「宮城自然農園」ブログ  -GIAN'S ORGANIC FARM BLOG- 小笠原諸島・母島で自然農

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指し百姓をしています。
その中で学んだことを紹介したいと思います♪

沖縄のローゼルとの出会い

2017年04月28日 | ローゼル
■2月に単身沖縄に行った際に、沖縄のローゼルの話も色々聞かせてもらいました。
そして分かったことは、
小笠原で生産しているローゼルとは系統が違うようです☆

この写真は母島のローゼルとそのローゼルを使ったハイビスカスティーです。
丸みを帯びていて、肉厚でずっしりした印象の小笠原のローゼル。
沖縄のローゼルはどちらかというと左の実に似た印象で、
すらっとスレンダーなローゼルがほとんどでした。

見事なまでのうっかり者の僕は、母島に用意してあった配る(交換)用のローゼルの種を忘れて旅立ってしまいました(笑)。
そんな訳で、後日郵送という手段を使って、
やんばるのローゼルの種と母島のローゼルの種を交換させて頂きました(MNさんありがとう♪)。

届いたローゼルの種はなんと2種類!

ひとつは「ルビーローゼル」という小さな種。

左が母島産ローゼルの種で、右が沖縄産ルビーローゼルの種。

蒔いてみたら、
そのまま可愛い双葉が出てきました♡
可愛い実を今から想像してワクワクしちゃっています(*^_^*)


もう一つはただ「ローゼル」と書かれた種。

右が母島産ローゼルで、左が沖縄産ローゼルの種です。
母島のローゼルと沖縄産ルビーローゼルの丁度中間の大きさです☆
勝手に「うちなーローゼル」と命名しました(笑)!

写真を撮り忘れてしまいましたが、
沖縄のローゼルは実がスレンダーなのと、
葉っぱが細く、切れ込みが入っていました。

母島のローゼルはこんな感じです。

父島で栽培されているものも、
母島から種を分けている人も多いので、
小笠原のはほとんど同じと言えそうです。

しかし、今期からは3種類のローゼル栽培に挑戦です☆
木や味の違いなど検証していこうと思うので、お楽しみに♪

■今がローゼルの種蒔きのベストシーズンです。

こうして種を蒔いたら3日~2週間で発芽します。


雨季が来るとマイマイが猛威を振るうので、
その前にできるだけ大きくさせ、
多少やられても問題ないくらい、数を多く作っておきます。

雨季の後半にはしっかりした1本に間引いていきます。

ここ数年、ポットで作ったり、いろんな時期に蒔いたりして検証しましたが、
母島では2月~5月蒔きの直播きが一番僕には合っているようです☆

■先日の小笠原アースデイのお弁当にもローゼルの塩漬けが使われていました♪
妻が塩漬けにして保存してくれていたやつです。

梅干しみたいに酸っぱくて、美味しくて、
紅くて綺麗☆
どうもありがとう♪


今年もインディアンウォーク(裸足で静かに歩くこと)で乳房山を登りました♪


裸足は大地の湿気や葉っぱや土の状態など、
靴を履いては伝わらない素敵な感覚を沢山教えてくれました♪

NPO法人小笠原ネイティヴエコロジーライフ(通称・ワンライフ)のブログもぜひどうぞ!


■畑では様々な場面に春を感じさせてくれます。

コリアンダー(パクチー)が可憐な花を咲かせていたり。


ゴボウも根っこからは想像もつかない美しい花を咲かせてます♪


先日、父島の友人の農家の所に遊びに行きました。

小さな子供も交えて、小川を挟んでの平和な時間♪

子供たちも畑の周りで、ワイワイと遊びます。

なんて気持ちがいいのだろう♡

ストイックに父島の畑で頑張る友人のO家族とSちゃん、森本智道農園の皆さん。
いつもいつも訪れるたびに刺激を頂きます。

今年は沖縄に行ったせいもあるのか、
少しいつもと違うやる気がでてきています。
自分でもどうなるか分からないので、
謎ですが(笑)、
とても自分自身が健やかと思えるので、
このまま進んでいこうと思います♪

今年のテーマは「一生懸命」と「謙虚」。
そしてリスペクト!!


■ところで我が家の次女さん。

最近、毎日のように練習して楽しんでいるブレーブボード。
超ハマっています♪
スケボーと違い、2輪で捻りを入れて進むやつです。

本人はとても楽しいらしく、
色んな場所で練習したがっています。
どんどん上手くなって楽しいみたいです♪

子供が成長し、
伸びていく様はほんとすごくて、
見ていて感動を覚えるし、嬉しいです☆

そして、
我が家では基本的にブレボの道路や歩道での使用を禁止しています。

他の家のルールは分かりませんが、
他の子供はいっぱい島の一般道をブレボで走っています。

でも、危ないと思った時は相手の家のルールも無視して叱ります。
先日は入港日の車が多い中、
低学年の子が道路の真ん中を進んでいたので叱りました。

轢かれてからでは、遅いからです。

みんな本当に気を付けてね。
車は簡単に人を殺してしまう代物なのだから。

母島はみんな運転がゆっくりだし、
集落は気を付けて運転してくれているけど、
中には観光の人やそうでない人もいないわけではないので、
痛ましい事故が絶対に起きては欲しくないです。

父島でも清瀬なのでとても危険だという話も聞きました。
事故があってからでは遅いので、
ぜひみんなで子供のいのちの安全を考え、
モラルのある共通認識を築けれればなぁと思う今日この頃です☆












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硫黄島訪島記⑧ ~硫黄島訪島事業について

2017年04月20日 | 硫黄島
■去年初めて訪れた激戦の地、硫黄島。
あまりにも美しく、
あまりに悲しい戦争の爪痕を残す島。

このブログ内でも去年から何度も記事を書かせてもらいました。
今年は長女が中学2年生となり、
学校の授業として硫黄島を訪れる予定です。

しかし今年の小笠原は近年稀にみる渇水で、
硫黄島も例外でなく、滞在の職員を減らしているとか。
このまま行くと上陸の心配、開催時期の変更が検討されているでしょう。

この機会に硫黄島訪島事業について振り返りたいと思います。
まだまだ書ききれないことが沢山あります(笑)!


■この訪島事業の歴史は遡ると平成6年に始まりました。
それまで、硫黄島旧島民の心情に報いる措置として、
年2回(春・秋彼岸)、航空機を利用した日帰りによる墓参を実施していたそうです。

ですが、限られた時間の中で島内を巡るため、
出身集落への里帰りや、
当時、軍族として残され亡くなった島民の所属部隊への墓参もままならない中で、
慌しく故郷の島を後にせざるを得ない状況となっていたとのこと。

そこで、
ゆとりある墓参や里帰りを熱望する旧島民の心情を察し、
おがら丸による硫黄島訪島事業を、開始したそうです。

平成6年~8年までの3回は東京都が実施、
それからは小笠原村が毎年実施してくれています。

訪島にあたっては、
硫黄島旧島民の他にも戦没者遺族、
小笠原村立中学校生徒及び、
一般村民も参加し、
慰霊墓参と共に村内の一島である硫黄島の現状をつぶさに視察する機会となっています。

小笠原村役場の硫黄島のページより

僕もこの事業のお蔭で念願の硫黄島に行けました。
戦後70年を迎える今もなお、
このような戦争の爪痕を色濃く残す硫黄島に上陸して学べたことは本当に大きかったです。
貴重な機会をどうもありがとうございました!


■訪島事業で硫黄島に泊まるのは硫黄島旧島民、戦没者遺族、中学生のみなので、
一般参加だった私たちは日中の活動後はおが丸に戻ります。

そこでスライドショ-があり、硫黄島訪島事業の歴史について学ばせてもらいました。

都実施 1994   2/12天皇皇后両陛下行幸啓 小笠原諸島強制疎開から50年
都実施 1995   8/15平和都市宣言
都実施 1996   6/21行幸啓記念碑除幕式
第1回 1997 6月 上陸できず
第2回 1998 6月 小笠原諸島返還30周年
第3回 1999 6月
第4回 2000 6月 2日目は上陸できず
第5回 2001 6月
第6回 2002 6月 6/21平和祈念館開所式
第7回 2003 6月 1日目上陸できず
第8回 2004 9月 台風の影響で9月に実施 2日目午前中で引き返す
第9回 2005 6月 6/19小泉総理大臣が硫黄島訪島
第10回 2006 6月
第11回 2007 6月
第12回 2008 6月 小笠原諸島返還40周年
第13回 2009 6月
第14回 2010 6月 12/14管総理大臣訪島
第15回 2011 9月 東日本大震災・水不足で洋上慰霊祭のみ、6/29世界遺産登録
第16回 2012 6月
第17回 2013 6月 4/14安倍総理大臣訪島 小笠原諸島返還45周年
第18回 2014 6月
第19回 2015 6月
※参加者は年によって80名~190名と幅あり



■僕が参加した2016年の訪島事業の工程を順を追って記したいと思います。
○出発

まずは母島からの参加の場合は入港日朝にははじま丸が臨時便を出してくれ、
参加者は父島に渡ります。
いってきま~す!

