根子岳山窓

(阿蘇住人の山行記です。)

四国の山旅②11月11日(土)

2017年11月14日 23時59分24秒 | 旅行

四国の山旅(神南山・世田山・笠松山)と同窓会出席

 

[11月11日(土)・ 晴れ]  世田山(今治市・339m)~笠松山(今治市・357m)      

(行程) JR松山駅(発6:42)→伊予三芳駅(着8:20)→ (タクシ-)
     世田薬師寺(梅檀寺)登山口(発8:35)→ 世田山頂上(着10:00)→
         笠松山頂上(着10:40)→野々瀬下登山口(着11:35)→朝倉公民館→(タクシ-)
     JR伊予冨田駅(発)12:47→松山駅(着14:09)→ 道後温泉別館で入湯
     →同窓会出席(松山「いずみ」18:00~20:00)→道後温泉

三芳駅~世田薬師寺登山口の地図  ←(Googleマップ )

↑ [「分県登山ガイド」より転載]

↑ [世田薬師寺登山口]
栴檀寺(せんだんじ)の境内を通って山道に入る。
境内手前の道路側の案内板には世田山頂上まで1.5kmと記されている。

↑ [灌木の中の緩やかな登路]
世田山遊歩道(えひめ森林浴八十八ケ所の75番目)として良く整備されている。

↑ [開放的な登路に変わる]
登路沿いには登山者を見守るかのようにして、赤い前掛けのお地蔵さんが
次々とお出ましになる。
足元の土は真砂土(花崗岩が風化した砂)? と思われる。

↑ [登路から眺める岩峰]
方角としては登山口側(東)と思われるが多分、名のある岩峰であろう・・・

↑ [道標には「石切り 不動明王」と記されている]
(写真:本人了解済)
写真の人は、製作者で自分の趣味で個人的な取り組みで
取組みから10年以上経過しているがまだ進行中とのこと。

「何処から来られましたか・・」と聞かれ 「熊本」と応えると、
写真の人は「私も23歳頃熊本市内で仕事していた・・・」と話され、
旧市役所庁舎の建物や熊本地震に関する・・等々について聞かれ、会話が弾んだ。

旧熊本庁舎のイメ-ジが私自身に浮かんで来ないため
3泊4日の旅行を終え、帰宅後ネット検索でヒットした写真が次なるもので、
改めて昔の手取本町旧庁舎の姿を思い出すこととなった。



↑ [ 熊本市役所 旧庁舎]

旧庁舎は大正12年に竣工し、昭和56年に現庁舎に建て替わった。
昭和56年といえば拙者36歳で熊本通信部勤務の時代である。
熊本市のあゆみ (←参考資料:熊本市2012年姿勢市勢要覧より)


↑ [登路から離れ「世田薬師奥之院」へ立ち寄る]
「百八煩悩」と同じく108の石段があるらしいので数を呼称して踏んだが、
私の煩悩はそれ以上に石段の数があったようである(笑)・・・

↑ [栴檀寺本堂(奥の院)]
本堂の右隣は世田山城主の墓所となり幾つもの墓石が並ぶ、
墓所の前を通り右に延びる方向に世田山頂上への道標が建っていたが
そのル-トは選ばす、石段を再び下って登路に戻る。

↑ [登路沿いの岩崖から笠松山 (正面のピ-ク)を望む]
世田薬師奥之院を離れ、ジダが繁殖する登路は傾斜を増して
灌木の中をジグザクに登る。
稜線の肩に上がると、後は明るい稜線主尾根道を快適に歩く。
登路沿いにそり立つ岩山が現れる・・・、
冒険意欲を誘う場面の出現である、この岩山によじ登ることとした。

↑ [岩山の山頂からの眺め: 海側(東) ]
眼下の登山口、そして田園の中を走るJR予讃線と今治小松自動車道線も見える。
その先に広がる海原は燧灘(ひふちなだ)であろう?
森のピ-ク(前景右)は登り上げた稜線の肩の位置と思われ。

↑ [岩山の山頂からの眺め・ 山側(西) ]
中景に今治カントリ-クラブが見え、遠景の山並みは
楢原山や高縄山方角かと思われる。
手前の尾根筋が歩いた登路

↑ [登路沿いに建つ案内板であるが]
これが山頂標識であるのかどうかは私には分からないが
多分ここは世田山城跡であろうと推定した。

↑ [岩棚の展望台]
先ほどの岩山は、基部からよじ登ったのであるが
案内板の前の大岩を左に回り込むと簡単に岩山の頭(岩棚)
に出る事が出来たのである。

↑ [屋根のある展望所からの眺め (東側)]
この島の名前は ?

↑ [屋根のある展望所からの眺め (北側)]
今治市街としまなみ海道・来島海峡大橋

↑ [登路沿いの大岩から望む笠松山
世田山の「屋根のある展望所」を離れ
幾つかの小ピ-クや階段を踏み、縦走路を北進・・・・
登路の法面に露頭する大岩に上がり笠松山の雄姿を望む。

↑ [尾根腹を懸けのぼる階段]
鞍部に下る途中から見る長い階段…圧巻

↑ [まさに天空への階段 だぁ~!

