人生の『まさかの坂』は円(まる)だった

昔から人生には上り坂・下り坂・まさかの坂の3種の坂が有る、70越えると『まさかの坂の死』が近づく、その坂×△□○? 

4-4.人間は考える葦である

2017年02月13日 | 生き方&死に方
心の旅の案内書Part(Ⅱ)の『第百十二章 ゼロの哲学』と『おわりに(そしてまたはじめに)』を紹介する。

第百十二章 ゼロの哲学 

“人間は考える葦である”

フランスの哲学者ブレーズ・パスカルの有名な言葉です。
人類の祖であるアダムとイブがエデンの園を追放された理由は、善悪の判断をする禁断の実を食べたからとする旧約聖書「創世記」の記述は、象徴的に表現されているだけで、実は、生きものの中で人類が唯一考えることのできる動物に進化したことを示唆しているのです。

まさに、人類という動物が生きものの頂点に立つことができた最大の理由は、考える能力を持ったからです。
考える能力、すなわち、知力(知性)が腕力を凌駕した結果、生きものの頂点に立つことが出来たわけです。

では、なぜ人類だけが考える能力(知力)を身につけることが出来たのでしょうか?

四本足歩行から二本足歩行に移ったからです。

今からおよそ500万年前に、人類は猿から進化するきっかけを得ました。
猿(モンキー)が猿人(アウストラロピティクス)に進化したのが500万年前の出来事です。
猿人(アウストラロピティクス)の頃は、まだ四本足歩行だったのですが、それから450万年過ぎた今から50万年前に、彼らは遂に二本足歩行に完全に移った。
原人と呼ばれるホモエレクトス(立つ人)の誕生です。

この時に考える能力(知力)を得るきっかけを得たのです。

従って、旧約聖書の世界では、アダムとイブが誕生したのは紀元前4004年10月23日午前9時、すなわち、今からおよそ6000年前とされていますが、科学の世界では、およそ50万年前ということになります。

では、なぜ四本足歩行から二本足歩行に移行したら考える能力(知力)を得ることが出来たのでしょうか?

考える能力(知力)を得たとは、脳力(能力)が高くなったことに他なりません。
つまり、脳が発達したからです。

では、どんな具合に脳が発達したのでしょうか?
そこで、私たち人間のみならず、いわゆる霊長類と呼ばれるチンパンジーやゴリラの大脳には大脳新皮質というものがあり、他の動物(哺乳動物)にはありません。
まさに、大脳新皮質こそが考える能力(知力)の源泉だったのです。

この大脳新皮質こそが脳の発達に寄与し、そのお陰で考える能力(知力)を得るに至ったのです。
では、なぜ大脳新皮質を、人類や霊長類だけが得ることが出来たのでしょうか?
まさに、四本足歩行から二本足歩行に移ったからです。

チンパンジーやゴリラがよく二本足歩行をしているのがその証明です。

では、なぜ四本足歩行から二本足歩行に移ったら、大脳新皮質が発生するのでしょうか?
考える能力(知力)の無い他の動物(哺乳動物)の大脳には大脳古皮質しか無いのが、その逆証明になります。
まさに、四本足歩行から二本足歩行に移行した結果、脳(頭)の位置が相対的に高くなったからです。

その結果、地球からの重力が軽減したからです。
私たちが体重60kgと言うのは、地球の重力を60kg受けていることを意味しています。
まさに、体が軽くなると考える能力(知力)が高くなるわけです。
まさに、体重がゼロになると考える能力(知力)が頂点に達するわけです。
つまり、完全な知性を得ることが出来るわけです。
つまり、悟ることが出来るわけです。
つまり、四苦八苦の人生を送ることから、気楽な人生を送ることが出来るようになるわけです。
では、体重がゼロになるにはどうしたらいいのでしょうか?

一つは、死ぬことです。
死んだら肉体が消滅して体重がゼロになります。
つまり、悟るとは死ぬことなりです。

まさに、“武士道とは死ぬことと見つけたり”です。
もう一つは、生きながらにして悟ることです。
その為には、先ず、毎晩眠りに入る前に、寝床の上で自分の体重がゼロになるイメージを描いてから寝ることです。
そうしますと、夢を観なくなります。

なぜなら、夢を観る「ニセモノの自分」が、体重がゼロの肉体の中におれなくなるからです。
体重がゼロの肉体とは肉体(物質)ではなくなるからです。

逆に言えば、実は、なぜ私たちは寝る時に横になるのでしょうか?

