夜ごとの美女(1952) フランス“Les Belles de Nuit”

脚本・監督:ルネ・クレール
撮影:アルマン・ティラール
音楽:ジョルジュ・ヴァン・パリス
出演:ジェラール・フィリップ、マルティーヌ・キャロル、ジーナ・ロロブリジータ、マガリ・ヴァンドゥイユ、マリリン・ビュフェール、レイモン・コルディ
【1952年ヴェネチア国際映画祭】
国際批評家連盟賞授賞 ルネ・クレール
ジェラール・フィリップ
1922年12月4日、フランス・カンヌ生まれ。ニースの法律学校へ進んだが、マルク・アレグレ監督と知り合い、演劇に興味を持つようになる。そして、アレグレ監督の勧めで、カンヌの演劇学校に通い始める。
1942年、20歳で舞台デビュー。1943年、ペリへ移住し、映画デビューを果たした。コンセルヴァトワールへ入学し、改めて演技の勉強をする。
1945年に出演した「白痴」がヒットし、ジェラール・フィリップは正統派の二枚目俳優として知られるようになる。1947年、クロード・オータン=ララ監督の「肉体の悪魔」に出演。年上の人妻に溺れる少年を瑞々しく演じて、注目を集めた。
その後、ルネ・クレール監督の「悪魔の美しさ」(1949年)、「夜ごとの美女」(1952年)、「夜の騎士道」(1955年)と3本たて続けに出演し、スターの座を不動のものとする。1952年、「花咲ける騎士道」で演じたファンファンは、その後、ジェラール・フィリップの愛称として親しまれた。1958年には、ジャック・ベッケル監督の「モンパルナスの灯」で、夭折した天才画家モディリアニを演じている。そのほか、マルセル・カルネ監督の「愛人ジュリエット」(1950年)、ルネ・クレマン監督の「しのび逢い」(1954年)、ロジェ・ヴァディム監督の「危険な関係」(1959年)など、出演作多数。
私生活では、1951年に元ジャーナリストと結婚し、1954年には長女が誕生している。1959年11月25日、肝臓ガンのため死去。享年36歳。フランス映画黄金時代の最後のスターといわれ、惜しまれつつ亡くなった。
ジーナ・ロロブリジーダ
1927年イタリア・スビアコ生まれ。イタリア発の国際女優。
幼い頃には歌手を目指していたが、第二次大戦を経て、一家が没落し、音楽学校への進学を断念。映画のエキストラなどをしているうち、持ち前の美貌とグラマーな肉体を生かして、ミス・イタリア・コンテストに参加することになり、以降、やはり美形とグラマー女優として活躍する。映画ファンの話題の的になった『花咲ける騎士道』(52)では25歳のフレッシュな可愛らしさで人気を得、キャロル・リードの『空中ぶらんこ』(56)など、’60年代には国際的な活躍も見せる。’74年に写真集『私のイタリア』を発表、’70年代以降はカメラマンとして活躍している。
他にアンソニー・クインの「ノートルダムのせむし男」(56)、ジュールス・ダッシンの「掟」(59)、ユル・ブリンナーの「ソロモンとシバの女王」(59)、ブレイク・エドワーズの「地上最大の脱出作戦」(66)などの出演作がある。本格的な主演をしたことは無いみたいで、大抵が主人公の彼女役ばかり。美人すぎて主役には不向きだったのでしょうか?。
「さらば恋の日」(69)では40すぎてもなお肉体的魅力を発揮して、17歳の少年の初体験を手ほどきするマダムを演じた。
現在でも、はるか年下の青年と結婚する等、健在振りを発揮しています。
あらすじ
“Les Belles de Nuit”とは、日没後に咲くオシロイバナ、または眠りを妨げられて夜に鳴くナイチンゲールという意味だとか。
いつか自分が作曲したオペラを上演したいと希望を抱く貧しい音楽教師 クロード(ジェラール・フィリップ)は、町の騒音に日々悩まされる。ピアノの音を目の敵にしている修理工の親父がガレージで車のエンジンをふかしまくり、家の目の前で工事が始まる、カフェに行けば近所の連中にからかわれ、学校では生徒にバカにされ、家主には家賃滞納を責められ、まったくどうしようもない。
