Le cheval noir

全然更新できてない…orz

Paris写真集~⑤Musee du Louvre エジプト編~

2009年03月01日 16時36分19秒 | Paris旅行2008
旅行に出かけたのはもう半年近く前のことになるんですね…
今回は現在、「エジプト・トルコ周遊記」を連載されているmajoさんとのタイアップということで久しぶりにうちもシリーズ復活した次第です。

実は、ワタクシ玄米茶は大学では古代エジプト史専攻なんです^^;
最初に「エジプトに行ってきます!」とmajoさんからお聞きした時は羨ましさで床を転げまわりそうになりました( 落 ち 着 け )

そんなわけで、今回はやたら説明がクドかったり、熱かったりするかもしれません(笑)
ご容赦を!


=======================

まずはルーヴルの「古代エジプト美術部門」の成り立ちについて。

1827年に開館したこの部門を最初に担当した学芸員はかのシャンポリオン
高校で世界史を勉強されたことのある方なら一度は目にしたことのある名前のはずです。

シャンポリオンは知らなくても、ロゼッタストーンなら聞いた事がある!という方はいませんか?
このロゼッタストーンから古代エジプトの文字を解読したのがシャンポリオンなんです!

そんなすご~い学者さんを迎えたルーヴルのエジプト部門はどんどん収集品を増やし、現在はシュリー翼の1~2階、ドゥノン翼の半地階で展示されています。
収蔵品は(総数をきちんと調べることが出来なかったのですが)1万点以上とか!?

そんな数多くの展示品の中からチョイスした数点を今からご紹介していきたいと思います!

それでは、スクロールどうぞ~↓↓








エジプトといえば「ピラミッド」「ミイラ」を連想される方が多いと思うのですが、ピラミッドはさすがに輸送不可能ですし(笑)、ミイラはいるのかもしれませんが、私の確認した限り展示はされていませんでした。
(追記)いるみたいです。どこにいたんだろう?


だがしかし、それを補うように


↑の「ラムセス3世の石棺」のような「お棺」系はたくさん展示されていました。

ちなみに、ラムセス3世は名前が名前なのでmajoさんのところに頻繁に出てくる偉大なるファラオ、ラムちゃん(ラムセス2世)とは親戚っぽいですが、実のところ何の関係もない王様です。
あやかりたくて同じ名前を付けた…といったところでしょうか?

エジプトは彼の治世までは繁栄していたのですが、以降は徐々に衰退していきます。他民族の侵攻があったり、宗教団体が力を持ちすぎたり(いつの時代、どこの国でもこれに関してはろくなことになりませんよね)…

王の栄光も過去のもの。
石棺も一見、女神や「死者の書」が美しく刻まれているように見えますが、実際には場面が略されていたり、文法間違いなどが多くぞんざいな部分があるそうです。
しみじみ、時代を感じますね…




写真奥の階段を登ったところに並んでいるのが


人型棺のデパート(違)
夜にここには来たくありません^^;




そうそう、偉大なるラムちゃんについてですが、
ここルーヴルでも彼は別格の扱いを受けています。


館内案内図はもちろん、日本で出版されているガイドブックにもかなりの確率で登場するのが「ラムセス2世座像」
写真では一番左の黒っぽいのがそうです。
確認してくるのを忘れたので(涙)、確信はないのですがおそらく右に並ぶ立像や顔、足なんかも全部ラムちゃんだと思います。

彼は建築マニアとして知られていて、アブシンベル大神殿などの素晴らしい建築物もたくさん残しましたが(それだけの権力を持っていたという証でもありますよね)、「お前のものはオレのもの」精神の持ち主だったようで、過去の王様達の造った建造物や石碑、像にいたるまで自分の名前を新しく彫りなおさせていたそうです(笑)





続いては、少し趣向を変えまして、エジプトの神様特集です。

古代エジプトには日本と同じく八百万の神々がいました。
多神教であることは、世界的に見れば珍しいことではありません(むしろ一神教の方が珍しい)
ですが、ある1点で他にはあまり見られない特徴を持っていました。

それが獣頭人身の神がいるということ。
そんな彼らの中から数柱をこれから紹介していきたいと思いますv


まずは最も有名であると思われるあの「守り神」から!


どーん。

スフィンクスはここにもたくさんいます。

一番有名なのはエジプト部門の部屋の入り口の見張り番?をしている高さ1.8m長さ4.8mもある「タニスの大スフィンクス」だと思うのですが、ポッチャリ系のタニス君より↑の彼の方がスレンダー(あばらが浮くくらい)で好みだったのでこちらをチョイスしてみました(笑)
が、残念なことに名前を失念してしまいました…説明文の写真も撮ればよかった。






「ホルス神立像」

調度良い処に光が…
まるで太陽に向かって祈りを捧げているように見えます。

ホルス神は隼(鷹とも)の頭を持っているもしくは隼の姿をした男性神として表され、天空と太陽を司っています。
また、ファラオは全てホルスの化身とされているので王権の守護者でもあります。
↑の図像は実際は清めの水を注ぐ動作をしているところだそうです。



上で少し触れましたが、エジプトの獣(鳥)頭人身の神様達はたいていが全身動物verの姿の図像が残っています。

ホルス神では

こんな感じです。
頭にかぶっているのは上下エジプトの支配を象徴する冠。
この冠はホルスだけでなく、王様なんかもよくかぶっているので図像や壁画なんかで探してみるのもオススメです♪



また、ホルスには「ホルスの4人の子供達」と呼ばれる、ある重要な役割を果たす息子達がいます。



左からヒヒの頭を持つ「ハピ」、隼の「ケベフセヌエフ」、黒犬の「ドゥアムトエフ」、人間の「イムセティ」という名前なのですが、
彼らはカノポス壷というミイラの内臓を収めるための容器の守護者でした。
それぞれ司る方角や入れる臓器、ペアになる女神がいるのですが…詳しい説明は省きます^^;
一人でも欠けると大変。4人(つ?)でワンセットでした。

私は密かに彼らを古代エジプトのSM●Pだと思っています(笑)




他の動物の神様は…



カバがいたり





猫がいたり





犬がいたり。


紹介し切れませんでしたが、他にはワニや雌ライオン、トキ、羊なんかの神様もいます。奇妙なところでは、顔がフンコロガシだったり、何を血迷ったのか頭の上にイルカを担ぎ上げてしまった女神様も存在しますv
素晴らしい。

ちなみに、何故か馬の神様はいないんです。
理由はたしか、馬がエジプトに入ってきたのが第二中間期の他民族の侵攻時だったかで、元々国内の動物ではなかったから…だったかな???馬が引いている戦車に乗った神様ならいるんですが。
すみません、また勉強しておきますm(_ _)m



