1937年フランス映画
監督・脚本 ジュリアン・デヴィヴィエ
原作 ロジェ・アシェルべ
撮影 ジュールス・クルージェ、マルク・フォサール
音楽 ヴァンサン・スコット
出演 ジャン・ギャバン、ミレーユ・バラン、リーヌ・ノロ、
ここでは、映画のあらすじを略記載し、後半に関係事項及び感想を述べています。
パリ、マルセーユと銀行強盗等の犯罪を繰り返したペペ・ル・モコ。
今は、身を隠した街カスバのボスとなっている。カスバでは警察の力が及ばない所であり、逮捕する事は勿論、見つけ出す事すらが不可能で、うかつにも進入するものならば、何処から拳銃の弾が飛んでくるのか分からない街でもあった。
そんなアルジェの警察にフランス警察は不甲斐無さを感じていたのであるが、現地の刑事スリマンはカスバの事情、ペペのカスバでの影響力を知っている。又彼自身はペペとはよく会っており、お互いに相手を認めながらも人生の方向の違いはいかんともしがたいものがあった。
居合わしたスリマンのアドバイスも効果なく強行逮捕にフランス警察はカスバに踏み込むのである。
事態を知るカスバの住民の連係によりペペは知る処となるが、警察の犬の様なレジエの密告でペペの隠れ家にも警察がせまる、そんな警察にペペの威嚇発砲が鳴り響く。そんな所にフランスからの旅行者が出くわし、スリマンは酒場へと非難させるが、そこに警察から逃げてきたペペが入ってきたのである。
スリマンとペペの言葉の駆け引きが展開するも、居合わせたフランスの旅行者の中の女にペペは一目ぼれをする。そんなペペの姿をスリマンは見逃さなかった。
あくる日、ペペは昨日の夜のパリの香りが、忘れかけていた懐かしさからなのか、今の状態にうんざりしたものを憶えるのであった。
そんなペペとは別にカスバはいつもの様子に戻っていたのだが、罠は動きだすのである。
レジエは、ぺぺの可愛がっていた弟分のピエロを利用し、又スリマンはペペの心を奪ったフランス女を利用し、それぞれペペを捕まえる計画を企てるのであった。
その夜、レジエはピエロに偽りの国の母からの手紙を渡し、街を下りさせ逮捕する。それを聞き、ピエロを助けにやはり街を下りて来るであろうペペを捕まえるべき一連の計画を実行をした。やがてピエロの恋人アイシャが、ピエロの居ない事からペペに助けを求めに来たのであったが、すでにレジエを疑っていたペペはレジエを監禁し、情婦のイネスにピエロを捜しに行かせるのだが、そこにもスリマンの罠が進められていた。
イネスは捜す途中でスリマンと出くわし、ペペのフランス女への思いをそれとなく告げ、そのフランス女が会いたがっている事と待っている場所をイネスに言付ける。
そしてぺぺはスリマンの思惑通りに酒場にてパリの薫る女と会うのである。自然な流れで二人はダンスへと、そして話し合う、女の名はギャビーそして二人の出身はゴブラン、それだけ話せば二人には充分であり、明日の再開を約束し女は帰った。
やがて、銃で撃たれ瀕しのピエロが帰ってきた。拳銃を持ちレジエの前に立つピエロにレジエは脅えるもピエロは力尽き、そんなピエロの思いを仲間が助ける。レジエの悲鳴と銃声が響く。
翌日、来ない女を待つペペにスリマンが囁く、「ピエロも居ない、女も来ない」心に刺さる言葉であった。ぺぺは怒り「街を下りてやる」と言い残し行動に出るのだが、それを見たイネスは必死に後を追い悲しい嘘を言う「彼女は私の家に居る」と、しかし当然家には居ない、ペペはイネスに訳をせまるがやがてイネスの気持ちを理解し、落ち着きを取り戻すのである。
冷静になったペペはイネスの家を出たのだが、そこに女、ギャビーが現れ再びパリの薫りを求める様にホテルへ。
ぺぺが言う「パリの香りがする」・・・「全てをパリに変える女だ」・・・「メトロだ」そこには望郷以外、何ものも存在しなかった。
そんなペペの様子をスリマンはイネスに告げ嫉妬を呼び起こさせる。
何時もの様に明日の約束を「5時に」。
明くる日、スリマンは先手を打つ、街のホテルを訪ねギャビーの男である老紳士に「夫人は毎日カスバに行かれている、あそこは良くないので辞める事をお勧めします」と告げ、計画の最終仕上げをするのであった。
