【 スモール・アワーズ 】

2012-04-25 | □ MEMORANDUM

会議を終えてさあ帰ろうと思ったら、珍しく佐々木が話しかけてきて、美味いラーメン屋があるから食いに行こうと言う。時計を見たら四時になろうかというところで「こんな時間に空いてある店なんてある?」と聞いたら、「ある」と言うので、ちょうど腹も減っていたし、断る理由もないので付き合うことにした。

表に出てしばらく歩いた後、交差点の前でタクシーを拾った。六本木、とだけ運転手に告げ、そのまま腕を組んで俯きにかかる彼。窓の外は既に青みがかっていて、空にはまだうっすらと月が浮かんでいる。かつてアメリカの有名な小説家はこの空を見て「魂の暗闇」と譬えたが、その所縁がどこにあるのか、いまいち合点しない。暁、暁闇、闇、夜明け。考えていると何だか語呂合わせのようにも思えてくる。

携帯を取り出し、充てもなくメールをチェックしていると、それまでじっと眼を閉じていた佐々木が、「あちらのお国の仕事の方はどうなんだよ」とロンドンの会社のことについて訊いてきた。彼がそのことについて訊いてきたのは、それが初めてだった。ぼくは携帯を上着の中に仕舞い、すこし考えてから「とりあえず今のところは黒になる予定はないかな」と言った。彼はそれには答えず、ただ鼻で笑っただけだった。運転手は黙ってハンドルを操っている。

佐々木はこの春に専務になった。38歳。会社はじまって以来の最年少記録だそうだ。本人としてはまだまだ上を目指しているようで、こんな小さな会社で一生くすぶっていられるかという気持ちなのかもしれないが、ぼくとしては初めて会った18歳の頃からの仲なので、それなりに感慨深いものがある。思い出すのは、ぼくがまだ新入社員の頃に、初めて任された社内コンペで、プレゼンをやるという日に大遅刻をしてしまったこと。何カ月も前から準備をしてきて、やっと日の目を見るという当日の朝、ふと眼が覚めて時計を見ると、時計は既に正午をさしていた。着替えもそこそこにアパートを飛び出し会社に向かったのだが、上司のオフィスのドアを開けると、何故か佐々木もそこにいて、まるで通夜に訪れた参列者のような面持ちで突っ立っていた。ぼくの顔を見るなり、上司が唇を震わせながら腰手に大声で怒鳴った。


「どいつもこいつも!」


後で聞いた話だと、佐々木もその日寝坊をしてしまったらしく、聞けば出社したのはぼくとほとんど変わらない時間だったという。その日は眼から火が出るほど大いに上司に焼けられる羽目になったのだが、どういうわけだか怒られている最中、妙な爽快感に包まれていたのを今でもよく覚えている。そのことをふと思い出して佐々木に言うと、彼は遠慮がちに笑って「そうだったな」と何度か小さく頷いた。


「そう、それであの時『もういい帰れ!』って言われて、二人してバッティング・センターに行ったんだよ。早稲田の・・・あれは・・・」
「公栄?」
「そう、公栄。あのぼろっぼろの」
「金入れても入れても入いんなくて、やっと入ったかと思ったら今度は球が出てこなかったっていう」
「ははははは!」
「先にホームラン出た方が全額出すって言って結局一度も出せなかったんだよ、確か」
「おまえよくそんなことまで覚えてるな」
「そりゃそうさ。おたくがまだヨゴレになる前のことですもんよ」


ぼくがそう言うと、彼は楽しそうに手を打って笑った。それはぼくが見る彼の久しぶりの笑顔だった。


「おまえホントにむかつくな・・・」



運転手に料金を払った後、タクシーから降りると、空はもう白み始めていた。遠くで救急車のサイレンが鳴り、通りの向こうからは男女の嬌声が危険を知らせる船の警笛のように上がった。その音々は宙を舞い、しばらく我々のいる上空を漂ったかと思うと、大型車両の走り去っている音によってふっとかき消された。佐々木は繁華街に向かって既に歩き出している。ぼくは上着を脱ぎ、その後にぼんやりと続いた。振り返った佐々木が言った。


「これでもし行って店がしまってたら笑うよな」


ぼくは首を傾げ、別にいいんじゃない?、と言った。





THE CLIP:不味い! もう一杯!