にほんブログ村 競馬ブログへ


Paris写真集~④Musee du Louvre傑作編~

2008年12月02日 23時47分24秒 | Paris旅行2008
昨日の続きで、いよいよ展示作品について語っていきますv
日本の美術館と違って驚いたのが、写真撮影の寛容さ。
基本、日本の博物館&美術館は写真撮影自体が禁止のところが多いと思うのですが、ルーヴルは基本フラッシュさえたかなければOKの模様。
数年前から最近までは有名絵画が集まるエリアのみ撮影禁止となっていたらしいのですが、私が行った時はパンフレットにも、館内にもそのような表示はなく、実際に撮っていても全く怒られる気配無し…あれ?全面OKに変わったんでしょうか???
と、いうわけで結構撮ってきちゃいました。もちろんフラッシュはなしです。


まずは有名絵画の集中するドゥノン翼へ。



1階から2階に上がる時に目の前に飛び込んでくる「Victoire de Samothrace(サモトラケのニケ)」




1863年に118の断片の状態で発見され、1884年からずっとルーヴル美術館で飾られているそうです。
映画「タイタニック」のヒロインが甲板先端で両手を広げたポーズを取るのは、船の舳先に立つサモトラケのニケの真似なんだとか。

一枚目の写真にも見切れていますが、「モナリザはこっち!」といたるところにポスターが貼ってありました。さすが…




説明はもういらないですよね。
他の絵と全く違って近づけませんでした!!!
望遠無しで撮ったのですが、これが絵からの最短距離なんです。扱いが違いました。
私達がLa Joconde(モナリザ)に会いに行ったのは平日&朝一だったので人も少なく、じっくり見ることができたのですが、



日曜だとこんな感じ。↑とほぼ同じ時間帯だったのですが^^;
近づけません。



モナリザの部屋を出ると長い回廊に13~18世紀のイタリア絵画がずら~っと飾られているのですが、最も有名なうちの一枚はやはりこれでしょうか。
ラファエロの「Bella Giardinier(美しき女庭師)」、「聖母子と幼き洗礼者聖ヨハネ」とも。


イタリア絵画の通路とはモナリザの部屋を挟んで反対側にあるのがフランス大画の大作の部屋。
私が大好きな画家の絵はほとんどここにありました。





ドラクロワの「The Death of Sardanapalus(サルダナパールの死)」
場面の緊迫感を伝える色彩や光、躍動感…作者の描くことに対する激しい欲望に、画面全体を覆う、むせかえるような死の匂いに飲み込まれそうでした。
写真ではとても伝えきれないのがもどかしいです。
ドラクロワは私が大好きな画家の一人です。彼の大作が所狭しと並べられたこの空間で過ごしたひと時は至福でした…世間一般には「民衆を導く自由の女神」や「キオス島の虐殺」の方が有名かな。




↑のドラクロワの兄貴分的存在?だったのがジェリコー。
彼の代表作がこの「Le Radeau de la Méduse(メデューズ号の筏)」
実際に起こったある悲惨な事件を元にして描かれたこの作品。ドラクロワといい、彼といい、場面選択と表現方法の凄惨さには目を覆いたくなる時があります。
ちなみに、中央でうつぶせに倒れているの男性のモデルを務めたのはドラクロワだったとか。ジェリコーは競馬好きなら一度は見たことがあるであろう?ある有名な絵画の作者でもあるので後日もう一度紹介したいと思います。




ダヴィッドの「ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠」
高校の世界史の資料集にも載っていました。
150人もの人が描かれているにもかかわらず、巧みな照明効果と人々の視線によってナポレオンとジョセフィーヌの2人にこの絵を見ている人が自然と注目するようにつくられているところに感動。上の2枚も相当大きな絵でしたが、この絵の大きさにはとてもとても…
わざと人を入れて大きさを強調してみました。


危うく忘れるところでした。
傑作編にこの作品を入れないなんて私はどうかしています^^;


「the Venus of Milo(ミロのヴィーナス)」
パンフレットにちゃんと展示場所が書いてあるというのに、迷いに迷いました。
ルーヴルの広さ&複雑さを舐めてましたorz 何度同じ場所をグルグル回ったことか…


にほんブログ村 競馬ブログへ


次回はオリエント編

Paris写真集~③Musee du Louvre外観&内装編~

2008年12月01日 22時37分37秒 | Paris旅行2008
久しぶりにシリーズ再開です。
9月のフランス旅行の目的は①ロンシャン競馬場でルメさんに会う②美術館巡り③世界遺産等の史跡巡りだったので、行って来ましたルーヴル美術館。
あまりに館内が広く、展示品も膨大、かつフラッシュさえたかなければ写真撮影がOKだったので何回かにわけて紹介したいと思います。





まずはこの美術館の歴史から。
1190年に国王フィリップ2世がパリを守るための「砦」として建築したのがルーヴル城。最初から今のような壮麗な姿だったわけではなかったみたいです。
↑の写真は12~14世紀頃の遺跡。かつて要塞だった頃のルーヴルの堀と主塔です。
その後度重なる改築が行われ、ルイ13~15世時代にほぼ今の「宮殿」としての形に。
フランス革命の後の1793年に、中央芸術博物館として一般公開されたのがルーヴルの「美術館」としての始まりでした。
コレクションはどんどん増え続け、現在では古代~19世紀中頃までの絵画、彫刻、工芸品など幅広い作品を展示しています。
ちなみに、常設展示されている作品を一つにつき1分ずつ見ていくと1ヶ月以上かかるんだそうな…^^;



ルーヴルの中央入り口近くに立つ「ルイ14世」像


ルーヴルはコの字型の宮殿3セクションからなり、それぞれ「シュリー」「リシュリュー」「ドゥノン」翼と名づけられています。その3セクションに囲まれるように中庭に建っているのがTopの写真のガラスのピラミッドです。
ここの入り口が最も多くの観光客に利用されているみたいで、1日目に前を通った時や、4日目の日曜無料開館時には長蛇の列が出来ていました。
私達は2日目(金)を一日中ルーヴルで過ごしたのですが、ピラミッド入り口ではなく隣接する地下ショッピングセンター「カルーゼル・デュ・ルーヴル」から中へ。



ダヴィンチ・コードでも有名な「逆さピラミッド」
映画自体は見たことないんですが…
左端の列は開館待ちの人々です。もっと並んでいるかと思いましたが意外に少なかったです。

荷物検査を受け、チケット売り場へ。
私達はミュージアム・パスを持っていたのでスムーズに中へ入れました。

そして、この後図録や映像でしか見れなかった数々の名作と出会っていくのですが…今回はその展示品ではなく、ルーヴル美術館という「ハコ」、もとい外観&内装を紹介したいと思います。