そして、おが丸の入港を終えて、夜に硫黄島に向けておがさわら丸に乗船します。


夜に船が出ること自体珍しいので、
とても新鮮な光景でした。


私たち母島参加者は同じ班に割り当てられ、特2等船室で過ごします。
廊下では、この旅を有意義なものにしようと、
いたるところで語り合う人たちがいました。



○到着 硫黄島1日目
夜が明けて、朝を迎えるともう280km南下し、硫黄島に着いていました。

息をのむほど、美しい朝焼けでした。

簡単なレクレーションを終え、
通船の順番待ちをします。

これが結構時間がかかります。

硫黄島は現在も隆起が激しく、なかなか桟橋が作れないらしく、
小さな船で何度も往復して150名以上を硫黄島に運んでくれます。

悪天候の年はこの通船が難しくなり、上陸を断念したり、予定を切り上げる場合があるようです。

上陸した釜岩からはおがさわら丸と硫黄島の象徴でもあるすり鉢山が見えます。


上陸後は海上自衛隊のバスでまずは硫黄島旧島民平和記念墓地公園へ向かいます。
戦没者慰霊祭に参加するためです。

その後は平和記念館に移動し昼休憩です。


おが丸のレストランが作ってくれた美味しいお弁当を頂きました♪



硫黄島は日中はとても暑いのでテントの下で海風に当たっているととても気持ちがイイです☆

昼食をおえたら、今度は島内視察に向かいます。
塹壕や砲台などの戦跡、慰霊碑などを周るのです。

移動はすべてバスです。
ギンネムとシマグワばかりが生い茂る乾いた硫黄島のダートを冷房を利かせて走ります。
(※ちなみにうちの班のバスの冷房は故障していて、冷房嫌いの僕にはラッキーでした♡)

運転と案内は海上自衛隊の隊員さんです。
沢山の色んな話を聞かせて頂きました。

強制疎開から50年の節目を迎えた1994年。
天皇皇后両陛下が硫黄島に来た時のこと。
それまで駐屯していた自衛隊員の周りで起きていた沢山の心霊現象が、
天皇陛下の行幸啓によって、一気に落ち着いたと言っていました。

戦争当時、天皇陛下は兵隊たちにとって絶対的な存在でした(諸説ありますが...)。
代が変わってもその陛下が硫黄島で祈りを捧げる。
これほど祖国を想って散って逝った兵士たちにとってどんなに慰めになったことでしょう。

未だに1万の骨が眠る硫黄島。
私たちはそんなところを体感させてもらう貴重な機会を頂いたのです。


島内のいたるところにある慰霊碑や壕に、
水やお米を供えて、祈りを捧げます。

硫黄島の兵隊は飢えと乾きで苦しんで死んでいったといいます。
私たちができる、せめてものの供養です。


年によって気候は色々ですが、僕が行った時の硫黄島は
程よく暑くて、青い空がどこまでも綺麗でした。
バスから降りて、色んなところを歩くのですが、
戦争がなければどんなに楽園だったのだろうと、何度も思わざるを得ませんでした。


アメリカの占領後、大きな岩に描かれた壁画。
「あいつは英雄じゃない」と仲間が撃ったといわれる銃痕がありました。


米軍が初上陸してきた南海岸(二ッ根浜)。
70年前、約3kmに及ぶこの黒い砂浜から洋上を戦艦で埋め尽くした米軍が一斉に上陸してきたのです。


1日目の巡視を終えて、一般参加の私たちは再度おがさわら丸に戻ります。
そこで一斉に夕食を頂きました。
日中の重すぎる戦争の爪痕を見て周り、疲れていたのでより美味しく頂けました♪


硫黄島の船上から月を眺めます。
きっと戦争中も同じ月を見ていたのでしょう。


○硫黄島2日目

2日目もいい天気に恵まれ、
通船で硫黄島に再上陸。
米軍にパイプ山と呼ばれたすり鉢山が相変わらず美しく見えます。


2日目は1日目に周りきれなかった戦跡と
自衛隊の基地などを視察しました。


人が沢山乗っても平気な頑丈な飛行機の残骸。

戦跡に関しては過去にブログにまとめていますので、
そちらをご覧ください。
戦跡パートⅠ
戦跡パートⅡ

昨日はすり鉢山の上から見下ろした米軍上陸の海岸。

その地に自分が立っている。
目の前にはすり鉢山。

映画でしか見たことはありませんが、
ここから沖を見ていた日本兵の気持ちを考えると、
胸が張り裂けるおもいでした。
二度と戦争なんてするもんじゃない。
そう、強く思いました。

昼過ぎには自衛隊の基地で昼食を取り、
売店などでお土産を買い、
その他色々周って
船に戻りました。

そしてその後、おがさわら丸で硫黄島を一周し、
洋上献花を行いました。

慰霊祭をはじめ、この時の献花もそうですが、
こんなに厳かな気持ちになるのは本当に貴重なことでした。

過去の記事にも書きましたが、
最後のおがさわら丸の長い汽笛。
その時の感情は言葉で言い表せないほど、
静粛な気持ちと辛い気持ちが入り混じり、
そして、力強くこれからの未来をつくろうといういう思いで溢れました。

もし小笠原に住んでいるなら、
誰もが応募する権利があります。
もし行ける機会があるなら、
ぜひ自分の足で歩き、
自分の目で硫黄島を見て、感じてほしいです。

言葉や写真ではまったくもって伝えきれないほど、
大事な経験になると思います。

最後に硫黄島訪島事業の実施にあたって、
小笠原村の職員の皆さん、
おがさわら丸のスタッフの皆さん、
通船を安全に行ってくれた小笠原建設の皆さん、
そして、海上自衛隊及び鹿島建設さんに沢山の支援と協力を頂きました。

本当にありがとうございました。

最後に、次回、
硫黄島の美しい写真を載せてこの長かったシリーズが完結します(笑)。
長々とお付き合い頂き、ありがとうございました!
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春の種まき

2017年04月12日 | 母島 農 日記
■出逢いと別れの島の春。
そして、そんな季節は種まきにも追われています。

この小さないのちを見つめながら、
いつも、この小ささからは
信じられないほど大きな双葉を出す不思議さに
魅せられます♪

そして、
こんな小さな種ひとつですら、
人間は作ることができない。
なんて自然は偉大なんだろうと思います。

これは「宮古島の黒あずき」。

去年、ネズミに全滅させられてしまい、種が取れなかったので、
父島の友人に分けてもらったのと、2年前自家採種した種を合わせて蒔きました☆


これは「三尺ささげ」です。
長い鞘の豆で、夏に作れるいんげん系ではとても重宝します♪


こちらは黒大豆。
「丹波大粒黒大豆」という品種です。
これの枝豆がまた美味しいのです☆


こちらは「ふくゆたか大豆」。
枝豆が大好きな家族がいるので、なかなか完熟豆が採れないのが悩ましい(笑)。


四角豆です。
その名の通り、豆も少し四角の形をしています♪


あとは毎年懲りずに挑戦する陸稲です。
今年は干ばつなので、まともな梅雨が来ないと植えるときに正直厳しいのですが、
無事の天候を祈りつつ作付けしなければ今季のチャンスを失うので、
それらを見越して蒔いていきます。


■じつは種の存在というのはとても大切なものなのです。

インドの環境活動家ヴァンダナ・シヴァさんが分かりやすく訴えてくれていました。

経済優先の大量消費のグローバル社会から、
一人ひとりが抜け出し、大地とつながろうと言っています。
そのために、
企業に独占されようとしている種を守って行こうと訴えています。

よかったらこちらのリンクをお読みください。

「グローバリズムや工業的農業は、たねをお金儲けの道具のように扱っている。
たねを、企業による独占や支配から守らねばなりません」と訴えています。

私たちが口にするほとんどの食べ物は、
もとを辿れば1粒の「たね」から生まれたもの。

ところがいま、世界で売買されている種子のうちのなんと75%が、
5つの多国籍企業に所有されていることをご存知ですか?
それらの企業は、遺伝子組換え技術と特許を利用して種子を私有化しつつあるという見方さえあります。
いま、見えないところで「たね」に何が起きているのか――



この観点から自分ではできる限り自家採種を行い、
母島の種づくりを頑張っています。

そして種が続いていると、
なんだか安心感が芽生えてきます。
持続可能ってこういうことなんだなって、
ちょっと感じたりしてます☆


■自然に負荷をかけることなく、ありのままに過ごす野生動物。

船の上からザトウクジラやカツオドリを眺めながら、
人間の存在の不思議さをおもいます。

過去に行くもの文明を自分たちの暮らし方で滅ぼして来たニンゲンたち。

戦争や核の存在。
森林破壊や化石燃料、資源の浪費。
どこまで自分たちの世界を汚染したら、
人は気付いてシフトできるのだろう。

それこそ「風の谷のナウシカ」の腐海のような世界にならないと、
人は変わっていけないのでしょうか?