2012-04-05 | □ MEMORANDUM


風呂上りに青汁を飲むというのが、最近の我が家の通りになりつつある。はじめはぼくが健康に気を遣って始めたのだが、いつのまにか妻もやるようになって、気が付いたら上の子も飲むようになっていた。昔と違って近頃の青汁は格段に飲みやすくなったので、CMに於ける八名信夫さん(この人は本当に良い人ですよね)の出番もめっきり少なくなってなってしまったが、やはり「不味い!」よりは「不味くない!」方が良いわけで、これは企業側の努力というか、まあなるべくしてなったものだろう。だが、そうは言っても「不味い!もう一杯!」というあのフレーズは青汁を飲むと口にしたくなるもので、きっとこれから先、青汁がどんなに美味しくなったとしてもぼくはそう言葉にしてしまうのだろうな。





♪ Sly Johnson/Hey Mama






THE CLIP:歳を取ると涙もろくなるという事実

2012-03-12 | □ MEMORANDUM

歳を取ると涙もろくなるというが、あれは事実のようだ。最近は特にそれがひどくて、街で小さい子供を見掛けると、それだけでもうウルウルきてしまう。仕事が忙しくて全く家族と過ごす時間が持てない中、これも家族のためだと思い日夜職務に励んではいるが、やはり心のどこかに家族を蔑にしているという後ろめたさがあって、それがふと立ち止まった時やなんかに、不意に感情を揺さぶってくる。

妻に聞いたのだが、最近三歳半になる長男(コウ)が毎朝起きる度に「パパは?」と聞いてくるのだそうだ。今朝(もう昨日だけど)も「パパはもう出かけたよ」と妻が言うと、「パパは朝ご飯も夜ご飯もいないからお腹すくね」と言ったらしい。

何それ、とはじめのうちは大人っぽいことを言うもんだなと笑っていたのだが、後になって息子の言葉がじわじわと胸をついてきて、危うく妻の前でほろろといきそうになってしまった。年端もいかない子供に心配されるなんて、父親としてどうなのだろう。

最近は子供のことはもちろん、家の事もぜんぶ妻に任せっきりなので、今度暇が出来たら家族とゆっくり過ごしたいと思う。考えてもみれば、ぼくが家の中で任されている仕事といえば、先日生まれたばかりの次男(アユム)に、夜中にミルクをあげることくらいしかない。それだけでもまあ、幸せな気持ちにはなれるのだが・・・。




注:下部の動画は先ほどネットを眺めていて見つけたものです。
  普段はこういうものは取り上げないのですが、私も人の親として思うところがあったので。






【 平穏な日々 】

2012-02-13 | □ MEMORANDUM

平穏な日々。それを幸せと呼ぶならば、ぼくはきっと幸せなのだろう。けれど、そんな穏やかな日々の中でも、心のどこかにはいつも「こんなに全てがうまくいくはずはない」という思いがあって、それはいつしかぼくの中でしこりとなり、ずっと長い間、胸の中に留まり続けた。

いま思うと、仕事場の電話が鳴った時、ぼくはそれが田舎の祖母の死を知らせる電話だと解っていたような気がする。電話を取ると、妻が震える声で「さっきダイさんから電話があって、おばあちゃんが悪いんだって。いま病院にいるらしいけど、たぶんもう駄目だろうって・・・」と言った。

ぼくは頷いて、椅子に座り直し、一度大きく息を吸ってから、それから腕時計を見た。7時12分だった。





【 元気があれば何でも出来る! 】

2012-01-05 | □ MEMORANDUM

結局、今年の正月は最初から最後まで仕事場で過ごす羽目になった。一瞬「お腹すいてるだろうと思ってお節持ってきたよ♪」なんて妻が風呂敷包み片手にひょっこり現れるんじゃないかと期待したりもしたが、それも時間の経過と共に次第に消え失せてしまった。本来ならぼくも妻の実家で紅白を見ながらお節をつつく予定だったのだが、仕事があるがために、悲惨な年越しとなってしまった。年を重ねる度に正月がつまらなくなる、と誰かが言っていたが、本当にそうである。

さて、皆さんはどういう正月をお過ごしになったでしょうか。楽しかったという人、普通だったという人、まったく最悪だったぜという人、ぼくみたいに仕事ばかりしていて仕舞いには奥さんに「もう帰ってこなくていい!」と電話でキレられた人、色々あると思います。

そんな中でぼくが願うのは、皆さんの健康です。元気があれば何でも出来るとアントニオ・猪木氏は言いましたが、あれは実に良い言葉ですね。そして本当にそうだと思います。

今年一年、皆さんが一日でも多く笑顔で過ごせますように。







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【 JACK 】

2011-12-31 | □ JACK

【 シング・アンド・ダンス! 】

2011-12-31 | □ MEMORANDUM
考えてもみれば今年も終わりなんだ。残すところ後一日。あっという間だったような気もするし、うんざりするほど長かったようにも感じられる。10月から約二ヵ月ほど、セント・ジョンズの自宅で、スタッフ共ども部屋に籠って仕事に没頭していた。会社を立ち上げたばかりで難儀することも多かったけれど、なんとか無事に商品を納入することが出来た。