しかし、スリマンの誤算、ギャビーの心を止める事までは出来なかった。老紳士の説得もギャビーには聞こえずギャビーは別れを告げ、ペペの許へと部屋を出るのであった。どうしても行かせてはいけないスリマンはギャビーに近づき「ペペは警察により銃殺された」と偽りを語る事で再びギャビーをペペの許へ行かせない様にしたのでした。
そんな事とも知らず時間に来ないギャビーを待ち続けるのであったが、ペペと同じ様にカスバに見切りをつけ街を出ると言う仲間のカルロスにギャビーへの手紙を託し返事を待つ事にしたのだが、明くる日になってもカルロスは返事を持って来ないのであった。
そんな所に、女が待っているとレジエの仲間らしき男が伝えてきたのであるが、疑いを持ったペペは男を締め上げ計画を知ると同時にギャビーがすでに船に乗り10時に発つ事も知り、スリマンが待ち伏せる所とは別に、上手く船に乗り込むのであるが、嫉妬させておいたイネスのスリマンへの通報でギャビーに会える寸前で逮捕されるのでした。
手錠を掛けられ警察の門に入るペペは扉の格子から船上のギャビーを発見し、「ギャビー」と叫ぶも汽笛の音で耳をふさぐギャビーには届かない、望郷の念と未来を育むギャビーへの思いに、込み上げる涙で全てが消える様にナイフで自らを刺し自分自身をも消し去るペペが、そこに崩れ去っていた。
「許して」イネスの声がぺぺを包む。
この映画でジャン・ギャバンと共演したギャビーのミレイユ・バランは、ジャン・パトゥーのマヌカンの出身で戦前人気のあった女優であり、社交界でも花であった人なのですが、パリ解放直前にドイツ将校と恋に落ち、ドイツ将校は銃殺され、彼女も南仏で逮捕され、3ヶ月間の投獄の後釈放されたのであるが、その行為は釈放後も許される事なく、映画に1本出演するも無視され、最後は失業した俳優達の為に与えられた惨めな住居に身を落ち着け、無一文で亡くなったそうです。この映画の二人は現実では逆の運命を歩んだ事は皮肉な事にも思えます。
ジャン・ギャバンは戦時中は危険な事からアメリカに身を置いていたが、戦後フランスに帰郷し「鉄格子の彼方」「ヘッドライト」等、以後の作品の評価は勿論なのですが、彼自身の役者として、作中の演技、又雰囲気も彼自身の個性が上手く出されており、その活躍は誰もが承知の事と思います。
この作品でのジャン・ギャバンの若々しい姿もギャバンの貴重な別の味わいが良く出ており、又その他出演者の演技も素晴らしく、ラストにギャバンを正面から下がり撮影した映像は緊迫感と状況が上手く同時進行し記憶に残るシーンでしたし、全体に渡るセットとロケからの臨場感やパリの映像は映しだす事なく、見る人の心にも主人公と同じ様にパリの街並が過ぎる構成は見事に尽きる。脇を固めた役者の個性も見応えのある作品にしたものと考えます。
当作品の監督ジュリアン・デュヴィヴィエは日本でもかなりのファンが多くフランス四大巨匠の一人と評され、その他「パリの空の下セーヌは流れる」等の作品を手がけている。
監督・脚本 ジュリアン・デヴィヴィエ
原作 ロジェ・アシェルべ
撮影 ジュールス・クルージェ、マルク・フォサール
音楽 ヴァンサン・スコット
出演 ジャン・ギャバン、ミレーユ・バラン、リーヌ・ノロ、
ここでは、映画のあらすじを略記載し、後半に関係事項及び感想を述べています。
パリ、マルセーユと銀行強盗等の犯罪を繰り返したペペ・ル・モコ。
今は、身を隠した街カスバのボスとなっている。カスバでは警察の力が及ばない所であり、逮捕する事は勿論、見つけ出す事すらが不可能で、うかつにも進入するものならば、何処から拳銃の弾が飛んでくるのか分からない街でもあった。
そんなアルジェの警察にフランス警察は不甲斐無さを感じていたのであるが、現地の刑事スリマンはカスバの事情、ペペのカスバでの影響力を知っている。又彼自身はペペとはよく会っており、お互いに相手を認めながらも人生の方向の違いはいかんともしがたいものがあった。
居合わしたスリマンのアドバイスも効果なく強行逮捕にフランス警察はカスバに踏み込むのである。