そんなことを思う春でした☆

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島のお別れと出逢いの春

2017年04月10日 | 母島 日常 日記
■夏野菜の作付けに追われるこの記事は島の出逢いとお別れの季節です。
毎年、気持ちが落ち着きません。

4月も10日を過ぎて、ようやくちょっと落ち着きました♪
3月のお別れを振り返ろうと思います。

3月は卒業して内地に旅立つ島の子供たち、
赴任していた学校の先生や家族が島を離れる季節です。

連日のように送別会が島の各所で繰り広げられ、
中の良い者同士が離れる友人と最後の島の時間を過ごします。

港では盛大なお見送りが行われます。
付き合いの深かった人などは涙なしではいられないほどです。


港にはこんなに人がいたのかと思うほど、
見送りの人で溢れます。

胴上げされる人もいたりします(笑)。

僕にとっては次女も長女も担任を務めてくれた方とのお別れ、
一緒にバンドで音を出した仲間との別れ、
震災で6年前に福島から避難してきた家族との別れ、
長女の同級生のお別れなど、
今年は特に関わりの深い人が多く島を離れるので、
猛烈に寂しかったです。

でも、みんな今頃新天地で新しい生活をはじめ、
きっと元気に過ごしているんだろうなと思うと、
なんだかほかほかとしてきます♪


目一杯のお別れの挨拶を済ますと、出港です。

お別れの時に渡される沢山の花で飾られた首飾り「レイ」。
船が離れるときに海に投げて、
それが島にたどり着けば、
その人はまた島に帰ってこれると言われています。


今回は島の漁師さんが見送り船を出してくれたので、
乗せてもらい、子供達と一緒に沖まで見送りしました。


この日は少し海況が悪かったのですが、
みんなできる限りの声で
「ありがとう!!」「いってらっしゃ~い!」「元気でね~!!」
と叫びます。

卒業生が作成した旗をなびかせながら、見送りました。

見送り船がはは丸と並走し、最後に減速した瞬間、
はは丸が長い大きな汽笛を鳴らしてくれました。

なんて粋なことを!!
お蔭でずっと耐えていた涙が溢れてしまいました。


いつもこの時期は仲の良かった大切な友人も離れる場合が多いので、
15年住んでいても、この時期は慣れません。
毎回寂しい気持ちになります。

でもこうして4月を迎え、
新しい人たちが島にやってくると、
寂しい気持ちは少しずつ薄らいできて、
新しい気持ちで過ごすことができます。

狭い社会で、公務員も家族もどの職種も近い小笠原。
それだけの人と人との繋がりがあるのが、なんだか好きです。

最後に島の知人が作成した素敵な動画をどうぞ。

「Natsuki Yamazaki」彼は母島を中心にナイスなセンスで素敵な映像や写真を撮っている若者です。
ブログに貼るにあたっては、本人の許可を得ています☆

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母島 春の芽吹きと季節

2017年04月04日 | 母島 農 日記
■4月を迎え、島では島を離れる人とのお別れと出逢いの季節となり、
気持ちも動きも慌ただしい時期です。

3月には卒業式があり、今年は母島のたった一人の中学3年生、4人の小学生が卒業を迎えました。

そんな中、畑では夏野菜の作付けで大忙し。
2月に沖縄に行ってしまったので、
そのツケを取り戻すのに必死です(笑)。

そんな中、ローゼルが芽を出してくれました。

いつもいつもこの小さな種から大きな双葉が生まれてくるのが、
不思議でなりません。

春は畑に限らず、
様々な事象で新緑や芽吹きを感じる季節。
やっぱりはじまりの生き生きとした躍動感を感じる季節です♪


自家採種をしていて、今年は豊富に種があるので、
一か所に3~8粒蒔きます。
そのうちの元気な1本を生かします。

毎年気象条件が違うので、
難しいのですが、何より種を絶やすわけにはいきません。

一度にいろんな方法で蒔いて、
どれかが残ればいいという戦法を取っています。


島らっきょは今年は不作!
残念ですが、出荷は厳しそうです。


■2月上旬に植えたジャガイモも元気です。

今年は異常な干ばつに見舞われているためか、
乾燥地帯が原産のジャガイモとトマトはとても調子がイイです(笑)。


うちの子ヤギさんもジャガイモの横でせっせとお花を集めております♪

この子ヤギの衣装、
小1の次女が去年の秋の学芸会で演じた子ヤギの衣装です♡

大のお気に入り(*^_^*)

こんな格好で畑でお花を摘んでいます。


小さな手に、
可愛いちいさなお花。

この小さな手に無限の広がりを感じます。

畑が大好きな彼女は畑でいつも創作しています。
膨大な時間でも足りないほど、
子供の想像力は果てしないです。

大人になって、
頭が固くなると、
何もないとすぐに退屈してしまいます。

こんなとき、
子供の柔軟さにいつも刺激を頂きます♪

やっぱり、こどもはすごい。
大人の忘れてしまった大事な部分をいっぱい持っている気がします。



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コビレゴンドウクジラ(2013年座礁)の掘り起し大作戦!!

2017年03月25日 | 小笠原 野生動物
■2017年3月23日、母島の集落全域で多くの方が
「なんか、くさやを焼いてるにおいがするな~」と思ったはずです☆
しかし、その匂いの発信源は脇浜に眠っていた、ある生き物だったのです!!

4年前に埋めたコビレゴンドウクジラ!!

そう、2013年4月27日に母島の南京浜でコビレゴンドウが座礁(ストランディング)しました。
その時のブログの記事にも書いています。
骨格標本にするために脇浜に埋めたあのコビレゴンドウをついに掘り起こす日がやってきたのです☆

この一つ下までの写真は2013年の時のものです。

埋めるのに日が暮れるまでかかりました。

去年、確認した時はまだまだ腐敗途中で、断念したとのこと…
今回はどうなるか掘ってみないと分かりません。

今回は前回の教訓も生かし、
重機を投入しての作業となりました。

これがすごい助かりました!
重機ってやっぱりすごい!!


OWA(小笠原ホエールウォッチング協会)母島支部の母島観光協会、クラブノアのスタッフの他、
声掛けで集まった島の有志による掘り起しが始まりました!!


■掘ること1時間、
ちらちら隠れていたブルーシートが全貌を表し、
ついに全体像が見えてきました。
※ブルーシートでくるんだのは、骨格標本として回収するために小さな骨などを紛失しないようにするためです。

おそるおそるめくってみると…

…とここまでさらっと来ていますが、
この段階でかなり香ばしい状況になっていました(笑)。

でも、腐敗したウジ虫がわくような悪臭ではなく、
ほんのりくさやに似た、匂いでした。

やはり4年も経過すると、色々ある意味、熟成して、
発酵してきているのだと思います。

※写真提供 小西さん
僕も妻もちょうど風邪をひいていて鼻が詰まっていたので、
「大好きなくさやみたいだね♪」と言って臭いは気になりませんでした(笑)。

わずかに黒い皮膚が残っている部分もありましたし、
尾びれ付近は立派な筋肉の筋が残っていました。

それ以外はほとんどが肉が溶けてドロドロ状態(笑)。
写真ではミイラっぽく見えますが、
実際はウエットで生々しいです(#^.^#)

頭骨付近の骨は少し骨自体が腐敗して崩れており、
当初は骨格標本は厳しいかもという空気が流れていました。
しかし…


■父島の研究者、
内地の専門家に写真を送り、
電話で話しながら進めていきます。

しかし、僕らと同じくボランティアで参加しているHさんが、
目をキラキラさせて、
「ほら~これが肩甲骨♡きゃあ~背骨~♡♡」

と形が完全に残っている骨を見つけては盛り上がり(笑)、
見事、午後からすべての骨を洗浄し、
骨格標本として収集する方針に決まりました!!