イギリス人はどちらかというとのんびり屋で、仕事も遅く、そのくせ残業代はしっかりふんだくるというイメージを持っていたんだけど、幸運にもうちの会社にはそういう人間はいないようだ。むしろ、期待以上の仕事をしてくれている。強いて言うならば、共同経営者であるドナに少しばかり不満があるくらいだろうか。この人は何かというと体調が悪いと言って仕事を休もうかとする。ぼくがいない間はどうしているんだろうと、ある時ちょっと不安になって他のスッタフに尋ねてみたが、ぼくがいない時は至極真面目にやっているそうだ。じゃあ、ぼくがいない方がみんなの為になるのかなと言ったら、そこにいたスタッフ全員が手を打って笑った。別に笑わせるつもりで言ったんじゃないんだけれど、何だかちょっと複雑である。まあ、やることさえやって結果を出してくれてさえいればそれでいいんだけど。それにぼくも不在がちで、ほとんどドナに任せっきりだから文句なんて言えた義理じゃないし。経営とはかくも大変は作業なんだなと、つくづく思い知らされる。

さて、日本に帰ってきて二週間ほどが経って、昨日が親会社の一応の仕事納めだった(ぼくら役員は年末年始共にずっと仕事だけど)。帰りに久しぶりに竹原と水野に会って少し話をしたけれど、二人とも正月は海外で過ごすんだそうだ。良いなあ、と言ったら「良いでしょう」と、聞いてもいないのにどこどこに行くんだと自慢された。行く前からさも行ってきたかのように話す二人(特に竹原)を見ていたら、なんだかおかしくなってきてつい笑ってしまった。まあ、彼らも働き詰めで休みらしい休みなんて取れていないだろうから、正月くらいはゆっくりしてもらいたいものである。

家に帰ってしばらく仮眠を取ってから、子供を連れて近所のコンビニに行って、ゴミ袋とゴム手袋、それから少し迷ってアイスクリームと清涼飲料水を三本ばかり買った。帰りに息子が急に「ノンタンといっしょ」の「Dancing! びびでな・すてっぷ」を歌い始めたので、付き合って一緒に歌うことにした。こんな歌だ。


ノンタンといっしょ いっしょにうたおう!
ノンタンといっしょ いっしょにおどろう!
びびでな ばびでな ぶぶでな ほんでな
ああいう こういう そういう しんぐ あんど だんす!
いつでも ピョ ピョン ピョン ピョン
どこでも スタッコ ララッラ
たのしく おでかけ ぶらぶらおさんぽ
いいことあるかな?


この「びびでな ばびでな ぶぶでな ほんでな」というところが実に良い。









♪ Good Life/OneRepublic



THE CLIP:あの日のマジンガー、そしてモンキー・D・ルフィ。

2011-10-16 | □ MEMORANDUM


母親の教育方針で、特別な日(クリスマスとか誕生日)以外は無闇に子供に物を与えてはいけないことになっているんだけど、出先などでかわいい玩具を見つけたりすると、子供の喜ぶ顔見たさに、ついつい財布の紐が弛んでしまう。

先日も子供を連れて近所のコンビニに行ったら、サントリーフーズからペプシ・ネックスとワンピースの特製フィギュアセットが出ていて、冷蔵庫に陳列してあるそれを見つけるなり息子が騒ぎ出したので、大人しくさせるつもりでつい買ってしまったのだけど、家に帰ったら案の定、妻に甘やかすなと文句を言われた。

まあまあ、たかがオマケじゃないか、とその場はうまく言い逃れたのだけど、後から考えたらやっぱりこういうのはいけないな、と反省した次第である。それでも、飯を食う時も風呂に入る時も、それこそ寝る時でさえ片時も離さずフィギュアを握りしめている息子の姿を見ると、「いいや、俺は良い買い物をしたのだ!」と思うのである。今はもう土台も槍もなくなり、ルフィだけになってしまったが、ズボンのポケットにいつも忍ばせているのを見ると、まだまだお気に入りのようだ。

そういえばぼくも小さい頃、四つとか五つくらいの時に、夏祭りの夜店で祖母にマジンガーZの玩具を買ってもらったことがあった。ものすごく大事にしていて、現在の息子のように寝食問わず常に持ち歩いていたのだけど、ある時、部落の遠足で海に行った時に、友達と遊んでいて何処かに落としてしまった。泣きながら必死に探したんだけど、それでも見つからなくて、とても悲しかった記憶がある。

