Coucher de soleil

いつの頃からから夕暮れ時が好きになった。紫や橙の空色の下ほっとするひととき。とてもやわらかな時間。

先入観

2012年04月22日 | アート
例えば、セザンヌは言っている。「画家は、自らのうちで先入主の声をすっかりだまらせなくてはいけない」(「絶対の探求者」山梨俊夫編訳より)。もちろん画家だけの話ではない。ものを見るとき、人を見るとき、先入観ほど愛想のいい厄介者はない。これさえあれば見ずして見たような気になれるのだから。
日経春秋より(2012年4月20日)
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虚構の絵画

2012年02月12日 | アート
フェルメール光の王国展に行った。前知識もなく観に行った。なんだ、ソトコトがやっているんだ。。そして、さらに、入り口の展覧会の主旨のところでびっくりした。本物ではないんだ。。リクリエイトという技法で再現された絵画。後で思えば、世界に分散されてしまっているフェルメールの絵を一同に鑑賞するというのは無理な話で、だからこそ、福岡伸一の旅が意味を成すわけだが、そんなことも知らずに観に行ったので、最初は、驚いた。案の定、うすっぺらい。せまってくる感動のようなものももない。昨年パリでようやく、絵画を鑑賞する楽しみを自分なりに体得したと思っていたが、そういう画家が吹き込んだような魂を感じることもない。早々に帰りたくなったが、我慢して一つ一つを鑑賞することにした。「手紙を書く女と召使」のところで、少し見方が変わった。そう、これはあくまでも、37点しかないというフェルメールの全作品を時代を追って鑑賞し、フェルメールの技法なり追及しようとしたことをとらえることに意味があるのだと。絵画そのものを魅力を感じるのではなくて、絵画を勉強する場、美術学校のようだ。そう思ったら、少し前向きな気持ちになってきた。おそらく、この手法はパリでは、あるいは海外ではあまり受け入れられないのではと思うのだが、商業主義的な美術鑑賞が成り立つ日本ならではという気もしないでもないが、でも、まーこの虚構とも思えるような美術展の意味を感じることができたし、しばらく興味を失っていた福岡伸一の文献や彼が探究しようとしていることに新たな興味がわいてくる。“科学と芸術の間を遊泳”している彼の考えをもっと知りたい。その対象は、光の粒?。読んでみるかな、光の王国の本を・・。
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足元

2012年01月09日 | Weblog
manaoさんから借りていた、大事なバイブルを返すためにもう一度しっかり読む。貸してもらったときよりずっとずっと自然にすっと入ってくる。納得感。manaoさんの言いたかったことも、そして、この著者の意図も。こうして、わたしはまた一つ成長。「足元」「淡々と生きる」。ブッククオーテーションしておきたい言葉。
・笑顔は笑顔を生み出す。
・「知恵」は、全体を見渡した大局観。「知識」はバラバラに偏在する断片、局所
・柔軟性は強さ
・自分の形に固執せずおかれた環境に合わせて自分を変化させたくましく生きる
・「役割」「なすべきこと」「使命感」
人の本だから読みながら、鉛筆で落書きできないのが残念だけれど、自分の本だったら書きまくってしまう・・。
本を読みながら考えるのは、桂花と病院で別れるときの最後の目。そして、その生き方から何を感じ、私はどう生きているのかということ。また背筋がぴっと張る。
次は、エンデか・・。
医療のバイブルをお借りしたので、今度はエネルギーのバイブルをお貸しいたします。ご興味あれば。
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二つの映画

2010年07月31日 | 映画
先日、二つの映画を同じ日に観た。
借り暮らしのアリエッティとビューティフルアイランズ。

アリエッティは、ほぼ満杯だった。
ポップコーンとコーラを買って映画館に入った。
ほぼ事前情報なく、絵がかわいいから観てみたいそんな感覚的な理由だった。
観終わったあと、自分の中の心理状況を回想してみて、この映画の中での“角砂糖”の存在の大きさに気づいた。

角砂糖は、わたしにとってはいらないものであって、それどころか、少し邪魔なものだ。
コーヒーや紅茶に砂糖を入れることはほぼないし、白砂糖は身体にあまりよくない気がしているし、そして、特に砂糖の中でも、“角砂糖”というのは古臭くて、レトロ風の喫茶店でたまに見るようなものである。
そんな角砂糖が、アリエッティの暮らしの中では、とても大切なもので輝いて見えた。
彼らにとって貴重なものなのだ。私たちの世界からは大きさも違う。何倍くらいだろう?30cm四方くらいだろうか?そして、入手するためには、命がけの“狩り”をしなくてはいけない。
狩り?、この言葉にも少し驚いたが。
角砂糖ともうひとつ、ティッシュペーパーも類似の存在であったが、どちらも何十年か前はとても貴重なものであったが、いまとなってはあふれかえっているものである。
戦時中は、砂糖が貴重で、砂糖を子どもになめさせたと聞いたこともある。
スタジオジブリは、わたしたちや子どもたちに、角砂糖やティッシュペーパーをモチーフに伝えたいことがあったのではないか?
環境系の仕事をする私にとっても、この映画のその意味するところは、魅力的だった。

