玄語

玄音の弟玄です。日々感じている事、考えている事を語っていきます。そんな弟玄が語る”玄語”です。よろしく。

”霊化”しないために

2017-07-16 18:17:23 | Weblog



この1ヶ月。
テレビから聴こえてくる言葉のおかしさ、おぞましさにまるで何か怖いホラー映画でもみてるような気になってくる。本当にどうかしている。人間がいなくなってしまっているのか。これは霊界か。そうか、テレビは霊界を写しているのかもしれない。しかしその霊界がある意味、社会を動かしているといえる。それほどの影響力。今、いよいよやばいと感じている。テレビを飾る二大キャラクターとしての政治家と芸能人。両者とも、自分の正体を明かし始めている。隠せなくなっている。それはそれでいいことです。ただ、正体を明かす際に出てくる言葉。この言葉があまりにひどい。これをずっと聞いているうちに感覚が狂い、体もおかしくなってくる。穢れを撒き散らして、正体を明かしてるかのようです。

穢れを祓うにはどうしたらいいのか。
それは”みそぎ”しかない。禊。

古神道でいう禊には二つの意味がある。ひとつには一般的な水行(みそぎ)。これは水により体を清めて、内面も清めることにある。もう一つが極めて重要である。それは耳注ぎ(みそぎ)である。音霊のことである。こちらは秘儀として伝わる。こちらのみそぎは耳の感覚を整えることにある。大祓詞や古事記の音読、神名を唱えることや、または万葉集など、清い心がありのままに表現された言葉にふれることで、成せるという。これだけ異様な言葉が氾濫する今の時代である。耳は自分で遮断できない特別な感覚器官である。生きる上で最も重要な情報を耳から得ているともいえる。1日に1度は必ずこの耳注ぎ(みそぎ)が必要である。正しい言葉にふれること。正しい言葉を発する人の表現を耳にすること。またそういう音楽を聴くことである。

時には遮断することも必要である。これはテレビだけでなく、インターネットなどスマホの遮断も必要かもしれない。何かにとらわれて動いてる状態は霊そのものである言う人もいます。今、そういう意味では大多数の人が、”いま、ここ”におらず、ネットワークの先か自分の思い込みに囚われて、徘徊している”霊化”している人間が溢れている気がする。”霊化”しないためにも”みそぎ”や遮断が本当に必要になってきている今の時代です。ちょっと本気になって考えてみなくてはいけない程の状況になっていると感じます。
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「いきどおる心」

2017-06-17 10:58:50 | Weblog


変なことが普通にまかり通る時代。全くおかしなことが堂々とまかり通っている。

言葉の巡りはお金の巡りとも重なる。言葉の流れや使い方の狂いはそのままお金の流れ、使われ方の狂いとも重なる。言葉もお金も実態は見えない観念的なものと捉えるならば、ある意味見えない世界の影響下にある、もしくは見えない世界そのものなのかもしれない。だからこそ、言葉もお金もはっきりさせていかなくてはいけない。筋道が通るようにしなくてはならない。すぐに曖昧模糊としてしまいがちだからである。

それにしても言葉の使われ方があまりにもひどい。国を動かす人たちの言葉はもはや真っ当な日本語にすらきこえない。
最近気になりながらも取り組めてない人に折口信夫さんがいる。この人の在り方に「いきどおる心」が根底にあったとする本があった。その本当に意味するところは違うかもしれないけれど、現代においてこそ、この「いきどおる心」の表現こそ必要なことはないのではないかと感じる。ただ抗議デモするような質のことではない。もっと全存在をかけたような「いきどおる心」のことである。

不正に対する「いきどおる心」。大人は見逃しているが、この心は実は子供にもはっきりと存在している。子供こそ正義そのものともいえる。「いきどおる心」を正に象徴するかのような存在として不動明王がいる。その不動明王が二人の童子を従えていることも何か象徴的に感じる。不動明王の「いきどおる心」が真っ当かどうか、実はこの二人の童子が見守っているのかもしれない。

