朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

上醍醐

2014-05-24 | 京都の文化(春)
先日の週末は五月晴れが続いたので、かねてから念願の醍醐寺の奥の院、上醍醐に登ることにしました。



総門、ここから境内に入ります。拝観料は三つのエリアに分かれていて、別料金になっています。上醍醐はさらに別。



唐門。最近修理が終わって間がないので金箔が光っています。



仁王門。ここをくぐると拝観料が必要な区域となりますが、二三度来ているので今回は入場せずに右に折れて進みます。100m位行った角を左折(トイレの標識あり)、その後は塀にそって直進しました。



仁王門から入って、上醍醐に行く場合はこの回転ドアから出てきます。ここから入場はできません。



多少、道筋が不安になったころ、こんな標識がありました。ここから上醍醐まで、50-60分と表示しています。



この坂を上がると、



「女人堂」がありその受付で、上醍醐の拝観料600円を納めて入山します。ここまで、入り口の総門から15分かかりました。



なかなかの本格的な山道となります。



行程を示す石標ですが、山頂が何丁目なのか知らないので私には役に立ちません。



女人堂から約10分登ったところに「醍醐の花見」の説明板がありました。

豊臣秀吉が、北野茶会と並んで、1598年に一世一代の華やかな行事をおこなった場所ですが、結構山の中で、当時は山桜の花見だったのでしょう。・・と思ったら、調べてみると、700本の桜をこの宴会のために移植させたということです。

花見に招かれたのは近親者と配下の大名の女房女中衆約1300人もの女性ばかりで、秀吉・秀頼の他には唯一男は前田利家だけでした。

”宴会の席では、正室である北政所の次に杯を受けるのを淀殿と松の丸殿が争い、まつ(利家正室)がその場をうまく取りおさめたという話が伝わっている。”(引用:Wikipedia「醍醐の花見」)

秀吉は、この大宴会の5ヶ月後に亡くなってしまいます。



参道はさらに傾斜がきつくなり、疲れたところにこの「不動の滝」が現れました。ほぼ中間地点です。女人堂から約20分。ここで少し休憩をとりました。

どうにか坂道を登りきって、少し下り坂になったら正面に上醍醐寺務所が現れました。



この左手を抜けて、境内に入って行きます。



清瀧宮(せいりゅうぐう)拝殿(国宝)です。ここでも青もみじが眩しく光っていました。



醍醐寺発祥の地

”ここがまさしく聖宝・理源大師が山上に立てた隠遁場所です。大師は霊力によってこの泉を発見されました。今でもこの霊水を飲むことができます。”(引用:醍醐寺公式ウェブの上醍醐)



「醍醐味」のダイゴで、仏教の経典にある五味のなかで最も美味しいものを表現しています。原義からは牛乳を精製して作るバターに相当します。

この説明板によれば「心の糧として仏法が最高であることをいわんとしている」とあります。



水栓がありコップも備えられていて、冷たい美味しい水を飲ませて頂きました。

(つづく)
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