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  <title>玄文社主人の書斎</title>
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  <dc:creator>genbunsya</dc:creator>
  <dc:date>2018-01-12T10:52:24+09:00</dc:date>
  <language>ja</language>
  <copyright>Copyright:(C) 2018 NTT-Resonant Inc. All Rights Reserved.</copyright>
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   <title>玄文社主人の書斎</title>
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   <description>玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート</description>
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  <description>玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート</description>
  <docs>http://blogs.law.harvard.edu/tech/rss</docs>
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   <title>マイケル・タウシグ『ヴァルター・ベンヤミンの墓標』（７）</title>
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   <description>
<![CDATA[
<p>第２章アメリカの構築（その３）</p>
<p>　しかし、この文章では何が言いたいのかさっぱり分からない。ここで私は翻訳者に対して苦情を述べておかなければならない。問題は「コレスポンダンス」を「対応すること」などと訳しているところにある。<br />「コレスポンダンス」がボードレールの詩のタイトルであることを、見逃しているのである。原題Correspondancesは普通「万物照応」と訳されていて、ボードレールのこの作品は象徴主義の理論をもっともよく表現したものであるとされている。この作品の１連、２連は次のとおり。</p>
<p>　「自然」とは一つの神殿　立ち並ぶ柱も生きていて<br />　ときおりは　聞きとりにくい言葉を洩らしたりする。<br />　人間がそこを通れば　横切るは象徴の森<br />　森は親しげなまなざしで彼を見守る。</p>
<p>　長いこだまが遠くから響きかわして<br />　闇のように光のように広大無辺の、<br />　暗い奥深い一体のうちに溶け合うのに似て、<br />　香りと、色と音とが互いに答え合っている。<br />（安藤元雄訳）</p>
<p>     La Nature est un temple où de vivants piliers<br />　　Laissent parfois sortir de confuses paroles;<br />　　L'homme y passe à travers des forêts de symboles<br />　　Qui l'observent avec des regards familiers.<br /><br />　　Comme de longs échos qui de loin se confondent<br />　　Dans une ténébreuse et profonde unité,<br />　　Vaste comme la nuit et comme la clarté,<br />　　Les parfums, les couleurs et les sons se répondent.</p>
<p>　この作品の大意は、自然は「香りと、色と音とが」互いに照応し合って、人間に対して「聞きとりにくい言葉」を洩らしているが、人間は五感によってその照応が象徴するものを読み取っていくのだ、ということになろうか。<br />　ここで初めて、その前に出てくる「類感呪術」という言葉とのつながりが示されるのであって、「対応すること」などと訳したのでは、読者は理解の糸口さえ与えられないことになってしまう。<br />「類感呪術」というのはジェイムズ・フレイザーの用語で、類似したものはお互いに影響し合うという性質を利用した呪術を意味しているが、ボードレールの「コレスポンダンス」が自然の要素の相互作用を歌ったものだとすれば、「類感呪術」と「コレスポンダンス」との相似性が見えてくるわけである。<br />　そこでタウシグが言及している、ベンヤミンによるボードレールの「コレスポンダンス」解釈についてみてみよう。それは「ボードレールにおけるいくつかのモティーフについて」という論文のXに出てくる次の文章である。</p>
<p>「ボードレールが万物照応ということで考えていたのは、危機に対して確固たるものであろうとする、ひとつの経験であったと言ってよい。この経験は、礼拝的なものの領域においてのみ存在しうる。この領域を超え出ると、それはみずからを〈美〉として提示する。美においては、礼拝的価値が芸術の価値として現れる。」</p>
<p>「コレスポンダンス」が「礼拝的価値においてのみ存在しうる」というのは、ボードレールが「「自然」とは一つの神殿」と言っていることからも理解できる。それが芸術の領域に超え出ていくというベンヤミンの考え方は、例の宗教的啓示と非宗教的啓示との対比と同じ性質をもっていると私は思う。<br />　私によく理解できないのは、ベンヤミンがここでも「危機」ということを持ち出してくるところにある。この後でベンヤミンが「万物照応は想起のデータである」と書いていることからは、あの「歴史の概念について」で「危機の瞬間にひらめくような想起」と言っていることとのつながりを想定することができる。<br />「万物照応」を人間に引きつけて考えれば、それは「想起のデータ」としての意味をももつことは明らかであり、ベンヤミンはその「想起」は「危機の瞬間にひらめく」ものであると考えているようだ。「ボードレールにおけるいくつかのモティーフについて」という論文が、実は記憶の問題を中心に展開されていくものだということを思い出さなければならない。<br />　ところで「危機」という問題を考えるときに、「歴史の概念について」のⅧに出てくる文章は示唆的である。次のようなものである。</p>