不思議とそのマジンガーZのことは今でも時どき記憶に昇るのだけど、あの時もし無事に見つかっていたとしたら、その後のマジンガーZはどうなっていたのだろうと、眠れない夜やなんかに意味もなく考えたりする。鍍金が剥がれ、手も足も取れて、頭もどこにいったか定かでなくなって、いつの間にか縁側の下に胴体だけが転がっていたり。五体満足でも押し入れの中で誰に気づかれることもなくひっそりと埃に塗れていたりと、そんな有様になるくらいなら、時々こうやって脳裏に蘇ってくるくらいがちょうどいいのかもしれないと、勝手に思ってみたりする。まあ、わからないけど。

聞くところによると、最近、そういうむかし流行った調合金モノを集める大人が増えているそうだ。この際だからいっそぼくもそういうのを集めてみようかしらん。子供の頃、欲しくても手が届かなかった物。戦隊物、SDガンダムにミニ四駆、或いはビックリマンシールやなんか。フィギュアとか、そういう系統の物には少し抵抗があるかなあ。あ、でも近々『少女時代』のフィギュアが製作されるとかで、それが発売になったらちょっと考えるかもしれない。前に仕事で折に触れる機会があって、以来すっかり彼女たちのファンになってしまったんだけど、まさか韓流ブームに自分が乗っかるなんて思ってもみなかったね。ホント、おかしなもんです。










♪ Mr.Taxi/Girls Generation





【 子供の人格形成 】

2011-09-27 | □ MEMORANDUM

打ち合わせを終えて事務所に戻ってきたら、デスクの上にメモが置いてあって、見たら「AM:11、自宅からTELありました」と書かれてあった。何だろうと思っていると、そこにアシスタントの小林がやってきて「さっきナツさんから連絡があって、戻ったらすぐ電話くださいだそうです」と、やはりメモに書かれている事と同じことを言った。普段、妻が仕事場に連絡してくることなど滅多にないので、こういう時は矢鱈と胸が騒ぐものである。やはり携帯を持つべきなのだろうか・・・。


「すぐに電話しろって?」
「はい、そうおっしゃってましたけど・・・」
「他には?」そう言いながら受話器を取り、自宅の番号を押す。
「いえ、特には。私が聞いたのはそれだけでしたけど・・・」
「あそう。はい、わかりました」


自宅に電話すると、六度目のベルで妻が出た。「はい、もしもし」といつもと変わらぬ声。慌てた感じで電話に出るのかと思いきや、何だかちょっと拍子抜けである。


「俺だけど。電話した?」
「あ、ごめんね、仕事中に。ちょっと今日、コウさんが熱出しちゃったの。それでいま外に出られそうにないから、帰りにトイレットペーパー買ってきてもらっていい?」
「ああ、いいよ」
「あの、DOCOMO(ショップ)の前に薬局あるでしょ? あそこに298円の売ってるから。あと、ついでに冷えピタも」
「トイレットペーパーと、冷えピタな。あとは?」
「あとは・・・」と話している傍から、熱でうなされているはずの息子が妻の後ろでヤイヤイ騒いでいるのが受話器越しに聞こえてくる。


「何だよ、本人ぜんぜん元気そうじゃんか」
「元気は元気よ。ただ熱があるだけで」
「何だよそれ・・・」
「でもたぶん、夜になったらまた熱が上がると思う」
「だろうな。・・・それで、買ってくのはそれだけでいいの? 他には?」
「ううん、取り敢えずはそれだけかな・・・」
「はい、わかりました。了解です」
「じゃあ、お願いします。お仕事がんばってね。あと、マイちゃんとキョンちゃんにもよろしく」
「あいよ」
「じゃねー♪」


そう言って電話を切った後、ふと顔を上げると、小林と相沢がデスクを挟み、顔を見合わせながらクスクスと笑っているのが眼に入る。電話とはいえ、夫婦の会話を他人に聞かれるというのは何だか照れ臭いものである。


「お前ら、言いたいことがあるなら言っていいぞ」ぼくがそう言うと、途端に笑い出す二人。口をおさえ、ニヤニヤしながら小林が言う。「社長もあれですか、家では奥さんにあまり強く言えない感じですか?」
「別にそういう訳じゃないよ」と笑って答えるぼく。しかし、ああいう会話を聞いたら誰でも女房の尻に敷かれているように思うに違いない。


「使いを頼まれまして・・・」
「へえ、社長もそういうことするんですね」
「普段はそういうことはしないけどね。お母ちゃんの腹がデカイからさ、まあその間だけ」
「そうなんですか」
「妊娠中はあんまり妊婦にストレスが掛かるようなことさせちゃ駄目らしいからさ。子供の発育に影響するとかなんとか。よくは知らないけど・・・」
「そうなんだあ」と感心したように相沢が頷く。
「子供の人格形成は胎児の時に決まっているっていう、あれですよね?」と小林。
「よく知ってるな」
「ええ、まあ・・・」
「でも本当のところどうなんだろうな。あれってただ単純にどっかの妊婦学者が旦那に優しくしてもらいたいからってんで勝手に言ってるだけじゃないのか?」
「あははははッ」
「いやいや、ホントにホントに」
「それはないと思いますけど・・・」  


