
この本は、「テリー伊藤 のってけラジオ」の人気コーナー「歌謡Gメン」を纏めたもの。そもそもは、「柏原芳恵が『ハロー・グッバイ』で歌っていた『紅茶のおいしい喫茶店』って、何処の店なんだろう?」というテリー氏の疑問から始まった企画で、「あのヒット曲のあの場所を捜せ!」をキーワードにに、過去の114の名曲の”秘密”が取り上げられている。
その中から、8曲を取り上げてみたいと思う。
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① 「メリー・ジェーン」(1971年)
疑問: メリー・ジェーンって誰?
回答者: つのだ☆ひろ氏(作詞家、歌手)
ラブ・ソングの名曲「メリー・ジェーン」。「うしろの百太郎」や「恐怖新聞」等、数々の恐怖漫画を描かれた漫画家・つのだじろう氏の実弟・つのだ☆ひろ氏が作曲&歌った作品だが、彼によると「メリージェーン」はアメリカから来日した留学生なのだそうだ。
当時、アメリカから来日していた留学生・マーガレットに
熱い思いを持っていた彼。自分の思いを伝えるべく、彼女をイメージした曲を作り、彼女に聞かせようと考えた。でも、どうしても「マーガレット」という名前では詩にならず(実際に作詞を担当していたのはChristopher Lynn(本名:蓮見不二男)氏との事なので、詩を作り上げて行く上でつのだ氏が色々意見を出したという事だろう。)、彼女と一緒に留学していた女性の名前メリー・ジェーンを借りる事にしたのだそうだ。
しかし、結局この曲をマーガレットに聞かせる事は出来なかった。と言うのも、この曲が出来上がった頃には、彼女には好きな男性が存在していたからだった。名前を使われたメリー・ジェーンさんに付いては、「この曲の事は知らないと思います。あの子は直ぐに国に帰って、確か実家の牧場で暮らしている筈です。」とつのだ氏は語っている。
② 「書中お見舞い申し上げます」(1977年)
疑問: 「夏の日の太陽が眩しい渚」は何処?
回答者: 喜多條忠氏(作詞家)
昔は暑中見舞い葉書が売り出される頃になると、キャンディーズの歌うこの曲を街中で良く耳にしたものだった。作詞を担当した喜多條氏によると、「夏の日の太陽が眩しい渚」は伊豆七島の八丈島と三宅島をイメージしていたとの事。海外旅行が今程身近で無かった時代、彼が新婚旅行先に選んだのが八丈島。そして、早稲田大学の学生だった頃に、児童文化研究会のサークル活動で子供達に人形劇を見せる為に訪れた思い出の地が三宅島。
「時計を逆さに廻してます」という詩は、島の子供達と一緒に海岸で遊んでいる時、腕時計をクルクル逆さに廻していた子供の姿が記憶に残っていた事から取り入れたのだとか。
③ 「よこはま・たそがれ」(1971年)
疑問: 「ホテルの小部屋」は何処のホテル?
回答者: 山口洋子さん(作詞家)
五木ひろし氏の大ヒット曲。今回初めて知ったのだが、サビの部分の「あの人は 行って行ってしまった~♪」以外の詩は1~3番迄全て、作詞を担当した山口さんの「過去の演歌のヒット曲の歌詞に良く使われている単語をリサーチし、それをそのまま並べて1曲の詩にしてみたらどうなるか?」という斬新な手法で作り上げられたという。そう言われてみれば、「よこはま」、「たそがれ」、「ホテルの小部屋」、「裏町」、「スナック」、「酔えないお酒」等々、確かに良く耳にする単語だとビックリさせられた次第。
彼女は横浜の街が好きで、「ホテルの小部屋」のホテルは、当時、「港の見える丘公園」の麓に在り、横浜港が一望出来たバンドホテルをイメージ。横浜港が開港した頃は、外国人の社交場として賑わったこのホテルも、今は取り壊されてドン・キホーテに変わっているそうだ。
「行って行ってしまった」あの人の職業はアーティストという事で、その彼の事を切ない気持ちで思い出している女の歌と山口さんは述べている。
④ 「なんてったってアイドル」(1985年)
疑問: 「一寸いかしたタイプのミュージシャン」は誰?
回答者: 秋元康氏(作詞家)
”時の人”小泉今日子さんのヒット曲。作詞を担当した秋元氏によると、この当時は本田美奈子さんを始めとするアイドル達がロックに転進する等、様々に「脱アイドル」を打ち出していた。そんな芸能界のムーブメントに逆行して、「アイドルはこんなに素敵なんだ。アイドルって、こんなに楽しいんだ。」というメッセージをこの曲に込めたかったと彼は語る。
そして、「一寸いかしたタイプのミュージシャン」に付いては、KAT-TUNの亀梨和也君・・・ではなく(笑)、「当時、(秋元氏の)長年の盟友で在るフォーク・シンガーが、或るアイドルタレントと付き合って世間の話題になっていた。」との事で、長渕剛氏をイメージしていたのだとか。そうなると「或るアイドルタレント」とは、当時既に離婚していた石野真子さんでは無く、現在の奥さんの志穂美悦子さんの事だろうか?(ビジンダーのマリ役の頃から、自分も大好きな女優だった。
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その中から、8曲を取り上げてみたいと思う。
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① 「メリー・ジェーン」(1971年)
疑問: メリー・ジェーンって誰?