言葉とお金の流れをみていると、この国は亡国の危機にあるというか、別物の何かに持っていかれているように感じるのは私だけでしょうか。今こそ、真っ当な「いきどおる心」をもって、時代にあたることが本当に必要になってきている。一人一人の心構えといいますか。いろいろと感じすぎて、かえって表現しにくくなっている時でもあるけれど、今は不動明王の姿に自分の心をうつし、心を落ち着かせている。
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高麗美術館

2017-05-13 09:01:42 | Weblog


今、京都に来ています。

昨日は上賀茂神社近くにある、高麗美術館に行ってきました。
今では古代朝鮮から渡来してきた人たちを”渡来人”と表現するけれど、それまでは”帰化人”と呼ばれ、その事に違和感を感じ、正しい歴史認識のもと、言葉も正しくしなくてはならないとして、尽力された上田正昭 京都大学教授についての展覧会「上田正昭と高麗美術館」を見てきました。

とても小さいな美術館でしたが、入り口から多くの石碑や石像が迎えてくれます。



多くは朝鮮から持ってこられたものといいます。



不思議な存在感です。



この上田正昭教授は昨年の3月ご逝去されました。古代日本と古代朝鮮の関係や、日本の中に残る古代朝鮮文化について、大変な尽力をされた方で歴史認識を大きく変える研究をされました。東アジアという視点で日本をみることを提唱され、その視野の広さ、公平さは本物の学者とはどういう人なのかを、まさに体現された方といえそうです。今回の展覧会でも展示されている、高句麗が一番強大であった時の王、好太王について記された石碑、「好太王碑」の石碑の拓本は見事でした。



その大きさに圧倒されてしまいます。
この好太王碑は好太王の次の王様である長寿王が、好太王の功績を顕彰するためにつくられ、上田教授が現地で研究した際は、その当時のままの状態で残っていたようです。今は石碑の劣化もあり、囲いで覆われているようです。

この高麗美術館には上田正昭教授のご著書も多くありましたが、他にも古代朝鮮と日本に関わる多くの本が図書館のように陳列されていました。いくらか読んでいる中で、東北の阿弖流爲と母礼と清水寺に関わることで初めて知った事があります。清水寺には阿弖流爲・母礼を顕彰する石碑が建っていますが、その石碑を建てるにあたって尽力された一人が実はこの上田正昭教授であったことです。

清水寺は阿弖流爲と敵対していた坂上田村麻呂を祀る寺でもあり、本来敵方ではありますが、実は歴史の真相では、坂上田村麻呂は阿弖流爲と和解するために、京都まで招き、時の朝廷に彼らを生かすために尽力したという説があります。しかし朝廷は坂上田村麻呂の尽力を無視して、大阪で殺害してしまいます。こういった歴史の背景を鑑み、清水寺の当時の管主に働きかけたのが上田教授で、東北の人たちの気持ちに応えたことは素晴らしい功績だとおもいます。

もともと高麗美術館と関わることになったその理念は、人権問題を解決する一つの方向性を示す事にもあったようです。歴史はこの日本において、様々な差別があったことを知らせてくれます。と同時にその差別が時の体制の影響だったり、事実誤認からくる事がほとんどで、古代朝鮮と古代日本の関係を明らかにする事はこういった問題解決の一つの方向性を示す事にもあったのです。

美術館としてはとても小さなところです。展示物もそれほど多くはありません。しかし、今回の「上田正昭と高麗美術館」展は、その精神や理念にふれることができ、とても有意義な時となりました。
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日本とは‥古代史より考える

2017-05-04 18:02:34 | Weblog



日本が日本になった時代はいつでしょうか。

奈良時代がそのひとつと言えそうですが、日本が日本になる前の歴史、特にそれは中国や古代朝鮮に古代国家が存在し、その国々の影響が日本にもあったことは日本書紀や古事記からもわかり、その古代国家の人たちが日本に渡来し、ある一定の勢力をもっていたことは土地土地に伝わる伝承からも明らかです。

日本人が日本人となる。その背景には様々な人の往来があって”日本人”を形成していったということ。それは例えて言うなら、今のアメリカ人がその先祖がどこから来たかという事を現して、”アイルランド系、ユダヤ系、イタリア系、日系、ヒスパニック系”といった「何々系アメリカ人」と表現されている事と同じではないか。こういったことを古代朝鮮と日本の古代史について研究されていた作家の金達寿氏の『日本古代史と朝鮮』から多くを学びました。