そう言って遠慮がちに首を傾げる小林。その対面では、相沢が天井を見上げながら真剣な顔で考え込んでいる。ぼくの言っていることなんてほとんど冗談なのだから、話半分で聞いてもらうくらいがちょうどいいのだけど。


「相沢、どこ見てんだお前・・・」
「え?」










♪ 家族になろうよ/福山雅治 




【 ファイナル・ファンタジー 】

2011-08-25 | □ MEMORANDUM


知り合って10年にもなると、台所に立つ妻の後ろ姿を見ただけで、その日の彼女の機嫌の良し悪しが判るようになる。
幸い、今日は機嫌が良い日のようで、プライマル・スクリームをかけながらノリノリで夕食の支度に臨んでいる姿は、さながら木琴奏者のようである。普段、ロックというものにほとんど関心を示さない妻が、自ら薦んで聴いているのだ。これはよほど良いことがあったに違いない。

「珍しいね、こんなの聴くなんて。なんか良いことでもあった?」冷蔵庫を開けながらそれとなく聞くぼくに、「別に」と首を傾げる妻。とぼけてはいるけれど、その顔は「よくぞ聞いてくれた」と言わんばかりの表情である。


「そうだ、ねえ聞いて。今日さ、やっとオーファン倒せたの。一年掛かったんだよ、一年。凄くない?」


ここで言うオーファンとは、テレビ・ゲームの中のボスキャラのことである。クリア出来ずに半ば諦めかけていたゲームが、ここに来てようやく昇華されたらしい。「ふうん」頷くぼくに、「まあ、パパにはわからないでしょ。この感動はやった人にしかわからない」と肩をすくめる妻。ゲームというものにまるで興味のないぼくとしては、「まあ、そうだね」と応えるほかない。

しかしあれである、ゲーム好きな人間というのは、どうしてこうもバーチャル関の話題でこんなにも一喜一憂できるのだろう。いや、一人で盛り上がるぶんには何ら問題はない。けれど、何故それを人に伝えようと思うのか。ぼくにはわからない。


「でもまた今度新しいのが出るんだよね」
「そうなんだ」
「予約したら割引になるらしいから、その時はまた宜しく」
「はい、わかりました。予約しておけばいいんですね」
「あ、いちばん新しいのだからね。間違って古い方とか予約しないでね」
「わかってるよ、そんなこと」
「じゃあ、そういうことで」


新しいのが出るからと言い、やりもしないゲームを予約してこいと言われ、しかもそれを買いに行くのは結局はぼくなのだ。考えてみれば、未だかつて妻は自分でゲーム機またはソフトというものを買ったことがない。PS3から始まり、やれWiiだの、ニンテンドーDSだのと、ゲーム会社が新作を発表する度に購入しているのだ。しかも買ったら買ったで大してやりもしないのだから、全くもって意味不明である。


「というか今日はあれだね、やけに素直じゃない? いつもは面倒臭がるのに」
「言ってもどうせ最終的には買いに行かされるんだから一緒じゃん」
「ンフフ♪」
「何が可笑しいんだよ」
「ううん、なんだかんだ言ってもさ、結局はいつも私のワガママを聞いてくれるわけじゃない。パパのそういうところ、わたし好きだなあ」
「俺はそんな自分が嫌いだよ」












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【 働くコトの楽しさ 】

2011-08-11 | □ MEMORANDUM


社会人になって、いちばん楽しいと思ったことは何だろう。
いろいろあるけれど、中でもお金を貯めるというのは大きな要素になっているような気がする。こういうと守銭奴のように聞こえるかもしれないけど、やっただけのことを評価された証としてその報酬を得るわけだから、大切なことだと思う。
やっと一人前になれたという自信につながるし、反対にお金をもらう以上は半端なことは出来ないなという、身を引き締める材料にもなる。

未だ少年だった頃、祖父はよく「誰のおかげで飯が食えると思ってるんだ!」と、まるで口癖のように言った。その度に「別に頼んでないだろう」と心の中で呟くのだけど、口に出すことは出来ない。悔しいけれど、祖父の言っていることは正論なのだ。自分で稼ぐ力がない限り、家主に向かって対等に権利を主張することは出来ない。賠償能力がないくせに、一人前面するなという祖父の言い分に、全面降伏するしかなかった。

