると、時計は既に正午をさしていた。着替えもそこそこにアパートを飛び出し会社に向かったのだが、上司のオフィスのドアを開けると、何故か佐々木もそこにいて、まるで通夜に訪れた参列者のような面持ちで突っ立っていた。ぼくの顔を見るなり、上司が唇を震わせながら腰手に大声で怒鳴った。
「どいつもこいつも!」
後で聞いた話だと、佐々木もその日寝坊をしてしまったらしく、聞けば出社したのはぼくとほとんど変わらない時間だったという。その日は眼から火が出るほど大いに上司に焼けられる羽目になったのだが、どういうわけだか怒られている最中、妙な爽快感に包まれていたのを今でもよく覚えている。そのことをふと思い出して佐々木に言うと、彼は遠慮がちに笑って「そうだったな」と何度か小さく頷いた。
「そう、それであの時『もういい帰れ!』って言われて、二人してバッティング・センターに行ったんだよ。早稲田の・・・あれは・・・」
「公栄?」
「そう、公栄。あのぼろっぼろの」
「金入れても入れても入いんなくて、やっと入ったかと思ったら今度は球が出てこなかったっていう」
「ははははは!」
「先にホームラン出た方が全額出すって言って結局一度も出せなかったんだよ、確か」
「おまえよくそんなことまで覚えてるな」
「そりゃそうさ。おたくがまだヨゴレになる前のことですもんよ」
ぼくがそう言うと、彼は楽しそうに手を打って笑った。それはぼくが見る彼の久しぶりの笑顔だった。
「おまえホントにむかつくな・・・」
運転手に料金を払った後、タクシーから降りると、空はもう白み始めていた。遠くで救急車のサイレンが鳴り、通りの向こうからは男女の嬌声が危険を知らせる船の警笛のように上がった。その音々は宙を舞い、しばらく我々のいる上空を漂ったかと思うと、大型車両の走り去っている音によってふっとかき消された。佐々木は繁華街に向かって既に歩き出している。ぼくは上着を脱ぎ、その後にぼんやりと続いた。振り返った佐々木が言った。
「これでもし行って店がしまってたら笑うよな」
ぼくは首を傾げ、別にいいんじゃない?、と言った。











