小説『雪花』全章

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小説『雪花』第五章-13節

2017-07-31 11:44:24 | Weblog

    十三

  兎の後ろに従いて歩いた凡雪は、辺りを見回した。雲霞の中で、青々とした樹木や可憐な亭、風雅な楼閣などの風景が、凡雪の目に吸い寄せられて、何度も瞬きした。
 兎に導かれて進んで行くと、広い洞庭(トンティン)湖(フー)が見えた。洞庭湖の両側に、少し垂れた葦の群生が、斑模様の光の中で、柔らかく漂って見えた。屏風絵のような美しい景色だった。
 間もなく、一軒の建物の前に着いた。中から碧(ピ)螺(ロー)春(ツゥン)の香と蜜のような甘い香が、仄かに漂ってきた。凡雪は、清浄な気を感じた。 
 暫く待っていると、門扉が内側から、静かに開いた。兎がすーっと、中に入った。
 凡雪も気持ちを引き締めて、建物の中に入った。中では安寧で、神に慈(いつく)しまれたような
心地よさを感じた。
 凡雪は、目を左右に回した。金色(こんじき)の壁に、朧(おぼろ)な藍に霞んだ山水の画が描かれていた。
 画幅には、さっくりと、濃い墨と薄い墨で掃くように描いてあった。でも、墨の擦(かす)れた線に雄渾の気魄があり、強い筆力を凡雪は感じた。
 凡人の描ける境地ではないと思う一方で、凡雪は、心から、新しい境地を切り拓けるような自負が芽生えてきた。
 空間には静謐(せいひつ)な気韻が充満しており、灯りが、息が詰まるほど輝いて見えた。
 別の世界に入った凡雪は、新境地を逍遥している心地になった。その時、甘く薫った風が吹き込んできた。灯明の炎が一斉に揺れ、一人の初老の人物が、眼前に現れた。
 仁の祖父で、白髪交じりの古風な顔立ちをしていた。矍鑠(かくしゃく)とした方に見えた。
「儂は、仁の祖父なんだ」と穏やかな口調で、中国語で自己紹介をした。
 その時、先ほどの兎が、お湯と茶器のセットを持ってきた。
 兎は、慣れた手付きで、お茶を淹れ始めた。小さな手なのに、伸びた爪は、鋭利な形をしており、桃色に艶めいている。
「仁に、恋をしている?」と祖父が、囁くような声で、凡雪に訊いた。凡雪は、すぐ返事をしようとした。なのに、喉まで出掛かった言葉を、すぐ飲み込んでいた。
 すると「恋することは、自分を愛することと、人を愛することなんだ」という聞き取れるか、聞き取れないくらいの小声が、凡雪の耳元で流れた。
 凡雪は頬を綻(ほころ)ばせて深く頷いた。祖父の目が、些(いささ)か潤んで見えた。
 兎は、凡雪にぐっと顔を寄せてきた。ふふっと笑いながら、のほほんとした仕草で、耳を搔いた。温かい春の風が舞い込み、山の幽玄な水音が聴こえた。白い衣冠を着た仁が、静々と、歩いて近寄って来た。
 夢の世界にたっぷりと浸っていた凡雪は、胸の中に新しい恋の喜びが静かに込み上がってくるのを感じながら、目が覚めた。
 凡雪は清々しい気持ちで、晴れた朝を迎えた。
 窓からの光は、柔らかく穏やかで、しっとりと潤いがあるように見えた。
 凡雪はベッドから身を起こし、ゆっくりと床に立ち上がった。新しい自分に触れたように、新鮮な気持ちが胸の底からじんわりと、湧き上がってくるのを、凡雪は実感した。

つづく
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