高校を卒業し、大学生になって、生まれて初めてアルバイトというものを経験した。給与は銀行振込というので、当時の三菱銀行で口座を開き、通帳とキャッシュ・カードをつくった。スヌーピーの絵には少し困ったけれど、初めて自分の通帳を手にした時の感動は今でも忘れない。
やがて給料日となり、銀行に記帳しに行くと、ちゃんと給与が振り込まれていた(まあ当然か)。金額は知れたものだったが、それでもやはり嬉しかった。そのうちの二万円を予め用意していた封筒に入れ、駒込駅前の郵便局ポストから祖母宛で実家に送った。

後で聞いた話によると、祖父はぼくが送ったそのお金を見て、「俺はあいつの世話にはならんど」と言って受け取らなかったらしい。「むかつくジジイやわあ」受話器越しに毒づくぼくに、「ジさんはあんな人だから」と祖母は笑った。


「でん、世話ないとねよ。こいじゃわりが食うちいけんどがね」と心配する祖母に、
「大丈夫て」とぼくは笑って答えた。そう言っている自分が、少しだけ大人になれたような気がした。


経済的自立だけで全てが一人前になれるわけではないのかもしれない。けれど、経済的自立なしに精神的自立が得られるかというと、これはなかなか難しい。実際、ぼくがまともに実家に仕送り出来るようになるまでに、それから二年ほど掛かっている。祖母が按じた通り、途中でお金が尽きて、実家から幾度となく米や野菜を送ってもらう羽目になった。これからは毎月仕送りするから、と大きなことを言っておいてそれなのだから、どうしようもない話である。

何よりも先ず、自分で稼いだお金で自身を養ってみる。そうすると、親というものがどれだけ苦労して子供を育てているか、その有り難味がわかってくる。どんなにお金を貯めたところで、衣食住の世話まで相変わらず親に頼っているようでは、本当の意味で働くことの楽しみを味わうことは出来ない。








♪ Can You FeelIt/One Night Only




【 空蝉 】

2011-06-23 | □ MEMORANDUM

妻の妊娠がわかってから、頻繁に死んだ兄のことを思い出すようになった。
昨夜も息子を着替えさせていたら、不意に兄との思い出がよみがえってきた。

ある雨の日、朝、ランドセルを背負って玄関を出て行こうとしているぼくを、後ろから兄が呼び止めた。
「銀、お前もこれ付けろ」兄はそう言って、手にしていたビニール袋をぼくに手渡し、靴の上から履くように言った。これなら学校に着くまでに靴を濡らさずに済むだろうということだった。
長靴などという気の利いたものなどうちにはなかったので、これを教えてもらった時は心底感心したものだった。雨の中、歩をすすめる度に足元でシャカシャカとなる鳴るビニール袋の音が、なんとも小気味よかったのを今でもよく覚えている。

結局、兄はそれから数年後に交通事故で死んでしまうわけだけど、もしあのまま風邪をひくこともなく、病院に行くことも、まして父の運転する車に乗ることもなく生きていたら、今頃はどうしているだろうかということを、時どき眠れない夜やなんかに考える。

きっと今でも実家にいて、父の跡を継いで百姓になっていただろう。真面目で賢い人だったから、もしかすると大学を卒業した後に、地元の役場に勤めていたかもしれない。
恐らく結婚はしているだろう。相手は高校時代からずっと付き合っていた人で、決して美人とはいえないけれど、気さくで、感じの良い人だ。子供は三人。物の見事に全員おんなの子だ。
盆にぼくが帰省すると、奥から兄がのそっと出てきて、ぼくの顔を見て「おう、元気やったや?」と眉を上げる。
ぼくは笑うか笑わないかのところで頷き、兄の薄くなった頭と出しゃばりつつある腹を見て、「オッサンみたいだな」と笑う。
兄は苦笑いを浮かべ、そしてぼくにこう言うのだ。


「だってオッサンやもん」


家の中には、線香と煮しめの匂いがきれいに折り重なって漂っている。















THE CLIP:事を成し遂げる者は、愚直であれ、才走ってはならない。

2011-06-07 | □ MEMORANDUM


ようやくロンドンに戻ってくる。
東京から帰ってしばらくは、ロンドンでさえ比較的時間がゆっくり流れているように思えるから不思議である。
因みに今回は、妻と子供以外に、田舎の祖母も一緒である。この春に実家を建て直すことになり、それが完成するまでの間、ぼくが祖母の面倒を見ることになった。
日本を発つ前は、「言葉も通じんとこに何ごち行かんにゃならんとねよ」と散ざん抵抗していた祖母も、今では一人で近所を散歩するまでになった。
危ないから一人では出歩かないでくれと言っても、「今まじずっと一人でやっちきたっちゃがね」と言うことを利かない。そう言われると何も反論できないのが辛いところである。ぼくが初めてこの国に来た時は、一週間ホテルから一歩も出なかったというのに。今年八十五(歳)になる祖母。最近の年寄りは、身も心もなかなか頑丈につくられているようだ。

