勝福寺 Gikoohの日替わり法話

山寺の住職、Gikoohが日々感じたことを綴っております。
(プロフィール用の落款は天野こうゆう僧正さま彫刻)

信仰心

2009-04-30 22:22:51 | Weblog
庫裡の門工事、今日は地面を均したり、建設中に溜まったゴミを片付けたり、現場の清掃作業が行われた。Gikoohはその傍らで、縁側の下の猫の糞をしたり現場の雰囲気に身を任せながら汗を流した。

この工事に目処がついたら全体の様子を写真でupしようと思っている。そして、勝福寺ではこれを機に水神様をちゃんとお祭りすることにした。今までも水に対する感謝の気持ちは忘れたことがないけれど、ただ「お社」がないことがずっと気になっていた。でも今回は、深さ12mある深井戸の大がかりな整備も手伝って、出来る範囲で念入りに供養しよと思った。お社を新調し、その土台をGikooh自身の手で整備した。

水神様をお祭りすることは、井戸の有無に関わらず、水道でも水の世話になることに変わりがないのでお祭りされた方が良いと思う。神様、仏様、ご先祖様、自然界など目に見えない偉大な存在に感謝し、畏敬の念を持たれ、更に形に表せる人は素晴らしいと思う。
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多用な日々

2009-04-29 21:41:03 | Weblog
昨日は不動明王のご縁日で護摩を焚き、参拝者の方々と共に浄火を拝んだ。勝福寺では本年2月から長年途絶えていた護摩供を再開している。2月、3月はGikooh唯一人で修法していたが、態勢が整ったので今月から参拝者の方々を道場にお招き出来るようになった。実兄による法螺貝、声明、錫杖、法楽太鼓などの音が場内の凛気を高揚させ、護摩の炎も2月以降でもっとも高く昇る結果となった。非常に有難いことである。

そこで、参拝の有無に関わらず依頼をお受けしていた護摩木を、1本ずつ願いの成就を念じながら護摩壇の炉に供養させて頂いた。

今日は午前中に法事があった。庫裡の門の工事は祭日の今日も続き、一応明日で完了となる。引き続き5月から塀の役目を担う植栽が始まり、更に造園もおそらく行われると思うので、もう少し工期が掛かる予定だ。午後からは、車庫の屋根に設置している太陽光発電パネルを洗った。パネルを洗うことは滅多にしないけれど、土埃や花粉や黄砂などで結構汚れているから1年に1度くらい屋根に上がって洗うことを心掛けている。これだけで200wほど発電量が違うから、メンテナンスは大事なことなのだろうと思う。

明日も多用となりそうだ。今夜はこの辺で。
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庫裡の門工事に伴う垣根は

2009-04-25 21:40:47 | Weblog
午前中は夜の仏教講話に備えて準備をした。今年の内容は「仏前在家勤行次第」の概要を学習している。この辺りでは在家勤行次第のことを「おかんき」と呼び、勝福寺の檀家さんでも多くのご家庭で毎日唱えられている身近なお経だ。意味が少しでも分かると、お経に対する畏敬の念も深まるわけで良いことだと思う。勝福寺の月例仏教講話は今年10年目に入った。ずっと続けられることは本当に有難い。

今日は午後から、庫裡の門に併設する垣根のことについて相談会があった。お寺の総代、建築士、建設会社、造園職人等が集まり色々と話しあった、というか、お1人の強い意見のもと、あっという間に決まった。でも、お寺の今後のことをよく考えてであろうことなのでGikoohも自分の我を通さずに従った。よほどのことでない限り、調和を大切にしたいと思っている。

庫裡の門に併設する垣根は、植栽で行うことになった。植木のことや造園に関しては、Gikoohの好きな腕利きの造園職人さんが手掛けることになったので、Gikoohが構想している庭の図面も存分に生かされると思う。いずれにしても、物事が足踏みをせずに前に進むということは、有難いことだ。
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御詠歌