脳(頭)の位置が低くなることによって、地球の重力が強く掛かり、考える能力(知力)が低くなる、すなわち、脳の働きが弱くなることで眠くなるのが逆証明になっているのです。
まさに、私たちは気づかないうちに、悟る縁を毎晩得ているのです。

まさに、死を知る能力こそが知力(知性)に他ならないわけです。
言い換えれば、他者の死を見ることで自己の死を知る能力こそが知力(知性)に他ならないわけです。

他の生きものも他者の死を見ているのですが、それが自己の死に拡大解釈する知力(知性)が無いから、自己の死を知るに至らないのです。

まさに、知力(知性)とは自他の区分け能力に他ならないわけです。
そして、自他の区分け能力の縁を与えたのが、他者の死と自己の死を区別出来る能力に他ならないわけです。

まさに、生と死の二元論の誕生です。
そして以後、
好きと嫌いの二元論。
善と悪の二元論。
男と女の二元論。
幸福と不幸の二元論。
金持ちと貧乏の二元論。
健康と病気の二元論。
天国と地獄の二元論。
神と悪魔の二元論。
支配者と被支配者の二元論。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
と際限なく続くわけです。
そして、地球の重力が深く関わっているわけです。
まさに、地球の重力の微妙な(巧妙な)バランスが知的生命体を偶然に誕生させたわけです。
新田哲学では、何十兆の星がある全宇宙の中に地球のような星は他に一つもないと主張する所以がここにあります。

だから、科学は、私たち人間のような知的生命体の存在する星を模索するよりも、重力の微妙な(巧妙な)バランスを持つ地球自身のことを研究する方に力を注ぐべきです。
つまり、宇宙開発など百害あって一利もないのです。
なぜなら、私たち人間自身が地球自身に他ならないから、地球から離れることなどあり得ないのですから。

そして、生きながらにして死ぬ極意を得る。
言い換えれば、自分の心の体重をゼロにすることが、まさに、「心の旅の案内書(Part(Ⅱ))の目差すゴールです。
まさに、「ゼロの哲学」の所以です。


おわりに(そしてまたはじめに)

第二回目の心の旅が終わりました。
まさしく中学生の修学旅行のようなものだったと思います。
依然個人行動が出来ない旅だからほとんど記憶には残らないでしょう。
次の心の旅は高校性の修学旅行程度にはなるでしょう。
すこしは遠くへの旅で個人行動も許されるから記憶に残るでしょう。
高校生の修学旅行になると旅先を自分で選択できるようになります。
それだけ自主的な旅だけに記憶もそれまでよりも強く残ります。
大学生になると修学旅行ではなくなり、個人の思い出のための旅になります。
それだけ自由だと、自己責任のともなう旅になるでしょう。しかしまだ楽しい記憶が多い旅です。
社会に出るといよいよ実戦の旅に入ります。楽しさもありますが、緊張の方が強くなってきます。記憶・思い出という過去の世界から実戦方法を学ぶという未来に焦点が移っていきます。
この辺りが一番苦しい山の旅です。
しかしこの山を乗り越えるとまた楽しい旅に変わっていきます。
そこへ行き着くには、少なくとも七回以上の心の旅を続けなければなりません。
長い旅です。
だからあまり急がずにゆったりとした旅にすることです。
112種類の心の案内版を息切れしないために一日ひとつのペースで参考にしてください。
いつか必ず心の旅を終えるときがやってきます。
そのときまで心の案内書を失わないように気をつけてください。

2011(平成23)年9月12日 新田 論 記

2000(平成12)年9月20日に校了、そして10年後の 2011(平成23)年9月12日校了。新しい時代の人間学『心の旅の案内書』を紹介しました。
如何でしたか人間学(哲学)書ですので、文字と文字の間に隠された深い意味を感じ取れましたか・・・
ここで紹介している著作は、総てオフィシャルサイトで閲覧可能です。平成セミナー事務局サイトの『新田論の全著作(日本語)』に検索ページが有りますので、作品名の目次ページが表示されます。
お読みください。

明日は『5.自我意識(エゴ)の働きとその仕組み』を数回に分けての投稿します。
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