弘法大師=御大師さんは定に入って
80年ほど経てから賜わった諡号というが
「空海」さんは、生前の名で高野山で定にいるまで呼ばれていた。
およそ1200年前に四国中を修行のために徒歩で歩いたという。
この長距離を何度となく歩いたであろう空海の身体は並大抵でなく
余程の健脚であったのではと思いを馳せてみた。
それが一ケ寺だけではない。長い時間を要したであろうし、毎日を
お寺にて修行する旅であったに違いない。勿論お寺に泊り逗留された
ことも多かったにしてもである。
約1400Kmの道のりを歩いてとなると仙人でも耐えられるもの
でない。
それにしても88カ所の中で一番厳しいと言われる高知県のお遍路
さんは黙々と歩いている。
大変だろうから乗せてあげようかと思えども、あの方たちはあれで
納得され修業を積んでいられるのだから、余計なおせっかいになると
おもい追い越すことになる。
車でさえ厳しいのに歩き遍路は大変だろうと思いながら・・・・。
また四万十市まで戻り次なる延光寺さんへと向かうことにする。
80年ほど経てから賜わった諡号というが
「空海」さんは、生前の名で高野山で定にいるまで呼ばれていた。
およそ1200年前に四国中を修行のために徒歩で歩いたという。
この長距離を何度となく歩いたであろう空海の身体は並大抵でなく
余程の健脚であったのではと思いを馳せてみた。
それが一ケ寺だけではない。長い時間を要したであろうし、毎日を
お寺にて修行する旅であったに違いない。勿論お寺に泊り逗留された
ことも多かったにしてもである。
約1400Kmの道のりを歩いてとなると仙人でも耐えられるもの
でない。
それにしても88カ所の中で一番厳しいと言われる高知県のお遍路
さんは黙々と歩いている。
大変だろうから乗せてあげようかと思えども、あの方たちはあれで
納得され修業を積んでいられるのだから、余計なおせっかいになると
おもい追い越すことになる。
車でさえ厳しいのに歩き遍路は大変だろうと思いながら・・・・。
また四万十市まで戻り次なる延光寺さんへと向かうことにする。