高知県香南市の若一王子宮その2
社伝によると、応永2年(1395年)にこの地の豪族が、現在の若一王子宮から徳王寺権現(紀州熊野新宮)をこの浅上王子宮に勧請してきたといわれている。
祭神は天照大神。江戸時代の正徳元年(1711年)には、山内規重の長男で土佐藩の八代藩主となった豊敷が当社を産土神(うぶすなかみ)と定めて熱心に参拝し、自分が参りに行けない時でも代参を派遣していたといわれている。
社伝によると、応永2年(1395年)にこの地の豪族が、現在の若一王子宮から徳王寺権現(紀州熊野新宮)をこの浅上王子宮に勧請してきたといわれている。
祭神は天照大神。江戸時代の正徳元年(1711年)には、山内規重の長男で土佐藩の八代藩主となった豊敷が当社を産土神(うぶすなかみ)と定めて熱心に参拝し、自分が参りに行けない時でも代参を派遣していたといわれている。