さて、ロンドンに戻ってきたのは他でもなく、こちらにオフィスを構えるためだ。東京にある事務所を、そっくりそのままこちらに移そうというハラなのだが、手続きとか事務的な作業がいっぱいあって、けっこう大変である。一日中あっちこち歩き回って、やっと腰を下ろしたと思ったら今度は書類との格闘。世界の共通語が日本語だったらなあ、などと下らないことをぶつぶつ呟きながらキーを打つわけだけど、でもそれは決して不快ではなく、むしろ爽快でさえある。
やりたいことがあって、いま自分はそこに向かって真っ直ぐ突き進んでいるのだと思うと、眼の前の困難など、なんてことないように思えるのだ。
言うなれば、フルマラソン。完走した時の喜びを一度経験してしまうと、たとえ苦しいとわかっていても、何度でも挑戦したくなる。あれといっしょだ。

とは言え、ここのところずっと徹夜続きだったので、昨夜は流石に疲れてダウンしてしまった。
いつ眠ったのか全く記憶にないのだけど、気がついたら書斎に置いてある籐椅子を抱きかかるようにして床で寝ていた。考えてもみれば、二月末に仕事で日本に帰って以来、なんやかやあって全く休めていなかったのだ。

書斎から出ると、妻がちょうど風呂から上がったところで、ぼくの顔を見るなり「なんだか実験で失敗した人みたいだね」と言って笑った。
いつもなら「誰が実験コントだよ」と刹那に言い返すところだけど、寝起きのせいでそこまで頭が回らない。
というか、ふつう疲れた顔して部屋から出てきて亭主に、そんな言葉を投げかけるだろうか。たった一言「大丈夫?」と言葉にするだけのことが、何故できないのだろう。甚だ疑問である。
ぼくなら、もし妻がそんな顔をして部屋から出てきたのなら、声を掛けるも前にさっと彼女の肩に手を掛け、「大丈夫かいベイビー。無理しちゃいけないよ」なんて言いながら、そのまま寝室まで抱き抱えていって、ベッドの上に優しく転がしてやるところだ。
祖母は祖母で「何処に遊びに行きよりなはったですか?」と、まるで見当違いなことをいうし、ぼくはいったい誰が為にこんなに頑張っているのだろうか。

好き勝手いいやがって、と少しふて腐れ気味にソファの上で横になっていると、もうすぐ三歳になる息子がニヤニヤしながらやってきて、ぼくの膝の上に乗ってくる。
ぼくは彼の両脇を抱え、胸の前に寄せて「ご飯は食べたのか?」と尋ねる。彼は「うーん!」と大きく頷き、ぼくの髭をむしり取りに掛かる。
ぼくが痛いと反応する度に、息子は口を押さえて「キシシ♪」と楽しそうに笑うのだった。

息子とこうして顔を近づけて戯れている時が、今のぼくの唯一の楽しみである。
食事を手伝い、風呂に入れ、濡れた髪を拭っていると、仕事のストレスや人間関係やなんやかんやでごちゃごちゃだった頭の中が、まるで熱湯を掛けられたみたいにクリアになっていく。
出来ることならこのままずっと成長せずにいてくれたらなあなんて思うのだけれど、そうもいかないだろうな。


「コウ、いま何歳?」
「んあ?」
「小森尚はいま何歳ですか?」
「ん・・・・にィ!」
「おお、じゃあ今度の誕生日がきたら何歳になるの?」
「にィ!」


ぼくは笑った。







【 BECOME A MAN YOU CAN BE PROUD OF 】

2011-02-15 | □ MEMORANDUM

「頭が真っ白になる」というレトリックがあるけど、あれはなかなか的確な表現だなあと思う。

二十五歳の時、独立して最初に手掛けたテレビ・コマーシャルを、ある女流作家に誌面で糞味噌に書き叩かれた。「あんな歌を子供に歌わせるなんて、あのCMを作った奴は馬鹿じゃないのか!」とかなんとか。初めのうちは「まあ、こんなこともあるんだろうなあ」ぐらいにしか考えていなかったのだけど、運悪くそれがスポンサーの眼に止まり、当初はシリーズ化していこうという話だったのだが、それも全部なくなってしまった。