その本の中で引用されていた坂口安吾の歴史的な見方について、目からウロコが落ちるように、納得する記述がありました。これこそ日本古代史の真相ではないかと感じます。曰く、

そして奈良平安朝で中央政府が確立し、シラギ<新羅>系だのコマ<高麗>系だのというものは、すべて影を没したかに見えた。しかし実は歴史の裏面へ姿を隠しただけで、いわば地下へもぐった歴史の流れはなお脈々とつづくのだ。

多くのシラギ<新羅>人を関東に移住させた左右大臣多治比島の子孫が武蔵の守となった後に飯能に土着したり、彼の死後三年目に若光がコマ<高麗>王姓をたまわり、十五年後に七カ国のコマ人一千七百九十九人が武蔵のコマ郡へ移された、というようなことは、シラギ<新羅>とコマ<高麗>が歴史の地下へもぐったうちでも、実はさして重要ではない末端のモグラ事件であったかも知れないのだ。

なぜならこれらのモグラは歴史の表面に現れている。けれどもモグラの大物は決して表面に現れない。むしろ表面に現れている末端のモグラを手がかりにして、もっと大物のモグラ族の地下でのアツレキを感じることができるのである。

すでに三韓系の政争やアツレキは藤原京のころから地下にもぐったことが分るが、日本地下史のモヤモヤは藤原京から奈良京へ平安京へと移り、やがて地下から身を起して再び歴史の表面へ現れたとき、毛虫が蝶になったように、まるで違ったものになっていた。それが源氏であり、平家であり、奥州の藤原氏であり、ひいては南北両朝の対立にも影響した。そのような地下史を辿りうるように私は思う。彼らが蝶になったとは日本人になったのだ
」(『安吾新日本地理「高麗神社の祭の笛」より)。


日本人は古代縄文の時代より一貫してこの日本列島にいて、それが続いて今に至る日本国家ができたとし、弥生時代から古代朝鮮等から来た人々を渡来人として別物のように扱ってきた歴史がある。また天皇家が125代にわたって続いてこの日本国家を存続させてきたことを、その純粋な系統としての一貫性の根拠にしている節がある。しかし金達寿氏や坂口安吾氏の調査・研究から明らかなように、大和朝廷をその発生の元としたところで、それよりも古い系統が古代朝鮮に存在し、その系統がそのまま日本に渡来し、ある意味同化しているのである。それは系統でみるならば日本の天皇家よりも古い家系が日本には存在している事を現し、それがそのまま現代においても続いているという事は、いったいどう考えていけばいいのだろうか。何をもって日本の正統とするのか、これは歴史の難しいところでもある。

今、なぜこういったことを捉え直さなくてはいけないのか。それは現代の問題の多くが過去からくるものであり、正しい歴史が歪められ、伝えられていることからくる、認識の狭まりを感じるからである。日本には常に、本来の実態を歪め伝えるようにして、または悪いイメージを植え付けるようにして、伝える輩というか、勢力がずっといる。それは古代史のように文献として書かれてしまうとその真偽の確かめようがない、またはそれが正史とされて伝わっているものもあり、検証するのが難しいものも多い。しかしその記述とは違う歴史がずっとモグラのようにして動き伝わり続けている現象もあり、そういうモグラとの出会いを金達寿氏や坂口安吾氏のような文学者が見逃さず、キャッチすることで、全く違った歴史の風景が広がっている事を教えてくれるのである。

昨年から天皇陛下の退位問題(”退位”という言葉は歴史には本来なく、”譲位”が正しいという説もある)から昨日の憲法改正の問題など、今、日本国家の根幹に関わることが動き出している。正直、議論も深まらず、歴史の認識もあいまいであり、このままの動きに不安を感じている。だからこそ、認識の狭まりを広げる作業がどうしても必要と考える。虚心坦懐に歴史に触れ、真実を追い求める事以外に、真っ当に考える道はないとみえます。今だからこそ、日本が日本になった古代史、その時代周辺の流れを捉えなおす事は、この日本をこれからどういう日本にしていくのかを考える事に通じるとおもえるのです。

