「おやじぃ」の日々つぶやき

日々の生活の中で見聞や体験したことを、その歳なりで感じる気持を綴ります。

震災ボランティアバスツアーから帰って(2)

2011年07月31日 | Weblog
ボランティアの2日目(7月17日)。宿泊の八幡平ロイヤルホテルを午前6時過ぎに出発しました。

朝食はホテルで取れないので、コンビニおりぎり2個、緑茶(ペットボトル)、バナナゼリーが配られて、バス内で食べました。


リーダーの話しで、今日の活動の場所はボランティアセンターで受付をしてから決まるので、昨日と同じ所になるかは、まだ判らないとのことでした。



午前10時前に昨日と同じセンターに到着。リーダーの受付を待ちました。その結果、こちら側から昨日と同じ所での作業を希望して、了承してもらえたとのことでした。


10時半ころ現場に着いてから、作業開始。この日は瓦礫(大半は散乱したゴミ)の片付けでした。

さて、この作業の依頼主は、この方でした。陸前高田市小友町冥加沢地区の佐藤照夫さん。








作業の合間の休憩時に、3月11日の被災の実体験をお聞きできました。

以下はその概略です。

「3.11当日は(この作業場所)付近の集会所で会議中だった。地震発生後に何とか建物を出たところで、高齢女性2人が立っているの見た。そのままでは津波で危ないと考えて、高台方面へ逃げるよう勧めたが、怖さで動けないでいるようだった。何とか避難させたが、その時には、佐藤さんの足元近くに波が迫っていた・・・」

もう1つですが、「自分はチリ地震津波(*)の時、別な地区に住んでいて被災したため、こちらに移ってきた。生活していくために左官の技術を活かして、出稼ぎで生きてきた。北海道も沢山のマチに行った。景気が良かったから家族をしっかり養えた。」



 *チリ地震津波(1960年)* 





人の人生で大規模な津波に2度も遭うとは・・・と愕然としました。でも佐藤さんは、決して落ち込んではいない様子(に見えました。)。現在、農業委員や地区の世話役をやっていて、復旧・復興に日々奔走されているようでした。



次の写真は、家屋が流出した跡の瓦礫を撤去した後に撮ったものです。佐藤さんの話しでは、すごく大きな家屋が建っていたそうです。(佐藤さんの家屋ではないとのこと。)






同じ家屋のあった敷地の周囲のブロック塀です。かろうじて形を留めていますが、余震で倒壊の危険があるようでした。






こちらは、直ぐ近くの海岸線に構築された防波堤です。上記の佐藤さんのお話しでは、高さ7Mあったとのこと。しかし、津波はこの上を更に10M超えて流入してきたそうです。その時に破壊されたのでしょう、こんな様に大きなコンクリート板状に倒れていました。







破壊された防波堤は、震災当時のままだろうと思います。従って何も無い空間の先は、海抜0メートルの状態でそのまま「海面」です。それで私がふと感じたのは、この先余震があって津波が来た場合、このままでは全く防ぎようがないのでは??ということです。少なくとも「矢板」の類を打ち込むような仮の防護を施すべきではないのかな??と思いました。このようなことは当然、関係自治体や県庁でも考えているのでは、と思います。ただ、一刻も早く手を打つべきではないかと思うのですが・・・



午後の作業を終え我々が現場を引き上げる前に、佐藤さんがお礼などを言っているところです。佐藤さんには、これからも頑張っていただきたいと思いました。(ボランティア参加者全員の願いでしょう。)







現場からボランティアセンターへ戻る時に、バスの窓から見えた高田市の市街地?です。壊れた建物や骨組みと瓦礫を積み上げた山しか見えません。






傍まで行くことが出来るならということで、高田松原に一本残った松を見るべくバスを回してもらったのですが、道路事情で行けませんでした。写真の円形の屋根の建物の裏側になるそうでした。






この人は、北海道放送(HBC)ラジオの「山根あゆみ」さんです。「カーナビラジオ午後一番」でキャスターを務めています。仕事としてではなく、個人として参加したそうです。16日夜に八幡平のホテルで合流し、17日の作業に従事。夜、八戸駅でツアーの一行と別れて、又JRで札幌に帰りました。






さて、帰りにボランティアセンターで300円の寄付に1枚いただいたワッペンです。今、マグネットシートと組み合わせて、こんな風にマイカーのリアゲート&運転席・助手席ドアに貼っています。







盛夏を迎えて・・・紫陽花(あじさい)が満開へ&美瑛・火祭

2011年07月27日 | 生活雑感
7月27日(水)を迎えました。やっぱり夏・真っ盛りの感があります。連日、暑い日々です。(ただし、日中の話しですが。)