事務所を構えてさあこれからという時にそんなことになってしまって、会社から打ち切りという連絡を受けた時は本当に「頭が真っ白」になってしまった。以降、約一年に渡ってぼくは自宅に引き籠ることになるのだけど、思えばブログを始めたのもちょうどこの頃だった。考えても見れば、あれからもう七年になるんだね。ふわあ。

さて、ごく最近それと同じくらい頭が真っ白になる瞬間があった。年明けのことである。

その時ぼくはハワイにいて、家族と一緒に「正月を海外で過ごす家族連れ」をエンジョイしていた。子供と海で遊んだり、日光浴をしたり、義父と溶岩ツアーに参加して命の尊さを再認識したり、それはもう楽しい一週間だった。しかし、休暇を終えて明日ロンドンに帰るという段になって、日本にいる事務所のスタッフから慌てた様子でホテルに電話があった。

聞けば、あるテレビ・コマーシャルで使用した楽曲が、放送10日前にして突然レーベル側から「NG」を食らったらしい。理由は不明。企業の広報の方も頭を抱えて参っちゃてる状態だという。

日本のテレビ・コマーシャルというのはおかしなもので、予算よりも何よりも楽曲が一番最初に決まる。今回はこの曲で宜しく!といった感じで企画書を渡され、製作側もそのつもりでコマーシャル作りに取り掛かる。それが、作るだけ作らせておいて「ふわあ、やっと終わったあ!」と思っていたら「悪い、やっぱ駄目だわ」なんて、俺とお前は友達かっていう。それでまあ、ぼくは数年ぶりに頭が真っ白になったわけだ。

ところで人間、たった数年の間に自分でも気づかないうちにけっこう成長しているもので、二十代の頃のぼくと今のぼくとでは、その後の反応がずいぶんと違った。前回の「真っ白」の後は怒りや虚脱感でいっぱいだっったけど、今回の「真っ白」の後に胸に湧き起こったのは、圧倒的なまでの創作意欲だった。

そんなわけで、その後ぼくは日本に帰国し、スタッフを集めてもう一度オフライン作業に取り掛かった。結果、当初のものよりずっといいものが出来上がった。完パケを見た企業の広報の方が顔の前で小さく拍手をしているのを見た時は、そんな自分がちょっぴり誇らしかったね。







【 不眠不休の果ての飛行機ごっこ 】

2010-11-07 | □ MEMORANDUM

完徹から脱し、後はもうベッドに倒れ込むだけというところまできて、運悪く買い物から帰ってきた息子に捕まり、それも出来なくなってしまった。


「ぱぱあ、たあいのちてえ!」
「高いの? 飛行機のこと?」
「うーん!」
「ああ、でもいまパパすごく眠いんだよね。後からでもいい?」
「ううん!」
「なんだよ、君だって眠い時に寝れなかったら嫌だろう?」
「いやッ! たあいのたあいのッ!」
「もう、わかったわかった。やるから。ほら、手ぇこうして」
「はい!」
「よし、いいか。じゃ行くぞ。うぃーん、ぶひゅーッ!」


と、結局は押しに負けて息子の遊びに付き合うことに。飛行機と称し(もっともその姿はスーパーマンだが)、寝室からリビングからキッチンから、果てはトイレに至るまで、彼を抱え家中を駆け回るぼく。ここのところ仕事が忙しくてろくに相手してやれなかったから、息子も嬉しいのだろうが、それにしてもまさか不眠不休の果てに子供を抱えて家の中を走り回るなんて考えもしなかった。世のお父さん方もみんなそうだろうが、父親というのは一見ひまそうに見えて、その実なかなか大変である。


「よし、終わり。また後でな」
「いやッ!」
「またそうやって言う。パパも少しは休ませてくれたっていいだろう」
「ううん、もっかい!」
「わかった。じゃあさ、こうしようぜ。5分休憩して、それからまたやろう。あの時計の針が7のところにきたらさ・・・・」
「いやッ!」
「聞かん奴だな・・・・」


と、そんなやり取りをしていると、洗濯物を取り込んだ妻が屋上から下りてきた。


「コウさん、パパお仕事して疲れてるからネンネさせてあげて」
「やーん!」
「嫌じゃない。そんなこというとケーキあげないからね」
「てえき?」
「さっきトット(スーパー)で買ったでしょ。あれ食べよ?」
「うん」
「はい、じゃあ食べたい人は手を洗って下さい」
「はーい♪」


とまあ、結局はいつものように妻に助け舟を出してもらって難を逃れたわけだが、やはりこうして見てみると、ぼくよりも妻の方が、どうやれば子供が素直に言うことを聞いてくれるか熟知しているようだ。しかし、息子にとって父親とは、ケーキよりも劣る存在なんだな。まあ、別にいいけど・・・・







♪ A Little Less Conversation /Elvis vs Jxl