写真の右側に見えるのが頭骨の下あごの部分になります。


本来は潜ってイカなどを採取する種類の歯鯨の仲間です。
立派な顎を持っています。

骨格を見てみると、
なるほどやはり魚類とは全然違います。

内臓と呼吸器系を包む立派なあばら骨の部分。

そして5本指の骨がある胸びれ部分。
この指の骨が歯の次に細かくて探し出すのに苦労しました。

腐った肉の中に潜む数々の骨に触れながら、
海から陸に進化した哺乳類が再び海に戻る、遠い時間の流れとドラマを思い描きます。
きっと考古学ってこういう気持ちになるものなのかなと思い、
少し面白さに気付くことができました♪


■せっかくの機会なので、普段なかなかお目にかかれないコビレゴンドウについて調べてみました。

ゴンドウクジラ属はイルカとして扱われる種が多く属するマイルカ科に分類されるそうですが、
形態的に口がバンドウイルカみたいにあまり長く突出していないので、
イルカとしては扱われず、
クジラとして扱われることが多い様です。
ゴンドウイルカと呼ばれることもあるそうです☆

※ちなみに「イルカ」とは4m以下の小型のハクジラの総称です。

漢字で書くと「巨頭鯨・五島鯨」と書くらしく、
和名の由来「ゴンドウ」は五島が変化したものではないかとのことです。
「ゴンドウ」=「巨頭」という頭の大きいクジラの意味もあるそうです。

コビレゴンドウは英名で「 Short-finned Pilot Whale」と呼ばれています。
直訳するとヒレの短い水先案内人。
う~んロマンチックですね♡

水族館で飼育されることもあるみたいですが、
比較的外洋性で野生の生態は分からないことが多い印象があります。

小笠原の海域では外洋に行けば比較的見かける種類のようです。
普段よく見るハシナガイルカやザトウクジラと違って、
外洋に多い個体だから普通に暮らしている私達には中々お目にかかれれないのですね。
(沖で見ても分からない可能性も多々あります☆)

今回の個体は体長約3.5mと小柄なので、若い個体だと推定できます(大人は雄で約5.5m)。
2000m以上も潜る事がわかっているマッコウクジラに比べると、
どれぐらい潜れるものなのでしょうか?
コビゴンの謎は深まるばかりです☆

Youtubeにはコビレゴンドウの群れが悠々と泳ぐ動画がアップされていました。

なかなか力強い太い筋肉を感じさせる美しいフォルムをしていますね♪

■そうこうしているうちに作業を進めていきます☆

ということで午後からは骨を大きく部分に分けながらネットに入れ、
海で洗浄するという作業に入りました。


※写真提供 小西さん
最初はまだ赤い血も残る腐った肉を海で洗ったら、
サメたちが集まって大変なことになるかもと思いましたが、
脇浜のネムリブカ達、とっとといなくなりました(笑)。
新鮮な死肉を好むのですね☆


※写真提供 小西さん
何度も何度も海と陸を往復します。


海の洗浄で腐った肉が落ちて、
立派なあばら骨が見えてきました。


■今回の掘り出し作業で一番気になった骨が幾つかあります。
まずはこの骨です。

この地味な形の骨は、退化した骨盤と後肢の骨格です。
海から陸に上がった哺乳類が、再び海に戻り、骨盤と後肢の骨格は著しく縮小しました。
今は皮膚の中に埋もれたまま肢として役に立つことはないその骨を、この手で確認することがでいました。
腐った肉の塊の中からクラブノアのスタッフの方が見つけてくれ、歓声が上がりました!!

あと僕がひそかに気になっているのが顎の下にある骨です。

このブーメランみたいな骨。
まだまだ勉強不足でこれが何を意味するか分かりませんが、
今回発掘にあたって調べて特に気になった部位でした。

そして極めつけはやはり大きな頭骨です。

この写真は裏返して、下から見ている向きになります。

上から見ると、

鼻の孔のような穴が口の先の方からこ頭の上の噴気孔(呼吸孔、鼻孔)に伸びています。
そしてメロンと言われる、歯鯨に特徴的な頭にある大きく膨らんだ油が詰まっている部分が平らに凹んでいます。
ここの器官を使って、超音波(エコロケーション)で地形を感じたり、仲間と会話したりしていると言われています。


あとこれは耳骨でしょうか?

イルカの耳骨はその形から「布袋石」と呼ばれ、古くから珍重されてきました。
これもそれによく似ている気がします。


あとは5本だけ回収できた歯です。

4年前、ストランディングしている時から歯はかなり抜けていて、
少なかったので、5本だけでも見つかって良かったです♪

最後にまだ腐りきっていいない肉の部分と皮の部分に細かな骨が残っている可能性も否定できないし、
今回完全に洗えたわけではないので、
ネットに小分けしたまま、また砂の中でしばらく待つことになりました。


■掘り始めてから、埋め戻すまでになんと6時間!!
臭いは凄まじかったですが(笑)、
今回は人は生まれつき、どの分野にも向き不向きというのがあるのだなぁということがわかりました♪
(植物好き、動物好き、鯨類好き、骨好き、探索好きなどなど)
鯨類好きの僕はとても楽しかったです!
そして、妻は僕より楽しそうでした(笑)!!

お蔭様で、こうして
本当に貴重な体験をすることができました♪

普段なかなか島でも見ることのできない、
コビレゴンドウという小さなハクジラに興味を持つことができました!

どうもありがとうございました☆

次掘り出すときには、かなり楽になっているハズです(*^_^*)

みなさん本当にお疲れ様でした!!

おまけにYoutubeにあった大量の群れのコビレゴンドウ(ヒレナガゴンドウではないと思います)と泳ぐ動画です☆

いつか沖で逢えるといいな~


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じゃがいもの植え付け

2017年03月18日 | 母島 農 日記
■もう2月の沖縄に行く前の話ですが、
ジャガイモを植えました♪

母島では植え付け時期が12月~2月で、
今年は水不足で悩ましいほど雨が降らないので、
ジャガイモやトマトにとっては逆に好都合です☆


今年も次女がお手伝いをしてくれました♪


種イモを切ったら、切り口に灰をつけていきます。
職人肌の次女さん。
とにかくよく働きます(笑)。
一人でやるより、格段に速く、楽しくなります♡


種イモを切ったら、約30センチ間隔で植えていきます。


イモ目線でいくとこんな感じです♪


そのあとは鍬を使って、土をかけていきます。
その手際の良さと言ったら(笑)!!
さすが、毎年やっているだけあって、言わなくても覚えています♪

作業を終えて、
体格には不釣り合いな三輪車(笑)で圃場を後にする姿を見ると、

なんだか随分とたくましくなったように見えます。


■今季、大豊作のマイクロトマト。

内地で流行ってるって噂です。


原種寄りでとても強くて、
味も濃くて家族に人気だけど、とにかく細かくて収穫に手間がかかる…
でもちっちゃくて、可愛いやつなんです♡


■そして次女には最近のブランコの楽しい乗り方を教わりました。

僕にはできませんでした(笑)♡
うーむ、あっぱれ!!
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やんばるの自然~ヤンバルクイナという存在(沖縄本島滞在記④)

2017年03月10日 | 旅行記
■自分が忘れないうちに(笑)、再び2月の沖縄のお話です。
馬と米軍基地に続いて、今回学びたいテーマその4は「やんばるの自然とそれに関わる人々」です。

沖縄本島の北部は別名「やんばる」と呼ばれています。
それは森林が多く残っており「山原」と書いてやんばると読むそうです。

100万人を超える人口の水道水をこのやんばるの豊かな水が支えており「水甌(みずがめ)」と言われています。

その豊かな自然の中にそこにしか住んでいない貴重な鳥が生き残っていました。
ヤンバルクイナです。

1981年に新種として報告されました。

翼は退化しており、
高く飛翔することはできません。(1m位は飛べるそうです)
日本で唯一飛べない鳥なのです☆

食べ物はミミズやカタツムリ、
木の実や種も食べるそうです。

とても警戒心が強く、
滅多に人前に現れないそうです。

主に日中に活動し、
夜は高い樹上で休んでいます(枝から枝に飛び乗って高くに上がるみたいです)。
走るとかなり早いです!

キョキョキョキョキョというとても特徴のある大きな声で鳴きます。
これは一度聴いたら忘れません☆


母島でも見られるバンの仲間なので、確かによく似ています。

やんばるには「ヤンバルクイナふれあい公園」というのがあり、
きょんちゃんという珍しく人前でも堂々と行動できる個体が生態展示されていて、
色んな事が学べます☆


■ヤンバルクイナは今から10数年前、絶滅に瀕していました。
外敵は元々ハブとカラスなどだった様ですが、
人が持ち込んだマングースとネコが深刻なダメージを与えてしまったそうです。

一時は500羽以下にまで減ってしまったヤンバルクイナも、
環境省をはじめ、地元の人々の活動のおかげで1300羽程度にまで回復してきたそうです。

今回は僕が小笠原でノネコから貴重な鳥を守る仕事をしているので、
ヤンバルクイナの保護に関わる関係者の皆さんを訪ね歩かせて頂きました。
そして、マングースの対策をしている現場を見させてもらいました。

色んな施設や活動、動物病院などを見学させてもらい、
とても充実した学びとなりました。
やっぱり現場で動いてきている人たちは本当に素晴らしいです!

戦前の1910年にネズミ・ハブ対策としてインドから21匹が沖縄に導入されたマングース。

ハブは実験でハブに噛まれても死なずに退治したので、
さとうきびをかじるネズミと、
猛毒のハブに悩まされていた為、導入したのですが、
予想に反して、肝心のハブはあまり食べず、
ニワトリやアヒル、野鳥などを襲いながら次第に数を増やしていったそうです。

そして、ついに沖縄にしかいない貴重なヤンバルクイナが生息するやんばるにまで範囲を広げたそうです。


生きているマングースはとてもすばしっこく、
とても愛らしい存在でした。

■大宜味村と東村にはやんばるの南の縁にマングース侵入防止柵が設置されていました。

ところどころ、跡切れ目はありますが、効果はあるようです。

ヤンバルクイナの絶滅の危機に人がものすごい活動を展開し、
どうにかやんばる地域のマングースは低密度化に成功したそうです。
ノネコの捕獲も進め、
今ではヤンバルクイナは推定1000羽を超えるまでに回復したそうです。

しかし、沖縄ではGWなどにやんばるにネコやイヌなどペットを捨てに来る人が
今でも後を絶たず、困っているそうです。
生き物は最後まで人が責任を持って飼わねばなりません。

去年からニュースになっている野犬の問題もあり、
事態は深刻でした。

小笠原はそういう意味では捨て猫はゼロになり、
飼い猫はほとんどが登録されているので、
ネコ対策ではとても進んでいると沖縄の関係者の方に言われました。

小笠原でのネコ対策のページ(捕獲したノネコの譲渡、飼い主を探しています!)