「ただの」天井画です。展示作品にしか見えません…




玄米茶お気に入りの古代ギリシャ彫刻の部屋。
床も壁も総大理石です。

日本の展示方法は、もっとガラスケースに作品自体が厳重に囲われていたり、展示空間もシンプルだったりすると思うのですが、ほとんどの作品が手を伸ばせば届くような場所に普通に置いてあり、部屋自体が作品か?と思いたくなる程豪華な装飾に溢れていました。



ドゥノン翼の中庭。
階段の曲線が堪りません。




館内から撮った外壁と道路。
凝りに凝った壁面装飾にため息。道路には滞在中何度もお世話になったバスが走っています。




もはやルーヴルではないのですが、館内から見た隣接するSt-Germain l'Auxerrrois教会。
パリにはこんな感じの美しい教会がいたるところにありました。




同じく館内から見た近くの建物に立てられた国旗とサクレクール寺院(Basilique du Sacré-Cœur)
行きたかったのに行けなかったスポットの一つです。次回は必ず!!!



にほんブログ村 競馬ブログへ


今後の予定
傑作選編
古代オリエント編
迷作編
競馬ブログらしく馬編



Paris写真集~②Palais Royal&Tuileries編~

2008年10月10日 22時06分17秒 | Paris旅行2008
忘れたころに第2回。
前回紹介したOpera Garnierの前のオペラ大通りを真っ直ぐ南下していくとルーヴル美術館がありますが、今回紹介するのはその周りにあるほかの観光地について。

通りをはさんでルーヴルの目と鼻の先にあるのがパレ・ロワイヤル(Palais Royal)。
ベ●ばらファンにはおなじみ、オス●ルが黒い●士を追ってたどり着いた場所ですね。

「お…お!パレ・ロワイヤル!!」



18世紀の革命当時は政治クラブの論客のたまり場だったそうですが、現在は中庭にダニエル・ビュラン作の黒いストライプの付いた円柱形のオブジェが並んでいます。もちろんよじ登れるのですが、オブジェ同士の間隔が丁度飛び移れない幅なんですよね。私達がここに到着した時はいい年したオジサン2人がオブジェの上で変なポーズで写真を撮り合ってました(笑)




ポル・ビュリィ作の球体オブジェもあり。




北寄りの庭園には花壇も。




ルイ14世も子供の頃に住んでいたそうなんですが、中庭の池で溺れて死に掛けたことがあったとか。
まさかここじゃないですよね?(滝汗)




ルーヴル美術館のリシュリュー翼を通り抜け、正面に出ると丁度反対側にあるのがTopの画像でもあるカルーゼル凱旋門。ここをくぐるとチュイルリー公園(Jardan des Tuileries)です。
木の間に彫刻があったり、カフェがあったり、メリーゴーランドがあったり、ポニーに乗れたり。



作品名「あははうふふ(仮)」
手前はカフェです。公園内に何箇所か点在していました。まったり…



べル●らネタをもう一つ。
ここはアン●レの戦死地なんだそうで…合掌。
200年以上前は血塗られた戦場だったのかもしれませんが、噴水の周りにはイスが並べてあり、今では憩いの場になっています。

(クリックで拡大)
チュイルリーから見たコンコルド広場(Place de la Concorde)のオベリスクとちょっとだけエトワール凱旋門。
このおっちゃんのカメラにも確実に私が写っていると思います(笑)



1793年にルイ16世とマリー・アントワネットが断頭台で処刑されたのもここです。
計1119人もの人の命がここで奪われたなんて、いまのコンコルド広場からは想像も出来ません。




園内の彫刻群の一つなのですが…なぜ君がここに?(右下に注目!)
エジプト×ギリシャのコラボ?



とにかく広~い公園だったので、歩き疲れてホテルへ戻ることにしたのですが突然目の前に


け、けいさつ…?
ルーヴルの方角から3頭立てでパカパカ公園内を歩き、ピラミッド広場の方へ去って行きました。謎。




にほんブログ村 競馬ブログへ


次はいよいよルーヴルといきたいところですがその前に騎手イベント!


Paris写真集~①Opera Garnier編~

2008年09月23日 21時11分35秒 | Paris旅行2008
私達の泊まっていたホテルから徒歩5分、パリの中でも特ににぎやかな大通りにあるのがオペラ・ガルニエ。
ミュージカル「オペラ座の怪人」が大好きな私にとっては憧れの場所でした。
近くにバス停が複数あるせいか、正面の階段は観光客だらけ。
裏にある入り口から入場し簡単な手荷物検査を受けると係りのお兄さん(西洋系の顔立ち)が

「コンニチハ~、カバン開ケテネv」

とまさかの日本語(笑)そんなによく日本人はここへ来るんでしょうか?というか、なんで日本人だってわかったんだ?と思いつつ内部見学の入場券を買って中へ。




1875年に完成したこのオペラ座は、設計者の名前をとってガルニエと呼ばれています。「外観および内装はネオ・バロック様式の典型と言われ、たくさんの彫刻を飾り華美な装飾を施した豪華絢爛たるものである」そうです(wikiより)








有名な大階段。美しい彫刻、装飾の数々にため息しか出ません…
建材には当時、最新の素材とされていた鉄を使用し、従来不可能とされていた巨大な空間を確保することに成功したのだとか。




観客席への入り口
私達が入場したのは丁度お昼頃でしたが、内部は暗めでした。
実際に公演があるのは夜になってからだそうなので、もっと暗い、もといきっと幻想的なんだろうなぁ…



2167の座席が5階に配分されている大観客席。
収容規模でも当時最大の劇場だったそうです。ファントムの5番ボックス席はこの写真2階の右から2つ目だと思います(たぶん)
彼のボックス席には入れませんが、ドアの前まではいけたはずです。写真は撮り忘れましたが…(涙)




1964年にシャガールが描いた天井画「夢の花束」
写っているシャンデリアは映画でもおなじみですね。



にほんブログ村 競馬ブログへ


次回はパレ・ロワイヤル~チュイルリー公園


【拍手お返事】
21日 majoさんへ
いえいえ、こちらこそあんな長い記事を最後まで読んでくださってありがとうございました!こんなに出来過ぎな展開もありえるのか…と、自分の身に起こったことが何一つ信じられなかった一日でした。「競馬の神様」は本当にいるんだなぁ、と思わざるをえなかったです。