そういった事もふまえて、この5月の動きがどれだけ大事であるか、よくよく考える時ともいえます。
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高句麗人は”潔清”なり 高句麗伝説コンサートへ

2017-04-23 16:08:44 | Weblog



日々、日本国内も世界情勢も大変な状況にあることを知る報道ばかり。人々の動きは頑なになり、何にしがみ付いているのか、過去なのか、プライドなのか、お金なのか、何だかわからない、その人が勝手に作った世界だか、影響されている世界だかは知らないが、妙な人間が増えている。世紀末という表現で世界の終わる状況を2000年以前は表していたが、2000年を過ぎてからは、なんと表現していいものか、ただ危機の時代とか、不安の時代とかいうのでしょうか。

国内の情勢、特に国に関わる動きは、見ているだけでどうにもならない感情が沸き立ってくる。あまりマイナスな言葉を使いたくないのだが、もう暗澹たる気持ちになってくる。誰に選ばれてそのポジションについているのでしょうか。この国は明らかに妙な方向に向かっている。

前から書いてきたことだけど、日本には今の動きとは違う系統の歴史が明らかにある。その系統が表立ったことはあまりないのかもしれない。が、その系統の痕跡は京都の有名なお祭りから墨や着物など文化に関わることにも見られ、さらには全国にひろがる神社や地名から、明らかに大きな影響を及ぼしてきたことがわかるのである。

その系統とは高句麗系のことです。自分はなぜ高句麗系にこだわるかというと、何よりもその高句麗人の気質に惹かれているからです。高句麗人は伝わるところによると、天を祀る文化があり、凄まじく強く、武勇に優れ、誰もが書物に親しみ、とても教養が高かったといいます。そして王を中心にまとまり、それでいて一人一人が自律し、正義感が強かったといいます。またその気質について、「魏志 高句麗伝」に「高句麗人は”潔青なり”」という言葉があるといいます。この”潔清”という言葉は正に我が意を得たり、のように、胸にストンと落ちてきました。潔く(いさぎよく)、清い(きよい)。今の日本人が完全に失っている気質こそこの”潔清”ではないでしょうか。そういう大人はどこにいるのでしょうか。

何度も何度も”高句麗伝説”というコンサートについてお知らせしてきました。自分はこのコンサートでこの高句麗人の気質に触れる経験ができるから、好んで参加しているのかもしれません。コンサートは高句麗人がその地域にいたとされる縁のある場所で開催されています。高句麗王の子孫として、その資質を受け継がれてきた高麗恵子氏による即興による詩の表現は、どの言葉もまさに”潔清”の表現です。別の言い方をするならば、切れ味鋭い言葉でもあり、目がさめるような表現も多くあります。

今の日本のままの流れに何が期待できるのでしょうか。全く違う系統が必要なのは、方向を変える必要があるからです。と同時に表ではないとされるその系統にも長い歴史により培われたことがあり、そして奇跡的な出会いにより、歴史が開放され、より歴史の真相が明かされていったというプロセスが加味されるのです。もうネチネチしたごまかしでコソコソと事を動かすことで事を成すといった、気持ちの悪いこの情勢を全て変えていきたいと願うのは自分だけではないでしょう。”潔清”こそ、今、最も確立したい精神です。

そういったことでこの度の4月26日から狛江からはじまり、5月10日福井、12日大津、13日京都で開催される”高句麗伝説”コンサートをお知らせしたいとおもいます。5月13日京都は完売したようです。このコンサートの経験により、確実にその地で最も優れた高句麗人の気質と出会え、コンサートを経験することでその気質をも養えていくと確信しています。

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高句麗伝説コンサート

○2017年4月26日(水)
狛江エコルマホール

東京都狛江市元和泉1-2-1
PM6:00開場 PM6:30開演
PM8:00終演予定
出演:高麗恵子(詩の朗読)・いだきしん(即興演奏・映像)
全席自由 7,000円
主催:特定非営利活動法人高麗


○2017年5月10日(水)
福井県県民ホール

福井県福井市手寄1-4-1 アオッサ8階
PM6:00開場 PM6:30開演
PM8:00終演予定
出演:高麗恵子(詩の朗読)・いだきしん(即興演奏・映像)
全席自由 7,000円
主催:特定非営利活動法人高麗