小笠原のネコも沖縄のマングースも悪いのは生き物ではなく、それを自分勝手に入れた人間です。
人間の不始末のせいで、絶滅する生き物がいるということを知るのはとても大切だと思います。
そしてそれに対して何ができるかを考え、動くこと。

希少なヤンバルクイナやケナガネズミを補食してしまい、
本来の意図していた働きはあまり望めないことが分かり、
今度は駆除される身になったマングース…
小笠原のノネコ対策と同じで、
マングースは何も悪くありません。
いつも悪いのは人間です。

手前勝手な倫理観で態度を変える私たち人間達。
対策をしている方も
「子供に説明するときにとても困っている」と言っていました。

僕が学校で授業するときにいつも話すことですが、
「今していることが正解かどうかは分からない。
でも今対策をしなければ地球上から滅んでしまう命は確実に存在する。
悩みながら実践しているということ。
大人達が言うことを鵜呑みにしないで、
自分たちでも考え行動していって欲しい」
と話していると伝えました。

本当に貴重な時間を割いて、
多くの人が関わる現場を見させて頂きました。
ありがとうございました!


■他にはヤンバルクイナは交通事故「ロードキル」で死亡するケースが続いており、
様々な対策を進めていました。


道路下にバイパスを作り、
ヤンバルクイナが道路を横切らず下を通れるように工夫したりしています。


道路に飛び出さないように、フェンスを張ってある個所がありました。
道路には出にくく、
山側には入れるように穴を開ける工夫がしてありました!

他にはL字側溝に雛が落ちて、出れなくならないように、
片側がスロープになっている側溝も設置されていました。

多くの方の努力が様々な野生動物の命をも守っているのだなとひしひしと感じました。

沢山の案内をしてくれたTさん、N先生、Nさん本当にありがとうございました!


美しい東村の日差しです♪


■僕が生まれたのもヤンバルクイナが発見された1981年。
「宮城」の名字のルーツも沖縄のやんばる。
これは何かの縁があるといっても過言ではないでしょう(笑)♪

東村には美しいマングローブの森が残っていました。


朝早くに向かっては小さなシオマネキが集まるこの美しい景色に見とれていました♪

沖縄は

ツバメもいたし、


カンムリワシなど、


猛禽類の宝庫でした♡



そして、こんな可愛いイモリもいたり、


2mを超えるハブの死体をカラスが食べていたりしていました。

僕は蛇を含む爬虫類が大好きです♪

沖縄本島にはやんばるを除くとほとんど山林が残っていません。
そういう意味でやんばるは
野生の生き物の貴重な聖域でした☆

これは歴史の皮肉ですが、
小笠原も米軍統治時代がなくて、
戦後の高度経済成長の時代にもずっと日本人が住んでいたら、
今のような自然は残っていなかったかもしれません。

そう思うと、人という存在が自然界に与えるの影響の大きさを感じさせられました。
しかし、人は自然がなければ生きていけません。

もっともっと、残された自然を大切にして、
謙虚に生きていかなければいけないなと感じるきっかけになりました。

どうもありがとうございました☆




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島に帰って来た感触♡

2017年03月01日 | 母島 農 日記
■夢のような沖縄の2週間から無事に母島に帰ってきました!!
島に帰ってきてみんなに言われることは、
「お帰り~!大きくなったね~w」

そう!
安くて美味しい沖縄&内地でとっても増量してしまいました(笑)!
一応もう2㎏は落ちましたが、
育った体重をなんとか減らさないと(笑)!!

何はともあれ、
無事、久々に家族のみんなに再会できてとっても嬉しいです。
留守中は子供たちも随分と家事を頑張ってくれていたようです♪
奥さんも大人一人で目一杯自分のペースで楽しみつつ、
それなりに大変だったはずっ(笑)!?


大好きな母島のこの青空を見ていると、
ああ帰ってきたなぁとしみじみ感じる事が出来ます。

やっぱときどきのアウェイは大事だけど、
ホームは最高です♪


子供たちと脇浜で過ごしたり、

綺麗な夕陽を見たり、
たまらなく愛おしい母島の日常が有難いです♡


■15年以上前、内地に住んでいた頃は夕陽を見る習慣自体がありませんでした。


島に住んでみて、
こうして当たり前に毎日違う夕陽を見れるのはとても嬉しいひと時です。

内地で電車に揺られているときも、
こうして当たり前に太陽が沈んでいく…
島に来てみて、そのことが分かったのがなんだかとても嬉しい気がしました。



■母島に帰ってみると、島はすっかり春の気配でした☆


出かける前はちょい咲きだったカンヒザクラは満開に♪


じゃがいもの作付けリミットを知らせる菜の花も満開です。


島の菜の花は西洋カラシナです。
昔はこの種から洋からしを練り、島寿司に使っていたそうです。


■2週間留守にしていた畑も帰って来てみて無事だとやっぱり嬉しいものです♪
留守中に家畜の世話をしてくれた友人に感謝です☆

今年は遅れに遅れたジャガイモの作付け。

ようやく芽が出てきました☆

水不足で報道されるほど今年の小笠原は雨量が足りません。(秋以降、例年の半分以下なのです!)
お蔭で冷乾燥地帯の原産であるトマトがとっても好調です♪


こちらはミニトマト。
今年は「甘っこ」を作っています。

無農薬、無化学肥料、無ホルモン剤栽培です。
自然農で作ると皮がしっかりしていて、甘味の他に酸味もちゃんとあります☆

そしてこちらがマイクロトマト。

より原種に近いトマトで、ひと粒がとっても小さいです!

収穫も細かくて、えらい手間がかかります!

しかし、旨味は抜群!!
我が家では一番人気です♪


圃場ではえらい繁茂していて、手に負えなくなっています(笑)!
夏も実が採れるといいなぁと密かに企んでいます☆

あとは天王寺カブや


茎ブロッコリーでもあるスティックセニョール。


小松菜なんかも頂いています。


緩やかではありますが、
こうして当たり前に自給ができてきているのが嬉しく、そして有難いです。

少しずつ品種も作物も増えて来ています。

いつか、内地から物資が来なくても、
平和に暮らしていける持続可能な暮らしを夢見て、
沖縄でさらに学んだことを生かして、
楽しく実践していければと思います♪
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沖縄と米軍基地問題(沖縄本島滞在記③)

2017年02月20日 | 戦争と貧困

■今回の沖縄本島に行った目的の一つは米軍基地問題を
この目で見て、聞いて、感じることでした。

今回はメディアでもよく見にする辺野古と高江にフォーカスしました。
自分が住む小笠原も沖縄と同じくアメリカ統治時代がありました。
小笠原は沖縄と違い、徴兵された島民以外は皆内地に強制疎開されているので、
日本人が住んでいない長い期間があり、
文化も伝統もほとんど失ってしまった経緯があります。
今も激戦の地、硫黄島には一般住民は帰れず、
小笠原も沖縄も戦後が終わっていないと言えると思います。

※これは伊江島の山山民具資料館の外にある砲弾です。

■僕自身、沖縄は2000年、2006年と3回目。
2000年の時は僕自身がまだ10代で、新しい世界を見るだけで精一杯でしたが、
2006年は当時2歳半の長女を連れて家族で日本を回っている時でした。
その時は高江のヘリパットの問題は浮上していました。
同様に信州・大鹿村をぶち抜くリニアモーターカーの話も耳にしました(どちらも今は進んでます)。

その時、感じたのはこんなに反対している人がいるのに、
突き進める行政の理不尽さを感じていました。
しかし、今回は同様な気持ちも感じたのですが、
色々な側面から見て、聞いて、感じることが出来ました。

※伊江島の洞(ガマ)から出てきた遺骨。

■まずはじめに辺野古に行きました。
友人も知人も多くの自然を大切にする友人が反対運動に関わっています。

僕自身も基本的にはこれ以上今ある自然を破壊して、
基地を増やすのは反対だと思っていますが、
その土地に住んでいない僕が大きな声で言えないと考えています。

レンタカーでまず辺野古の集落に止めれる場所を探しました。
そこに年輩の方が現れて、声をかけられました。
「なにしにきたんだ?」
と聞かれたので、辺野古のゲート前の現状を見に来たと言ったら、
「あんなところに行くんじゃない!ここら辺じゃ反対している人は3人しかいない。
みんな賛成しているのに、外からきた奴らが反対運動している。とても迷惑だ」
と言っていました。
そこで僕は賛成反対をしに来たのではなく、
現状を見て学ぶために来たと話したら、
「そんならぜひ行ってこい!車も停めて良いぞ!」
と言ってもらえ、色々話を聞かせてくれました。
つまりは今の暮らしは米軍基地があるお陰で生きていけるから辺野古にとって必要ということでした。


