昨日の続きです。
その試験官らしい男が言うには、第一次試験には70名もの応募者が参加しているのに、採用されるのはなんとなんと、たったの一人!! そんなの有りかよー?なのです。
この時点で、僕はその試験はこれから先のためのトライアル、肝試し、と捉えることに決め込んで、焦らず、迷わず、一丁やったろじゃないか、おいおいかかってこい、という態度に変貌したのです。 何と言っても70倍ですよ、70倍。 受かりっこないですよ。
僕は、筆記試験をさっさと済まして、一番に答案を出して会場を引き上げました。 成績は分からなかった。 70人もの男たちの黒い頭を見ているのが嫌だったので早く出たかったのです。
それが効を奏したのかどうかは知らないけれど、僕はなんとか第一次試験をパス。 第二次試験に呼ばれました。 その時点でも、まだ30人も残ってる。 気持ちは前回と同じです。 飽くまでも将来のための練習。 だから、緊張もストレスもありません。 専門用語を含んだ相当難しい試験でしたが、これもさっさと済まして、一番に答案を提出しました。 他の奴らが、おおー!といった感じで僕のことを横目で見ている視線を感じましたよ。 まあ、快感と言えば快感ですが、見方によっては只のはったり男なのですね。
ところが、このはったりがまたまた大当たり! なんと、第二次試験もパス。 第三次の、英語面接試験に進んだのです。 本人はもとより、周りもびっくり。 さてさて、臨んだ第三次試験には何人残ってるかは教えてくれません。 やるっきゃないのです。 そして、僕はやるっきゃやりましたよ。 ここまで来たんだから、受かりたい気持ちと、まあここまで来たんだから自分を誉めてやろう、落ちても自信は付いたと考えよう、という思いが拮抗してました。 当たって砕けろ、おいらに失う物は何もない。
何がどう間違ったのか、僕はこの試験も通ってしまうのです。 まぐれですよ、まぐれ!
でも、そのまぐれが、それから何日後かには奇跡に変わってしまうのです。
それはまさにプチ奇跡と言っても良いと思います。 僕はその日、最後の面接試験を受けるために、今は無き”青木建設 株式会社”の渋谷にある本社に出掛けて行きました。
応接室に通されて待つこと10分くらい。 最初に入ってきたのは、なんとあの試験官の男です。 「いやあ、どうも。」 「はあ、どうも」の簡単な挨拶。
「只今から弊社の副社長兼香港支店長であられる青木副社長の面接を受けていただきます。」 ああ、こりゃあいよいよだな、といった感じです。
「はあ」と心許ない返事。 ここに至って、僕は緊張というものを感じてきた。 もう練習だなんて言ってる暇はない。 受かってやる、でも決めるのは先方だし、面接だから何が飛び出すやらわからへん。 僕は、死んだ母ちゃんと父ちゃんに祈りました。
「ちょっと伺いますが、何人残ってるんですか?」と恐る恐る聞いてみる。
「それはちょっと言えませんねー」と言いながら、彼は指を3本立てた。 3人かあー!?。 よく頑張ったよな! あと一踏ん張りだ。
そしてその時、歴史は動いた。 じゃなくて、応接室のドアが動いて、大柄のおっさんが入ってきた。 その後に、男が二人従ってる。 香港担当と人事担当だと紹介された。 そして、偉そうに入ってきた大柄のおっさんが青木さんだった。
この話は、またまた続いてしまうのです。 だから、結末のどんでん返しを見逃さないでね。
その試験官らしい男が言うには、第一次試験には70名もの応募者が参加しているのに、採用されるのはなんとなんと、たったの一人!! そんなの有りかよー?なのです。
この時点で、僕はその試験はこれから先のためのトライアル、肝試し、と捉えることに決め込んで、焦らず、迷わず、一丁やったろじゃないか、おいおいかかってこい、という態度に変貌したのです。 何と言っても70倍ですよ、70倍。 受かりっこないですよ。
僕は、筆記試験をさっさと済まして、一番に答案を出して会場を引き上げました。 成績は分からなかった。 70人もの男たちの黒い頭を見ているのが嫌だったので早く出たかったのです。
それが効を奏したのかどうかは知らないけれど、僕はなんとか第一次試験をパス。 第二次試験に呼ばれました。 その時点でも、まだ30人も残ってる。 気持ちは前回と同じです。 飽くまでも将来のための練習。 だから、緊張もストレスもありません。 専門用語を含んだ相当難しい試験でしたが、これもさっさと済まして、一番に答案を提出しました。 他の奴らが、おおー!といった感じで僕のことを横目で見ている視線を感じましたよ。 まあ、快感と言えば快感ですが、見方によっては只のはったり男なのですね。
ところが、このはったりがまたまた大当たり! なんと、第二次試験もパス。 第三次の、英語面接試験に進んだのです。 本人はもとより、周りもびっくり。 さてさて、臨んだ第三次試験には何人残ってるかは教えてくれません。 やるっきゃないのです。 そして、僕はやるっきゃやりましたよ。 ここまで来たんだから、受かりたい気持ちと、まあここまで来たんだから自分を誉めてやろう、落ちても自信は付いたと考えよう、という思いが拮抗してました。 当たって砕けろ、おいらに失う物は何もない。
何がどう間違ったのか、僕はこの試験も通ってしまうのです。 まぐれですよ、まぐれ!
でも、そのまぐれが、それから何日後かには奇跡に変わってしまうのです。
それはまさにプチ奇跡と言っても良いと思います。 僕はその日、最後の面接試験を受けるために、今は無き”青木建設 株式会社”の渋谷にある本社に出掛けて行きました。
応接室に通されて待つこと10分くらい。 最初に入ってきたのは、なんとあの試験官の男です。 「いやあ、どうも。」 「はあ、どうも」の簡単な挨拶。
「只今から弊社の副社長兼香港支店長であられる青木副社長の面接を受けていただきます。」 ああ、こりゃあいよいよだな、といった感じです。
「はあ」と心許ない返事。 ここに至って、僕は緊張というものを感じてきた。 もう練習だなんて言ってる暇はない。 受かってやる、でも決めるのは先方だし、面接だから何が飛び出すやらわからへん。 僕は、死んだ母ちゃんと父ちゃんに祈りました。
「ちょっと伺いますが、何人残ってるんですか?」と恐る恐る聞いてみる。
「それはちょっと言えませんねー」と言いながら、彼は指を3本立てた。 3人かあー!?。 よく頑張ったよな! あと一踏ん張りだ。
そしてその時、歴史は動いた。 じゃなくて、応接室のドアが動いて、大柄のおっさんが入ってきた。 その後に、男が二人従ってる。 香港担当と人事担当だと紹介された。 そして、偉そうに入ってきた大柄のおっさんが青木さんだった。
この話は、またまた続いてしまうのです。 だから、結末のどんでん返しを見逃さないでね。