朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

「入江泰吉の写真でみる奈良市の今と昔」

2013-01-04 | 国内各地の風物
JR奈良駅前にある奈良市総合観光案内所で、こんな写真展をやっていました。



東大寺大仏殿前の交差点。大きなアメ車が写っています、シボレーでしょうか。

昭和30年頃の時代、終戦後の基盤復興がほぼ完了して高度経済成長が始まる時期でした。



興福寺五重塔は変わりませんが、全面にいる人々の服装が興味深い。



近鉄奈良駅から見た登大路。

当時、近鉄奈良線は地上を走っていました。



どこの塔かな、薬師寺? (場所をメモするのを忘れた)[薬師寺ではないとの指摘があります。コメント欄をご覧ください]



東向商店街ですか? (同上)



奈良町でしょうか。



油阪。近鉄線路が路面電車のように道路中央を走っていたようです。



どこだろう。高畑?



近鉄奈良線「学園前」駅の近くに立体交差アンダーパス道路が完成しました。
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8 コメント

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凍れる音楽 (ハリー)
2013-01-05 11:16:09
何とも懐かしい写真の数々、何よりのお年玉を有難う!ところで4枚目の写真は5重の塔だから薬師寺ではないですね。薬師寺のは3重の塔。フェノロサが”凍れる音楽”と絶賛した塔です。各階の下に裳腰といって小さめの庇があるので6重の塔にみえます。薬師寺の管長だった高田好胤さんがよく言っておられました。「薬師寺の塔は3階建て。6階建てではありません。くれぐれも誤解(五階)のなきように」と。薬師寺を語りだしたら止まりません(笑)
ハリーさん (geneve)
2013-01-06 09:11:03
確かに薬師寺ではないですね。高田好胤さんの説教は、母が大好きで時々聴きに行っていたようです。
 さて、この五重塔は、多分、興福寺の塔でしょう。この商店街は三条通かな。左側に本屋さんが写っています。
Unknown (S.M)
2013-06-30 22:13:18
4枚目の写真は、興福寺の五重塔を南から見た写真です。右側の建物に尾花座(映画館)文字が見てとれます。今はホテルになってます。当時、尾花座の右向かいには市役所が在りました。ここから五重塔に向かって行くと、2枚目の写真の所に行きつきます。5枚目の写真は、コマシン(化粧品屋)の看板があるので、餅飯殿通り。まだアーケードが無かったんですね。
S.Mさん (geneve)
2013-07-01 14:23:16
なるほど、そうですか。尾花座という映画館が三条通にあったのですか。パリ、ローマやフィレンチェのように、伝統ある町の外観を保存するという考えは当時なかったのが残念。寺社だけは、宗教団体だったので単に経済性だけで、建て替えや改装されなかったのが幸いです。(明治初期の廃仏毀釈での破壊はあったけれど)
Unknown (S.M)
2013-07-01 19:28:00
4枚目、この通りは三条道り(東西にはしる)ではありません。鶴福院町(南北にはしる)です。2枚目、写真には写ってはいませんが左側(西側)に猿沢池があります。
S.Mさん (geneve)
2013-07-02 16:02:03
おっと、これまた失礼。鶴福院町ですか、なにか縁起の良い地名ですね。
奥医院 (saru_kame999)
2015-09-28 21:01:01
「鶴福院」を検索して、こちらを発見しました。

このブログの写真6枚目、奈良町でも中街道の東城戸町の四つ角ですね。取り上げられることがあまり多くない写真です。
左へ行くと三条通を越えて小西通りから近鉄奈良駅、まっすぐすすめば、餅飯殿と下御門の商店街のつながる光明院町になります。(突き当りが尾花座)
左手のお屋敷は奥医院で、建物は変わりましたが今はお孫さんが先生です。
saru_kame999さん (geneve)
2015-09-28 21:37:51
中街道の東城戸町の四つ角でしたか。懐かしい情報をありがとうございます。

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