■その後、基地ゲート前に行きました。
沢山の車が米軍基地に入り、出て行きます。
そのゲートを過ぎると、辺野古基地拡大のための工事作業入り口になります。

そこには多くのテントが並び、
これまでの経緯や記録、
機動隊や海保との衝突の写真が飾られていました。

その場書を過ぎると多くの人が座り込みをしているゲート前になりました。
その後ろには機動隊の人がずらっと並んでいました。

暴力や過激な方法でなく、
平和な行動として座り込みで反対する人々。
話を聞くと沖縄の人も多くいましたし、
僕が行ったは東京から来ている人達も沢山いました。

噂では反対運動をするとお金がもらえる、
座り込みをしている人は県外の人ばかり、
と聞いていましたが、
現実はそんなお金をもらえるならどこから?と思えるほど、
質素なものでしたし、
県外の人は土日は増えますが、
やはり沖縄の人が多く来ているようでした。

話を聞くと、もう3年も続けているが、
本当に疲れてくるが、政府には頭に来る。
日本の多くの人がこうして自腹を切って現場に来てくれるのはとても嬉しい、
お陰でまだやれる元気をもらえるということでした。

しかし、残念なことに反対運動しに来る人の中には
過激な思考をもつ人が時々来るのも事実で、
ネットで凄い嘘をかかれて、それが報道されて多くの人
が嘘の情報を鵜呑みにしてしまったことがあったそうです。

僕はこうして日当を頂いて、どういう本心かは分かりませんが、
警備や監視、作業にあたる人がいる中、
自分の仕事も休んで、3年も座り込みを続ける人達が心底、凄いと思ったのです。

全身に想いがつまったAKOちゃんがぜひ!
というので座り込みの前でマイクで発言することに。
僕は賛成反対ではなく、
もっとシンプルで
自然をこれ以上破壊しない方法を考えて欲しいこと、
自分たちの子供の未来に二度と戦争が起こらないようにしたい、
そういう意味でこの座り込みを応援していると話しました。

■今回行った伊江島では「命どぅ宝資料館」という戦争の悲惨な歴史、
戦後に政府やアメリカと血の滲む活動の歴史を展示している資料館があります。

生々しい戦場の遺品、
集団自決して生き残った手記、
壕の中で泣くわが子の首を絞めて、
その後抜け殻になってしまう母親。

一般住民は何も悪くないのに、
戦争はそんな市民を巻き込むことを忘れてはならないと強く思い知らされました。

国のために人は命を懸けて戦ったのに、
国は沖縄のために理不尽なことばかりをする、
そんなウチナーンチュの想いがグッと肩にのしかかります。

■東村高江のヘリパットは住民の反対の座り込みを無視し、
新たに2つ作られました。

政府の駆け引きや情勢は関係なく、
東村の人達は静かな平和な暮らしを望んでいました。
多くの人は昼夜けたたましい爆音で上空を戦闘機や輸送機が飛ぶのを望んでいませんでした。

ベトナム戦争時、この沖縄北部訓練場でジャングル訓練を行い、
沖縄の基地から直接戦争に、人殺しに行っていたそうです。
まともな感覚では戦争はできないので、
そんな銃を持った訓練中の兵隊と住民が畑や山のやぶから現れて恐ろしかったそうです。
同じことをするなら、
もっと一般人のいないところですればいいのに。
純粋にそう思いました。


■小笠原を含め、東京の人は中国と沖縄が仲がいいのが許せない印象を感じることがあります。
しかし、沖縄は琉球王朝の時代から中国との交流は深いのです。
マイクでも話したのですが、
僕は中国人も日本人もアメリカ人も大好きです。
でも中国政府、日本政府、アメリカ政府は好きではありません。

小笠原も中国の密漁船が来て珊瑚を取り、
住んでいた私たちが怖かったことも記憶に新しいのですが、
やはりそれで中国のすべてを否定する気にはなりません。
チベットの問題も納得はいかないのですが、
やはりみんな平和に暮らせることを強く望みます。

そのためにはインドネシア政府からの虐殺を耐えて、
27年間ずっと愛を持って自分の家族を殺した相手を許していって、
そしてついに独立を勝ち取った東ティモールの国民のような姿勢が大事な気がしてなりません。

侵略、防衛、武力保持、なのではない、
新しい国の在り方を模索する時期にきていると感じます。


■原発もこの米軍の基地の問題も、
結局、問題はお金なんだと思いました。
人はずっと利権や資源、お金でずっと争っている。
そんなことのせいで家族内でいがみ合い、
集落でいがみ合い、
国内でいがみ合い、
世界でいがみ合う。
なんてくだらなくて、
なんて悲しいんだろうと思いました。

これを根本的に解決するには、
ひとりひとりが気付いて行動して、
お互いが自分も相手も大事にする心の時代にシフトするしかないと思いました。


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馬と暮らすという事~伊江島 (沖縄旅行記②)

2017年02月15日 | 旅行記
■沖縄に馬と畑を見に行った伊江島。
人口4000人。
平らでとても美しい素敵な島でした♪


伊江島で飼育されていた与那国馬、
思っていたよりも大きく、スレンダー☆

制限体重は60kgくらいだそうです☆

いつか母島で飼いたいと夢見ているのです。
馬は道路交通法上は「軽車両」。
車検も保険も草さえあれば燃料代も要りません。
しかも車では得られない心の交流や、
生き物を飼うことで得られるメリットの数々!

毎日のお世話はもちろん大変ですが、
それ以上にメリットは多い気がします☆

伊江島にとって乗馬も観光の大事な要素になっているようです☆
綺麗な海を馬と進むのは心地いいだろうなぁ~

今回は馬の長距離輸送の
現実的なお話も聞くことが出来ました♪

前川さん、いっちゃんどうもありがとうございます!!


■伊江島は美ら海水族館のある本部港から船で30分。
はは丸とは比べものにならないほどの立派なカーフェリーが一日4往復もしてくれます。


大きなトレーラーもガンガンそのまま乗り込んできます!

これはちょっと母島ではあり得ない感じでした。
運賃は往復で1300円。
伊江島に米軍基地があるお陰で、
こうした部分で恩恵を頂いているそうです。
島の人は基地の地主さん以外は基地賛成の印象でした。


そしてまず目に付くのは島の中央にそびえ立つ城山(グスクヤマ)です。

麓からは15分くらいで山頂に登れます。
山頂は島の景色を360℃展望することが出来ます!

集落のある南側に比べその他は広大に農地が広がっています。

目に付く作物は限られていました。

まずは葉たばこ。

これは丁度定植の時期でした。

伊江島の至る所に葉たばこ定植に使う機械が置かれていました。

これにおじいとおばあが乗って、
どんどん定植していきます。

若い農業者に逢うことはほとんどありませんでした。


あとは伊江島で有名な小麦。

穂が立っているのもありました!

定食屋では沖縄そばとは違う、
伊江島の小麦を使用した麦そばがメニューにありました♪


他には島らっきょです。

比較的砂地に近い伊江島は深く植えて、
白い部分が多く、太くて立派ならっきょを作れる土壌が特徴のようです。


他には菊の花の栽培が盛んでした。

島の8月の戦没者追悼式典に使うアレです☆
こういう風に栽培されているんだなぁと感触深いものがありました。


ざわわざわわで有名なサトウキビ畑も沢山!

束になって置かれています。

あとは数年ぶりにサトウキビの製糖が再会されたそうで、
24時間稼働でガンガン収穫→搬入→運搬が行われていました。

凄い大規模な施設です。

サトウキビの収穫は本当に重く重労働で、
最近の若い人があまりやりたがらないのが問題なのだそうです。

やんばるではとにかく過疎化が問題なようです。
Iターンで来た人も地域に打ち解ける前に
自分たちの主張をし過ぎてしまい、
軋轢を生んでいる話を沢山耳にしました。

他にはこじんまりと細かな野菜がありました。

豊かですね~


気になる伊江島産のローゼルを使用したアイスや

ハイビスカスティーも売っていました。

どれも淡いピンクで個人的にはローゼルの味気は薄めに感じました。
我が家のは真紅ですからね(笑)☆

■伊江島は川が一切ありません。
なので島民は水をどうしているのかというと、
飲み水は井戸水と沖縄本島から水道管を引いて水を頂いているそうです!
農業用水は地下ダムを築き、
地下水を貯めて汲み上げ、
島内各所に貯水池がありました。

今小笠原も深刻な水不足に陥っていますが、
離島というのは水にいつも悩まされるのです☆

■あとは母島も今頃咲いている頃でしょうが、
沖縄の至る所でカンヒザクラが美しい花を見せてくれました♪

大きな木も沢山あって、うらやましくなってしまいます☆

そんなこんなで伊江島を一周自転車で回りながら、
美しい洞窟も発見!