作曲家を目指してコンクールに出品するが返事もこない。現実の、そんな世界の喧騒に嫌気がさしている。彼の唯一の慰めはベッドの中で見る夢。
夜ごと見る彼の夢には、数々の美女が登場しては消えていく。
現実と非現実の境界を越えて、夢の彼方を右往左往するクロード。
ピアノのレッスンをみながら彼は居眠りをはじめる。
幼い女の子が奏でる単調な音階にのせて、彼からキャメラが緩やかに横に移動。
グランドピアノの黒い蓋がスクリーンをいっぱいに覆う。黒い画面の先には夢の世界が。
夜ごと登場する、あの美女をめぐる冒険。
1900年の夢では貴婦人の娘のエドナ(マルティーヌ・キャロル)のピアノ教師、彼女に好意を持たれ、オペラ座の支配人が彼のオペラ上演を約束してくれる。1830年のアルジェリア征伐の夢では、ラッパ手になり、アラビアのレイラ姫(ジーナ・ロロブリジータ)に愛され、ブルボン朝、ルイ16世の時代のフランス革命時の夢では貴族の令嬢 シュザンヌ(マガリ・ヴァンドュイユ)と恋をささやく。
だが、ふいに目覚めさせられ、再び夢の世界に戻ろうとすると、どの夢もギクシャクとして彼は女たちの夫や兄や父たちに殺されかける。
結局、現実の世界にシュザンヌはいて、宿敵修理工の親父の娘だったが、彼がコンクールに入賞することで二人の仲も許されるのだが。
友人に飲みに誘われても断り、カードをやっている最中でもそそこさと立ち上がり、時間がくると安アパルトマンに向かって走り、孤独なベッドにもぐり込んで、昨夜の続きの夢路をたどるクロード。神経質になった彼が自殺するのではないかと友人達は心配して寝させまいとする。友人達をふりきってようやく眠りについたクロードは、夢の中でもひどい目にあって、今度は、寝たくないと言っては、眠らなくする為に、友人達を付き合わせる。この友人達との絡みはほのぼのとしていて、実に楽しい場面である。
可笑しいのは、カフェで出会ったおじいさんが夢にも出演して「昔は良かった、今は犯罪は増えるし役人は横領するし…1830年代は・・・」。そして、いつの時代の夢にも登場して、二言目には「昔は良かった。」とぼやく。その良かった時代へ逆戻りしてみれば、13世紀のダルタニァンや三銃士に追いかけられたり、フランス革命のギロチン台にあげられそうになったり…、でも更に、もっと昔の方が良かったという。
その挙げ句の果てに、友人達は原始時代にまで車を突っ走らせ、クロードを助け、現代まで帰るという下りである。
どこまでさかのぼっても安住はなく、結局、現代へと追いやられて、最後には世俗的でささやかな幸福へと収まる。
解 説
本作品もまた、戦後当時のシリアスな、フランスの世相をはらんだ一種の現実逃避映画なのである。
それは、極めて甘くてロマンティックな夢である。ただ、そこにはほのかな生きる歓びがあり、たとえそれが束の間のものであったとしても、その積み重ねで日々が充足、満足されていく。
映画を楽しむ事自体が刹那的な夢物語へ陶酔する手段であった時代のことである。
終盤はドタバタ喜劇調の壮絶な展開で、一気に大団円まで駆け抜ける。とにかく、この映画は絶えず加速する。小さな田舎町のゆったりしたリズムで始まった映画は、幾多の時代を横切って、パリ オペラ座のオペラで終えるまで、ひたすらにスピードアップしていく。この加速感を意識していたクレールは、撮影期間、徐々に演出のスピードを速めていき、キビキビしたリズムを俳優達に強いたという。
音の使い方も巧妙である。
この映画では、音というものが非常に重要な役割を担っている。