2009-04-24 22:16:42 | Weblog
真言宗には中世時代に「御詠歌」という、密教的和歌に哀調の音階をつけ、朗吟する仏教音楽が起こり、それは現在に脈々と伝えられている。詠歌という漢語の語源は、仏教辞典(岩波書店)によれば、声を永く引き伸ばして詩をうたうこととあり、もともとは和歌そのものを意味している。日本に仏教が根付き、和歌と仏教の思想が習合すると、やがて御詠歌という独創的な文化が生まれた。そして、密教的和歌を詠唱すれば仏・菩薩も納受されるとの信仰から広く流布するようになった。

Gikoohの母は年間を通し、およそ月1の間隔で「四国八十八か所巡り」をしている。四国のお寺までは車で行き帰りするものの、基本的に歩き遍路だ。一行の先達が札所毎に御詠歌を朗吟するのを聞き、その哀愁溢れる雰囲気に惹かれるらしい。

先日、母から家でも御詠歌が聴きたいと話があり、Gikoohは高野山の友に連絡をした。友は歳が5歳年下ながら頭脳明晰で気立てが良く、中国語も流暢だ。彼女は幼い頃から高野山に馴染んでいるので、Gikoohはこの手の相談を受けると友に尋ねることが多い。

そして昨日、高野山から金剛流御詠歌の教本と、彼女のお祖母様編纂のオリジナル音源が送られてきた。早速、Gikooh17年来愛用のONKYOミニコンポで音を出して数十秒後、感動で鳥肌が立った。御詠歌の詠唱は清水教雄先生、Gikoohはそれまで失礼ながら存じ上げなったのだけれど、あまりに透き通った幅広い音階と音楽性に、御詠歌に対する思いが更新された。

Gikoohも実は、高野山高校時代に授業で御詠歌を習っていた。その時の先生も物凄く上手くて、あんな風にないたいと夢見つつ20年弱経過してしまった。日常では御詠歌に触れる機会が滅多になく、すっかり遠ざかっていたのだけれど、今回の出来事はGikoohの深奥に眠っている何かしらを覚醒させたような気がしている。

近々、母に教本と音源を渡すけれど、これは非常に価値のある一品になると思う。
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林鶴山さんの魅力

2009-04-23 22:01:58 | Weblog
早朝、この時期はほぼ日課となっている筍堀をしようと思ったら、息子も起きてきて一緒に山に入った。平均して毎日7~8本、採ったらすぐに料理をし来山された方や職人さんにお土産代りに持って帰って頂いている。

さて、如常の1日。午前中は京都から仏具店の方がご来山、掃除、色紙と短冊の整理をした。昨日、林鶴山を書いたのだが、Gikoohが林さんのお宅をお邪魔するとその都度色紙や短冊を頂いている。その中でも特に気に入った図柄をGikoohは傑作と称し、この10年間選りすぐりのものを大切に保管、飾っている。それを、先日から季節ごとに分けて整理する作業が続いてる。林さんの画は、水墨画の南画である。画題は今の季節だと、「麦穂に雀」とか「あやめ」などが多い。身近な画材は、それを見る人の心を解きほぐし、和ませる。林さんは木工職人で、画は余技という。「私は木工の作品では商売をするが、余技は一切お金を頂かない」。これは昔から一貫されているけれど、その考え様には心を打たれるものがある。世には本業からも余技からも、目をぎらぎらと光らせて商売をしている人もおられるだろう。その理由が良いことか悪いことかは、神仏が決めることなのでGikoohには分からない。ただ、中途半端な作品や絵が多く、美意識をくすぐるような本当の優れたものがあまり世に出なくなっている。Gikoohは林さんのファンだから書くのだけど、余技と謙遜される南画は、鳥肌が立つほど上手く心を鷲掴みにされる。
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庭の構想

2009-04-22 21:29:59 | Weblog
如常の1日。Gikoohは庫裡の外溝工事を見ながら、庭の図面を描いている。石の配置、つくばいと灯篭、植栽、土山、飛び石をどのように配置して庭を散策出来るようにするか、なかなか構想が思い浮かばなかったけれど、何とか1つの案が閃いた。