↑ [天空の階段途中から縦走路の尾根を振り返る]
右端のピ-クには「屋根付きの展望所」の屋根の部分が見える。

↑ [笠松山頂上にて]
天空の階段から15分で頂上に至る。
笠松山から世田山に向かわれる夫婦と笠松山頂上直下で出会う。
石鎚山の方角を尋ねると、縦走路を歩いてきた背後(南)に見えるのであるが
今日は曇って見えないとのこと・・・
積極的な奥様で頂上まで引き返され、景色の案内や次の様な事を話された。
①子供が別府の大学にいるので今年の春は子供と久住山に登った。
②最近の事であるが、知り合いのベテラン登山者(今治市)がグル-プ
登山(東赤石山)中に行方不明となりいまだ不明とのこと。
③観音堂の中に収納されている「登山者メモ帳」に記帳を勧めら
れ、「根子岳山窓」の名で走り書きをした。

↑ [観音堂の中に収納されている登山者のメモ帳]
 

↑ [笠松観音堂]

↑ [頂上直下の広場に建っ案内板]
昔、笠の形の松があったとの事

↑ [広場から眺める山・海・島の景色]
世田山の展望岩棚から眺めた島であるが、
海の紺碧と島の緑が印象的であったので再度、画像アップ。
(帰宅後、ネットで調べると島名は桜井沖に浮かぶ無人島の「平市島・へいちじま」と思われる)

↑ [笠松山からの下りの登路を振り返る]

↑ [「歴史のこみち」と命名された遊歩道が整備されている]

↑ [山頂から35分で野々瀬下登山口に着く]

↑ [今治市朝倉支所付近から眺めた笠松山]

↑ [JR伊予冨田駅]
朝倉公民館前からタク-シで冨田駅に移動して
同窓会開催場所の松山へ汽車の旅。

 

四国学園・専門部同窓会      

前回の出席は福山市で開催された2009年(平成21年)であるから
実に8年振りである。
その間に高松→沖縄→鹿児島→下関と開催されているがいずれも欠席しているので
みんなの顔を見るのが楽しみである。

登山の汗を道後温泉別館で流し(同窓生の北ちゃんと湯船の中で偶然にも出会う)、
その後、電車に乗り大街道で下車。
スマホの地図をたよりに歩行町の「いづみ」に着く。
今回は出席者が少ない(18人中8名)・・・・・
九州の人気役者三人(窄さん熊さん・和夫君)の顔も見えない・・・

現役を卒業した皆であるがセカンドキャリアで頑張っている者
(JA・道の駅・関連会社・会社の社長)もいるが、
体調不良の人(私を含めて)も段々と目立ってきたようである。

そんな話題で「宇和島の郷土料理」を味わうって、食べる暇も無く
2時間の団欒はあっという間にお開きとなった。

↑ [同伴の奥様達と恩師を囲んで]

↑ [恩師とともに]
避難所(熊本地震・本震・平成28年4月16日1:25)で寝泊まりしていた時、
安否の電話(4月17日20:59)を恩師からいただき
感無量の思いであった。
その時の気持ちと謝意をつたえた。

↑ [沖縄角力(おきなわすもう)の達人と昔を思い出して]
学園寮の部屋で沖縄角力の組手を教わった彼と(私は柔道)
今日この日に再び再現して当時を偲ぶ・・・ 
(彼は現在、沖縄角力協会・理事の役職)

↑ [今回は二次会なしで、ここで散会となった]
楽しみにしていた二次会であったが・・・・
吉田類の酒場放浪記ではないが私は「 もう一軒」
「夜明けのブル-ス(五木ひろし)」の 「♪ ここは松山二番町の店 ♪」
ならぬ 「松山一番町の店・ラウンジ縁樹」に立ち寄る。

帰りの、電車(道後温泉行き)で偶然にも「なべちゃん」と出会う。
思いでを刻む同窓会・次回はオリンピンクの年、
平成33年九州ブロックが担当
開催地に宮崎市との声が上がっていたが、宮崎には
登りたい山が数々だ・・・・!!!

[11月12日(日)] 

 (行程) JR松山駅(発10:20)→八幡浜港(発12:45)→ 臼杵港(着15:10)→ 
      臼杵石仏→ 竹田→ 自宅(着17:40)

↑ [帰りの汽車の中から神南山を見る]
大洲駅を出てから捉えた、未登頂になった神南山
中腹に如法寺が佇む冨士山

↑ [出航後、八幡浜港を振り返る]

以下は、臼杵港を降りて立ち寄った二か所です。

↑ [龍原寺の山門と三重塔]
臼杵市のシンボルとなっている三重塔は江戸時代(1858年・安政5年)
創建されたもので内部には聖徳太子の像が安置されているとのこと

↑ [国宝 臼杵石仏]

↑ [深田の地に佇む石仏群の杜]

↑ [昭和4年12月に臼杵を訪れて詠んだ句との事]

(記事後日)

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