<p>「抑圧された者たちの伝統は、わたしたちが生きている〈非常事態〉が実は通常の状態なのだと、私たちに教えている。」</p>
<p> </p>]]></description>
   <category>読書ノート</category>
   <dc:date>2018-01-12T10:49:12+09:00</dc:date>
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  <item>
   <title>マイケル・タウシグ『ヴァルター・ベンヤミンの墓標』（６）</title>
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   <description>
<![CDATA[
<p>第２章アメリカの構築（その２）</p>
<p>　まず語られるのは、コロンビア南西部に位置するプエルト・テハダという、当時は小さかった町の歴史である。トマス・サパタはそこで暮らしたことがあった。　<br />１９５０年代以前までそこは、「カカオ、コーヒー、料理用バナナを育てる小作農の人たちの経済で繁栄する中心地」であった。１９５０年代に砂糖黍のプランテーションが入ってき、１９６０年代後半には「アメリカの影響を受けた化学肥料や工作機械による「緑の革命」」が始まる。<br />　それは伝統的な農業文化を徹底して破壊する結果をもたらした。カカオやコーヒーの樹は伐採され、高価で危険な農薬と除草剤によって環境破壊が進行していく。記録者（身元不明の青年）はそれについて「何らかの新しい種類の暴力の予兆のようであった」と書き残している。<br />　つまりコロンビアの「麻薬戦争」と言われる暴力の時代のことを言っているのだろう。南米のどこの国でも、アメリカ資本による農業の破壊がもたらされ、それが暴力の時代につながっていくのだが、コロンビアではとりわけ過酷な形でそれは起きた。<br />　それはしかし、トマス・サパタの時代以降の話である。それ以前にも暴力の歴史はあった。トマス・サパタはコロンビアの暴力の歴史について叙事詩のスタイルで語る。プエルト・テハダのような町では人口の９５％を占めていた、アフリカからの奴隷の子孫の一人として、彼はコロンビアにおける暴力の歴史について語っていく。彼は千日戦争（１８９９～１９０１年まで続いた自由党と保守党による内戦）について次のように語る。</p>
<p>　神よ、サンブラノの政府に何を与えたもうたのか？<br />　すでにわれらは　兄弟で殺しあう二匹のケダモノのようだ<br />　サンブラノが現れたとき、町全体が震撼した<br />　やつらは一本の針も残さないよう、われらを丸裸にした<br />　四月九日のせいで、丸腰になった<br />　銃の前では多くのナイフも逃げていった<br />　なんてこった！　黒人たちにとって何という時代なんだ<br />（四月九日は自由党のリーダーだった、ホルヘ・エリエセル・ガイタンが暗殺された日）</p>
<p>　日本語に翻訳されてしまうと我々には分からなくなってしまうが、これは韻文であるから、英語でも韻を踏んだ詩として書かれているのだろう。トマス・サパタが架空の人物だとすれば、これはタウシグによる創作に違いないのだが、彼が歴史と詩について次のように考察するとき、この詩が創作であることがそれほど重要なことではなくなる。</p>
<p>「（詩は）人間が作りだした近似値として、現実性（リアリティ）を把握するわたしたちの方法なのだ。そして、詩が少し離れたところにある言語であるのとまったく同じように、それは他に影響をおよぼす類感呪術の形式でもあるのではないか？　それは現実性を出し抜き、現実性を支配するためにやりとりをしながら、観念が強力な存在感をもつ類感の鎖にそって伝染する類感呪術の形式である。」</p>
<p>　タウシグはここで詩についての一般論を述べているのであって、トマス・サパタの叙事詩に限定して議論を行っているわけではない。<br />　ここで私は、レヴィ＝ストロースが未開人における呪術と近代人における科学との構造的な類縁性を指摘した『野生の思考』における議論を思い出さないわけにはいかない。タウシグは詩（ここでは前近代的な韻文詩のことを言っているのだが）という形式を呪術の形式を結びつけているわけで、呪術に対して科学よりも詩のほうがより類縁性が高いという認識は間違った考え方ではないであろう。<br />　だからそれは前近代的な韻文詩のみならず、詩一般について敷衍されうる議論である。そうでなければ、ここでタウシグがベンヤミンのボードレール論「ボードレールにおけるいくつかのモティーフについて」における議論を思い出すわけがない。</p>
<p>「「対応すること」（コレスポンダンス）は、危機に耐えうる形式に経験を維持するもくろみとして、その詩人の仕事のなかで獲得される。だが、それにもかかわらず、近代の衝撃に直面し、この危機への忍耐力を保ち続けようとして、詩は敗北を受け入れる姿勢で形成されるのだ。」</p>]]></description>
   <category>読書ノート</category>
   <dc:date>2018-01-11T15:31:12+09:00</dc:date>
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  <item>
   <title>マイケル・タウシグ『ヴァルター・ベンヤミンの墓標』（５）</title>
   <link>http://blog.goo.ne.jp/genbunsya/e/01911f127762d0f73ad26a68ea1f6d90?fm=rss</link>
   <description>
<![CDATA[
<p>第２章アメリカの構築（その１）</p>
