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真心と信念で日本文化を伝える教育者の精神  高橋史朗氏の場合

2012年02月22日 10時24分02秒 | 無題

古い雑誌を読んでいたら、32年前の元号法制化【昭和54年)の頃の、高橋史朗氏のエッセイらしきものがあって、ちょっと感動したので、ご紹介したい。


高橋史朗氏

 

私は高校の教壇に立ちまして今年で三年目になります。今日のテーマは国家と自己とのつながりについて如何に教えたかということで、高校生など、なかなか国というものが身近に捉えられないという現実的問題があるわけです。

例えば「世界青年意識調査」という資料がありまして、世界の国々の青年と日本青年の意識を比較した中に、こういう質問があります。

「お父さんお母さんを助けるために自分はどうなってもかまいませんか」という質問に、イギリスの青年は、97,7%が”じぶんはどうなってもいい”と答えています。ふらんすも、97,7%、ドイツは91,5%、ところが日本の青少年は”自分はどうなってもかまわない”というのが、56,6%という率で、ぐっと低いわけですね。

或いは「もしあなたの国が、やむを得ない事情で他国と交戦した時、あなたはどうするか」

という質問に対して

「喜んで参加する」というのが、イギリスは68,1%、フランスは84,3%、日本は15,9%で、そして、「絶対に参加しない」というのは、イギリスは13%、フランスは2%、ドイツは14%、日本は何と48%で、日本の半分の青少年たちは、やむを得ない戦争でも”絶対に参加しないと答えているわけです。

それで私が受け持っている高校生も、ほぼ同じ結果が出ています。

そういう高校生に対して、自分の国というもの――日本の国をどうやって身近に感じさせていけばよいのだろうか――というのが私の最大の課題でありました。

それでたまたま、皆さんも御存知のように、元号が法制化されたわけですけれども、去年の十月三日に、日本武道館で、元号法制化実現総決起国民大会というのがございまして、私はそこで決議文を朗読したわけですが、それがNHKの午後七時のニュースに放映されまして、それを私の生徒が視ていたわけです。

翌日、私が学校へ行きますと、非常に険悪な雰囲気がただよっていまして、教室に入るとすぐ「NHK!」「日の丸鉢巻!」「武道館!」・・・・・・そういう言葉でアジるといいますか、やじが飛んだわけです。それで私は無視しようと思ったんですが、生徒がそういうように突っ込んで来ますので、私自身の気持ちをずっと話して行きました。中には「先生はそういう政治集会に行くのは教師の政治的中立の精神に反するんじゃないか」といって反論して来た生徒もいたわけです。

私はその時こういう話をしました。

「私は何のために教壇に立っているのかというと、それは教育というのは、本当にどこの国も、その民族の文化と歴史と伝統というものを伝えて、それを継承し発展させて行くのが教育なんだ。その上で教育の政治的中立というものがあるのだ」

という話をずっとして行きまして、元号法制化の必要性を、できるだけわかりやすく、真心を込め、全情熱を傾けて説いていきました。

そして、水を打ったように静まりかえった授業の最後に、私の言動に対する賛否を問うたところ、どのクラスも2,3人を除いて全面的に賛同してくれました。「反対」に手を挙げた者は一人もいなかったのです。中略

『この一時間の授業は、険悪な表情をしていた生徒が、この授業以後、私に対して心を閉じてしまうか否かというギリギリの土壇場に立たされた授業であった。私は今迄に、この様な真剣な生徒の眼差しを全身に感ずることはなかった。食い入るようににらみつけている生徒の眼差しは、過去十七年間決して知らされることのなかった、祖国の根幹に関わる真実についての言葉を心から待ち望み、聞き漏らすまいという眼差しように感じられた。

日本人としての生徒の生命と、日本人としての私の生命とが激しく火花を散らし”劇的に出会った”授業であった。「真剣」と「真剣」のぶつかり合いが生徒の「色めがね」を打破し、生徒全員と私との間に、日本人としてのパイプをつなげたのであった。

日本の文化を伝えるという教師の仕事は、決して私事ではなく、生徒の生命を浄めるための授業をするのだから、敵対してくる生徒などいるはずがない、という信念で授業にのぞんだのであった。

そして十分納得できない生徒を全員昼休みに集めて話し込んだところ、

「自分達が求めているものは、教師の政治的中立などではない、教師も一人の人間なのであるから、当然一つの思想、信念をもって、それを堂々と行動に移すべきだ。その意味で先生のとった行動にはむしろ敬服しているし、それを真正面から生徒にぶつけてくれたことにとても感動している。

自分達は今日のような体当たりの授業や、火花を散らすような先生とのぶつかり合いを求めていたのだ・・・・・・」と。

勿論、不当な圧力に屈従するつもりは毛頭ないが、今回のことに限らず、我々教師は、いつでも”いざとなれば教師をやめてもいい”という捨身の覚悟で行動しなければ、国家の運命を担う教師として存在証明は永久に為し得ないのだと思う。

幸い、生徒たちは、全てをさらけ出して真正面から体当たりしていった私の態度をストレートに受け止めてくれ、一層の親しみと信頼の情をもって私に接してくれるようになり、ますます個人的な相談を持ちかけてくるようになった。

授業もピーンと張り詰めた、いい意味での緊張感が漲り、私の吐く一言一言に対する集中力も、こちらがこわくなる程の真剣なものとなってきた。

いよいよこれからが本当の授業の開始である。学校中を揺るがした今回の”元号騒動”は全てプラスに展開しつつあり、生徒たちが全面的に私を信頼ししっかりとついて来てくれることが何より嬉しい毎日である。

生徒にも同僚教師にも恩師にも、まごころと正論をぶつけさえすれば、何も恐れるものはないと、私は強く確信している』


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