そして、その後、ビューティフルアイランズを観た。
時間帯もあってか、人の数はまばらだった。
なんか雰囲気的にも、水を持ち込むだけにした。

こちらは、仕事的な興味もあって積極的に観ることにしたが、最初に“監督からのメッセージ”というのが配られて、それがとても新鮮であり、これから観る映画を一気に身近なものにしてくれた。
メッセージによると音楽もナレーションもないという。
少し驚いた。
映画として成り立つのだろうか。
この存在を教えてくれたYちゃんが、環境映画っておもしろいの観たことがないからこの映画観てみたいんだーと言っていた。

観終わって、様々なことを感じた。
これはいわゆる映画というよりも、事実を伝える映像だった。
確かにおもしろみというのはないけれど、それとはまったっく違う事実の世界を
みせてくれた。
南の島と都会とそして、北の国。地球のそんな地域のまったく違う各地で起こっている気候変動の影響。

確実に少しずついま自然環境が変わってきている。
それを実感し危機感をもつことができるのは、多くの場合、日々の暮らしと自然環境による恩恵が非常に近い場合だと思う。わたしたち都会の人間には、気候の変化は感じるが暮らしへの影響というのはほとんど感じることができない。
食べ物もあるし飲み物もあるし、暮らすところも変わらない。
だから、どうしても人ごとにならざるを得ないし、なにか行動しようという動機付けに乏しい。

ビューティフルアイランズはそんな私たちに対して、日々の暮らしや私たちの寄って立つこの基盤がいま変わり始めているのだよということを教えてくれる。

アラスカでアザラシの狩りをしてそれを解体するシーンは衝撃的だった。
ツバルで豚を解体するシーンも。

でも、そうして生きているのがこの世界である。
こういうことを言葉にすると押し付けがましくなるし、言葉で学ぶものではないのだが、この感覚が欠落してしまっている
わたしたちの“きれいな生活”が実は、長い目で見たときには怖いことではないかという気になってくる。


見えない世界や他者に思いを馳せる機会というのが、日頃の生活ではとても難しいのだが、
そういう機会をつくっていくことをがやはり大切だと思う。
それは、思い返せば、学生時代からの仲間たちとずっとしてきたことだし、いまやろうと
していることも結局はそういうことかなと思う。

二つの映画は、やはり運命的に出会うことができたと思う。






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幻のレモネード

2010年07月19日 | Weblog
先日、犬の散歩をしていたら、近所の子どもがはなしかけてきた。それも、はなしかけているのか、つぶやいているのかどうかわからないふうに。「レモネードいかがですか?いっぱい30円です。」「いらっしゃいませ、いらしゃいませ、レモネードいかがですか?」

なんだか突然のことでよくわからずそのこどもたちの前を通り過ぎてふとみると、その子どもたちのお家の庭先で、レモネードがおいてあって、しかもダンボールで、一杯30円と書いてある。
なんて素敵なのだろう!なんて美味しそうなのだろう!
一瞬そう思ったけれど、すでに自分の身体は、とおりすぎようとしていた。
お金ももっていなかったので、そのまま通り過ぎた。
歩きながら、美味しそうなレモネードが飲みたくなってきた。なんて粋な演出なのだろう。
庭先の机に、デキャンタにたっぷりはいっている。レモンもたっぷり。

家に戻って、少し考えたあと、勇気をもって買いにいこうとお財布とデジカメをもって
出た。写真もとりたかったのだ。


戻ってみると、子どもたちも机もレモネードも、ダンボールの看板も
なくなっていた。ものの10分もしなかったと思う。

思いがけないことに遭遇してすぐに声をかけられなかった自分の決断力のなさをこんなところでまた実感した。

暑い中、のどもかわいていた。
再び家に戻って、お水にレモン水を入れて乾きをいやした。

レモネード、自分で作ってみようか。
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生姜

2010年07月17日 | からだ
暑さが増してきた。今年の夏は暑くなりそうだ。気候の変動をまた肌で感じる。ちょっとやはりまずいのではないかという危機意識もつよくなる。
各地で大雨が降っているのも気候変動の現れで、異常になりはじめた地球がバランスをとろうとしている現象らしい。