<p>　この試論は「ヨーロッパがアメリカを侵略してから５００周年となる」１９９２年、コロンビア人類学協会がボゴタ（コロンビアの首都）で開催した記念事業での、マイケル・タウシグによる講演録として掲載されている。<br />　序文というか講演の前置きのような部分があって、それが私たちの注意を大いに惹く。アメリカというのはもちろんアメリカ合衆国のことではなく、南北アメリカ大陸のことであるが、比重は南アメリカのほうに大きくかかっている。<br />　それは人類学というものが、ヨーロッパ人による南アメリカのインディオの社会を対象としたフィールドワークに多くを負ってきたからである。そのことはレヴィ＝ストロースの著作によっても明らかなことである。<br />　タウシグはそのこと自体に疑問の眼を向ける。南アメリカにはインディオだけではなく、アフリカから連れられてこられた黒人たちも厳然と存在しているからである。黒人の存在は文化人類学にとってこれまで、インディオ社会の理路整然としたいわゆる〝構造〟を脅かす〝不快な〟対象であった。<br />　タウシグにとって「アメリカの構築」とは「新世界秩序や主人による物語」にすぎず、黒人社会に眼を向けることは「アメリカの脱構築」を意味することになる。つまりタウシグはコロンビア人類学協会が与えたテーマそのものを疑問視しているわけで、「アメリカの構築」という第２章の表題は「アメリカの脱構築」を含んだ意味でのそれということになる。<br />　なぜならタウシグのこの試論は、コロンビアのある黒人の語り部の語る叙事詩をモチーフとしているからである。その黒人は高齢で盲目のトマス・サパタという名の人物であることが紹介され、彼の語りを記録した身元不明の白人青年が残した日記、資料、写真、録音テープが、プラハの公文書館で発見されたということも紹介されている。<br />　我々はそれを真に受けて読み進めていき、トマス・サパタという黒人が語り部というよりは哲学者であって、プラトンやピタゴラスなどのギリシャの哲人の言葉に通暁している上に、その恐るべき記憶力によって、長大な叙事詩を延々と暗誦することができるということを知ることになる。<br />　タウシグの試論はこのトマス・サパタという男と、身元不明の白人青年＝記録者との関係性を巡って展開していくが、それはとりもなおさず、人類学者とその対象となる人物との関係性そのものに敷衍される。<br />　タウシグは、ベンヤミン（この一書のなかで最も多く引用あるいは参照される思想家である）や、フロイト、ニーチェ、バタイユなどを援用しながら議論を進めていくのだが、最後に驚くべきことが書かれている。<br />　文書が発見されたというプラハ公文書館というのは架空の存在であったとタウシグは言うのである。タウシグがこの試論のなかに登場させる公文書館の館長も、記録者である白人青年も、あるいはトマス・サパタという黒人の存在も虚構だったのである。<br />　最後に著者注がついていて、そこには「この作品をわたしと一緒に上演してくれた文化人類学者のクララ・ジャノに多く感謝したい」と書かれている。つまり「アメリカの構築」という一編は、マイケル・タウシグによって講演されたのではなく、ひとつの作品として〝上演〟されたのである。<br />　この試論全体が、虚構の上に成り立っているということが、最後に明かされているわけだが、読者はそのことによってこの試論を放擲することができるであろうか。「ひとを馬鹿にするな」と言ってこの試論を投げ捨てることができるだろうか。<br />　少なくとも私にはそんなことはできない。「アメリカの構築」が虚構であっても、そこに展開されている議論は虚構ではないし、そこに書かれていることが真実を含んでいることは否定できないと考えるからである。むしろタウシグは、これまでの人類学のフィールドワークのあり方こそが虚構であったとさえ言いたげである。<br />　虚構が無価値であるなら、すべての小説は無価値である。しかし、虚構が何ものをも主張し得ないと考えることは愚かなことである。タウシグがここで人類学のルールに違反していることは確かだろうが、虚構によって真実を主張しているのであれば、私にとってはそれでかまわない。私は文化人類学にフィールドワーク的なデータを学ぼうとしているのではないし、私が学びたいのは文化人類学を通した〝ものの考え方〟なのであるから。<br />　再読しなければならない。虚構と知った上で再読しなければならない。<br />　</p>]]></description>
   <category>読書ノート</category>
   <dc:date>2018-01-10T10:54:29+09:00</dc:date>
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  <item>
   <title>マイケル・タウシグ『ヴァルター・ベンヤミンの墓標』（４）</title>
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   <description>
<![CDATA[
<p>第1章ヴァルター・ベンヤミンの墓標――非宗教的啓示（その３）</p>
<p>　タウシグは「何も見つけられなかった」ハンナ・アレントが、代わりに見つけたもののことについて思いめぐらしている。アレントは何を見つけたのか。彼女は墓地の周囲に広がる絶景を見つけたのだった。彼女は次のようにショーレムに書き送った。</p>
<p>「小さな湾に面した墓地からは、直接に地中海が見晴らせます。それは岩山を切りひらいて階段状につくられており、立ち並ぶ石の壁に柩がおさめられています。それはだんぜん、わたしがこれまでの生涯で見たもっとも幻想的な、もっとも美しい場所のひとつです。」</p>
<p>　この風光明媚な墓地に１９４４年、テルアヴィヴの芸術家ダニ・カラヴァンによるベンヤミンのための記念碑「パサージュ　ヴァルター・ベンヤミンへのオマージュ」が完成した（タウシグが訪れたのは２００２年）。<br />　マイケル・タウシグはこの記念碑について詳しく書いている。墓地の入り口の手前に三角形のオブジェのようなものがあり、それは地中海の小さな湾に降りていく階段の入り口になっている。階段は８７段あり、出口近くにガラスの板が立っていて、次のような碑文がドイツ語、スペイン語、カタルーニャ語、フランス語、英語で記されている。</p>
<p>「高名な人たちの記憶よりも、名前のない人たちの記憶を顕彰することのほうが、ずっと困難である。名もない人びとの追憶に史的構成はささげられる。」</p>