回答者: つのだ☆ひろ氏(作詞家、歌手)
ラブ・ソングの名曲「メリー・ジェーン」。「うしろの百太郎」や「恐怖新聞」等、数々の恐怖漫画を描かれた漫画家・つのだじろう氏の実弟・つのだ☆ひろ氏が作曲&歌った作品だが、彼によると「メリージェーン」はアメリカから来日した留学生なのだそうだ。
当時、アメリカから来日していた留学生・マーガレットに
熱い思いを持っていた彼。自分の思いを伝えるべく、彼女をイメージした曲を作り、彼女に聞かせようと考えた。でも、どうしても「マーガレット」という名前では詩にならず(実際に作詞を担当していたのはChristopher Lynn(本名:蓮見不二男)氏との事なので、詩を作り上げて行く上でつのだ氏が色々意見を出したという事だろう。)、彼女と一緒に留学していた女性の名前メリー・ジェーンを借りる事にしたのだそうだ。
しかし、結局この曲をマーガレットに聞かせる事は出来なかった。と言うのも、この曲が出来上がった頃には、彼女には好きな男性が存在していたからだった。名前を使われたメリー・ジェーンさんに付いては、「この曲の事は知らないと思います。あの子は直ぐに国に帰って、確か実家の牧場で暮らしている筈です。」とつのだ氏は語っている。
② 「書中お見舞い申し上げます」(1977年)
疑問: 「夏の日の太陽が眩しい渚」は何処?
回答者: 喜多條忠氏(作詞家)
昔は暑中見舞い葉書が売り出される頃になると、キャンディーズの歌うこの曲を街中で良く耳にしたものだった。作詞を担当した喜多條氏によると、「夏の日の太陽が眩しい渚」は伊豆七島の八丈島と三宅島をイメージしていたとの事。海外旅行が今程身近で無かった時代、彼が新婚旅行先に選んだのが八丈島。そして、早稲田大学の学生だった頃に、児童文化研究会のサークル活動で子供達に人形劇を見せる為に訪れた思い出の地が三宅島。
「時計を逆さに廻してます」という詩は、島の子供達と一緒に海岸で遊んでいる時、腕時計をクルクル逆さに廻していた子供の姿が記憶に残っていた事から取り入れたのだとか。
③ 「よこはま・たそがれ」(1971年)
疑問: 「ホテルの小部屋」は何処のホテル?
回答者: 山口洋子さん(作詞家)
五木ひろし氏の大ヒット曲。今回初めて知ったのだが、サビの部分の「あの人は 行って行ってしまった~♪」以外の詩は1~3番迄全て、作詞を担当した山口さんの「過去の演歌のヒット曲の歌詞に良く使われている単語をリサーチし、それをそのまま並べて1曲の詩にしてみたらどうなるか?」という斬新な手法で作り上げられたという。そう言われてみれば、「よこはま」、「たそがれ」、「ホテルの小部屋」、「裏町」、「スナック」、「酔えないお酒」等々、確かに良く耳にする単語だとビックリさせられた次第。
彼女は横浜の街が好きで、「ホテルの小部屋」のホテルは、当時、「港の見える丘公園」の麓に在り、横浜港が一望出来たバンドホテルをイメージ。横浜港が開港した頃は、外国人の社交場として賑わったこのホテルも、今は取り壊されてドン・キホーテに変わっているそうだ。
「行って行ってしまった」あの人の職業はアーティストという事で、その彼の事を切ない気持ちで思い出している女の歌と山口さんは述べている。
④ 「なんてったってアイドル」(1985年)
疑問: 「一寸いかしたタイプのミュージシャン」は誰?
回答者: 秋元康氏(作詞家)
”時の人”小泉今日子さんのヒット曲。作詞を担当した秋元氏によると、この当時は本田美奈子さんを始めとするアイドル達がロックに転進する等、様々に「脱アイドル」を打ち出していた。そんな芸能界のムーブメントに逆行して、「アイドルはこんなに素敵なんだ。アイドルって、こんなに楽しいんだ。」というメッセージをこの曲に込めたかったと彼は語る。
そして、「一寸いかしたタイプのミュージシャン」に付いては、KAT-TUNの亀梨和也君・・・ではなく(笑)、「当時、(秋元氏の)長年の盟友で在るフォーク・シンガーが、或るアイドルタレントと付き合って世間の話題になっていた。」との事で、長渕剛氏をイメージしていたのだとか。そうなると「或るアイドルタレント」とは、当時既に離婚していた石野真子さんでは無く、現在の奥さんの志穂美悦子さんの事だろうか?(ビジンダーのマリ役の頃から、自分も大好きな女優だった。
