ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

ぐるりのこと。

2008年08月10日 | 映画レビュー
 生まれたばかりの赤ん坊を喪った夫婦が、精神的危機を乗り越え二人の絆を取り戻すまでの10年近くをじっくり描く。

 「ハッシュ!」で才能を感じさせた橋口良輔監督、本作でもやはり夫婦の会話の演出は絶妙だ。ほんとに脚本のある映画なのか?と思わせるほどリリー・フランキーの演技は自然で、全部アドリブじゃないかとわたしはつい疑いながら見ていた。次第に鬱状態になっていく妻・翔子を演じた木村多江も芸達者。この二人の掛け合いはスリリングなほど臨場感にあふれている。


 物語は1993年に始まり、法廷画家である夫・カナオが描く、その時々の時代背景を映し出す被告達の姿を挟みながら2001年まで描かれる。橋口監督自身が「ハッシュ!」のあと鬱病で苦しんだ経験が本作の背景にもなっている。さらに、橋口はイラクで人質になった女性が帰国したときに、「成田空港で”自業自得”と書かれたプラカードを持ってニッと笑う女の人をTVで見て、日本人はいつからこうなったのかとショックを受けた」(劇場用パンフレットより)と語っているように、夫婦二人の半径1メートルの物語に閉塞しがちなこの映画に、社会問題への目配りを忘れなかった。夫・カナオの職業を法廷画家というかなり特殊な設定にしたのももちろんその狙いであるが、しかし、それだからこそかえってこの特殊な設定がこの映画では生かされていないことが残念だ。あえてそのように描いたのかもしれないが、重大な事件の裁判の現場を目撃しているというのに、カナオは一切その事件について論評しないし、夫婦の会話のなかに裁判のことが言及されたりしない。

 ここで取り上げられているのは、連続幼女誘拐殺人事件、春菜ちゃん事件、大教大付属池田小事件、オウム真理教事件、などなどマスコミを賑わせたものばかり。それだけに、映画の中での取り上げ方がマスコミで報道されたもののほんの一部を皮相的に切り取っただけ、というお粗末さにがっかりさせられた。

 たとえば連続幼女誘拐殺人事件なら、吉岡忍著『M/世界の、憂鬱な先端』を読んでいるだけでもかなり描写が違ったはずだ。せっかく社会問題へと目配りをはせながら、そのことが夫婦の再生へとなんの影響も及ばさない。世相も時代背景も二人の日常生活の中に埋没してしまう。

 そもそも妻が鬱になったのは赤ん坊が亡くなったから、というそれだけのことなのだろうか? それは一つのきっかけにすぎなくて、彼女は自分が愛されたいという強い願いを満たされることがなく、目の前にいる夫とのコミュニケーション不全に悩んでいた。そういう個人的な悩みが、社会とどう関係を切り結んでいるのだろうか? あえて時代背景を描くなら、それらの出来事が夫婦の上に影を落とす様を、そしてその影が振り払われていく様を、もっと「外」へと広がる視点で描くべきではなかったか?

 このような苦言はないものねだりかもしれない。この作品は、このような瑕疵があってもなお「ああ、いい映画を見た」という気持ちを後に残してくれる佳作だ。誰に対してもきちんとした対応をし、いやなことがあっても一人で抱えて我慢してしまう、そしてなんでも決めたとおりに物事を運ばないと気が済まない翔子の潔癖な性格が彼女自身を追い詰めていく様も手に取るように理解できる。一見頼りないカナオがいつも彼女のそばに寄り添っていることの「頼りのない確かさ」も心地よい。自然体でかつ熱演している二人の夫婦ぶりには心が洗われる。140分の長さをまったく感じさせないどころか、エンドクレジットが出た瞬間に、「あれ、もう終わり? もっと見ていたい」と思った。この映画はいいです。

 橋口監督、長いブランクからの第2作に安心したと同時に、この視点をさらに熟させて次の作品へと実らせてほしい。

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ぐるりのこと。
日本、2008年、上映時間 140分
監督・脚本: 橋口亮輔、製作: 山上徹二郎ほか、音楽: Akeboshi
出演: 木村多江、リリー・フランキー、倍賞美津子、寺島進、安藤玉恵、八嶋智人、寺田農、柄本明、木村祐一、斎藤洋介

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2 コメント

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Unknown (noe)
2008-08-19 14:38:37
pipiさま。こんにちは。いい映画でしたね。
でも、映画製作の影に、こんなことがあったとわかってからは、複雑な気持ちになりました。
季刊誌「考える人」の最新号の梨木香歩さんのエッセイをよかったら読んでみてください。
梨木さんの心情が痛いほどに伝わってきます。
「考える人」 (piip)
2008-08-19 22:03:53
noeさん、ようこそ。
 先日は大阪までよくいらしてくださいました。

 さて、『考える人』のことは恥ずかしながら知りませんでした。最新号の目次を見たら黒川創さん執筆の評伝が連載開始していたりして、とても興味深いので、買ってみようかなと思います。

 読んだらまたコメント書きますね。教えてくださってありがとうございました!