玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは週末点描

   

「納棺夫日記」ゆかりの2人

 話題の映画「おくりびと」の原点(原作ではない)となった、青木新門氏の『納棺夫日記』を読んだ。第一章、第二章は、納棺夫(青木氏の造語)としての青木氏の日常が微細に描かれていて、非常に興味深く読んだ。妻に体を求めて「穢らわしい、近づかないで」と拒否される場面、そして死後何カ月も経った一り暮らしの老人の死体の肋骨の中に、無数の蛆が蠢いていたという描写にはすさまじいものがあった。
 さらには、納棺後死臭が気になって眠れず、鼻毛を切ったら死臭が消えたというところなどには、圧倒的なリアリティーを感じてしまった。青木氏が「おくりびと」の原作者であることを拒否したのは、映画「おくりびと」がヨーロッパ流のヒューマニズムを表現しているにすぎないという違和感があったためだという。よく理解できる姿勢である。
 ところで、付録の「『納棺夫日記』を著して」という文章の中に、七月十八日に柏崎にやってくる二人の人物が登場する。一人は詩人の長谷川龍生氏、もう一人は画家の木下晋氏である。木下氏は青木氏が富山市でやっていた飲み屋「すからべ」の常連で、三年間一銭も払わずに飲み食いしていたのだという。
 青木氏の「すからべ」は倒産し、大きな借金をかかえた青木氏は冠婚葬祭の世界に入ることになる。木下氏は、「すからべ」をつぶした者の一人として、青木氏が『納棺夫日記』を書くことになる間接的なきっかけを与えたのである。
 もう一人の長谷川氏と青木氏は、詩人としての交流があり、青木氏は『納棺夫日記』を書くきっかけとなったことについて、「詩人の長谷川龍生氏との交遊の中で、氏の言葉に誘発され、整理してみようという気になったのである」と書いている。長谷川氏の言葉が、納棺夫としての日常を記した日記を再構成する気にさせ、『納棺夫日記』を書かせる直接的なきっかけとなったのである。
 七月十八日が楽しみだ。お二人に、その辺の事情を詳しく聞いてみたいと思っている。

越後タイムス6月26日「週末点描」より)


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