旭川で夏の花を代表するのは、紫陽花でしょう。ほぼ満開になりつつあります。






家の北側で今咲いている、この薄紫色の花がいい雰囲気を醸しだしています。





これは庭の端で咲いている白色の花。今年は、以前に設けていた給餌台の後に巣箱を置きました。(あくまでも装飾としてですが。)ついでに、簾でアクセントを付けて見ました。







さて、今週の24日(日)に隣町の美瑛で毎年恒例の「火祭」がありました。日曜日であり、かつ日中30度超の天候でしたから、祭りには持って来いです。

JR富良野線で行って来ました。車の方が往復に便利なのですが、暑いからこそ祭りで生ビールを飲まなくてはと、気合が入っていましたから・・・








これは、翌日の道新の報道記事です。松明がかなり大きく見えましたが、50kgあるとは!?と正直、驚きました。






 熊野那智大社ホームページ 





火祭は午後7時半から、丸山公園で始まりました。これは、渡御の人たちが公園の中の木立の奥で松明に点火してから、降りてきたところです。(点火の場所に一般の見物客は立ち入りできません。)







渡御の一行は町の中を約30分ほど練り歩いて、一旦「美瑛神社」境内に入りました。初めの松明は、このように路面に置いて、燃え尽きるようにしている様子でした。






神社では、新たに松明を点火をして境内の中を練り歩きました。ここでは、小学生くらいの子供も松明を掲げて歩く様でした。重いし、熱くて火の粉が落ちてくるし、これは大変なことだな!!と思いました。












この火祭が例年行われているのは以前から知っていて、一度見に行ってみたいと考えていました。

やっと実現した訳です。感想として大規模ではないけれども、勇壮で神秘的な雰囲気を感じさせてくれるものでした。行ってみて良かったです。




震災ボランティアバスツアーから帰って(1)

2011年07月20日 | Weblog
7月20日(水)です。18日(月)の午前11時半ころ旭川に戻って来ました。

当日と19日は流石に疲れが取れなくて、眠くなるたびに寝ていました。




震災ボランティアの第1回目の記事です。16日(土)の午前5時前に八戸港でフェリーを下船後、「三八五バス」で陸前高田市へ向かいました。午前10時前に陸前高田災害ボランティアセンターに着きました。

周囲が水田の中の広い土地にプレハブのセンターがありました。







センターの建物が仮設なのに対して、看板は、こんなふうにとてもしっかりしたものでした。






このワッペンは、2日目の帰りに1枚300円の寄付をして貰って来たものです。復興のシンボルとして、「高田松原」で津波で流されなかった1本の松の木をデザインしてあります。







☆☆☆ 陸前高田市災害ボレンティアセンターホームページ ☆☆☆





このシールは、センターで受付を済ませると従事者全員に、日にちごとに配布され、日付と苗字を手書きして身体の目立つところに貼っておくものです。







次のプリントの2枚は、センターに常駐?している看護師さん(バリバリの大阪弁?でした)がバスの中に来て、注意事項を伝えるときに配布したものです。「破傷風に気を付ける!」というのには少しビックリしました。今の街中の生活上では「死語」になっていると思っていたからです。









センターから更に20分ほどバスを走らせて、作業の場所へ移動しました。その途中の光景では、3.11直後にテレビで報道されていて記憶にある建物などが目に入って来ました。

これは、おそらく公営住宅だと思いますが、5階建ての4階まで完全に津波が突き抜けて行ったことが見て取れるものでした。







ここは16日の作業を行ったところで、地域名は「陸前高田市小友町冥加沢地区」というところです。

午前中は1時間半弱、午後は1時間ほどで作業を終えました。この日の最高気温は30度超となりました。

作業内容も「つるはし」「スコップ」などを使って側溝を埋めている砂利を除去することだったので、ものすごく汗をかきました。



※これは、作業場所のすぐ傍で待機しているバスです。休憩の際に備えて、常時エアコンを入れてました。




※作業場所です。延長は約30メートルほど。43人で取り掛かって、この砂利をほぼ取り除きました。




※作業終了時の私です。流石にかなり疲れていました!!