ここはニャティヤ洞(ガマ)と言って、
持ち上げると子宝に恵まれるというビジル石と言うのがありました。

戦時中は防空壕として利用されて、
多くの命を戦火から守ったと言うことで「千人ガマ」とも呼ばれたそうです。
確かにとても大きなガマでした。

後に記事に書きますが、
戦争の悲惨な歴史を語る部分も多く、
沢山の思いを学ぶことが出来ました。

■伊江島を2泊3日過ごして素直に思ったことは、
美しく綺麗なこの島を戦争が大きく変えてしまったということを随所に感じることが出来ました。

それは戦時中の悲惨な殺戮、
戦後の占領だけではありません。
どこか大切な何かを諦めてしまったような、
妙な寂しい雰囲気…

米軍基地があるからが為に、
地域に落とされる補助が莫大で、
島の人がそれに慣れてしまっていることも、
島の自立を妨げる大きな要素になっていると感じました。

小笠原もそうですが、
補助が地域を支えていることは有り難いし、
事実その恩恵を受けていますが、
その為に失ってしまった心が確実に存在することを
これから生きる私たちは強く意識しなければいけないと思います。

そんなおもいを再発見させてくれたのも、
やはり大事なギフトでした♪



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楽しい自家製味噌造りで発見!~木の記憶

2017年02月13日 | 母島 日常 日記
■僕が旅に出る直前の話になりますが、
我が家恒例の味噌造りをやりました。

前回、今回とかまどで豆を煮てみて心底ガスではない「熱量の深さ」というものに心底感心しました。
というのは、今までは前日から豆を水に浸して、ガスの火で似ていたのです。
が、去年からかまどが手に入り、同じように煮てみてあまりの違いに愕然としたのです!

圧力釜を使わない我が家にとって、
結構時間もガスも使う豆を煮る作業。

同じ火を通す作業をかまどでやってみると、
ガスみたいにグツグツ沸騰していなくてもなんだか見事に火が通っているのです!
これはガスで沸かしたお風呂はすぐ冷めるのに、
薪で沸かしたお風呂は温泉みたくずっと温かいのと似ているのかもしれません。

個人的には遠赤外線だからもあるのでしょうが、
木を燃やすときに、その木が育った年月のエネルギーを伝えてくれている、そんな気がしたのです。
化石燃料も途方もない長い年月を使ってできた生き物の成れの果てだから、
同じでは?と自分でも思うのですが、それはダイレクトではなく、
精製されたりガスコンロから出てくる段階でそのいのちが弱くなっている気がします(ただの当てつけかもしれませんがw)。




■まずは豆を煮て
水気を十分に切ってから米袋に入れて口を閉じ、
家族総出で足で踏んで豆をつぶします。
ミンチ器にかける方法もありますが、
足でやる方が断然楽しく、楽に思えます。

この作業でかまどによる豆の柔らかさが実感できました。
とても柔らかくてらくちん♪

同時に妻は塩と米麹を混ぜて塩麹を作ります。


つぶした後は米麹と混ぜて団子を作ります。

次女が結構好きな作業です☆


団子が出来たら味噌を寝かす器に思いっ切りぶつけます!!
何かの恨みがあるのかと思うほど、みんなすごい勢いでぶつけます(笑)!

これがかなりエキサイティングで楽しい♪
お陰で、団子の中も器の中も空気がなくなり、
しっかり寝かせる状況に仕上がります☆

この作業を繰り返し、約10kgの味噌が出来上がりました♪


しっかりと手のひらで押して中の空気を出します。


最後に前回作った味噌を上一面に敷き詰めます。
本来はカビ防止のために塩を敷き詰めるのですが、
それだとしょっぱくなりすぎてしまうところ、
父島の知人がこのアイディアを教えてくれました♪


最後にラップで蓋をして出来上がり!
ひと夏を越せばもう美味しい手前味噌の出来上がりです☆

■そんな味噌造り、このほとんどの段取りを仕切るのがうちの奥さんです♪
そもそも自分たちが味噌を作って育ってきた訳ではないのですが、
こうして調味料を自分たちで、
子供たちと当たり前に毎年作って食べれることが
本当に有り難いことだなぁと思います。

出来る限り丁寧に暮らしたいと思うので、
季節の行事や食事、こうした味噌造りを仕切ってくれる奥さんに感謝です♪
どうもありがとう~☆

なんて旅先でしみじみと思うのでした。
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沖縄本島への旅路(沖縄本島滞在記①)

2017年02月10日 | 旅行記
■今、なんと成田空港にいます。
これから昼の便で沖縄に向かいます。

結婚して15年目、初めての一人旅です。

沖縄本島は自分の曾祖父がいた宮城という名字のルーツにもなる場所です。
今回はこんな貴重な時間を頂いたので、
沖縄本島の北部(やんばる)と伊江島に標準を定め、
行くことを決めました。

伊江島では馬のいる暮らし、
同緯度のローゼル栽培や小麦など農産物の学び。

沖縄本島北部は
自然農の実践者、
パーマカルチャー、
ヤンバルクイナ保全の野猫捕獲やマングース対策、
そして沖縄における米軍基地の現状、
を映像やネットの情報ではなく、
自分の足で歩き、
見て、感じてきたいと思います。

こんな一人旅は初めてなので、
今はとてもワクワクしています♪

島で畑や家畜のお世話をしてくれている友人、
仕事で抜けた部分をさせてくれるみんな、
大好きな家族のみんな、
みんなのお陰でこの貴重な体験をさせてもらいます。
本島にどうもありがとう!


■昨日おが丸から降りたら外はミゾレでした(笑)。
やっぱり寒い!!
でも思ったほど辛くない!?

足下は裸足にぎょさんで何とか耐えれるし、
上着はダウンを着るほどじゃない。(一応用意はした)

寒いのが辛くて、仙台から母島に引っ越したはずなのに、
自分でも意外なほど平気でした(笑)。

とても寒い外はほんの短い時間しかいないし、
乗り物や建物内は暖房が効き過ぎていて暑いほど。
できるだけ靴下と靴を履きたくなくて母島に住んでいる身としては、
ぎょさんで歩く方が全然気持ちいいのです♪

もちろん周りにそんな人は皆無で、
道行く人はすごい顔で見てきます(笑)。
お陰で店員さんとは話が盛り上がりました♪

そうこうしているうちに飛行機に乗り込む時間が近づいてきました。
もし飛行機が落ちたらできる限り生還するつもりはありますが、
死んでしまった場合は化けてでるからよろしくねと娘たちには伝えてから家を出ました。

では、行って来ます!!
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人もあるのか!?固有種・外来種!?

2017年01月30日 | 母島 暮らし 子供
■小笠原に住んでいると「固有種」「在来種」「外来種」などとよく耳にします。
主に自然を舞台としたフィールドで語られることが多い言葉です。

固有種はそこの限られていエリアにしかいない種の生物たちのこと。
在来種は人の手を借りず、自力か風、波、鳥に付着などして渡ってきた生き物たち。
外来種は主に人の手や暮らしの影響で渡ってきた外来の生き物たちのことを指します。

一般的に多くの生物多様性の中で生き残って進化してきた外来種は強い傾向があり、
逆に限られた生態系の中で進化してきた固有種は外来の勢いに負けやすい傾向があります。
そこで、限られた固有種・在来種が絶滅の危機に瀕する場合があり、
それの保全に向けた取り組みが小笠原では各所で行われています。

僕はその中でフィールドで自然の中で仕事をする事が多いのですが、
そんな時、ふと子供たちのことに思いを馳せることがよくあります♪



■島で育つ子供たち。
僕自身は娘二人を授かりましたが、
母島はとても小さな狭い社会ですので、
島で知らない子供は存在しません。

どの子も愛おしく、
成長を見守り、
時には助け、叱り、笑い、泣いたりしながら、
いっぱいいっぱい、癒しと学びを頂いています。

そんな島の愛おしい子供たちは、
高校のない母島では
中学を卒業すると母島を出ていくのです。

そんな時、
島の子供は固有種にも似た気持ちを抱くときがあります。



■日常のいろんな場面で子供たちと接するのですが、
子供は本当に素直で、可愛くて、
ずるくて、正直で、
そして一生懸命です。

そんな中、内地から時々親の転勤や移住などで転校してくる子供がいます。
そんな内地から来た子と接すると、
「強いなぁ」
と思うことがよくあります。

子供たちはいろんな場所で人と関わります。

主張する場面、
人と意見がぶつかる場面、
物を取り合う場面、
話し合いをする場面、などで
やっぱり大人数の中で生きてきた子はそれなりの強さがあります。

島の子はそんな時、
どこかのんびりしていて、
どこか優しすぎて、
どこか緊張感が低くて、
大丈夫かな?って思う時があります。


サッカー前にクジラの観察をする次女☆


■島の天然記念物のアカガシラカラスバトを見ていると同じように思う時があります(笑)。
外敵に襲われる心配がない環境で育っているので(在来の外敵はノスリのみ)、
地上に巣を作るし、
ネコがいても、仲間が食われていても平気で地面の上で採餌しているのを見たことがあります。
人の足元にも平気で寄ってきます。

それって、島の子供によく似ています☆

島で育った子供はあまりに素直すぎて、
知らない人でも挨拶するし、
人を疑わないし、
大勢の中で自分を強く持って生き残るのが苦手に思えます。

全然悪いことではないのだけれど、
これから外の社会に出て行って生きていくのは確実なので、
親としては、
地域の大人としては時々心配になるのです。

中学を卒業して一生懸命、
内地の競争社会に飛び込んでいく可愛い島っこ達…
慣れない環境で色々大変なおもいをすることも多いと思うけど、
小さな時期にこの優しい人々と
素晴らしい自然に囲まれて育った時間は、
宝物と誇っていいと思います!