22日 たくとさんへ
最後まで読んでくださりありがとうございました♪
「思いを伝える」ことの大切さを改めてかみ締めた一日でした。
11月の再会が楽しみでなりません。ご家族ともまた会えるかも?なんて期待していたりします。シャンパンはFさんへその日一日お世話になったお礼に差し上げてしまったので私の手元にはないのですが、こんな感じです。さっき調べてみたんですけど、なんか凄く有名なブランド…?(滝汗)

いま、逢いにいきます~最終回・伝えきれないMerci mille fois~

2008年09月21日 15時04分05秒 | Paris旅行2008
パパさんが電話をかけてから数分後、緊張して完全に固まっている私のもとについにあの人が来てくれました。

「こんにちは!」

と笑顔で真っ直ぐ歩み寄ってきてきてくれたスーツ姿の彼は、私達一人ひとりと挨拶&丁寧に握手をしてくれました。
私はこれまで何人かの騎手さんと握手をしたことがありましたが、私の手をそっと握ってくれたその手は今まで触れてきたどの手とも違い、命を懸けた厳しい仕事をしている人のものとは思えない程やわらかくあたたかで、ただの一ファンに過ぎない私達に対してこんなにも親切にしてくださった彼の優しさが直接伝わってくるようでした。



「………。」
「………。」



パリに来る前は漠然と「もしも会えたらこんなことを聞いてみたい、あんなことを聞いてみたい」と色々考えていたのですが、まさか、本当にこのような形でお会いできるなんて思いもよらず、いざご本人を目の前にすると頭の中が真っ白になって何も言えませんでした…。
お互い沈黙して見つめ合うこと数秒。
ようやく私の口をついて出てきた言葉は「お、お会いできて嬉しいです」だけ…。
日本語ではありましたが、意味を酌んでくれた彼からは「来てくれてありがとう!」とのお返事が。
その後、Fさんを介してNatagoraちゃんについて少しお聞きしたのですが、


「今までに走り過ぎていたから、今日はちょっと疲れていたみたいだね」


とのこと。やっぱりそうでしたか…3歳の女の子にしてはローテーションが厳しすぎると思っていましたから。


「日本に行くプランもあるんだよ」


えー!?MCS!?本当に来てくれたらとても嬉しいのですが…
でも、やっぱりそれはちょっとしんどいんじゃないかなと複雑な気分になりました。


「僕はまた11月に日本に行くから!」


はい、京都競馬場で待ってます!
この後、お土産を渡し、さらにたどたどしい英語で「一緒に写真撮らせてもらっていいですか?」とお願いすると「OK v」と気持ちよくお返事していただけました。
せっかくだから横断幕も、ということで一緒に幕を出している写真がこれ(撮影友人)。切ってしまったので私は写っていませんが…(左端の手は手伝ってくださったFさんのものです)

それから、まずは3人で幕を持って友人2人が撮ってくれていたのですが、途中からパパさんが「私が撮ってあげるよ」と代わってくださり5人で撮影。この時、通りがかったおじいさん(私が知らないだけでもしかしたらフランス競馬界の大物だったのかもしれません)がパパさんを傘でつつくマネをしたり頭の後ろから手を出したりして私達を笑わせてくれました。
さらに同じく通りがかりの金髪のお姉さんが「何?何?私も撮る~v」となぜか撮影側で参加する場面も。
終始和やかに撮影は進んでいたのですが、この間、数分間ず~っと私は彼に肩を抱かれっぱなしで、極度の緊張により顔が引きつり笑うどころではありませんでした…。
今でも30度を越す場所も少なくない日本とは違い、この日のロンシャンは20度を下回る寒さ。私も長袖にジャケットを着込んでいたのですが、握手した時と同じくしっかりと回された手はとても温かかったです。

パパさんが「私も!」とカメラつき携帯で撮ったのを最後に撮影会も無事済み、そろそろおいとましましょうか…という雰囲気になったところ、なんと私達女3人はパパさんから両頬にキス!の別れのご挨拶をいただきました。
少し恥ずかしかったのですが、パパさんの優しく陽気な笑顔につられて緊張し通しだった私も「Merci beaucoup、Au revoir !!(本当にありがとうございました、またお会いしましょう!)」と自然な笑顔を返すことができました。そして彼とは「Salut !(じゃあね、また!)」と笑顔で手を振り合い、お互いにその場を後にしました。






あまりに全てが非現実的すぎて、パリにいる間はずっと友人と「あれは全部本当にあったことだったのかな?」と言い合っていたのですが、たぶんこの「いま、逢いにいきます」シリーズを読んでくださった皆さんもそう感じておられるのではないかなと思います。でも、あの日の出来事は本当に全部ノンフィクションで、けっして、けっして夢なんかではありませんでした。






「競馬の神様」は本当にいるんだ!と実感せざるをえないあまりにあまりな展開の数々。
① まずは私が横断幕をロンシャンに持っていったこと。行く前は真剣に悩みましたから…

② 次にFさんとお会いしたこと。Fさんとお会いしていなかったら帰り道で迷子になっていたかもしれないし、横断幕出せるかも!と思うこともなかったですし、現地の皆さんと円滑にコミュニケーションをはかることも出来なかったはず。見ず知らずの私達に対して親切にしてくださり、本当にありがとうございました!②でいただいたシャンパンはこの日一日お世話になったお礼としてFさんにもらっていただきました。

③ そして奇跡の「Lemaire騎手による日仏交流150周年記念賞の優勝」。彼が勝たなければ横断幕を出すことはありませんでしたから、この後の出来事も何一つ起こりえなかったはず。また、レース名に運命のようなものを感じられずにはいられません。


④ しかし、上記の「奇跡」はどれも「Lemaire騎手の人柄」がまずあったからこそ起こったことでした。
何度も言っていますが、一ファンとしてこんなに大切にしてもらえて感無量です…。感謝の言葉もありません。


------------------------------------



去年の11月、最初に横断幕を京都競馬場のパドックに掲げた時は「気付いていただけたら嬉しいな」くらいにしか思っていませんでした。


こんなに喜んでもらえるなんて想像もしていませんでした。


こちらが勝手にしていることなのに、手紙や他にもたくさんのプレゼントなど、感謝の気持ちを形にして贈ってくださるなんて考えもしませんでした。


ロンシャンでは、奥様、お父様と共に私達に対してとても親切にしてくださり感謝の言葉もありません。


伝えたい思いは溢れるのにどれも言葉になりません。


ルメールさん、本当に、本当にありがとうございました。


あの日の出来事を私はこの先一生忘れないでしょう。


私の応援が少しでも貴方の力になったのなら、私にとってそれ程嬉しいことはありません。





にほんブログ村 競馬ブログへ


上の写真は全て日仏交流150周年記念賞の時に友人が撮ってくれたものです。ありがとうv

【参考過去記事】
すべてのはじまり


































ロンシャンに行く前は「正門を見たら、ルメさんに会えたら感極まって泣くかも」なんて考えていたのですが、ずっと緊張し通しで涙の出る隙は全くありませんでした。
パリにいる間も初めての海外旅行ということもあり常に気持ちは張り詰めっぱなしだったのだと思います。驚いたこと、感動したこと、大笑いしたことは何度もありましたが、涙は不思議と出ませんでした。
9日の朝パリを発ち、18時間の長いフライトを終え翌日10日、無事関空に到着。その日は糸がぷっつり切れたように眠り、目が覚めたのは次の日の昼でした。
とりあえずパソコンを立ち上げ、留守中のニュースやブログなどをチェックすることに。すると、メールボックスに一度も見たことのないアドレスの一通のメールがきていました。



恐る恐る開くと、なんとそのメールはルメールさんから私へのもの!!!!

