タイの生活と日本の生活

タイの蝶の写真と、タイの風俗習慣生活等を紹介できれば、と思っています。日本ではタイの雑貨等を輸入販売しています

南国市十市(とうち)の新宮神社

2014-08-31 07:44:18 | Weblog
十市皇女が埋葬されていると伝えられている比売塚に、1981年に「比売神社」が建て られ、現在もそこに ... 新宮神社(高知県南国市)には十市皇女の伝承が残っている というが、その伝承は秘められ続けている。









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土佐の29番札所 国分寺その3

2014-08-29 07:19:41 | Weblog
土佐の29番札所 国分寺その3」

国分寺周辺は古代から中世まで土佐国の国府の所在地であり、「土佐日記」の作者紀貫之も国司として4年間当地に滞在した。国府の中心である国庁は国分寺から徒歩15分の位置にあり、かつてその近くにあった土佐国総社は現在当寺境内に移されている。
寺はたびたび兵火に遭ったが、永禄元年(1558年)には長宗我部国親、元親によって金堂が再建。明暦元年(1655年)に土佐藩2代藩主山内忠義が山門を寄進した。大正11年(1922年)に境内全域が国の史跡に指定されている。













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南国市の29番札所 国分寺その2

2014-08-28 09:43:33 | Weblog
南国市の29番札所 国分寺その2
庭園にわあちこちに句碑がみられます、式の花々を見ながら散策するのも楽しいです。
本堂を背にして、春は桜、初夏には紫陽花、秋には萩と、心やすまる参道、創建当時の七重塔の心柱をささえた礎石、杉苔の美しい庭園が広がる。また、高浜虚子の五女・高木晴子さん、長男・年尾さん、孫・稲畑汀子さんの句碑などがある。











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高知県南国市の国分寺

2014-08-27 09:27:58 | 蛙をたべる
土佐の国分寺といえば、平安中期の歌人、紀貫之(868〜945頃)が浮かんでくる。とくに貫之が著した『土佐日記』は、女性の筆に託して書かれた仮名日記であることはあまりにも有名であるし、貫之が国司として4年間滞在した国府は、国分寺から北東1kmほどの近くで「土佐のまほろば」と呼ばれ、土佐の政治・文化の中心であった。
聖武天皇(在位724〜49)が『金光明最勝王経』を書写して納め、全国68ヶ所に国分寺を建立したのは天平13年のころ。土佐では行基菩薩が開山し、天下の泰平と五穀の豊穣、万民の豊楽をねがう祈願所として開創された。歴代天皇からの尊信が厚く、加護をうけてきた。
縁起によると、弘法大師がこの地を巡錫したのは弘仁6年(815)のころで、毘沙門天像を彫造して奥の院に安置された。その際に本堂で真言八祖に相承される厄除けの「星供の秘法」を修められた。以来、土佐国分寺は「星供の根本道場」となっている

















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タイ サコンナコンの蝶の給水シーンその2

2014-08-26 09:15:54 | Weblog
タイ サコンナコンの蝶の給水シーンその2









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タイ イサンの蝶の給水シーン。

2014-08-25 17:33:25 | Weblog
タイ イサンの蝶の給水シーン。
川幅20メートルぐらいの川で撮影しました、朝天気がよければ
10時ごろから山の上から川に沿って蝶の大群が降りてきます。
時々食料品を持ってタイの友人とハイキング気分で出かけます










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パタヤ近郊の海辺のレストランと花たち。

2014-08-24 01:13:45 | Weblog
パタヤ近郊の海辺のレストランと花たち。











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南国市の石土神社(いわつちじんじゃ)

2014-08-23 09:55:56 | 蛙をたべる
土佐石土神社は、長岡郡十市村字石土(現南国市阿土字石土4327)、石土池の附近に鎮祭されている。
石鎚山の石鎚神社もありますが、関係があるのかどうかはわからないそうです。石土神社は
海の安全を願って作れれたそうです。




















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チェンマイのポインセチアは大木です。

2014-08-21 07:00:49 | Weblog
チェンマイのポインセチアは大木です。
日本ではクリスマスが近くなると必ずあちこちの花屋さんでは定番の商品です。売られているものは小鉢でせいぜい大きくても3-40センチです。
チェンマイで写真のように大木を見て驚きました。
葉は薄く、楕円形。花はいわゆる杯状花序である。花びら等は存在しない。その下に着く葉の形の苞葉が赤く染まるのが鑑賞の対象となる。その赤さはキリストの血の色に例えられる[1]。
原産はメキシコと中央アメリカ。ポインセチアという名前の由来はアメリカ合衆国の初代メキシコ公使であったJ・R・ポインセットによる。原産国とされるメキシコ合衆国では、「ノーチェ・ブエナ(聖夜)」と呼ばれる。
日本には明治時代に来た。和名はショウジョウボク(猩々木)。大酒飲みの赤い顔が特徴の、伝説上の動物である猩々に似ていることから名付けられたという。
観葉植物として、クリスマスの時期にあわせて短日処理をして、紅葉させて緑色の葉色とのコントラストを楽しむ。ただし0℃を下回るような場所に放置すると葉が落ちてしまうので、クリスマスの時期の管理には注意が必要である。増やし方は、水を張った容器や、土に挿し木をすれば発根する(水に挿す場合は、水に挿す前に切り口から出る乳液状の樹液を拭き取っておく。時期により植物の活性が違うので活発な暖かい時期に行う)。園芸品種が近年多様化しており、従来の紅色に加えて、乳白色、淡い黄緑、ピンク、斑入りなどのバリエーションが楽しめる。強剪定にも耐える。
一般に鉢植えの植物というイメージが強いが、宮崎県宮崎市堀切峠の沿道には5万本以上植えられており、12月の開花時期には日南海岸の展望と合わせて名所となっている。小さな花が数個固まって咲いているため、1つの花のように見える。






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高知県香南市の伊能忠敬測量の地

2014-08-20 09:37:49 | Weblog
香南市赤岡町の赤岡教会に撮影に行ったときにすぐその近くに伊能忠敬測量の地という碑が立っていました。殻は
近代的日本地図作成の基礎を築いた人。上総国小関村,現在の千葉県九十九里浜沿岸の村に生まれたが,幼少時のことはよくわからない。1762年(宝暦12)に佐原の伊能家の養子となり,名を忠敬と改めた。酒造,米穀取引などの家業にいそしむ一方,村政にも尽くして名主を命ぜられ,苗字帯刀を許される。早くから暦学を好み,天体観測も行った。95年(寛政7)に家を長男に譲り,江戸へ出て深川黒江町に住み,高橋至時(よしとき)に師事して52歳のときから西洋天文学の本格的な勉学を始めた。

伊能忠敬測量の地・北緯33度33分の標識は、道路拡張の際に紛失し、現標は平成20年新設した。場所も小松邸の角から移した。高知市の江の口川下流域に33度33分33秒の標識がある。













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