
今日は真面目に幸福について少し考えたいと思います。
理由は先日来日本を訪問しているブータン国王夫妻の言動に少なからず感動したからです。
このところ盛んに報道されているようにブータンは世界一幸福な国と言われています。
ちなみにブータンの人口は70万人弱('08統計)で主な産業は農業で大卒の公務員の初任給は2万円。それにインド・中国の大国に挟まれ常に脅威に晒されています。
それ以外にも問題は多く抱えています。
にもかかわらず幸福な国と呼ばれる由縁はGNH(国民総幸福量)による値が高いからです。
つまり国民が自分の生活に、どれだけ満足しているかというもので経済社会が指標とする所得や文明の享受といった尺度ではなく個人の絶対的幸福感とでも言うべきものです。
その基準として「衣食住を賄うための収入は充分か?」とかいった基本的なもののようです。
※この辺は、良く調べていないので分りませんが国
はこのGNHの評価のために詳細な調査を行い、
ひとり当たりの調査が4時間を越える事も珍しく
ないとのことです。
エアコン付きの最新型の快適な住宅に住みマイカーやスマートフォンを所有し最新ブランドの衣類や時計宝石を持ち世界の珍味を食し…といった最新の文明の享受を潤沢に受ける生活が果たして真の幸福かといった議論にも通じるものです。
※単に欲望の追求を研究したものが経済学
である以上それを指標にする以上は欲望
の追求が現代文明の幸福感に繋がるのは
否定できません。
いや私は文明を完全否定する気持ちは毛頭有りません。
でも文明を指標にして考えるならば現在の社会が最高という事になり昭和・大正そしてもっと遡って江戸時代の生活は不幸な生活となってしまいます。
たしかに江戸時代の平均寿命は50歳前後で盲腸程度の疾病で命を落としかねない貧弱な医学レベルは幸福とはいえません。でも江戸時代には原発もなければAIDSもありませんでした。それに平均寿命が80歳を越えた現在ですが老後の生活は果たして江戸時代の老人と比べて幸せといえるものか?
たとえば江戸時代の農村を考えると今ほど農業技術は発達していない(農薬も無ければ化学肥料も無い)ので収穫量は今とは比べるべくもありませんし年貢だって払わないといけないし干ばつなどで収穫が見込めない場合でも農協なんて無いから種籾を買う費用を借りる事もできない。
でも江戸時代の農民は、けっこう暇を持て余していたようであまり金の掛からない娯楽は盛んに行なわれていたようで特に和算(今でいう数学:幾何が中心)は広く親しまれ当時のヨーロッパの数学をも凌駕する高度な数学が研究されていたようです(当時のヨーロッパの農民たちは数学とは全く無縁でした:シモン・ラプラスは例外中の例外)
そして武士のたしなみのはずの剣術も盛んに行なわれ幕末には近藤勇などが大いに活躍しました。
町人(特に江戸城下)は日々の生活を謳歌していました。
※お伊勢参りなんかで勝手に、ひと月以上
仕事をサボっても失職する事が無かった
事を思えば凄いですね。
明治維新直後をみても五日市憲法にみられるように農民は自由な思考を有していました。
農民・町民に限らず我が郷土の西郷さん・大久保さんのように武士でありながら自らの存在を否定しかねない平民思想を持っていた人も随分居ました。
今ここで明確に結論を出す事は不可能ですが国民自らが自身の本当の幸福を真剣に考える必要は可なり身近に迫っているようにも思えます。
■宮沢賢治作品選(その20)
今日は車という作品を紹介します。
あらすじ…
人足(多分?)のハーシュは朝から仕事が無く退屈していましたが突然荷車でテレピン油を取りに行く用事を言い付かり急いで向かいましたが…
散々苦労して油を持ち帰ったハーシュは1日を振り返り「こんなに遊びながら仕事になるんなら今日午前中仕事がなくていやな気がしたののうめ合せにはたくさんだ」とハーシュは思ひました。
大変な思いをしたのに『楽しい』と思えるハーシュ。
つくづく考えさせられる作品です。
車 青空文庫
URL:http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/card4409.html
『荒野より』というタイトルはどう解釈すればいいのか分りませんが映像は亡くなった父親との絆を再認識する息子が失ったものの大きさを痛いほど実感する内容だと思います。
今日は幸福について私なりに色々考えましたが前人たちが言うように失って初めて分るものなのかも知れません幸せって。