会えて本当に嬉しかった、自分も日本に帰るのが楽しみで、君が無事に日本に戻れたことを祈ってますなど等、色んなことが書かれていました。








メールを読み終わった時、自分の頬を伝っていた涙に始めて気付きました。
帰国して自分の家に戻り、ホっとしていたのもあると思いますが、ルメールさんのあまりの優しさに、気遣いに、密かに溜まっていたものが一気に溢れ出した感じでした。
あの日あの場所で起こったことは全部現実だったんだと改めて感じた瞬間でもありました。
横断幕の生んだ小さな奇跡は、いつの間にか私とルメールさんだけでなくまわりの人々をも巻き込んでたくさんの出会いや出来事をつくり、そしてそれはこれからも続いていくのかもしれません。

京都で、阪神で、そしてロンシャンで。
横断幕がきっかけで出会った全ての人々、そしてこの長いレポートを最後まで読んでくださった皆さんへの心からの感謝の気持ちを最後に、ロンシャン編を終えたいと思います。

Merci mille fois!!!


いま、逢いにいきます~⑥予想外の邂逅~

2008年09月19日 23時07分14秒 | Paris旅行2008
ムーランドロンシャン賞を観戦後、スタンドのVIPエリアに戻った私達。すると突然「ザァーーーッ」と雨が降ってきました。メインが終わった後でよかった~。Natagoraちゃんも走り難くなるし、私達も観戦し辛いし。数分後、幸いなことに雨は通り雨だったようですぐにやみ、なんと空には綺麗な虹がかかりました!まさかのリアル「ラ/ル/ク/ア/ン/シ/エ/ル」。



右の上のほうにうっすらかかっているんですが、わかりますか(汗)?
肉眼ではもう少しハッキリ見えていたのですが…

ちなみに左隅の頭だけ写っている人はこの日騎乗停止になっていた某超大物騎手さんです。すぐ近くに座ってました^^;
【クイズ】この方は以前日本にも来たことがあるのですが、誰でしょう?



そしてその後も何度かパドック⇔スタンドの往復を繰り返し、ついに最終の8R。




パドックで最後のルメさんを見送り、若手騎手2人からカメラ目線をゲットし(実際に撮影に成功したのは↑のBadel騎手だけでしたが)、さあスタンドに観戦に行こう!と移動し始めた矢先、後ろからやってきたある紳士が私達を呼びとめました。
見覚えのある顔の輪郭、優しそうな目、黒っぽい髪…


その紳士から自己紹介をうけるまでもなく、私の頭の中ではある結論が導き出されていました。

この方はルメさんのお父様だーー!!!

そして私の予想は外れることなく、紳士からの「私はルメールの父です。私も昔は騎手をやっていました。障害でしたが。」(Fさん訳)のお言葉により予想の確定が決定。
もう次から次への予想外の出来事にワケワカラン状態に陥っていた私は、お父様に日本語で「はじめまして!」と深々と頭をさげていました…。
そしてアワアワする私(と3人)に「ちょっと向こうで一杯飲みながらお話しましょう!」とおっしゃられるではないですか。
もちろん、断る理由はどこにもなくドキドキしながらお父様(以下ルメパパさん)の後をついていった私達。パドック特別エリア内の売店に着くと、

パパさん「さあ、何でも好きなものを頼んでくれていいですよ!」

いえ、そう言われましても(滝汗)
遠慮してマゴマゴしていた私でしたが、パパさんに水をお願いし(日本とは違って水も有料なんです)、5人で「Santé!(乾杯)」!!!
その後、パパさんが来日した時の話や、某有名調教師さん達の若りし頃の面白話を聞かせてくださったり、サ●ソンについてお話させてもらったりしました。
以前インタビューでルメさんがお父様について「僕が子供の頃父のレースを観に競馬場へ行ったとき、父はどこにいてもすぐにわかりました。彼はキングでした!」と話されていましたが、まさに言葉通り。
実際にお会いしたパパさんは全身から何かのオーラが出ているような、とてもエネルギッシュで陽気な方でした。お顔は本当に、本当にビックリするくらいソックリなのですが、息子さんを「静」とするならパパさんは「動」でしょうか…身にまとう雰囲気は全然違っていました。

その後、ドイツのG1を一緒にVTR観戦し(勝ったのは私より1歳年上の仏のVictoire騎手でした!おめでとう!!)、最終Rのルメさんを応援しました。
その後、私達は奥様のご好意によりルメさんご本人とお会い出来ることになっていたのですが、まだ時間がかかるだろうということでパパさんの案内でとある場所へ。
そこには見覚えのある騎手さんが一人いました。





パ、パ、パスキエさんだーーー!!!

見知らぬ東洋の小娘×3の登場に動じることもなく一脚だけあったイスを私達にすすめ(もちろん断りましたよ!)、その後そのイスに悠々と腰掛けリラックスモードに入った彼。それまでも注目はしていたのですが、昨年末の阪神でのはしゃぎっぷり(笑)にすっかり彼のファンになってしまっていた私は、何か、何か言わなきゃ!と焦りまくり、Fさんに頼んで「去年の日本での初勝利観ました!」とお伝えしてもらいました。すると、

「今年もWSJSで日本に行くよ!」

とのお返事。現在パスキエさんは暫定リーディング3位。厳しいんじゃないかなぁとFさんとお話していたのですが、よく考えたら数年前にWSJSに出場した時も彼は3位でした。(去年は1位で出場)最初は私達へのリップサービスだと捉えたこの言葉、本当のことなのかもしれません。12月が楽しみv
そしてもう一人、日本の競馬ファンで彼のことを知らない人はいないであろう、あの人物がこちらへやって来てくれました。





ペ、ペ、ペリエさんだーーーー!!!!