ガレージや道路工事の騒音に眠りを妨げられ、イライラしながら、やっと眠りに入ったが、夢のデートに遅刻してしまうクロード。また、夢の世界で女性といいムードになったかと思いきや、今度はドアをノックする音とともに、現実の世界の友人が部屋に押し入ってくる。
つまり、物音を境界線として、夢が現実になる前に、現実がいつの間にか夢を侵食し始め、その現実でも、音が物語りを、タイミングよく面白くさせる。
クロードのエゴイスティックな性格に振り回される悪友たちのギャグも最高で、古さを感じない。
また、夢の中でのミュージカル場面の素晴らしく、八の字髭の男の“オーペラ〜”の高らかな歌声オペラ座でのジェラール・フィリップの指揮ぶりのカッコよさや、彼の弱々しい、いい加減男ぶりも最高に魅力的に演じ、描かれている。
ジェラール・フィリップにとっては、間違いなく代表作の一本であり、彼のロマンティックな雰囲気と繊細な持ち味を最大限に引き出し、喜劇演技へと転じさせたクレールの演出は殊勲である。
ルネ・クレールと言えば、フランスの前衛的な映画作家でもある。現実から夢へ、夢から現実へ、やすやすと場面を転換してみせる奔放加減が、本作品のかけがえのない面白さであり、夢の世界を背景がチープな書割り等、その幻想的な手法をセットで描き、ダリのようなシュールな世界を表現してる。「巴里の屋根の下」「巴里祭」といった名作をしのばせる下町風の内容を、実に巧く溶け合わせ、実際の下町と対比して描いている。
また、主人公は、夢の世界に自分を置いているが、実は下町の情緒溢れ人情味の有る世界の方が、彼にとっての住む世界であることをさり気なく表現してみせる。
この辺の描き方が上手く、楽しく心温まるストーリーが心憎くもあり、クレール映画の集大成のような醍醐味がある、ルネ・クレールの傑作の一本とも云える。
脚本・監督:ルネ・クレール
撮影:アルマン・ティラール
音楽:ジョルジュ・ヴァン・パリス
出演:ジェラール・フィリップ、マルティーヌ・キャロル、ジーナ・ロロブリジータ、マガリ・ヴァンドゥイユ、マリリン・ビュフェール、レイモン・コルディ
【1952年ヴェネチア国際映画祭】
国際批評家連盟賞授賞 ルネ・クレール
ジェラール・フィリップ
1922年12月4日、フランス・カンヌ生まれ。ニースの法律学校へ進んだが、マルク・アレグレ監督と知り合い、演劇に興味を持つようになる。そして、アレグレ監督の勧めで、カンヌの演劇学校に通い始める。
1942年、20歳で舞台デビュー。1943年、ペリへ移住し、映画デビューを果たした。コンセルヴァトワールへ入学し、改めて演技の勉強をする。
1945年に出演した「白痴」がヒットし、ジェラール・フィリップは正統派の二枚目俳優として知られるようになる。1947年、クロード・オータン=ララ監督の「肉体の悪魔」に出演。年上の人妻に溺れる少年を瑞々しく演じて、注目を集めた。
その後、ルネ・クレール監督の「悪魔の美しさ」(1949年)、「夜ごとの美女」(1952年)、「夜の騎士道」(1955年)と3本たて続けに出演し、スターの座を不動のものとする。1952年、「花咲ける騎士道」で演じたファンファンは、その後、ジェラール・フィリップの愛称として親しまれた。1958年には、ジャック・ベッケル監督の「モンパルナスの灯」で、夭折した天才画家モディリアニを演じている。そのほか、マルセル・カルネ監督の「愛人ジュリエット」(1950年)、ルネ・クレマン監督の「しのび逢い」(1954年)、ロジェ・ヴァディム監督の「危険な関係」(1959年)など、出演作多数。
私生活では、1951年に元ジャーナリストと結婚し、1954年には長女が誕生している。1959年11月25日、肝臓ガンのため死去。享年36歳。フランス映画黄金時代の最後のスターといわれ、惜しまれつつ亡くなった。
ジーナ・ロロブリジーダ
1927年イタリア・スビアコ生まれ。イタリア発の国際女優。
