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日本人が床に這いつくばって雑巾がけをしていた理由 (白駒妃登美さん)

2012年02月21日 23時55分30秒 | 無題

『人生に悩んだら日本史に聞こう』(著者ひすいこうたろう・白駒妃登美)は、なかなか面白く、感動的な話や、あるいはちょっとした観方の転換で人生が楽しくなるようなお話がいっぱいです。

その中に、日本人の労働観と他の国の労働観についての違いが書かれている章があります。

私も学生時代に、どの先生の授業で聞いたのか忘れましたが、西洋では、労働は必要悪だという考え方だと習った記憶があります。労働は苦痛であって、本当はない方がいいのだが、それでは世の中が立ちゆかないし、生活もできないから、必要である。悪ではあるが、必要なものだというわけです。こういう考えが奴隷制度を生んでしまったのかもしれません。

 

ちょっとだけ、引用紹介します。

白駒さんの文章

 

(前略)欧米で、「あなたは何のために働いているのですか?」と尋ねると、ほぼ100%に近い人が、「バカンスを楽しむため」と答えます。初めは、非日常を楽しむ姿勢が好ましく思えたのですが、でも、労働者の権利として、ストライキをする彼らを見て、違和感を覚えました。彼らの理想は、働かなくても食べていける楽園であり、労働は、非日常という快楽を享受するために必要な苦痛にすぎないのではないか、と思えたのです。

一方、日本人の労働観はまったく違います。

『古事記』や『日本書紀』を読めばわかりますが、日本では、神さまたちが、自ら働いているのです。しかも、その労働は、神さまだけしかできないような特殊技能や知的労働ではなく、当時の日本人がやっていたのと同じ仕事でした。例えば、日本の主神である天照大神が機を織ったり、他の神様たちも田を耕したりしています。

『万葉集』をはじめとした和歌集にも、天皇自らが労働を愛でる歌が数多く収められています。

『源氏物語』にも、こんなシーンが出てきます。光源氏が須磨に流された場面です。天皇の子として生まれ、都で育った源氏が、須磨で、初めて田舎の人たちの暮らしぶりに触れます。田舎の人たちですから、みんな農業や漁業に携わっています。かたや源氏は、高貴な身分で、天皇に仕え、まつりごとを行なっている。その源氏が、こう悟るのです。

「この世には、自然に仕える仕事と、人に仕える仕事がある。その違いだけで、職業に貴賎はない」

私はこの一言があるから、源氏が好きなんです。この一言がなければ、源氏なんて、ただの女ったらしですから(笑)。

日本人にとって、古来、労働とは”神事”であり、感謝と喜びを表すものでした。

もう一歩踏み込んで考えてみると、日本人にとって、生活そのものが神事だったのではないかと思うのです。

古くから、日本人は、お正月には歳神様、お盆には祖先の御霊を家にお迎えする伝統を大切にしてきました。生活の場である”家”は、日本人にとって、単なる建造物ではなく、神様をお迎えする特別な場所でもあったわけです。だから、日本人は、家では靴をぬぎます。そして、床に這いつくばって雑巾がけをしていました。欧米では、床をモップで拭くだけです。掃除の仕方ひとつみても、日本人にとって生活そのものが神事であったということが、端的にあらわれています。

海外に出てから、のもうひとつの気づきは、日本人は異常なまでに清潔を求めることでした。これも「神さまのために清める」と解釈すれば、ごく自然な習性です。

つまり、日本人は、働くことや生活を通して、常に神さまと一体になろうとしていたのではないか。だから、日常生活のひとつひとつを雑にせず、心をこめていた。

これこそが、日本人がずっとずっとずっと、大事にしてきた生き方であり、人生の楽しみ方だと思います。


コウタロウ コラム

英語の「ビジネス(仕事)」の語源は「ビジー」(忙しい)です。フランス語の「トラバーユ」(働く)の語源は、ラテン語の「トリバーリアーレ」(拷問する)です。

一方、日本語の「はたらく」って、「はた(まわりのひと)」を「らく」にすることと言われたりします。「仕事」という文字も、あなたのために「仕」える「事」と書きます。

Your Happy My Happy

これが日本人の生き方の本質のような気がします。

 

 


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