ほ、本物?と自分の頬をつねりたくなるような展開の数々に、もう半分正気を失ったような状態の私達に向かってペリエ先輩は
「コンニチハ!」と笑顔で手を差し出してくれました。一人ずつガッチり握手してもらい感無量…。今日のメインレースを勝った騎手さんにお会いできるなんて、幸せ過ぎます。あ、書き忘れましたがパスキエさんもこの日G3パン賞を勝っていたのですが、丁度奥様とお話させてもらっていた時だったのでレースの記憶は全くありません(汗)
その後、ルメさん待ちの為再び場所移動することになった私達。去り際にその場にまだ留まっていたパスキエさんが名残惜しくなって振り返って「Au revoir!」と手を振ると笑顔で振り返してくれましたv

移動先は関係者退出口のすぐ近く。周りを帰り支度を終えた騎手さん達が通り過ぎていきます。その中には最終Rでカメラ目線をくれたCrastus騎手(②の素敵まゆげさん)とBadel騎手(思っていた以上に小柄な方でビックリ)の姿もありました。私が帰路につくお二人に心の中で「また会えたらいいですね!」と呟いている間に、パパさんは「息子よどこにおるんや~」(推定)と電話をかけていました。

再会まであとほんの少し。
緊張のし過ぎでわき腹が痛くなってきました…




にほんブログ村 競馬ブログへ


次回、ようやくロンシャン編最終回です




【ペリエ先輩&パスキエさん関連過去記事】
ここにしか咲かないハナイチリン(10月27日京都8R)
Crazy for you !前編(12月1日阪神9Rほか)
Crazy for you !後編(12月1日阪神11R)

いま、逢いにいきます~⑤J'aime Natagora~

2008年09月18日 23時57分44秒 | Paris旅行2008
ムーランドロンシャン賞(Prix du Moulin de Longchamp)は直訳すると「ロンシャンの風車賞」。名前の由来となった風車(Moulin)は昨日のスタンドVIPエリアにも小さく写っていますが、1コーナー(でいいのか?)の奥に建っています。

今年のこのレースには素晴らしいメンバーがそろいました。
まずはなんといってもHenrythenavigator。今年はアイルランドとイギリスで無敗のマイルG14連勝中!本命はこの馬で決まりでしょうか。
昨年の覇者Darjinaも忘れてはいけません。彼女は今年の成績こそ2着オンリーですが実力は折り紙つき。鞍上が騎乗停止で乗り替わりでしたがMosse騎手ならなんの心配もいらないでしょう。
8月のアスタルテ賞(ロートシルト賞)で念願のG1初制覇を飾ったGoldikovaもいますし、他にもG1イスパーン賞を勝ったSageburgや英G2、G3を勝ったPacoBoyなどがそろいました。

そして、私がデビュー当時からずっと追いかけ続けてきたあの子も出馬表に名前を連ねていました。もう皆さんお分かりですよね。
そう、彼女の名前はNatagora。
父が日本馬ディヴァインライトで、フランス生産調教馬として16年ぶりにイギリスクラシックを勝った彼女。日仏両方の競馬史に名を残した!と個人的に思っています^^;
残念ながら、その後のレースは厳しい戦いが続き入着どまりの成績になっていますが…
私は鞍上がルメさんじゃなかったのでめちゃめちゃ凹みましたがユタカさんが乗ったということで日本でもニュースになってましたね。
過去にアスタルテ賞(8月1週)→ジャックルマロワ賞(8月3週)→ムーランドロンシャン賞(9月1週)というローテーションで良い成績を残した馬なんていないといいます(多分)。なのでいくらなんでもムーラン賞に出走してくることはないだろう…と諦めていました。なので、前日のParisTurfには本当に驚きました。って話はもう①でしましたね(苦笑)


それでは、ついに愛しのNatagoraちゃんと感動のご対面です!!!

















想像以上の可愛さでした。
Natagoraちゃんに会うことは一度は完全に諦めていたので、同じことばっかり言ってるような気がしますが、これは全部夢なんじゃないかな…?と思いながら夢中でシャッターを切りました。
しかもちょっとカメラ目線?


後で写真を整理していて気付いたのですが、
クリックで拡大します
友人が撮ったパドック二段目からのNatagoraちゃん。この写真の左端に写ったカメラと手は私なのですが、Natagoraちゃんを引くこの男性、思いっきり私のカメラの方見てませんか!?
しかも「可愛く(カッコよく?)撮ってね」と言わんばかりの微笑み。
すいませんムッスィユー、Natagoraちゃんに夢中になり過ぎていて気付きませんでした(滝汗)Natagoraちゃんは可愛く撮れましたが…
というか、このNatagoraちゃんもカメラ目線?そんなに珍しかったのかな?



作戦会議中?の陣営。
左からエージェントさん、Bary先生(の顔にビックリ!)、Benoist騎手、そしてルメさんです。Benoist騎手(お顔は②の記事最後の写真参照)の乗るSarissaはNatagoraちゃんと同厩・同馬主なのでわかりやすくするために勝負服がちょっと変化しているのでしょうか?


クリックで拡大します
いざ出陣!
無事に戻ってきてくれさえすれば、私はそれで満足です。


他の馬もちょっとだけ。

Goldikova@ペリエ先輩
せっかくの可愛い顔が…(涙)Fさんごめんなさい。



王子@ムルタさん
私はこっそりHenry the navigatorをこう呼んでいます。理由は英語のwikiで彼の名前を検索した後、日本語版を見たらわかっていただけるかと(笑)競馬初観戦の友人はこの陣営を観て、「色が完全に悪役やな…」と呟いていました。言われてみれば確かに。



日本のようにファンファーレが鳴るわけでも、観客の手拍子があるわけでもなく、淡々とレースは始まりました。
先手はNatagoraちゃんの僚馬Sarissaがとり、その後をGoldikova以下数頭が続きました。Natagoraちゃんは意外にも5番手くらい。



前々を進んでいたGoldikovaがそのまま先頭へ。追い込んできたDarjinaが迫りますがギリギリ抜かせずそのまま1着!アスタルテ賞につづくG12勝目となりました。Darjinaはまた2着。王子は初めてのロンシャンが合わなかったのか5着。Natagoraちゃんは伸び脚を欠き6着で初めて掲示板を外す結果に…



お帰りなさい!
結果は残念でしたが、私は貴女に会えただけで本当に幸せでした。
ゆっくり休んでくださいね。

王子の鞍上であるムルタさんは苦笑いしていました。リベンジ期待してますよ!あと、WSJS英愛代表で来日してくれたら嬉しいです。去年はドタキャンされたからなぁ



1着だったGoldikova@ペリエ先輩。
実は、私達を案内&通訳してくださっているFさんは彼らの大ファンで、色々交流があるらしく(いわば私とルメさんみたいな関係?)今回の勝利も大喜びされていました。本当におめでとうございます!
私と友人達も「オリビエオメデトー!」と叫びながら地元のおばちゃんにからまれつつ(笑)写真を撮っていました。
↑は「その子にあげといて!」と投げたゴーグルが子供の手に渡るよう指示中のペリエ先輩。

