下宿人ファイル その４ Ｔ君の巻

関東出身のＴ君は，小柄でぽっちゃりした男でした．
彼と初めて下宿で会ったとき，いきなり彼は言いました．
「オレの顔，どこかで見たことないか？」

そう言われても，今初めて会ったわけですから，
「えっ，どこかで会ったことあったっけ？」と答えざるを得ません．

つまり，こういうことでした．
「オレの顔，どこかで見たことないか？　ホラ，ホラ，似てるだろ～」
「誰に？」
「ホラ，ホラ，オレの顔をよく見てみろよ，わからないかい」
「ごめん，わからへん」

彼は言いました．
「オレさ，石原裕次郎に似てるとよく言われるんだぜ」

よく見ると，顔も声も，本当によく似ていました．
「このくらいの角度が一番似てるんだ」と言ってましたが，その通りでした．
でも，こいつ大丈夫か，とその時思ったのでした．

付き合ってみると，とてもイイヤツでした．
彼は軽音部に所属しており，主にカシオペア等のフュージョンバンドのコピーをやっていました．
彼の担当はベースでした．部屋でいつも練習をしていました．
ベースにはタブ符というのがあるんだと彼は教えてくれました．
練習しているときに，ときどき「ドラムが叩けるといいんだけどな」と言っていましたが，
実はドラムを叩いているところも見たことがあるのですが，案外上手なのでした．

そういう彼に誘われて下宿の連中でカシオペアのコンサートにも２回行きました．
彼がダビングしてくれたテープを，私も部屋でよく聴いていました．
ASAYAKEからテープが始まるようにタイマーをセットしておくと，朝は本当に目が覚めたものでした．

彼はフュージョンの他に，ユーミンが好きでした．「ユーミンのレコードは全部持ってるんだぜ」と言ってました．
ユーミンも，ほとんど全部テープにダビングしてくれたのでした．
なぜ，カシオペアとユーミンなのか私にはわかりませんでしたが，
いずれにしても，いつでもテープをダビングしてくれるので大変ありがたかったのです．

彼のもう一つの特技はスキーでした．何級だったか忘れましたが，高いレベルの技術を持っているようでした．
何度かスキーにも行きましたが，彼はウェーデルンがとても上手にできる男でした．
そして大学に入って初めてスキーをやった私に，とても親切に教えてくれたのでした．


大学を卒業して皆が社会人になった頃，久しぶりに志賀高原にスキーをしに皆で集まりました．
相変わらずの裕次郎に聞いてみました．
「今でも，お前，裕次郎に似てるって周りにふれ回ってるのか？」
「当たり前だろ」
「で，彼女はできたか？」
「それがよ～，できねぇんだよ，でもさ，なんで彼女なしで志賀高原なんだよ～，男ばっかでくるとこじゃねぇぞ，こんなとこ」

なるほど，皆その通りだと思いました．
あの当時，原田知世主演の映画のせいでスキー場は確かににぎわっていたのでした．
そしてユーミンのあの曲がスキー場に流れていたのでした．
そんなスキー場に，男ばかり７人で来たのでした．


彼は今，横浜で働いています．念願のヨットにも乗っているのでしょうか．
そう言えば，彼はよく口笛を鳴らしていました．よく聞いてみると
「よぎりよ～こんやも～ありが～とぉ～」のメロディでした．
とにかく裕次郎が好きだったようです．

きっと，まだ裕次郎をやっているのだろうと思います．
結婚したとの報告は，まだ受けていません．