難しい地名

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宝波神社

2017-10-09 14:44:35 | 日記
記忘庵日誌2017・9・11荻野源吾
波宝神社の秋祭りを訪ねてー波宝への道を辿る
ここは吉野の隠里の一つ。知る人ぞ知る。
波(は)宝(ほう)神社(じんじゃ)という銀(ぎん)峰(ほう)山(さん)上にある珍しくも海の神様。西吉野の夜中(よなか)の地。ここは明治維新の魁を為したと言われる天誅組(てんちゅうぐみ)が下市(しもいち)から逃れてこの銀峰山(614m)にたてこもりドンパチ。その後さらに大塔の天辻峠に本陣を構える前の陣地とな
った処である。今日は西吉野の奥谷地区から辿った。その途中集落のわき道を入ったところにある県指定天然記念物、ヤマモモの巨樹を見つけた。なるほどこれほどのヤマモモの大木は初めてである。
ここには昔奥谷尋常小学校があってかの直木賞の植村宗一(のちの直木三十五)が明治43年頃代用教員として赴任していたという。おおらかな性格でこの巨木に上ってデカンショ節を大声で歌っていたとか。へー・・。知らなかった。まさに犬も歩けば…である。(直木賞受賞者で何人の人がこの地とこの逸話を知るや?)
 
これがヤマモモの樹          今は地区の集会所がある―左の大木がヤマモモ
        
 宗円寺というお寺がすぐ上にある                   波法への道
途中山の尾根筋にかけられた箱罠にウリボウより大きめの精悍な二匹のイノシシがかかっていた。猛烈に罠の鉄柵に突入して鼻の先から血が出ているのがわかる。気の毒だが柿農家にとっては荒らされると死活問題。

   
銀峰山(白銀岳ともいう)から金剛・葛城を望む            
今年40年ぶりに神輿が復活した。地元の各地区の青年団60名が勢ぞろいしてこの神社の由緒を守ろうとする氏子総代の熱意が地元を動かした。過疎地で現在約260人の人口。こうした復活の努力が一周遅れでこんな過疎地を動かしている。銀峰山と栃原岳そして櫃が岳の三山を吉野三山という。この祭りを岳祭と言い平安時代前期の延喜式にも登場するという由緒が何とも悲しい。