16日・17日の作業で使った用具類です。①ヘルメット ②防塵マスク ③防塵ゴーグル ④ゴム手袋 ⑤合成皮の手袋 ⑥マリンブーツ ⑦携帯水筒(500ml) ⑧ウェストポーチ ⑨サブザック






※今回のツアー参加メンバーの構成はかなり多彩で、次のとおりです。

総人数 44名(男性 29名 女性 15名)

最高齢 77歳男性(夫妻で参加、夫人は72歳) 最年少 22歳(女性、大学生だと思います。) ご夫妻は4組


地域別では、札幌及び隣接都市からの方が多かったです。ただ、最高齢のご夫婦は士幌町、また、十勝清水町から参加の若いご夫婦もいました。わが旭川からは3名(20代男性1、私、女性1)でした。 




 ※2日目の活動記事へ続く


震災ボランティアバスツアーで岩手県陸前高田市へ

2011年07月15日 | Weblog
7月15日(金)の早朝です。7月に入って結構暑い日が続いていましたが、昨日の夜から雨で14日は一日中強い降雨で過ぎました。エゾ梅雨か??と思わせられる感じです。



6月に「日本旅行」に申込をしていた「東北震災ボランティアバスツアー」の出発の日を迎えました。


今回の行き先は「陸前高田市」です。海岸線の松原が美しいところだったが、津波で流されてしまい、1本だけ残っている、と報道されているところのようです。


地図で見ると確かに「高田松原」と標記されています。






6月30日に札幌で事前ガイダンスがあり、その時貰った「日程表」です。

札幌発18:30、フェリー内泊りをして、明日16日、17日の2日間が作業日です。もし大雨とかになったら作業は行わない(屋内作業は予定していない。)というリスク条件付です。




15日に唯一温泉のあるホテルに泊まります。ただ、日程表では作業終了後に3時間以上かけて「八幡平ロイヤルホテル」に向かいます。このことについて「ここは全く地震の被害、影響を受けていないところだが、北海道からの修学旅行がすべてキャンセルになって困窮していること。また、ボランティア活動場所の近くのホテルは、復旧事業の関係者などが宿泊するため、満杯になっているため。」との説明がありました。






活動時の注意事項です。最後の「写真撮影」の事で、札幌市ボランティアセンターの担当者は「他の団体では、写真はダメというところもあるが、多くの方に知ってもらいたいので、このような表現にしている。」とのことでした。





作業時の服装、装備品のイラストです。

私は、おおむね使える物(登山・アウトドア用品、DIY用品)で間に合わせました。ただ、相当に暑くなりそうなので、通気性の良いヘルメット(2,458円)を新規に購入しました。






この日に合わせて体調を整えてきたので、頑張れると思っています。


旭川を15:00には出発(高速バス)しようと予定しています。




実際の活動状況は、後日、記事にアップする予定です。




フィール旭川がオープン(旧丸井今井跡)!!

2011年07月01日 | 生活雑感
今年も6か月が過ぎました。残りは半年だ~!と言うと、そうだなぁという実感が沸いてくる時期かもしれません。


6月の、旭川にとって喜ばしい、待ちに待った出来事は、なんと言っても旧丸井今井店舗跡に「フィール旭川」がオープンしたことです。



店舗の外観を西武百貨店の斜め側から見たところです。






「フィール」のロゴマークですが、お洒落とも可愛いともいえる様な感じです。







店舗は9階までありますが、今回は暫定オープンというところで、5階までです。9月の全面オープンが待たれます。この時期には追いかけて旭川駅舎の全面開業もあり、「食べマルシェ」のイベントもあるので、沢山の人が足を運ぶだろうと期待大です。









フィール旭川の開業に合わせて、北海道新聞の旭川・上川版で3回の特集が掲載されました。その「上」(11.6.28朝刊)です。





フィール旭川ホームページ  





店舗の案内板には載っていないのですが、3階にファイターズグッズの「F☆ショップ」が営業してました。










また、東急ハンズのトラックマーケットも出店しています。(ただし、期間限定のテナントだということです。)






さっそくFショップで、ビジター用のキャップを買いました。(税込2,800円)

またハンズでは、ビールスムーサー(735円)を買いました。なかなか面白い商品を売っています。










同じ3階にはギャラリーがあり、「あべ弘士の動物展」が開催されていました。








フィール旭川のメインの店舗は1~5階までの「ジュンク堂書店」ですが、それぞれのフロアでジャンルの異なる書籍が置いてあり、他のテナントもあるという、ショッピングと立ち読み等?ができる「楽しめる」商業施設のように思います。


今度また、じっくりと店内を回ってみようと思っています。



※追記 「丸善文具がフロア面積を拡大してオープン」

<11.7.6 道新/旭川上川版から>


開業したフィール旭川にとって、丸善文具のフロア面積拡大でのオープン、は朗報といえるかもしれません。が・・・それは、旭川の老舗「冨貴堂文具」が閉店したからという記事の内容を見て、市民としてはやや複雑な気持ちになります。