玄語

玄音の弟玄です。日々感じている事、考えている事を語っていきます。そんな弟玄が語る”玄語”です。よろしく。

「いきどおる心」

2017-06-17 10:58:50 | Weblog


変なことが普通にまかり通る時代。全くおかしなことが堂々とまかり通っている。

言葉の巡りはお金の巡りとも重なる。言葉の流れや使い方の狂いはそのままお金の流れ、使われ方の狂いとも重なる。言葉もお金も実態は見えない観念的なものと捉えるならば、ある意味見えない世界の影響下にある、もしくは見えない世界そのものなのかもしれない。だからこそ、言葉もお金もはっきりさせていかなくてはいけない。筋道が通るようにしなくてはならない。すぐに曖昧模糊としてしまいがちだからである。

それにしても言葉の使われ方があまりにもひどい。国を動かす人たちの言葉はもはや真っ当な日本語にすらきこえない。
最近気になりながらも取り組めてない人に折口信夫さんがいる。この人の在り方に「いきどおる心」が根底にあったとする本があった。その本当に意味するところは違うかもしれないけれど、現代においてこそ、この「いきどおる心」の表現こそ必要なことはないのではないかと感じる。ただ抗議デモするような質のことではない。もっと全存在をかけたような「いきどおる心」のことである。

不正に対する「いきどおる心」。大人は見逃しているが、この心は実は子供にもはっきりと存在している。子供こそ正義そのものともいえる。「いきどおる心」を正に象徴するかのような存在として不動明王がいる。その不動明王が二人の童子を従えていることも何か象徴的に感じる。不動明王の「いきどおる心」が真っ当かどうか、実はこの二人の童子が見守っているのかもしれない。

言葉とお金の流れをみていると、この国は亡国の危機にあるというか、別物の何かに持っていかれているように感じるのは私だけでしょうか。今こそ、真っ当な「いきどおる心」をもって、時代にあたることが本当に必要になってきている。一人一人の心構えといいますか。いろいろと感じすぎて、かえって表現しにくくなっている時でもあるけれど、今は不動明王の姿に自分の心をうつし、心を落ち着かせている。
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