<p>　タウシグはこの記念碑とその碑文に強く心を動かされたようで、写真を１０枚使ってその構造を示し、碑文の写真も掲げている。<br />　この碑文を読んでタウシグは、スペインの歴史のことに思い至るのである。言うまでもなく、それはスペイン内乱の歴史である。ベンヤミンが眠るこの墓地だけが墓地なのではない。「スペインのいたるところが墓地である」という言葉を、タウシグはスペインの有力な新聞のなかに見つける。<br />　いたるところでフランコ将軍による虐殺があり、虐殺のあったその場所が「集団墓地」そのものなのである。だからスペインで集団墓地に埋葬されるなどということは、何も特別なことではない。<br />　あるいはナチスに追われた知識人たちが、スペインに逃げてきてどうにもならずに自殺するというようなことが、ベンヤミンの場合に限ったことでもなく、ごく普通にあったという事実をもタウシグは明らかにする。<br />　というような事実をベンヤミンのためにつくられた記念碑の碑文は、衝撃的に明らかにするのである。タウシグは次のように書く。</p>
<p>「美しさと死と無名性のいり混じったものとして、空間と場所が感覚されるのは、そのときだ。」</p>
<p>タウシグはその時、ベンヤミンの言う「非宗教的啓示」に打たれるのだ。彼はこの「非宗教的啓示」について、墓地の礼拝堂に続く階段を見上げたときの「宗教的啓示」と対比させて次のように言う。</p>
<p>「何もない空間や、海や、空といった無名性の開かれた表現をつうじて、非宗教的啓示のほうは、そのときにも力を増すことができる。それは本当の意味で、無名の死者たちが世界に加えた重みについての強烈な声明であるのだ。」</p>
<p>これ以上何を付け加えることができるだろう。しかし私は、マイケル・タウシグがこの本の序文で言っている「「ヴァルター・ベンヤミンの墓標」というエッセイでは、わたしは風景に歴史を制圧させようと試みた」という言葉について考えないわけにはいかない。<br />　つまり、ベンヤミンが「歴史の概念について」で言っていた「危機の瞬間にひらめくような想起」こそが、タウシグにあって非宗教的な啓示をもたらしたのである。だから正確には「風景に歴史を制圧させる」のではなく、〝風景が歴史を制圧する〟場面にタウシグは立ち会ったと言うべきだろう。<br />　ベンヤミンの言葉がその時、直接的にタウシグに非宗教的啓示を与えたのだったかもしれない。だからベンヤミンは生きているのである。<br />（第１章おわり）</p>]]></description>
   <category>読書ノート</category>
   <dc:date>2018-01-09T09:38:58+09:00</dc:date>
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  </item>
  <item>
   <title>マイケル・タウシグ『ヴァルター・ベンヤミンの墓標』（３）</title>
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   <description>
<![CDATA[
<p>第1章ヴァルター・ベンヤミンの墓標――非宗教的啓示（その２）</p>
<p>　マイケル・タウシグはベンヤミンが死の直前に書いた「歴史の概念について」というテクストに記された「敵が勝利を収める時には死者もまた無事ではいられない」という言葉を何度も引用する。テーマが「ベンヤミンの墓」である限りそれは当然のことである。<br />　しかし、「歴史の概念について」というテクストは難解を極める。先の言葉は６番目の断章の中に含まれているが、最初の部分は以下のようなものである。</p>
<p>「過ぎ去った事柄を歴史的なものとして明確に言表するとは、それを〈実際にあった通りに〉認識することではなく、危機の瞬間にひらめくような想起を捉えることを謂う。」</p>
<p>「死者もまた無事ではいられない」という言葉は、この文章に先導されていて、理解の糸口を与えてくれる。そして「死者の危機」に続く文章は次のようになっている（続けて読む。なおこの訳は「ベンヤミン・コレクション」の浅井健三郎訳）。</p>
<p>「もし敵が勝利を収めるなら、その敵に対して死者たちでさえもが安全ではないであろう――この認識にどこまでも滲透されている、その歴史記述者にのみ、過ぎ去ったもののなかに希望の火花を掻き立てる能力が宿っている。しかも、敵は勝つことを止めてはいない。」</p>
<p>　このテクストをいったいどう読めばいいのだろう。「過ぎ去った事柄を〈実際にあった通りに〉認識する」などということはあり得ないことであって、そのようなことが可能だと考える歴史記述者に「希望の火花を掻き立てる能力」はないと言いたいのだろうか。<br />　さらにまた、「危機の瞬間にひらめくような想起」として過去を捉えるならば、敵の勝利に対して死者たちの安全を守ることができると言いたいのだろうか。そして敵とは、ベンヤミンにとっての当面の敵＝ナチスだけを意味しているのではないであろう。そのことはこの文章に先立つ部分「メシアはたしかに解放者として来るのだが、それだけではない。彼はアンティキリストの超越者としてやって来るのだ」によって明らかだろう。<br />　アンティキリストがニーチェ的な意味で言われているのかどうかさえ、私にはよく分からないが、「危機」とは当然ナチスに追われてスペイン国境の町にまで逃げてきたベンヤミン自身のそれを意味していると同時に、より普遍的な「危機」をも意味しているだろう。そうでなければ「歴史の概念について」というようなタイトルで書かれるはずがない。<br />　ベンヤミンの死に学ぶということは、彼の死によって完結される物語を紡ぐことではない。そうではなくタウシグがこの章で行っているように「危機の瞬間にひらめくような想起を捉える」ことによって、死者の安全を、というか死者の生を保持することなのだ。<br />　マイケル・タウシグのもう一つのキーワードは「非宗教的な啓示」というものである。これはベンヤミンが１９２９年に書いた「シュルレアリスム」というテクストに出てくる言葉であり、当時のフランスのシュルレアリストたちの運動の本質を捉えた言葉である（「ベンヤミン・コレクション」の久保哲司訳では「世俗的啓示」と訳されている）。この言葉の意味は次のようなベンヤミンの文章によって明らかになるだろう。</p>
<p>「さて、宗教的啓示の真の創造的克服は、麻薬によってなされるのでは絶対ない。克服は〈世俗的啓示〉において、すなわち唯物論的、人間学的な霊感においてなされるのである。」</p>
<p>〈世俗的啓示〉は宗教的啓示を克服し、超えていくものと考えられている。ベンヤミンの言語論にはここで名指しされている〈世俗的啓示〉に関連していると思われる〈啓示〉の概念が頻出する。啓示は深く言語に関連していて、ベンヤミンの思想の中核をなす概念の一つでもある。<br />　ベンヤミンは「シュルレアリスム」において、シュルレアリストたちの言語芸術のなかに〈宗教的啓示〉を超えるものとしての〈世俗的啓示〉を見て取っているわけである。ベンヤミンはとりわけアンドレ・ブルトンの『ナジャ』の中にそれを顕著なものとして読み取っている。<br />　ではマイケル・タウシグにとっての〈世俗的啓示〉とは何か？</p>