そしてパドックにて表彰式があるのですが、Fさんはオリビエに声かけてくる!と風のように走り去り、友人2人は地元競馬ファンのおばちゃんに話しかけられ動けず(後で知ったことですが)、私はいつのまにか一人ぼっちに(滝汗)。
一人でパドックをウロウロしていると2Rで仲良くしてたおじさん達に「お、さっきのルメールファンの子だねv」と大歓迎されたのですがそれどころではありませんでした。おじさん達ごめんね(涙)
ですが、はぐれたとはいえそんなに広くないロンシャンのパドック。
表彰式開始前に無事全員合流出来ました。ホッ。


ペリエ先輩の明るいキャラはこの日も健在で、


Fさんの声援に「イチバン!」と日本語で答えてくれましたv

いいレースだったなぁ…とまるで今日一日が終わってしまったかのような気分の私達でしたが、まだレースはあと3レース+ドイツのG1中継が残っています。
そして、横断幕のおこした奇跡はまだ終わってはいなかったのでした。



にほんブログ村 競馬ブログへ


次回:新たな出会いと予想外の出来事再び


【拍手お返事】
9月17日 21時「フランス編~」の方へ
ありがとうございます!特別エリア、素晴らしい眺めでした。写真も撮りやすいといえば撮りやすいのですがちょっと遠かったです。試し撮り…そういえば園田に行ったんだった^^;書いた本人が忘れてました(笑)

いま、逢いにいきます~④潜入!VIPエリア~

2008年09月17日 19時35分00秒 | Paris旅行2008
ルメさん日仏~賞優勝で盛り上がる私達と地元のおじさん達はどうやらTVカメラにバッチリ映っていたようで(滝汗)
場内のモニターにハッキリ横断幕が…
日本のグリーンチャンネルにあたるエキュディアというフランスの競馬チャンネルで放映されていた…かもしれません(ひぃぃ)
行く前は「地元の人にヘンな東洋人がいるな」と思われたらどうしようなんて考えていたのですが、逆に「ヘンな日本人がロンシャンにいる」と日本で言われてたらどうしようと急に不安になりました。日本でこの映像が流れなかったことを切に願っています…

その後、幕をしまい、パドックでまだぼんやりしていた私達にパドックの中からメモとペンをもったおじさんが近づいてきました。
なんと、人生初の取材です!!!
名前やら職業やらを質問され(ケーサツですか/汗)、最後に「凱旋門賞の時も幕を持って応援に来ますか?」と言われましたが「お金がありません」と現実的な答えを返しておきました。むしろ「凱旋門賞でルメさんに乗る馬はいるのか?」と聞き返したかったです^^(後日追記:残念ながら08年度はいませんでした)
ごめんね、おじさん。取材のし甲斐のない答えしかできなくて…
そんな日本でもめったに、というか絶対経験出来ないことばかりが起こり、なんだかフワフワした状態の私達の所へ今度は同じパドックの一般席側から近づいてくる女性が。





その女性はなんとルメさんの奥様!!!



実は日本でも何度かお見かけしたことがあったのですぐに誰なのかはわかったのですが、もちろんお話させていただくのは初めてでした。もうドキドキです…
自己紹介の後、奥様は私達に

「手紙見ましたv今日は来てくれてありがとう!」(Fさん訳)

と。
そんな、そんな。こちらこそただの一ファンである私(達)にここまで…(涙)
もう緊張やら感動やらで喉はカラカラ、心臓はバクバクです。
さらに「幕を撮らせて下さい!」とお願いされ、幕を持ってパドックで記念撮影しました。たぶん、私の顔はめちゃめちゃ引きつってたと思います(苦笑)
実はフランスに来るにあたって一応、ルメさんに「お土産」を用意していたのですがご本人にお会いできる機会はもうないかも、さっきは「お土産」のこと完全に忘れてたし…
ということで替わりに奥様にもらっていただこうと思ったのですが、逆に奥様から質問が。

奥様「今日は最終レースまでいるの?」(Fさん訳)

はい、もちろん。と答えると

奥様「じゃあ最終レースの後に会えるようにしてあげるvあと、特別エリアにも入れるようにしてあげるわv」(Fさん訳)

と。
えーーーーーー!!!!!!!そ、そ、そんな…いいんでしょうか!?!?
その後、次のレースの時に奥様が入場券を4枚持ってきてくれ、私達4人は奥様のご好意により馬主さんや関係者しか入れない特別エリアに移動することになりました。
奥様、私達のために本当にありがとうございました。
もう、本当に、本当にこの感謝の気持ちを表す言葉が見つかりません…

実はこの記事の写真の左側の茶色のチケットはその特別入場券だったんです。
ちなみに右側はNatagoraちゃんの2€の単勝馬券だったりします。
そして今回の記事のTop写真はその周りが馬主だらけ、調教師だらけなVIPエリアです。写真の奥に映っているパドックが今まで私達のいたところです。
あわわわわ…場違い!
そして周りには20年間首位独走中の某超大物調教師さんや、Natagoraちゃんの調教師さん(Bary先生!)が普通に歩いてました。
さらに、今日偶然にも騎乗停止をくらってお休み中のとある超大物騎手もスーツ姿で目の前に立っていたり。
私、夢を見てるのかな?


以下は特別エリアに入れる人しか見れない場所&風景の写真です。


騎手控え室?
ここにある階段を登って



私達の真上を通って騎手の皆さんはパドックへ向かいます。



スタンドの上部へ向かうエスカレーターの上から。
左手に見える白い柵が一般と特別の境目です。



凄い眺めでした!!!
そして周りはセレブorフランス競馬界の大物だらけ…
あわわわわ…場違い!



悠々と4RのG3Rochette賞をこの場所から観戦。
勝ったのはSoulCity@Hughes騎手でした。

次の5Rは待ってました!G1ムーランドロンシャン賞です。
VIPエリアの興奮冷めやらぬまま私達はスタンドを後にし、パドックへ向かったのでした。


にほんブログ村 競馬ブログへ


もしかして、凱旋門賞時の指定席って今回私が入れてもらった場所のこと?