幼い頃には歌手を目指していたが、第二次大戦を経て、一家が没落し、音楽学校への進学を断念。映画のエキストラなどをしているうち、持ち前の美貌とグラマーな肉体を生かして、ミス・イタリア・コンテストに参加することになり、以降、やはり美形とグラマー女優として活躍する。映画ファンの話題の的になった『花咲ける騎士道』(52)では25歳のフレッシュな可愛らしさで人気を得、キャロル・リードの『空中ぶらんこ』(56)など、’60年代には国際的な活躍も見せる。’74年に写真集『私のイタリア』を発表、’70年代以降はカメラマンとして活躍している。
他にアンソニー・クインの「ノートルダムのせむし男」(56)、ジュールス・ダッシンの「掟」(59)、ユル・ブリンナーの「ソロモンとシバの女王」(59)、ブレイク・エドワーズの「地上最大の脱出作戦」(66)などの出演作がある。本格的な主演をしたことは無いみたいで、大抵が主人公の彼女役ばかり。美人すぎて主役には不向きだったのでしょうか?。
「さらば恋の日」(69)では40すぎてもなお肉体的魅力を発揮して、17歳の少年の初体験を手ほどきするマダムを演じた。
現在でも、はるか年下の青年と結婚する等、健在振りを発揮しています。
あらすじ
“Les Belles de Nuit”とは、日没後に咲くオシロイバナ、または眠りを妨げられて夜に鳴くナイチンゲールという意味だとか。
いつか自分が作曲したオペラを上演したいと希望を抱く貧しい音楽教師 クロード(ジェラール・フィリップ)は、町の騒音に日々悩まされる。ピアノの音を目の敵にしている修理工の親父がガレージで車のエンジンをふかしまくり、家の目の前で工事が始まる、カフェに行けば近所の連中にからかわれ、学校では生徒にバカにされ、家主には家賃滞納を責められ、まったくどうしようもない。
作曲家を目指してコンクールに出品するが返事もこない。現実の、そんな世界の喧騒に嫌気がさしている。彼の唯一の慰めはベッドの中で見る夢。
夜ごと見る彼の夢には、数々の美女が登場しては消えていく。
現実と非現実の境界を越えて、夢の彼方を右往左往するクロード。
ピアノのレッスンをみながら彼は居眠りをはじめる。
幼い女の子が奏でる単調な音階にのせて、彼からキャメラが緩やかに横に移動。
グランドピアノの黒い蓋がスクリーンをいっぱいに覆う。黒い画面の先には夢の世界が。
夜ごと登場する、あの美女をめぐる冒険。
1900年の夢では貴婦人の娘のエドナ(マルティーヌ・キャロル)のピアノ教師、彼女に好意を持たれ、オペラ座の支配人が彼のオペラ上演を約束してくれる。1830年のアルジェリア征伐の夢では、ラッパ手になり、アラビアのレイラ姫(ジーナ・ロロブリジータ)に愛され、ブルボン朝、ルイ16世の時代のフランス革命時の夢では貴族の令嬢 シュザンヌ(マガリ・ヴァンドュイユ)と恋をささやく。
だが、ふいに目覚めさせられ、再び夢の世界に戻ろうとすると、どの夢もギクシャクとして彼は女たちの夫や兄や父たちに殺されかける。
結局、現実の世界にシュザンヌはいて、宿敵修理工の親父の娘だったが、彼がコンクールに入賞することで二人の仲も許されるのだが。
友人に飲みに誘われても断り、カードをやっている最中でもそそこさと立ち上がり、時間がくると安アパルトマンに向かって走り、孤独なベッドにもぐり込んで、昨夜の続きの夢路をたどるクロード。神経質になった彼が自殺するのではないかと友人達は心配して寝させまいとする。友人達をふりきってようやく眠りについたクロードは、夢の中でもひどい目にあって、今度は、寝たくないと言っては、眠らなくする為に、友人達を付き合わせる。この友人達との絡みはほのぼのとしていて、実に楽しい場面である。