<p> </p>]]></description>
   <category>読書ノート</category>
   <dc:date>2018-01-08T08:38:24+09:00</dc:date>
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   <title>マイケル・タウシグ『ヴァルター・ベンヤミンの墓標』（２）</title>
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   <description>
<![CDATA[
<p>第１章『ヴァルター・ベンヤミンの墓標――非宗教的啓示』（その１）</p>
<p>　まずこの第１章を読んで、私はそれを民族学者が書いた文章とはとても思えないという印象を持たざるを得ない。本書のタイトルにもなっているこの章は、マイケル・タウシグがベンヤミンの自殺した地、スペインとフランスの国境の町ポルトボウに、ベンヤミンの墓を訪ねて書いたエッセイである。<br />　しかしそこにあったのは、墓の不在であった。ベンヤミンの死後２～３ヶ月後に、ポルトボウを訪れたハンナ・アレントは、「何も見つけることができませんでした」と、ベンヤミンの友人ゲルショム・ショ－レム宛の手紙に書いた。<br />ショ－レムは墓守たちが、ベンヤミンの墓を求めてやってくるのに応えるために偽の墓をでっち上げたということを、回想録に書いているというが、アレントがやってきたのはその前であった。事実はどうなのか。<br />　事実はベンヤミンの逃避行の同行者の一人であったフラウ・ガーランドが、５年間の契約で墓地の壁龕に埋葬し、期限の後１９４５年に集団墓地に入れられていたということであった。またベンヤミンはベンジャミン・ウォルター博士という偽名でスペインに入国していたため、ハンナ・アレントは墓地にヴァルター・ベンヤミンの名を見つけることができなかったというのが真相であった。<br />　タウシグは偽物の墓を糾弾するショーレムに対してきわめて冷淡である。そこに物語と死との密接な結びつきを見てとるからである。ベンヤミンは「物語作者についての有名なエッセイ」（それを私はまだ読んでいないが、１９３６年に書かれた「物語作者」）の中で、「物語作者に権威を与えるものは死である」という命題をたてているという。<br />　つまり墓とは、死によって権威づけられる物語の謂いにすぎない。ショ－レムが真正の墓にこだわるのであれば、彼はベンヤミンの考えを理解せず、死によって完成される物語を望んでいるだけなのである。<br />　タウシグはポルトボウに「巡礼にきたわけではない」と書く。タウシグは次のようにその理由を説明する。　</p>
<p>「ベンヤミンの墓所のまわりで、彼への個人崇拝がはじまっていることに気がつき、居心地の悪さをおぼえたという理由の方が当たっている。ベンヤミンの死にまつわるドラマと、一般的にホロコーストと呼ばれるドラマとが、彼の文章と人生がもつ謎めいた力を占有して、それを曇らせてしまうことが許されているかのように思えた。はっきりいえば、彼の生そのものよりも死の方が意味あることになってしまうのだ。」</p>
<p>　そう、ベンヤミンの死よりも重要なのは生の方なのだ。彼は「一個の遺体なのではなく一個の精神」なのであるから。<br />　作家の死というものを巡る膨大な言説は、作品そのものを無価値化する方向にしか進みようがない。作家にまつわる物語というものこそは、死によって完結され制度と化した歴史の中に埋葬されていく。それは作品そのものや作家の精神から遠ざかろうとする運動にすぎない。<br />　フランスの作家や音楽家たちは、彼らが尊敬する作家や音楽家たちに対するオマージュの思いを、「○○の墓」という形で具現化した。ピエール・ジャン・ジューヴの『ボードレールの墓』や、モーリス・ラヴェルの「クープランンの墓」などの作品がその例である。彼らにとっては作品として打ち立てられた墓こそが真正の墓なのである。<br />　マイケル・タウシグの『ヴァルター・ベンヤミンの墓標』もまた、そのようなものとして読まれなければならない。英語の原題はWalter Benjamin's Graveであって、字義通りに訳せば「ヴァルター・ベンヤミンの墓」なのである。その墓は物理的に存在する墓なのでは決してない。タウシグがフランスの作家たちの慣例に倣っていることは明白ではないだろうか。<br />　そしてタウシグの試みはほとんど完璧に成功している。タウシグはベンヤミンの逃避行と死それ自体に注視するのではなく、ベンヤミンが残した死にまつわる言葉や命題をこそ呼び起こそうとしているのであるから。</p>
<p> </p>]]></description>
   <category>読書ノート</category>
   <dc:date>2018-01-06T15:06:10+09:00</dc:date>
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   <title>マイケル・タウシグ『ヴァルター・ベンヤミンの墓標』（１）</title>
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<p>マイケル・タウシグ『ヴァルター・ベンヤミンの墓標』（１）<br />　数ヶ月前からその書店を訪れるたびに、その本の存在が気になって仕方がなかった。水声社から叢書「人類学の転回」の一冊として出ている、マイケル・タウシグという人の『ヴァルター・ベンヤミンの墓標』という本は、たったひと棚しかない哲学のジャンルに含まれる一冊として、下の方にひっそりと置かれていた。<br />　発見してから２～３回その書棚を訪れたが、いつも売れずにそこに留まっている。私が興味を覚えたのはもちろんヴァルター・ベンヤミンの名がタイトルにあるからであった。しかし、なかなか私の食指は動かない。<br />　昨年私は『言語と境界』という、後半がベンヤミンの言語論についての論考になっている本を上梓したが、最後の文章を書くときに、諸般の事情から患っていた胃潰瘍が急激に悪化するという経験をしている。<br />　当時は昼間の仕事も忙しく、ものを書くのは夜に限定されていた。