○2017年5月12日(金)
滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール 中ホール

滋賀県大津市打出浜15-1
PM6:00開場 PM6:30開演
PM8:00終演予定
出演:高麗恵子(詩の朗読)・いだきしん(即興演奏・映像)
全席自由 7,000円
主催:特定非営利活動法人高麗


○2017年5月13日(土)
京都市右京ふれあい文化会館 ホール(完売)

京都市右京区太秦安井西裏町11-6
PM5:30開場 PM6:00開演
PM7:30終演予定
出演:高麗恵子(詩の朗読)・いだきしん(即興演奏・映像)
全席自由 7,000円
主催:特定非営利活動法人高麗

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シリア大使の会見

2017-04-12 07:14:30 | Weblog
 
ワリフ・ハラビ駐日臨時代理大使 (J-CASTニュースより)

シリア大使の記者会見が昨日行われた。

何が本当のことなのか。
あるバイアス抜きに考えれば、誰が真っ当なことを言っているかは明らかである。
大体、猛毒の化学兵器が使われているというのに、丸腰の人が被害者を何事もなく助けることができるのでしょうか。

最近の某大臣の発言やら、ある法案やら、今の時代は、その人、その国の状態がそのまんま現れている。素通しである。

何かあえて憎悪を掻き立てるようなニュースが連日報道されている。が、そんなことにのっからないで冷静に今何が起き、どこにむかっているのかを読み取ること。歴史的背景をも鑑みて、今の情勢を冷静にみていくと、ある方向が見えてくる。と同時にその方向に向かえていない情勢も見えてくる。

自分は壊れそうで壊れていないことの方に大きな希望を感じている。確実にある力が働いている。真っ当な力が。
今年は一挙に色々と起きていく。
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南相馬でのコンサート

2017-03-19 10:49:52 | Weblog



孫引きになってしまうけど、3月10日の毎日新聞の「余禄」に紹介されていた脳神経学者の伊藤浩志さんの著書『復興ストレス』の中での福島原発事故の被災者の言葉がとても心に残りました。


「私たち自身が何を思っているのかを言えなくなること。それが本当の風化です」。


今年の3月11日前後からテレビなどで東日本大震災の特集がなされていました。ほとんどの番組が同じようなストーリーがあり、どれもが恣意的でとても見ていられるものではなく、当日の政府主催の追悼記念式典以外は全く見ませんでした。何か被災者はこうでなくてはいけないといったようなストーリーがにじみ出ていて、実態とかけ離れているのではないかと感じています。日本人の習性なのでしょうか、ある見方や在り方、こうでなくてはいけないという流れが出てくると、それ以外は語れなくなり、現せなくなっていく。だからどんどん自分を押し込めて、ましてよそから来た者に真実など語るわけなく、どうせ言ったところでとなるのは当然の成り行きかもしれません。

しかし、本当は語りたいはずです。ちゃんと聞ける人がいれば語る。このちゃんと聞ける人がいれば。

押し込めた感情、言葉は表現できないと本当に苦しい。その苦しみはそのまま全てを受容されて初めて、少しずつとかれていく。まずは受け容れられる経験がはじまりです。そして表現にふれることで、今まで表現できなかったことへの気づきがおこり、または新たな表現に気づくこともおこり、表現そのものは創造であり、創造は新しい状況をつくることを意味します。何よりも大事なことではないでしょうか。

福島のことは絶対に風化させてはいけない。
上記の被災者の言葉が胸を揺さぶります。

そんな中、来週3月26日に南相馬にて、いだきしんコンサートが開催されます。
30年以上にわたり、一貫して参加者の生命そのものを受容し、表現し続けてこられたコンサートです。ものごとには流れがあり、ようやく震災から6年を過ぎたこの時に、南相馬でのコンサートが開催される巡りになったようです。自分自身も待ちに待ったコンサートの開催です。現地の方々や被災された方々にはとにかくこのコンサートを経験して頂きたい。ピアノの音は時には軽やかに優しく、時には重低音響き渡り激しく、その音の変化に圧倒されてしまうかもしれません。しかしただその音に浸っているだけで、受容そして創造へと状態が変化していく経験がおきていくのです。今までのままでは今のまま。今までと違う経験が新たな状況への変化へのきっかけとなる。