可笑しいのは、カフェで出会ったおじいさんが夢にも出演して「昔は良かった、今は犯罪は増えるし役人は横領するし…1830年代は・・・」。そして、いつの時代の夢にも登場して、二言目には「昔は良かった。」とぼやく。その良かった時代へ逆戻りしてみれば、13世紀のダルタニァンや三銃士に追いかけられたり、フランス革命のギロチン台にあげられそうになったり…、でも更に、もっと昔の方が良かったという。
その挙げ句の果てに、友人達は原始時代にまで車を突っ走らせ、クロードを助け、現代まで帰るという下りである。
どこまでさかのぼっても安住はなく、結局、現代へと追いやられて、最後には世俗的でささやかな幸福へと収まる。
解 説
本作品もまた、戦後当時のシリアスな、フランスの世相をはらんだ一種の現実逃避映画なのである。
それは、極めて甘くてロマンティックな夢である。ただ、そこにはほのかな生きる歓びがあり、たとえそれが束の間のものであったとしても、その積み重ねで日々が充足、満足されていく。
映画を楽しむ事自体が刹那的な夢物語へ陶酔する手段であった時代のことである。
終盤はドタバタ喜劇調の壮絶な展開で、一気に大団円まで駆け抜ける。とにかく、この映画は絶えず加速する。小さな田舎町のゆったりしたリズムで始まった映画は、幾多の時代を横切って、パリ オペラ座のオペラで終えるまで、ひたすらにスピードアップしていく。この加速感を意識していたクレールは、撮影期間、徐々に演出のスピードを速めていき、キビキビしたリズムを俳優達に強いたという。
音の使い方も巧妙である。
この映画では、音というものが非常に重要な役割を担っている。
ガレージや道路工事の騒音に眠りを妨げられ、イライラしながら、やっと眠りに入ったが、夢のデートに遅刻してしまうクロード。また、夢の世界で女性といいムードになったかと思いきや、今度はドアをノックする音とともに、現実の世界の友人が部屋に押し入ってくる。
つまり、物音を境界線として、夢が現実になる前に、現実がいつの間にか夢を侵食し始め、その現実でも、音が物語りを、タイミングよく面白くさせる。
クロードのエゴイスティックな性格に振り回される悪友たちのギャグも最高で、古さを感じない。
また、夢の中でのミュージカル場面の素晴らしく、八の字髭の男の“オーペラ〜”の高らかな歌声オペラ座でのジェラール・フィリップの指揮ぶりのカッコよさや、彼の弱々しい、いい加減男ぶりも最高に魅力的に演じ、描かれている。
ジェラール・フィリップにとっては、間違いなく代表作の一本であり、彼のロマンティックな雰囲気と繊細な持ち味を最大限に引き出し、喜劇演技へと転じさせたクレールの演出は殊勲である。
ルネ・クレールと言えば、フランスの前衛的な映画作家でもある。現実から夢へ、夢から現実へ、やすやすと場面を転換してみせる奔放加減が、本作品のかけがえのない面白さであり、夢の世界を背景がチープな書割り等、その幻想的な手法をセットで描き、ダリのようなシュールな世界を表現してる。「巴里の屋根の下」「巴里祭」といった名作をしのばせる下町風の内容を、実に巧く溶け合わせ、実際の下町と対比して描いている。
また、主人公は、夢の世界に自分を置いているが、実は下町の情緒溢れ人情味の有る世界の方が、彼にとっての住む世界であることをさり気なく表現してみせる。
この辺の描き方が上手く、楽しく心温まるストーリーが心憎くもあり、クレール映画の集大成のような醍醐味がある、ルネ・クレールの傑作の一本とも云える。
コメント (16) |
トラックバック (1) |








・・・(何を今迄喋ってたんやろ)
その日を迎えたのであった。









ニヤッとして友人が「大分節約したから、パッ行こうか」・・・出発する前に、洋式だったら長時間、納得出来るまで入れるだろうし、思いっきり頑張れる事から、ご互い色んな意味で助かる。しかし、何を下らない事で理屈をこね、納得しているんだと我にかえる。