夕食を終えて机に向かい、ベンヤミンの本とベンヤミンに関する参考文献を開くと、そのとたんに胃がギリギリと痛みだすのである。最後の一編を書き終わったとき、「もうこんなきついことはやめよう」と正直思った。<br />　特にそのとき参考にしていたアントワーヌ・ベルマンの『翻訳の時代』という本が、胃潰瘍の痛みと密接に関係している。ベンヤミンその人の本よりも、ベルマンの本の方が今でも胃の痛みを想起させる。<br />　その後私は哲学的な本を読むことから遠ざかり、もっぱら小説を、その中でも特にゴシック小説といわれるものを中心に読みあさり、このブログの「ゴシック論」を展開することになった。<br />　およそ３年間（腸閉塞で手術・入院・自宅療養の半年を含めて）そんな読書生活を送ってきたのだが、小説ばかり読んでいると頭の中の収拾がつかなくなってくることがある。収拾をつけるためにこのブログを自分に義務づけていても、そこから逸脱する読書体験というものもある。<br />　昨年末に、トマス・ピンチョンの『ヴァインランド』という小説を読んだのだが、私はそれについて書くことができない。ピンチョン小説があまりに破天荒なために、それについて行けないというだけの理由ではない。そうではなく、むしろそれが私の中の論理的中枢を刺激しないからという理由からである。<br />『ヴァインランド』で頭の中をぐちゃぐちゃにされた私は、年末にその書店を訪れて、３度目かに『ヴァルター・ベンヤミンの墓標』に面会し、ついにそれを買い求めることを決断した。このままでは私の中の論理的中枢が破壊されてしまうのではないかと恐れたからだ。<br />「人類学的転回」と言われても、私は文化人類学の本をろくに読んできてはいない。クロード・レヴィ＝ストロースの『野生の思考』に思想的な転向を促され、『悲しき熱帯』に論理的な感動を憶えたという経験があるくらいで、マルセル・モースもジェイムズ・フレイザーも読んだことがない。<br />　レヴィ＝ストロースの本が文化人類学の思想的転回点としての金字塔であるという事実は、私にとってそのフィールドワークとしての価値よりも遙かに重要な要素であって、未開人と呼ばれる存在に接したこともない私にとって、レヴィ＝ストロースの〝ものの考え方〟の方が圧倒的な衝撃をもたらしたのであった 。<br />　ところでマイケル・タウシグなどという人は全然知らないし、帯に書いてある「ゴンゾー人類学者」なる言葉にも初めて出会ったのであるが、ではなぜ私はこの本を買うことにしたのだったか。<br />　それは訳者あとがきに「フィクションとしての枠組みを使っている」というような解説があり、帯に「ビートニク小説のようにも読める民族史的試論集」なる言葉が書き付けてあったからだろう。<br />　私が３年間小説を読み続けてきたのは、フィクションに対する確固とした信頼があったからである。私は中学生の頃から様々な本を読んできたが、フィクションとしての小説ほどに、私に世界に対する眼を開かせてくれたものはないからである。<br />　私はほとんどフィクションを信奉している。だからフィクションの枠組みを使った人類学なるものがいかなるものであるのか、読んでみないわけにはいかなかったのである。<br />マイケル・タウシグ『ヴァルター・ベンヤミンの墓標』（２０１６、水声社、叢書「人類学の転回」）金子遊、井上里、水野友美子訳</p>]]></description>
   <category>読書ノート</category>
   <dc:date>2018-01-05T17:52:24+09:00</dc:date>
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   <title>「北方文学」第７６号発刊</title>
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<p> <img style="margin-left: auto; display: block; margin-right: auto;" src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/1a/82dc8422b50f6bbae1d7a6863c1d1b22.jpg" alt="" border="0" /></p>
<p>「北方文学」７６号が発行になりましたので、ご紹介します。今号は先号が３３８頁の超大冊になり、次は書き手も量も減るはずと思っていたのですが、あに図らんや今号も先号に迫る３３０頁となりました。内容も先号に勝るとも劣らぬものとなり、同人雑誌としてはその充実を誇っていいのではないかと思っています。<br />　巻頭を飾っているのは先号に引き続いて、館路子の詩「地に這うものへの謝辞を込め」です。このところ動物をモチーフにした作品が続いていますが、今回は地に這うカナヘビやヘビ、オオクロアリが登場します。地に這う者たちを隠喩として言葉に回収しようとする試みと言えます。ところで蜥蜴は鳴くのでしょうか？<br />　俳句が二人。大橋土百は「薔薇の精」。ニジンスキーの句もあります。「終焉は破局破滅か冬薔薇」のような観念的で重い作品から、「温といなぁふふふふふふふ猫の夢」のようなおどけた作品まで、自由自在であります。米山敏保は「沢の螢」。螢にモチーフを絞った２２句。<br />評論が続きます。トップは徳間佳信の「閻連科との公開対話会「『愉楽』（《受活》）はどう読まれたか」」。２０１６年９月に「日本中国当代文学研究会」が主催した、中国人作家、閻連科との公開対話会の記録である。徳間は研究会の一員として鼎談に加わった。日本でも翻訳されている閻連科の『愉楽』をテーマに中国文学の現状と可能性を追究しています。<br />　２年ぶりに霜田文子は「立原道造の〝内在化された「廃墟」〟をめぐって（二）」で、連載を再開しています。日本で初めて建築論に〝廃墟〟という言葉を導入した立原の議論を追究。今回のキーワードは〈建築体験〉。精神的体験としての建築の問題を言語芸術との関連から考察しています。<br />　鎌田陵人の「サピエンス・モノ・コトバ」は、昨年ベストセラーになったユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』に触発されて書かれたもの。結局は人間の問題は言語の問題に収斂されていくということを言っています。言語によってのみ可能な〝否定命題〟が中心的なテーマ。<br />　柴野毅実の「ロベルト・ボラーニョと恐怖の旅」は、２００３年に５０歳の若さで亡くなったチリ生まれの作家、ロベルト・ボラーニョの最後の作品『２６６６』についての批評。