【拍手お返事】
9月16日
majoさんへ
ありがとうございます!今でもあれは全部夢だったんじゃないか?って思うことがあります^^;まだまだ奇跡は終わりません。最後までお付き合いしていただけたら嬉しいです。

たくとさんへ
拍手ありがとうございます!本当に、競馬の神様っているんだと実感しました。何かが憑いているとしか思えませんでしたもの!!シャンパンがその後どうなったのかは最後に明かす予定です(笑)

いま、逢いにいきます~③横断幕の生み出した奇跡~

2008年09月15日 23時32分23秒 | Paris旅行2008
日本を旅立つ前、「ロンシャンにルメさんを応援しに行って来るよ」と伝えた友人全員から「じゃあ横断幕持っていかなきゃね!」と言われていた私。
もちろん幕は現地に持参していったのですが、フランスは元々そういう応援文化のない国。
張るのはモチロンのこと、出すことすら出来そうにない雰囲気でした。
幕があればルメさんもすぐ気付いてくれると思うのですが…勇気を出して日本でもやったことのない「声の横断幕」を張ることに。
パドックで騎乗馬FoolishEgoに乗って私達の前を通り過ぎる時に、ドキドキしながら

「ルメールさん!」

と迷惑にならない程度の声で叫びました。丁度その時ルメさんは厩務員さんとお話されていたようだったのですが(後で友人の撮った写真を見て気付きました…お邪魔してしまいすみませんでした)、パッと振り向いて最初ビックリしたような表情を浮かべておられましたが、すぐにあの優しい笑顔になり

「コンニチハ!」

と返してくれました。この時点でルメさんが私を「横断幕のあの子」だと気付いてくれたかどうかはわかりませんでした。目が合ったのはほんの一瞬だったし、私は髪型も当時とはかなり変わってるし…
でも、とにかく「自分を応援しに来た日本人がいる」ということをわかっていただけただけで、私の勝手な自己満足ではありますが、とても幸せな気持ちになりました。

ルメさん達がパドックを去ると同時に私達も馬場の方へ移動。
この時、まだ競馬場からの帰り方(というかバス停の位置)がわからず、悩んでいた私は思いきってスタンドにいた日本人らしき男性に声をかけました。
見ず知らずの私達に帰り方を優しく教えてくださったこの方(以下Fさんとします)に、横断幕を持ってきているが出せない…という話をすると

Fさん「ルメール騎手がレースに勝ったら出したらいいんじゃないかな?」

とのアドバイス。なるほど、それなら勢いでなんとかなるかも!
その後も色々とロンシャンのこと、フランス競馬のことを色々と教わっていたのですが、いよいよレースがスタート。ルメさんは16頭立てで、前から3番目の内ラチ沿いの良い位置取り。6番人気だったので掲示板に載れば御の字かなぁ~と思っていたのですが。最後の直線になるとじわじわ伸びてきました。そして1頭交わし、さらに前を走っていた1番人気?のNow The tigerを交わし、FoolishEgo@ルメさんがまさかの1着入線!!!!


信じられない!!!!
本当に勝っちゃった…

それでは本当に幕出しちゃいましょう!ということになり、カメラは友人にまかせ、私はFさんと幕を持って馬場とパドックをつなぐ通路の一番後ろ(パドックに近い場所)でルメさんを待ちうけました。
勝利馬&騎手は常に一番最後に帰ってくるのがここの決まりなようで、他の馬達が全部通り過ぎた後にやってきたルメさん。


友人撮影、クリックで拡大します
Fさんの「クリストフ!」の呼びかけと同時に私達と幕に気付いてくれました。
気付いた瞬間、「あーーーッッ本当に来てくれたんだね!!!」と満面のビックリ笑顔で、本当に嬉しそうにこちらを指差してくれました。
馬の上で飛び跳ねる勢いでした(涙)というか、実際にヒザを使って小刻みに上下されていました(かわいい)
そんなに喜んでもらえて、ファンとして感無量です…

友人撮影
パドックに入ってもまだ幕を見てくれています

実は2月の終わりにお会いした時にお渡しした手紙の中で8月か9月にフランスに行きます!とは書いていたので、私がいつかは来るだろうということはわかっていたと思うのですが、それが今日とはご存知なかったようで(HPにメールでこの日に行くと連絡していたはずなのですが…)本当にビックリされたようでした。

表彰式があるので幕を持ってパドックへ移動した私達。
ものめずらしさからか、まわりはいつのまにか地元のテュルフィスト(競馬ファン)のおじさん、お兄さん、おばさん達でいっぱいに。
普段なら声もかけれないようないかつい顔のお兄さんがニコニコしながら私に

「日本から来たの?観光?ルメールのファンなのか、写真撮らなきゃねv」

と英語で話しかけてくれたり、騒ぐのダイスキーな地元の名物おじいさん?が勝手に幕を持って大声で叫ぶわ歌うわの大騒ぎ。何を言っているのかはほとんどわかりませんでしたが、私達の周りの地元の人々はみんなニコニコ。とても和やかで陽気ないい雰囲気になっていました。



検量やその他モロモロで一度はパドックからいなくなったルメさんでしたが、パドックに戻ってくると、これから表彰式があるというのに私達のまわりのおじさん達からいっせいに「ルメールこっち来いコール」が(笑)



表彰式の模様です。絵はロンシャン競馬場でしょうか?



この時、勝利騎手インタビューも行われたのですが、通訳してくれたFさんによると

「いつかはフランスに来てくれると思っていたけれど、日仏交流150周年記念賞のあるこの日に来てくれるとは思っていませんでした。しかも、そのレースに自分が勝つことが出来て大変嬉しく思います!」

と私の事に触れてらっしゃったそうです…。もう私、どうしたらいいんでしょう。
なんと言っていいか、言葉が見つかりません。
つつがなく表彰式を終えると、ルメさんはその足で真っ直ぐこちらへ。


まっすぐ私のところへ来てくれた彼は「おめでとうございます!」の言葉と共に差し出した私の手を満面の笑みでしっかりと握ってくれました。
そして手に持っていた特大シャンパンボトルを「はいっv」と私に!!
ビックリして反射的に「Merci!?」とそれを受け取った私を満足そうに見つめてから、ルメさんは次のレースの準備の為その場を足早に後にしました。

後に残ったのは呆然とする私達と、陽気な地元ファンの皆さん。
Fさんの話によると「このお酒は普通、親しい友人や家族にプレゼントするもの」
なんだそうで。
普通に買ったら○万円はくだらないとか。こんなに高価なもの、お酒もろくに飲めない私が本当にもらっちゃってよかったんでしょうか………?

感動やら緊張やらで体の震えと口の渇きが尋常でなくなっていた私。
しかし、横断幕の生んだ奇跡はこれだけでは終わりませんでした。


にほんブログ村 競馬ブログへ


次回:玄米茶にせまる謎の人物とは!?ついにあの馬も登場?