母島の子供たちは
小さい子をちゃんと面倒見れるし、
進んで発言できるし、
とても健やかだ!!

島から温かく見守っているぞ~!!
頑張れ島っこたち!!
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ライヴで伝えたかったこと

2017年01月24日 | 音楽
■先日、大盛況に終わった母島冬の音楽会 あさりちゃんありがとうライヴ

企画そのものは母島を離れてしまうあさりちゃんに感謝を捧げる為に企画しました。
本当に多くの人が参加してくれて、
温かく盛り上げてくれて、
とても素晴らしい時間となりました。

僕は企画の他にあさりちゃんと2つのバンドで一緒になっていたので、
2バンド参加しました。
「母島ジャズバンド」と
「Giant Pine Shellz」です。

今回はヴォーカルとギターで参加したGiant Pine shellzについて書こうと思います。



■僕がライヴで訴えたかったことはひとつ。
「戦争と平和」についてでした。

後述しますが、本来は3月に島を離れる中学生に送りたいメッセージは何か?で考え、
2016年、硫黄島に行って痛烈に戦争と平和について感じ、考えました。

そして、2015年に見た「カンタ!ティモール」という映画を見て、
日本に平和にのほほんと暮らしていながらも、
知らずに戦争に加担している事を知り、衝撃を受けました。

今回はそれで感じたことを元に2曲選曲しました。

選んだのは「星降る島」と「イマジン」です。
※歌に関しては元々音痴なのでご了承ください(笑)。



■1曲目は映画「カンタ!ティモール」から一番印象に残った曲を使わせてもらいました。
映画では屈託のない子供がみんなで合唱しています。
しかし、内容はとても心に刺さるものでした。

監督の広田奈津子さんが語ります。
「僕らは過ちを犯す 大地はそれを理解する」
と直訳されるこの歌。

日本では映画の撮影と音楽を担当した小向定さんや
ソウルフラワーユニオン等がこの曲を日本語でカバーしています。

しかし、僕にはその日本語詞があまりに綺麗で美しく、
映画で僕が感じたものと少しニュアンスが違っていたので、
自分なりに勝手に意訳させてもらいました。
何度も何度も直して、
本番で歌いながらもニュアンスを変えながら歌詞を変えさせてもらいました。

ちょっと紹介したいと思います。

【星降る島】
作詞:中川敬/ヘルデール・アレキソ・ロペス/広田奈津子 
作曲:ヘルデール・アレキソ・ロペス

ヘイマルシーラ  ヘイウルシーラ
星降る島に 夜が明ける

小さきものを 言葉が誘う 大きなものを 追いかけさせる
踏み外すな きみの足は 大地とひとつ つながっている

ヘイマルシーラ ヘイウルシーラ
僕らは犯す 過ちを
ヘイマルシーラ ヘイウルシーラ
大地は見つめる 過ちを

土の記憶 唄は続く 眠る魂が見守る島
泣かないで 伝えていく 大地が笑う 過ちを

ヘイマルシーラ  ヘイウルシーラ
みんなの願い 大地と共に

小さい素足よ 大地に響け 太陽に海に幸(めぐみ)が満ちて
祈りの歌に 月が出逢う 果てしない 弧を描く

ヘイマルシーラ  ヘイウルシーラ
星降る島に 夜が明ける
ヘイマルシーラ  ヘイウルシーラ
みんなの願い 大地と共に



この曲はインドネシア占領下の東ティモールで、
映画の主人公でもあるアレックスが戦火の中に描いた曲だそうです。

何度も歌われるヘイマルシーラ ヘイウルシーラは、
ねえみんな ねえ大人たちという意味で、
色んな事を戒めてくれている曲と思っています。



■ライヴの時にも話したのですが、
東ティモールは2002年にインドネシアから独立した(国際法上はポルトガルから独立した)、
21世紀最初の独立国です。

インドネシアの占領は東ティモールの人々にあまりに酷いものだったようです。
家族の誰かは必ず殺されている状況。
弱き女性はレイプされ、
老人、子供、男性は“行方不明”にされます。
事実上の死亡です。

それでも東ティモールの人々は
27年間をかけて奇跡ともいえる独立を果たします。

どんなに家族や友人を殺されても、
復讐でなく、理解を求めたそうです。
インドネシアの兵士を捕まえては、
「自分が望むのは侵略ではない。独立だ。
復讐はしない。本当に大切な気持ちを理解してほしい」
と説得し、解放することをただただ続けたそうです。

それはとても困難の一言では表せない、
非情な道のりだったと思います。
そしてその背景には、インドネシア政府を資源欲しさに支援した日本が背景にあったそうです。

国際世論はインドネシア政府の非情な行いを抑圧しようと、
経済制裁を行いました。
しかし、その減額を補填するかのように、
日本は援助額を増やしたというのです。

結果、インドネシアはヨーロッパの経済制裁にはビクともせず、
強気を続けたということです。
その後、独立の世論が高まり、独立を決める国民投票につながります。

その国民投票自体も
非情に危険で、
独立に投票するものは殺される脅しを受けたそうです。
それまでに東ティモールの人々は20万人も殺されているのです。

しかし、東ティモールの決死の決意は固く、
98.6%の投票率で78.5%の独立支持を勝ち取り、
悲願の独立を果たします。

僕は映画を見て、を読み、
自分たちが知らない間に戦争に加担していたことを知りました。

僕はこの歌を通じて、
自分たちが生きる背景について、
表現したかったのです。

少しでも多くの人が東ティモールの悲劇を
他人事ではないと感じてもらえればと思います。

映画の予告編です↓


後日談として、
ある幼児が、毎日ずっと「ヘイ マルシ~ラ」と歌っているよ~、と言われた時は、
なんだか恥ずかしいけど、嬉しかったです☆


■イマジンについては、今さら語る必要がないほど有名なジョンレノンの平和ソングです。
僕は忌野清志郎が歌う日本度バージョンで歌いました。

彼が独自に意訳したシンプルな日本語に感動しました。
特に最後の「僕らは薄着で笑っちゃう」は、
きっと武器を持たないで、笑顔でみんな過ごす平和な世界を祈って付けた歌詞だと思っています。

この曲ではツナさんがとてもカッコいいハーモニカで参加してくれました。
はじめて練習で合わせたときは鳥肌が立ったほどです♪

あさりちゃんのピアノに合わせて、
とても素晴らしいイマジンになったと思います☆



■このバンド自体は、去年の春の段階で声をかけてはじめて、
途中からあさりちゃんに手伝ってもらい、
どういうわけか(笑)、そのまま形となったバンドです。

何から何まであさりちゃんに支えてもらって、形になりました(#^.^#)

何でも積極的に挑戦するドラムのシンタロウは2016年の春からドラムを始めました。
そのいつもどんなことにもアクティヴな姿勢にはいつも刺激を受けます♪


僕自身は初めてのバンドでのボーカルです。
基本、あだ名の通り超音痴なので、最初の音を外すともう全滅です(笑)。
歌もギターも技術はないに等しいので、
あとはスピリットで勝負です!

元々は3月の恒例ライヴ「船待ちライヴ」を目指して練習していました。
3月の船待ちライヴは
年度末に卒業して島を離れる子供、
離任する人たちに向けて贈る意味合いのあるライヴです。

選曲も自ずとそれ向けに準備していました。

今回は急きょあさりちゃんが3月でなく1月に島を引き揚げるということで、
ライヴの進行も考慮してこの2曲にしました。

どんな楽器でも見事に弾きこなすあさりちゃんに、本当に助けられました!
このバンドではピアノを弾いてくれています。

演奏後、長女が「おとうさん、すごくカッコよかったよ~♡」と声をかけてくれて嬉しかったです♪
次女は僕の声が大きく、途中から耳を塞いでいました(笑)。

なんやかんやでとても気持ちよく演奏できたので、
本当に良かったです。

歌うことで少しでも伝えたかったことが、
伝われば有難いなと思います。

そして、僕はこうした表現がしたかったのだな~と
おぼろげに見えてきました。
実現させてくれたメンバーにも感謝です☆

次回は3月のライヴで演奏するつもりですが、
あさりちゃんが不在の今、どうなるか未定です!
お楽しみに~
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