エピグラフとして掲げられた、ボードレールの「旅」の一節「倦怠の砂漠のなかの　恐怖のオアシス」を手がかりに超大作を読み込んでいます。<br />　今号の寄稿は山内あゆ子訳、スティーヴン・マクドナルド作の戯曲「ノット・アバウト・ヒーローズ」の第一幕。第一次世界大戦時のイギリスを代表する戦争詩人、シーグフリード・サスーンとウィルフレッド・オーウェンの詩を通した友情を描いた作品。二人の日記や書簡をもとに、二人の友情を克明に描きます。本邦初訳。<br />　先日、玄文社からハーリー・グランヴィル＝バーカーの訳述書『シェイクスピア・優秀な劇作家から偉大な劇作家へ』を上梓した、大井邦雄の次の対象は『マクベス』。グランヴィル＝バーカーの「役者のためのシェイクスピア」シリーズの一冊「『マクベス』序説」の訳述です。<br />鈴木良一が書き継いでいる「新潟県戦後詩史」も、先号から現在も活躍中の詩人たちが登場してきて、俄然興味深さを増しています。今号は１９６６年から１９７０年までの後半。<br />　今年７月に私が刊行した『言語と境界』について、徳間佳信が詳細な解説と批評を書いてくれた。題して「言語――「精神」のありか」。『言語と境界』は決して読みやすい本ではないが、その言わんとするところを余すところなく、徳間は紹介し、論じています。この文章があれば私の『言語と境界』はなくてもいいほどです。<br />　福原国郎の「文平、隠居（下）」は古文書から読み解く地方史であり、人物伝でもあります。古文書の読み込みに関しては他の追随を許さない福原の独壇場。江戸末期の農村経済が手に取るように分かります。<br />　このところ凄い小説を連発している新村苑子の「花束」は、テーマを老人介護と思わせておいて、実は団塊の世代の夫婦のあり方にテーマをおいている。小品ではあるが、主人公の人物像がくっきりと浮かび上がってくる佳品です。<br />　魚家明子の「眠りの森の子供たち（三）」がラストです。連載三回目でいよいよ小説は佳境に入っていきます。かんたの母親の書いた長い文章がこの小説の中のもう一つの物語となって、これ以降のスト－リーを先導していく予感を感じさせます。魅力的な人物が沢山登場してきます。</p>
<p>目次を以下に掲げます。<br />館　路子*地に這うものへ謝辞を込め／大橋土百＊薔薇の精／米山敏保＊沢の螢／徳間佳信＊閻連科との公開対話会　『愉楽』（《受活》）はどう読まれたか／霜田文子＊立原道造の〝内在化された「廃墟」〟をめぐって（二）／鎌田陵人＊サピエンス・モノ・コトバ／柴野毅実＊ロベルト・ボラーニョと恐怖の旅－－大長編『２６６６』について－－／榎本宗俊＊歌について／スティーブン・マクドナルド　山内あゆ子訳＊ノット・アバウト・ヒ－ローズ　－－シーグフリード・サスーンとウィルフレッド・オーウェンの友情－－／ハーリー・グランヴィル＝バーカー　大井邦雄訳述＊『マクベス』序説（１）／鈴木良一＊新潟県戦後詩史　隣人としての詩人たち〈10〉／徳間佳信＊言語－－「精神」のありか　柴野毅実『言語と境界』のために／福原国郎＊文平、隠居（下）／新村苑子＊花束／魚家明子＊眠りの森の子供たち（三）</p>
<p>お問い合わせは<a>genbun@tulip.ocn.ne.jpまで。</a></p>]]></description>
   <category>玄文社</category>
   <dc:date>2017-12-30T14:17:11+09:00</dc:date>
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   <title>オテロ・シルバ『自由の王』（４）</title>
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<p>　映画「アギーレ／神の怒り」では、最後に筏の上にたった一人で取り残されたローペ・デ・アギーレは、そこで最期を迎えることになるが、小説『自由の王』では隊が全滅することはなく、その先も行軍は続く。<br />　その経路はよく分からないが、マラニョン川を下ってアマゾンの本流に入ったのではなく、陸路を進んでベネズエラに達したものと思われる。その後ベネズエラの北の海に浮かぶマルガリータ島を占拠している。<br />　マルガリータ島では４０日間の占拠の間に、２５人を処刑したとされていて、その一人ひとりの処刑に至る経緯と、それに対するアギーレの弁明がオテロ・シルバによって書かれている。<br />　国王派のみならず味方も含めて、ほんの些細な不服従の徴候も見逃すことなく、無慈悲な処刑は続けられる。小説ではこの部分に最も大きな力点が置かれているように思う。オテロ・シルバはこの２５人の処刑について容赦することはない。<br />　しかし作者は一方で、ローペ・デ・アギーレを南米独立運動の先駆者として評価している面もある。アギーレはスペイン国王の収奪に対して反旗を翻したのであって、国王派のスペイン人はたくさん殺しているが、ペドロ・デ・ウルスーアのように先住民を虐殺するようなことはしていないのである。<br />　反乱軍や革命軍が追いつめられる過程で、そのリーダーの疑心暗鬼によって粛清が繰り返されていくということは、歴史上何度もあったことである。日本赤軍による粛清はその典型的な例である。またスターリニズムによる大粛清も革命に名を借りた、権力維持のための殺戮であった。オテロ・シルバはそこをよく捉えて書いていると思う。<br />　ラテンアメリカ文学では１９７０年代に、独裁者小説というものがよく書かれ、我々はアレホ・カルペンティエールの『方法再説』（１９７４）、アウグスト・ロア＝バストスの『至高の存在たる余』（１９７４）、ガブリエル・ガルシア＝マルケスの『族長の秋』（１９７５）という、ラテンアメリカ三大独裁者小説をもつことになった（『至高の存在たる余』だけ邦訳がない）。オテロ・シルバの『自由の王』（１９７９）も独裁者小説に含めてもいいだろう。<br />　ガルシア＝マルケスの『族長の秋』に見られる、独裁者の途方もない孤絶感には遠く及ばないが、ローペ・デ・アギーレはラテンアメリカ世界が数多く輩出してきた、独裁者の源流に位置するのだと言うことができるだろう。</p>