事態を知るカスバの住民の連係によりペペは知る処となるが、警察の犬の様なレジエの密告でペペの隠れ家にも警察がせまる、そんな警察にペペの威嚇発砲が鳴り響く。そんな所にフランスからの旅行者が出くわし、スリマンは酒場へと非難させるが、そこに警察から逃げてきたペペが入ってきたのである。
スリマンとペペの言葉の駆け引きが展開するも、居合わせたフランスの旅行者の中の女にペペは一目ぼれをする。そんなペペの姿をスリマンは見逃さなかった。
あくる日、ペペは昨日の夜のパリの香りが、忘れかけていた懐かしさからなのか、今の状態にうんざりしたものを憶えるのであった。
そんなペペとは別にカスバはいつもの様子に戻っていたのだが、罠は動きだすのである。
レジエは、ぺぺの可愛がっていた弟分のピエロを利用し、又スリマンはペペの心を奪ったフランス女を利用し、それぞれペペを捕まえる計画を企てるのであった。
その夜、レジエはピエロに偽りの国の母からの手紙を渡し、街を下りさせ逮捕する。それを聞き、ピエロを助けにやはり街を下りて来るであろうペペを捕まえるべき一連の計画を実行をした。やがてピエロの恋人アイシャが、ピエロの居ない事からペペに助けを求めに来たのであったが、すでにレジエを疑っていたペペはレジエを監禁し、情婦のイネスにピエロを捜しに行かせるのだが、そこにもスリマンの罠が進められていた。
イネスは捜す途中でスリマンと出くわし、ペペのフランス女への思いをそれとなく告げ、そのフランス女が会いたがっている事と待っている場所をイネスに言付ける。
そしてぺぺはスリマンの思惑通りに酒場にてパリの薫る女と会うのである。自然な流れで二人はダンスへと、そして話し合う、女の名はギャビーそして二人の出身はゴブラン、それだけ話せば二人には充分であり、明日の再開を約束し女は帰った。
やがて、銃で撃たれ瀕しのピエロが帰ってきた。拳銃を持ちレジエの前に立つピエロにレジエは脅えるもピエロは力尽き、そんなピエロの思いを仲間が助ける。レジエの悲鳴と銃声が響く。
翌日、来ない女を待つペペにスリマンが囁く、「ピエロも居ない、女も来ない」心に刺さる言葉であった。ぺぺは怒り「街を下りてやる」と言い残し行動に出るのだが、それを見たイネスは必死に後を追い悲しい嘘を言う「彼女は私の家に居る」と、しかし当然家には居ない、ペペはイネスに訳をせまるがやがてイネスの気持ちを理解し、落ち着きを取り戻すのである。
冷静になったペペはイネスの家を出たのだが、そこに女、ギャビーが現れ再びパリの薫りを求める様にホテルへ。
ぺぺが言う「パリの香りがする」・・・「全てをパリに変える女だ」・・・「メトロだ」そこには望郷以外、何ものも存在しなかった。
そんなペペの様子をスリマンはイネスに告げ嫉妬を呼び起こさせる。
何時もの様に明日の約束を「5時に」。
明くる日、スリマンは先手を打つ、街のホテルを訪ねギャビーの男である老紳士に「夫人は毎日カスバに行かれている、あそこは良くないので辞める事をお勧めします」と告げ、計画の最終仕上げをするのであった。
しかし、スリマンの誤算、ギャビーの心を止める事までは出来なかった。老紳士の説得もギャビーには聞こえずギャビーは別れを告げ、ペペの許へと部屋を出るのであった。どうしても行かせてはいけないスリマンはギャビーに近づき「ペペは警察により銃殺された」と偽りを語る事で再びギャビーをペペの許へ行かせない様にしたのでした。
そんな事とも知らず時間に来ないギャビーを待ち続けるのであったが、ペペと同じ様にカスバに見切りをつけ街を出ると言う仲間のカルロスにギャビーへの手紙を託し返事を待つ事にしたのだが、明くる日になってもカルロスは返事を持って来ないのであった。
そんな所に、女が待っているとレジエの仲間らしき男が伝えてきたのであるが、疑いを持ったペペは男を締め上げ計画を知ると同時にギャビーがすでに船に乗り10時に発つ事も知り、スリマンが待ち伏せる所とは別に、上手く船に乗り込むのであるが、嫉妬させておいたイネスのスリマンへの通報でギャビーに会える寸前で逮捕されるのでした。
手錠を掛けられ警察の門に入るペペは扉の格子から船上のギャビーを発見し、「ギャビー」と叫ぶも汽笛の音で耳をふさぐギャビーには届かない、望郷の念と未来を育むギャビーへの思いに、込み上げる涙で全てが消える様にナイフで自らを刺し自分自身をも消し去るペペが、そこに崩れ去っていた。