震災から6年経ち、人によっては今が一番厳しいと感じている方が実は多いのかもしれません。
東北でのコンサートは30日仙台。4月19日岩手県北上と続いていきますが、何よりも今は26日の南相馬をお勧めします。


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"いだきしん 東日本大震災チャリティコンサート

2017年3月26日(日)
南相馬市民文化会館 大ホール

福島県南相馬市原町区本町二丁目28-1
PM4:30開場 PM5:00開演
PM7:00終演予定
全席自由席3,000円
主催:NPO高麗
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10年

2017-03-03 19:52:11 | Weblog
気づいたら、このブログを始めて10年が経っていました。
これって自分でも結構驚き。継続は力なり、、になっているといいのですが。

自分が感じたことや普段考えていることを自由に表現しようと始めたブログです。自由にとはいいつつも、いろいろと慎重に表現しているのも事実です。が、なるたけ良い言葉を表現しようと努めています。

このブログ、毎日数十人以上の方が通り過ぎているようで、少ないようでも、なんともありがたいことで。実際どのような方がこのブログを読まれているかはわかりません。たまたま通りかかって読んでいる方から、実はしっかりと読んでくださってる方(いたら嬉しい。。)などなど、様々な方がおられることでしょう。

更新は気まぐれですが、自分の表現が少しでも、読んでくださる方の内面に響けばとおもい、これからも続けていきたいとおもいます。というわけでこれまでの10年、本当にありがとうございます。これからの10年?もどうぞよろしく。
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人間性の探求

2017-02-13 18:47:31 | Weblog
疎外されたこの社会体制。どこで何をしていても疎外状態に陥る。この状態をいかにして超えるのか。この不自由をいかに自由にしていくのか。

疎外について最も考え、疎外という現象を分析・探求したのはあのマルクス。そのマルクスが求めていたことは「いかにして人間的自由を実現するのか」と知り、また同時に「人間性の解放」が研究の土台にあったと知り、何かハッとするものがあった。「人間性の解放」とは疎外からいかにして解放されるかと同義として考えられていたこと。「人間性の解放」という表現の真意に一歩近づけたこと。結構目からウロコでした。

こういったことをあるハンガリーのマルクス研究者の本から知る。ハンガリーの学者は独特の視点を持っている人が多く、注目に値する。天才中の天才といわれるフォン・ノイマンをはじめとして、暗黙知のマイケル・ポランニーやその兄で人間の経済について考えたカール・ポランニー、そしてマルクス主義のルカーチなどなど。どの学者もみな人間性についての独自性がある。独自性というよりも人間性の真理に明るいのかもしれない。
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最悪より最低

2017-01-28 16:54:23 | Weblog
ある国のリーダーとして選ばれた人。
誰もの予想を覆して、リーダーに選ばれた。しかし、その人はワンマンで、自己本位であり、古い知識と思い込みで誤った道を進みつつあるように見える。その言動は嫌悪感すらよびおこし、誰もがこれからの先に不安を感じている。この人は相応しくないと誰もが感じ始めている。ではその人ではないもう一人の候補の方が良かったのだろうか。今起きていることは一体何なのだろう。自分はそれでも、今のリーダーの方がマシと考える。それはなぜか。それはそれ以前のリーダー達の動きは言葉できれい事を言っていても、結果とんでもない悪事を起こしてきたからである。今回のリーダーはそういう意味ではわかりやすい。あまりに単純である。見えにくいよりも見えやすい方が良い。もちろんこれは変革の起点にすぎない。ここからどうしていくかなのである。最悪よりも最低の方が良い。最悪は一見まともそうな顔をしているから実は一番タチが悪い。ただ最低で我慢できる人もいないはずである。最低が選ばれたことにより、目覚めた何かがあるはずである。これからその国の良識が問われる。その目覚めた良識が実は本当にその国を偉大に変えていくのかもしれない。それにしても少し時間はかかるだろうけど。
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