<p>　最期にヴェルナー・ヘルツォークの映画の方に戻りたい。「アギーレ／神の怒り」は、フランシス・フォード・コッポラ監督の「地獄の黙示録」に影響を与えたとされていて、その痕跡がないかと眼を凝らして観てみると、確かにいくつかあるのだ。<br />「地獄の黙示録」はヴェトナム戦争を描いた映画で、ウィラード大尉が、カンボジアのジャングルに王国を築いたというカーツ大佐の行方を突きとめ、処刑する任務で、川を遡っていくストーリーである。一方「アギーレ／神の怒り」はエルドラードを求めて川を下っていく物語であって、方向は逆だが観ている方は同じようなシチュエーションに、同じようなエピソードを見てとることができる。<br />　第一に川岸が先住民の支配する恐怖の領域であるという点で、共通している。アギーレの隊は一度だけ上陸するのだが、そこに人食い人種の痕跡を見てあわてて逃げ出し、二度と上陸することはない。ウィラードと乗組員たちも一度も岸に上陸することはない（特別完全版では事情が少し違うが）。<br />　川岸から矢が飛んでくる。「地獄の黙示録」では黒人の乗組員が矢によって殺されるときに、「矢だ！」と叫ぶが、「アギーレ／神の怒り」でも同じような場面で、隊員は「長い矢を使っている！」と言ってこときれる。<br />　もうひとつ「アギーレ／神の怒り」で、大木の上に舟とそこにぶら下がったボートが出てくる場面があるが、それが「地獄の黙示録」での墜落したヘリコプターが川岸に放置されている場面に反響しているのは間違いないと思う。<br />（この項おわり）</p>]]></description>
   <category>ラテン・アメリカ文学</category>
   <dc:date>2017-12-25T08:31:59+09:00</dc:date>
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   <title>オテロ・シルバ『自由の王』（３）</title>
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<p>　オテロ・シルバの小説『自由の王』と、ヴェルナー・ヘルツォークの映画「アギーレ／神の怒り」との間には、まだまだ多くの違いがある。それは『自由の王』が史実に忠実な歴史小説として書かれ、「アギーレ／神の怒り」がたかだか１時間半程度の映画で、そこに物語を凝縮せざるを得ないということに起因するだけではない。二人の作者の間には根本的な認識の違いがあるように思う。<br />　ローペ・デ・アギーレは暴君である。むやみやたらと同胞を殺す。その典型がペドロ・デ・ウルスーア殺しである。『自由の王』によればアギーレの目的はエルドラードを発見することなどではなく、「あらゆる地図に描かれているペルーと呼ばれる驚嘆すべき国を征服し、われわれのものにすること」である。<br />　そのために邪魔になる人物のリストをアギーレは作成し、着実に殺害を実行していく。『自由の王』でアギーレは自分の味方との謀議の上で、ウルスーアを暗殺するのだが、「アギーレ／神の怒り」で彼は、本体への復帰を主張するウルスーアを、発作的に銃で撃つ。<br />　ウルスーアはそこでは死なずに、裁判によって裁かれて絞首刑にされる。この違いの理由はどこにあるのか。『自由の王』でのアギーレの殺人行為はすべて謀殺である。一方「アギーレ／神の怒り」では、アギーレの発作的な怒りによる殺害の形を取る。<br />　とにかくウルスーア殺しが転換点となって、アギーレはスペインの国王フェリペ二世に対して公然と反旗を翻すことになる。その後は自分に従わぬ者たち、あるいは将来的に敵に廻ると思われる者たちを次々に殺していくのが、『自由の王』の物語である。<br />　その中にはスペインからの独立を一方的に宣言して擁立した、新たな国王フェルナンド・デ・グスマン殺害も含まれる。『自由の王』ではグスマンのスペインへの寝返りの徴候を察知して、アギーレによって殺される。ところが「アギーレ／神の怒り」では、グスマンはアギーレによって殺されるのではない。そこもまったく違っている。<br />　隊は筏でマラニョン川を下っていくが、先住民に対する警戒から接岸して食料を調達することができない。次第に飢えが兵士達を襲っていく。兵士達がトウモロコシの粒を数えて分配するところまで追いつめられているのに、グスマン王はたらふく食い続ける。グスマンはそのことへの怒りを買って兵士たちによって殺されるのだ。<br />　まだ違いはある。『自由の王』では謀殺に次ぐ謀殺、さらには隊員たちの寝返りによって、アギーレの周りにはほとんど味方がいなっていくのだが、「アギーレ／神の怒り」にあっては、先住民の放つ毒矢によって隊員たちは次々と殺されていくのだ。必ずしもアギーレの神の怒りの行使によって殺されるのではない。<br />『自由の王』はアギーレによる謀殺を、権力維持のための粛清として描いていて、そこでは度を過ぎた権力意志が結果的には孤立や孤独を生んでしまうという逆説が顕わになる。一方「アギーレ／神の怒り」ではそのあたりが明確ではない。<br />　アギーレのウルスーアに対する温情も、グスマン殺しをアギーレによるものとしない作りも、アギーレの凶暴さを減殺する。そこにはヘルツォーク監督のアギーレという人物に対する寛容の気持ちがあるのではないか。<br />　また娘エルビーラの死に方も小説と映画ではまったく違った描かれ方をする。映画ではエルビーラは先住民の放った矢によって殺されるのだが、小説では鎮圧軍に追いつめられたアギーレが、敵の兵士に犯されることのないように、自らエルビーラを殺すのである。もともとアギーレが娘を行軍に同行させていたのは、告解師の毒牙から娘を守るためであった。<br />　エルビーラの殺され方に関しては、言うまでもなく小説の方に軍配が上がる。アギーレの性的潔癖は、娘が強姦されることに耐えられるはずがないのだから、エルビーラは父アギーレによって殺されるのでなければならない。<br />「アギーレ／神の怒り」には先住民は登場しても、鎮圧軍は登場しない。映画がアギーレの隊による川下りの場面に限定されていて、そこにあらゆるテーマを凝集させなければならないために、やむを得ない面もある。<br />　しかし映画のラストで、筏の上にアギーレただ一人が生き残り、猿たちに嘲笑されるという場面は、無謀な川下りで先住民に殺されて独りぼっちになった、というよりはやはり、アギーレの権力意志が最後に彼の孤独に至るという構成によってこそ生きたのではないか。</p>
<p> </p>]]></description>
   <category>ラテン・アメリカ文学</category>
   <dc:date>2017-12-24T08:32:34+09:00</dc:date>
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