「許して」イネスの声がぺぺを包む。
この映画でジャン・ギャバンと共演したギャビーのミレイユ・バランは、ジャン・パトゥーのマヌカンの出身で戦前人気のあった女優であり、社交界でも花であった人なのですが、パリ解放直前にドイツ将校と恋に落ち、ドイツ将校は銃殺され、彼女も南仏で逮捕され、3ヶ月間の投獄の後釈放されたのであるが、その行為は釈放後も許される事なく、映画に1本出演するも無視され、最後は失業した俳優達の為に与えられた惨めな住居に身を落ち着け、無一文で亡くなったそうです。この映画の二人は現実では逆の運命を歩んだ事は皮肉な事にも思えます。
ジャン・ギャバンは戦時中は危険な事からアメリカに身を置いていたが、戦後フランスに帰郷し「鉄格子の彼方」「ヘッドライト」等、以後の作品の評価は勿論なのですが、彼自身の役者として、作中の演技、又雰囲気も彼自身の個性が上手く出されており、その活躍は誰もが承知の事と思います。
この作品でのジャン・ギャバンの若々しい姿もギャバンの貴重な別の味わいが良く出ており、又その他出演者の演技も素晴らしく、ラストにギャバンを正面から下がり撮影した映像は緊迫感と状況が上手く同時進行し記憶に残るシーンでしたし、全体に渡るセットとロケからの臨場感やパリの映像は映しだす事なく、見る人の心にも主人公と同じ様にパリの街並が過ぎる構成は見事に尽きる。脇を固めた役者の個性も見応えのある作品にしたものと考えます。
当作品の監督ジュリアン・デュヴィヴィエは日本でもかなりのファンが多くフランス四大巨匠の一人と評され、その他「パリの空の下セーヌは流れる」等の作品を手がけている。
ご引越しの方は、無事お済になりましたでしょうか。
以前の「鉄格子の彼方」の処でも書きましたのですが、ジャン・ギャバンの何か無愛想でも暖か味のある、又粋な姿の大ファンなんですが、何時見ましても最初の印象が決して薄れる事の無い、作品を裏切らない役者の様に思います。
ジャン・ギャバンの映画では一本だけ観ました。「モンマルトルの丘」と云う主題歌がとても綺麗で忘れられない映画で、「ムーラン・ルージュ」を舞台にしフレンチ・カンカン」と云う映画で、この酒場の経営者の役でした。フラソワーズ・アルヌールと共演でしたが、これとのもう一つの共演作の「ヘッド・ライトを見損なったのは悔いが残ります。
「フレンチ・カンカン」も素晴らしい映画でした。
私はジャン・ギャバンのファンですので、たいていの彼の出演映画は良く言っていますから、正しい感想になっていますか自信はないのですが。
元々はシャンソン歌手でしたので、この作品でも珍しくお披露目をしてましたし、物語の中で息を抜ける良い効果がありました。
「望郷」つい2~3日前に、BS2でやっていました。後から番組表を発見!後の祭りでした。この映画なら何度でも観るのに!ほんとうに惜しかったです。
私も3~4回ぐらいは見ましたが、ブログにあたりストーリーを書く事からも録画をしてから見ました。それから投稿しました。
やはり、ギャバンの一ファンですので何度見ましても、良い作品でした。
今日も午後二時五十五分から「フレンチ・カンカン」をBS2で放映しますので宜しく。
甲州街道で少しふざけすぎたので、今度はマジで…と思ったのですが、やっぱり内容が暗いし、それにSUKIPIO様に読んで戴いたし、思い残すことはないので「時間限定」と云うことで、公開を取りやめました。
ほんとに申し訳ないのですが、急遽次回分と差し替えました。
でも本文では触れませんでしたが、あの「風立ちぬ、いざ生きめやも」の詩句は名句ですね。有難うございました。
あの作品を読んだ頃に、も一度戻ってみたくって、とんだ気まぐれでしたが、私の真意ご理解戴ければ嬉しいです。
もう少しで終着ですね。もう一人の女の子も記事が消えてるので、きょとんとしてるかも…、別ルートで言い訳してておきます。
今後ともよろしくお願いします。
「たそがれさん」が、旅行の企画されておられますので、途中変更多いにいいじゃないですか。その方が実際の旅行にもよくありますから、むしろ面白いですよ。
ご自由に案内して下さい。