理由は先日来日本を訪問しているブータン国王夫妻の言動に少なからず感動したからです。
このところ盛んに報道されているようにブータンは世界一幸福な国と言われています。
ちなみにブータンの人口は70万人弱('08統計)で主な産業は農業で大卒の公務員の初任給は2万円。それにインド・中国の大国に挟まれ常に脅威に晒されています。
それ以外にも問題は多く抱えています。
にもかかわらず幸福な国と呼ばれる由縁はGNH(国民総幸福量)による値が高いからです。
つまり国民が自分の生活に、どれだけ満足しているかというもので経済社会が指標とする所得や文明の享受といった尺度ではなく個人の絶対的幸福感とでも言うべきものです。
その基準として「衣食住を賄うための収入は充分か?」とかいった基本的なもののようです。
※この辺は、良く調べていないので分りませんが国
はこのGNHの評価のために詳細な調査を行い、
ひとり当たりの調査が4時間を越える事も珍しく
ないとのことです。
エアコン付きの最新型の快適な住宅に住みマイカーやスマートフォンを所有し最新ブランドの衣類や時計宝石を持ち世界の珍味を食し…といった最新の文明の享受を潤沢に受ける生活が果たして真の幸福かといった議論にも通じるものです。
※単に欲望の追求を研究したものが経済学
である以上それを指標にする以上は欲望
の追求が現代文明の幸福感に繋がるのは
否定できません。
いや私は文明を完全否定する気持ちは毛頭有りません。
でも文明を指標にして考えるならば現在の社会が最高という事になり昭和・大正そしてもっと遡って江戸時代の生活は不幸な生活となってしまいます。
たしかに江戸時代の平均寿命は50歳前後で盲腸程度の疾病で命を落としかねない貧弱な医学レベルは幸福とはいえません。でも江戸時代には原発もなければAIDSもありませんでした。それに平均寿命が80歳を越えた現在ですが老後の生活は果たして江戸時代の老人と比べて幸せといえるものか?
たとえば江戸時代の農村を考えると今ほど農業技術は発達していない(農薬も無ければ化学肥料も無い)ので収穫量は今とは比べるべくもありませんし年貢だって払わないといけないし干ばつなどで収穫が見込めない場合でも農協なんて無いから種籾を買う費用を借りる事もできない。
でも江戸時代の農民は、けっこう暇を持て余していたようであまり金の掛からない娯楽は盛んに行なわれていたようで特に和算(今でいう数学:幾何が中心)は広く親しまれ当時のヨーロッパの数学をも凌駕する高度な数学が研究されていたようです(当時のヨーロッパの農民たちは数学とは全く無縁でした:シモン・ラプラスは例外中の例外)
そして武士のたしなみのはずの剣術も盛んに行なわれ幕末には近藤勇などが大いに活躍しました。
町人(特に江戸城下)は日々の生活を謳歌していました。
※お伊勢参りなんかで勝手に、ひと月以上
仕事をサボっても失職する事が無かった
事を思えば凄いですね。
明治維新直後をみても五日市憲法にみられるように農民は自由な思考を有していました。
農民・町民に限らず我が郷土の西郷さん・大久保さんのように武士でありながら自らの存在を否定しかねない平民思想を持っていた人も随分居ました。
今ここで明確に結論を出す事は不可能ですが国民自らが自身の本当の幸福を真剣に考える必要は可なり身近に迫っているようにも思えます。
■宮沢賢治作品選(その20)
今日は車という作品を紹介します。
あらすじ…
人足(多分?)のハーシュは朝から仕事が無く退屈していましたが突然荷車でテレピン油を取りに行く用事を言い付かり急いで向かいましたが…
散々苦労して油を持ち帰ったハーシュは1日を振り返り「こんなに遊びながら仕事になるんなら今日午前中仕事がなくていやな気がしたののうめ合せにはたくさんだ」とハーシュは思ひました。
大変な思いをしたのに『楽しい』と思えるハーシュ。
つくづく考えさせられる作品です。
車 青空文庫
URL:http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/card4409.html
『荒野より』というタイトルはどう解釈すればいいのか分りませんが映像は亡くなった父親との絆を再認識する息子が失ったものの大きさを痛いほど実感する内容だと思います。
今日は幸福について私なりに色々考えましたが前人たちが言うように失って初めて分るものなのかも知れません幸せって。