地球温暖化の原因は人為的なものではなく、自然現象という見方もあってそういった見方からはこうした最近の温暖化や気候変動について危機意識をもつことは馬鹿らしいことと思われるかもしれない。もっともっと勉強しないと、いや勉強しても、いま何が起こっていて、われわれはどうすべきかということの答えというのはなかなか見出せないが、一人の人間(生物的にも)としての感覚でまずは捕らえていきたいと思う。

やっぱり、バランスは崩れていると思う。
福岡伸一のいうような動的平衡的なちからというのは、地球とか生物とか生きとしいけるものにあると思う。

最近少しずつ世の中のしくみのようなものをかんじられるようになってきた。
結局のところ、バランスだと思う。
暑い夏の日に生姜が美味しいと思うのも、バランスをとろうとする力だろう。
でも、生姜は冬の寒い日も力を発揮する。
生姜って万能選手か!?
しょうがについてもっと調べてみよう。

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つれづれ

2010年03月15日 | Weblog
久しぶりの日記。久しぶりに早く帰ってきて、そして元気なままPCに向かうことができる。昨日も大事な友人たちから元気をもらった。最近遠方に行くことが多いのだが、遠方と思っていたところも本当に大事なところであったり、そして行くことに慣れてきたりするととても近く感じる。
遠距離恋愛というのはこんな気持ちなのだろうか。
そういえば、昔、お茶を習っていた。本当は会社の中にもあったり、あるいは近くの会社にもあったりして、時間的にいえばずっとそちらの方が効率的なのに、そこに行く気にはなれなくて、あえて休日に遠いところまで通っていた。その空間が大好きだったので苦にならなかった。そう考えると、短大のときもそうだったな。普通では考えられないくらいの時間を費やして通っていたがとても好きな空間だったし、行き帰りの電車の中での勉強(宿題など)も楽しくて苦にならなかった。
“空間”へのこだわりはいつからはじまったのだろうか。
あまりこだわりすぎると自分を苦しめたり人に迷惑をかけることもあるのだと思う。
たとえば些細なことだと今日、夕方喫茶店に入ったが、入ろうと思ったスタバが混んでいて入れなくて、知人はどこでもいい風だったが、少しこだわって選んでしまった。
まー時と場をわきまえればまったく問題はないのだけれど。
なんかこんな風に、何を書こうと決めずに思いつくままに文章をかいていると、わたしは完全にマップヘイター(マップラバーではなくて)なのだと思う。最近読んだ、福岡伸一の本にあった。でも、仕事ではマップラバーになるべく努力しているが。
福岡伸一といえば、自分の好きな生物学者系は、中村桂子と柳沢桂子だが、先日尊敬するFさんが、“俺の原点は、中村桂子と柳沢桂子と緒方貞子と犬養道子と”といわれて大変驚いた。こんな風に共通する人がいるんだ。神経衰弱のトランプカードをめくっているような気分になった。
犬養道子の講演は忘れることができない。あれほど心を振わせられたのは、もともと感受性
が高くてというのもあるのだろうが。。
彼女の当時の講演を聴いて、なんのために大学に編入したんだろう、自分のやるべきことをやろうと思って、体育会のダンス部をやめた。
書きたいことがいっぱいあるが、とりあえず今日は久しぶりに書くことができたということで、またの機会にしたいとおもう。明日はちょっとだけ運命の日。どうなるのかしら?
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ホットワインの本当の価値

2010年01月26日 | Weblog
美味しいホットワインをいただいた。週末、桂花のところへ行って、そしてmanaoさんのオススメで、そして、ジャスミンmamaのお顔で、美味しいイタリアンのお店でつくってもらったのだ。
なんて美味しいのだろう、飲んだ瞬間そう思った。やっぱりプロが作ると違うな。シナモンもしっかりきいている。同じホットワインをもらったmanaoさんから、「ホットワイン、香りがついているね」とメールが来た。普通、香りあるんだけど・・・と思いながら、そうかなにも入れずにただ温めていただけのホットワインを飲んでいたmanaoさんにとっては、香りがあるね、なんだ(笑)。
それで、もうひとつ気づいた。久しぶりに自分のブログを読んだら、昨年、桂花と行ったフレンチでホットワインを飲んでいた。そして、昨年、初秋に桂花のお家に行ったとき、桂花の冷蔵庫の中に、一昨年のと思われるボジョレーヌーボーがあって、これはこれはこのままもう飲む時期ではないわ、身体をあたためるのもよいね〜といって、ホットワインをつくった。普通の料理は苦手だが、お酒がらみのものになると、少し力を発揮する夕顔としてはいいところを見せようとフルーツをたっぷり、いろいろいれてホットワインをつくった。それを桂花が喜んで飲んでくれてうれしかった。なんだか、わたしたちあいだにはホットワインの縁があるらしい。そして、今回極上においしいとおもったのは、manaoさんやジャスミンmamaの愛情、お店の方のやさしい思いも入っていたからか!!
なにはともあれ、ワインからすれば旬の時期の飲み方ではないけれど、残り物の再生みたいな感じだけれど、実はだからこそいろいろなものとまじって心身ともに温かいものを与えてくれるなんとも味のある飲み物に生まれ変わるのだろうな。あら、どこかの会の方たちみたいだわ。また、みんなで味わいましょうね。
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紅葉

