げりげ NO 日記

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「 座る少女 」

2017年01月04日 | ざれごと

「 座る少女 」



   = 〈人間〉はつねに加害者のなかから生まれる。
      被害者のなかからは生まれない。
      人間が自己を最終的に加害者として承認する場所は、
      人間が自己を人間として、
      ひとつの危機として認識しはじめる場所である。= 

         石原吉郎 「ペシミストの勇気について」1970より
                     『日常への強制』所収 




屈辱を忘れてはならないと訴える人々がいる
その屈辱はどこから襲ってきたものか
屈辱に関心をそそげぬ人々がいる
その屈辱はどこへ揮発していくものか

屈辱に加担したとさらに怒りを高める人々がいる
怒りに怒りを重ねることは怒りにおもねることではないのか
屈辱を屈辱で跳ね返そうとする人々がいる
そこで跳ね返しているものはいったいなんの屈辱か

和解と寛容を指図するものがいる
指図するのは代表である 
その代表を代表たらしめている人々 我々である
それらの人々のそれは指図以外のなにものでもない

害したものが和解を強要する
犯したものが寛容を説教する
害されたものはうつむいているようにみえる
犯されたものは遠くに座っているようにもみえる

それは恨みのかたちに固まろうとしているか
それは憎悪の傷口を開け続けようとしているか
それは嫌悪の膿を周囲にしたたらせ
それはつきぬ非難を充たすためにだけあるか

引き裂かれたものは なお 引き裂かれたままであろうとするようだ
引き裂かれたものは なお それを存在の根拠とするようだ
害したものの淫欲が その獣心が目覚めさせたものとは
ほんとうは何だったのか ほんとうは何を撃つべきか

その答えを
拒む形に座らせている 
ああ とんでもない混乱
ぼくにはそのようにしか見えないのだ

害したものが目覚めぬかぎり
害されたものも目覚めぬのだろうか
恨みは恨みの形におのれを鎖し
憎悪は憎悪の生理において己に食らいつく

ひとがひとをかどわかし
ひとがひとを道具とし
ひとがひとを弄び
ひとがひとを辱め

ひとがひとからひとを奪い取り
ひとがひとからひとを抜き取って
ひとのかたちを真似た
あれはなんのいかなる意志か

ひとが築きあげてきたひとのみちのりを
ひとのみが変えうるひとのありかを
ひとが追放した
むごいみずからの目と手 それらの籠絡

それは頑なに空間を奪い関係をくいつぶすから
閉ざされた唇は閉じた言葉を差し示すほかないではないか
封じられた膝はもはや歩行をあきらめるばかりではないか
それがそこにある姿であってよいか

座り続ける少女よ
そんなところに
座らされたまま
あなたはなお何をみつめねばならぬか

 

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