「庭に完成はない」。これは恩人、林鶴山さんのお言葉だ。庭というものは遊びの空間なので好きなように造って、愛着の湧くような気に入る庭にせねばならないと教わった。

庭を眺めながら煎茶を飲める日が待ち遠しい。
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家の神様

2009-04-21 22:28:14 | Weblog
今日はお大師様のご縁日。常の如く温かい料理を供え、早朝の本堂でひとり拝んだ。昨晩しっかりと降った雨は今朝には上がって空気がしっとりとしていたので、香煙も低いところを雲海のようにくゆっていた。

ところで、勝福寺庫裡の門と塀の外溝工事は、土木、大工工事と順調に進み、現在は左官工事が盛んとなっている。施工面積こそ多くないものの、漆喰など壁の色を何色か使い分けるため手間が掛っている。

その工事スケジュールのなかに井戸の解体工事がある。古い井戸の井筒をいったん解体してもう一度組みなおすという作業だったが、勝福寺の井戸は深さが12mを超え、作業にも相当気を遣った。その甲斐あって見違えるほど綺麗に復元された。これを機に、水天様の社を新品に換えようと、今日発注した。私達の生活を育む上において、水は必ずなくてはならないものなので、当然水の神様も慎重にお祭りする方が良い。これは井戸に限らず家庭の水道でも同じことがいえるのでなかろうか。これは水天様に限らず、土地の地神様も同じなので、懇ろに意識されて供養されることをお勧めしたい。

当webで、工事の模様をupしようと思いつつ、全部出来てからupしようと思っている。

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菜園

2009-04-20 21:52:47 | Weblog
今日は朝からずっと草刈りや畑仕事をして過ごした。おそらく今週末に頼んでいた野菜の苗が届くと思うので、それに合わせて耕運機で耕し、肥料を混ぜ込んで土づくりをした。土が肥えていないと良い野菜が出来ないので、品質の良い肥料を使っている。茄子、ピーマン、トマト、きゅうり、おくら、ごーや、西瓜、南京、トーモロコシなどを植える予定。
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燈明の炎

2009-04-16 21:30:42 | Weblog
如常の1日。勝福寺の本堂や仏壇の前で拝んでいると、視界に入る光景がいつも殆ど同じなので、灯明の炎や香煙、花、そしてその向こうにおられる仏さまを見ていることが多い。

写真の燈明は「ろう」が下に垂れずにどんどん昇っていっている。蝋燭の質か偶然か、こんな些細な変化でもGikoohには吉兆と有難く感じる。一昨日の夜は、家族で仏壇を拝んでいると妙なことが起こった。Gikoohは昔からそうだが、近年は特にふとしたことを直感することがある。一昨日は拝もうとした時に、仏さまが沈香を求められているような気がしたからグレードの高い沈香を供香することにした。

香炭に沈香を置いて拝み始めると、その香煙が昇るでもなく、辺りをくゆるでもなく、吸い寄せられるように香煙が仏さまに向かってまっすぐに進んで行く。Gikoohは素直に仏さまに喜んで頂けて有難いなと感じたが、家内は初めて見る不思議な光景に驚いていた。これも偶然といえば偶然、昨日も今日も沈香を焚いているが、普通になっている。

Gikoohは来月36歳になる。仏さまの存在を肌で感じられるようになっている。
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今が旬な竹の子

2009-04-15 22:04:35 | Weblog
早朝6時、裏山へ筍堀に出かけた。字が物語るように、旬な時期に食べる竹の子はとても柔らかくて美味しく、連休明けくらいまで我が家の食卓を賑わせる日々が続く。

Gikoohは筍堀の名人ではないので、写真のように土の表面から大分と顔を覗かせたものでないと見つけることが出来ない。でも採ったらすぐに炊いて味をつけて煮込むので、味に何ら問題はない。今朝は7本採り、工事に来られている職人さん達6人に料理したものを差し上げた。

今日は如常の1日。
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