2009年10月17日 | Weblog
今日は、イベントの出番。初めて参加するイベントだったので、少し心配もあったけれど、結果的に出てよかった。その会場では、あるシンポジウムもあった。でも、窓から見える紅葉が綺麗で話しを聞くよりも、そちらばかり見てしまった。
フランスで黄色い色の紅葉を見てきたからか、日本の赤い色の葉にいつも以上に心奪われる。なんて、長い間フランスに滞在したみたいなことを言っているけれど、本当のことだから仕方がない。
家の庭のハナミズキの紅葉もまっさかりだ。天地人の“もみじになりなさい”という言葉も思い出したりして。それにしても清史郎くんは、すっかり人気者になったな。“補助金も”なんて、トヨタの宣伝でいっているけれど、きっと補助金の意味を知らないのだろうな。ま〜、わたしも小さいころ、“カンシャ”=“ダンチ”だと思っていたけれど。
いずれにしても紅葉はきれいだな。心うばれるのは年をとった証拠かしら。
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モンサンミッシェル

2009年10月09日 | Weblog
一度行きたいなと思っていた聖地、モンサンミッシェルに行くことになった。パリでの滞在が数日あって、いろいろな人の勧めもあってパリから一日観光で行くことにした。マイバスという日本人が経営しているツアー会社で。
朝早くまだ夜明け前にマイバス前についた。数人待っている人がいた。10分後くらいにやっとスタッフの人が来たと思ったら、かっかっかと歩いて無言でかぎを開けて事務所に入っていく。さすがパリ風なのか。お客さまとわかっている私たちに声をかけることもなく入っていく。
だんだん人が増えてきた。バスは満席。当然だが日本人ばかり。一気に日本人社会に戻ってしまったことに、これまでしっとりと少人数で旅してきた雰囲気との違いに、気持ちが少し萎えてしまったが、今日はバスで睡眠とモンサンミッシェルと割り切る。
遠方だけあって、バスの運転者は2人。
ガイドは日本の方だが、このガイドの男性も、これまでと違って、お客さまをなんというか軽く見たような口調と態度で幻滅する。旅行中はあまりマイナスなことは考えたくないけれど、でもこのガイドさんの話を聴いていて、二度とマイバスのツアーは参加しないなんて心の中で思ったりする。
途中のサービスエリアのようなところで休憩。ミシュランの地図が売っていて、ツアーでご一緒していた方に教えてもらったフランスの地図を買った。ルートプラニングというブルーのものと2種類あって、どちらがよいか迷ったが、レッドのスタンダードのほうを買うことにした。

さて、いよいよ聖地が見えてきた。でも今日はどんよりとしたお天気であまりぱっとはしない。
着いたら、まずはお土産屋さんによって(よらされて)、その後昼食。
席取りがっせんみたいになって、ちょっとさみしい。
食事もおいしくはなかった。しかたないけれど。シードルは思った以上にボリューム感があった。
そして、モンサンミシェルの中に入る。
一番印象的だったのは、やはり、修道女たちが食事をしたという部屋かな。何度か聞いたが、教会内ではしゃべってはいけなかったそうだ。とてもストイックな生活だったと。外観だけ見たセナンクの修道院がそういう意味では一番その精神統一された生活が営まれいるであろう雰囲気を感じ取ることができたが。
はるか昔の生活に思いを馳せながらいすに座った。

その後、参道と思われるようなお土産屋さんやカフェが並ぶところに戻り、一服した。カフェノルマルというのを、これが普通のカフェかしらと勘違いして頼んだら、なんとアルコール入りだった。ちょっと笑ってしまったけれど、これもまたよしなんて思った。

帰りも疲れがたまっているのか眠りながら帰った。今度はサービスエリアでミシュランガイド2009を見つけて買うことにした。迷ったけれど初ミシュラン。自分にとっての記念でもあったけれど、買った後によくみたら100周年記念号。これで次回のたびの計画を立てようかな。

パリに戻ってからは、スーパーでお菓子や紅茶などのお土産と夕食を買い込みホテルへ。モンサンミッシェルは、やはり泊まりでこなくては。もう一度、リベンジさせてもらう機会があったらなと思った。









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