日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

安英学選手と李漢宰選手のトークショー

2017-01-20 10:00:00 | (瑛)のブログ

先日発売された、イオ2月号の書評欄には、「橋を架ける者たち―在日サッカー選手の群像」(集英社新書)の著者・木村元彦さんのインタビュー記事を載せた。

この新書には、筑波大学サッカー部で活躍したのちに朝鮮に帰国、サッカーの名解説者となったリ・ドンギュさんや東京朝高サッカー部の黄金期を築いたキム・ミョンシク元監督、現在Jリーグで活躍中の梁勇基、鄭大世選手をはじめとする在日サッカーマンの軌跡が描かれている。



1月9日、出版を記念したトークイベントが都内で開かれ行ってきた。

イオで2015年度に連載をしてくれた元横浜FCの安英学選手と、町田ゼルビアキャプテンの李漢宰選手が登壇すると聞いたからだ。二人とも朝鮮民主主義人民共和国代表経験を持つ30代のサッカー選手。サッカー少年たちの憧れだ。

 


冒頭、「在日コリアンがプロになっていくのは大変なことだ」と語った木村さんは、安英学選手について話を始められた。

東京朝鮮高級学校を卒業後、プロ選手になることを諦めずたった一人でトレーニングを始めた話、「闘将」ことパク・トゥギさんと地道に練習を重ねてきたこと…。

安選手は一年の浪人生活を終えて大学進学を果たし、アルビレックス新潟にプロ入り。朝鮮民主主義人民共和国代表選手に抜擢される。そして、ついに、南アフリカワールドカップ出場という在日初の快挙を果たした。

浪人時代の心境を聞かれた安選手は、「できるとか、できないとかという雑念はなかった。毎日闘将との練習に明け暮れる―それだけでした。あの人がいなければ自分はプロになっていなかった」と振り返っていた。

木村さんの本には様々な在日サッカーマンが登場する。その一人が在日本朝鮮人蹴球協会の李康弘理事長だ。

日本で育った在日の選手を代表に送り込むため、本国と交渉し、その実力を認知させることを木村さんは「大きく厳しい道」と表現していたが、その行動力と迫力、具体的な交渉については本書に詳しい。

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(安英学選手談)

…戦力として迎えられたのがワールドカップのアジア予選でした。2004年9月8日、平壌・羊角島競技場でのタイ戦。

前日の夜はノイローゼ状態でした。目を閉じればキーパーと1対1。ゴールを外しまくる光景が浮び、寝られませんでした。

守備的ボランチの選手の僕が、監督に点を取るように指示され、康弘理事長からも、「これがラストチャンスだ。お前がダメなら在日は終わりだ」と追い込まれたのですから(笑)。当時、僕はまだ朝鮮で戦力として認められてなかった。とにかく「シュートを決めるしかない」という思いだけでした。

試合前半はまったくダメでした。しかし、交替は告げられません。

後半の時の心境は「やるしかない」。

もう後がなかったので、自分の中で腹が据わっていました。

先取点を決めた時、選手たちが集まってきてくれた。

私も感謝の気持ちから監督に向かって走り、喜びを爆発させました。

その時の光景は鮮明に覚えています…

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「夢を見るのを忘れたら、その時点で終わってしまう」―。

木村さんは、「安選手の物語には普遍性がある。いろんな境遇の子どもに読んでほしい」と語る。

 国家代表のモチベーションについて、李漢宰選手はこうも語っていた。

 「覚悟とすべてを捧げるという気持ち、そしてポテンシャルをすべて出し切るという気持ちが大切だと思います。あと、自分たちから溶け込んでいく、合わせていくという気持ちも…」。日本から朝鮮に行くときには、朝鮮の代表選手が喜びそうなお土産をたくさん持っていったという逸話や、空港での待ち時間に「あっちむいてホイ!」をして楽しんだ話も披露してくれた。

朝鮮高級学校からJリーグに初めてストレート入団した漢宰選手。

広島朝鮮高級時代から変わらないひたむきさが清々しく、プロになった後、日本のチームメートと本気でぶつかり合い、自分の中の壁を壊し、越えていった話も良かった。怪我で選手生命が絶たれようとしたとき、救ってくれた恩師・今西和男さんへの思いは、木村さんの「徳は孤ならず」(集英社)に詳しいのでぜひ読んでいただきたい。

会場からは、日本国籍を取得し、日本代表となったリ・チュンソン選手(浦和レッズ)についての質問もあり、2人の元国家代表はこう話していた。

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 (安英学選手)
僕は(李忠成選手のことを)チュンソンと呼んでいます。国籍を変えて日本代表を目指すのは、サッカー選手としてひとつの選択です。その過程でチュンソンが李という名字を残しているのを見ると、彼なりに覚悟したり、残さなければいけないものを残しているという意気込みや魂の部分を感じます。チュンソンを、応援してほしい。

一方で僕は、僕の生き方がありまして…。

皆さんそうだと思うんですけど、日本人として生まれたくて生まれた人ってどれだけいるのだろうと。

僕も、在日コリアンとして生まれたくて生まれたのではなく、生まれたら在日コリアンだった。しかし、そのことに意味があると思っています。在日コリアンとして、しっかり生きていかねばと思っています。

この世に生まれ育って、僕はたくさんの愛情をいただいて朝鮮人として堂々と生きてこられました。

 コリアンの「魂」を守ってくれた祖父母、隣にいらっしゃる金明植先生をはじめとする一世、二世の先輩たちがいたから、自分の言葉を学ぶことができたし、民族の誇り、祖国への思いを抱くことができた。それだけは忘れちゃいけない。どういう選択をしても、魂は大切に残していきたい。

僕は、これからも朝鮮の代表、在日の代表として、がんばっていきたいと思っています。

そして、この気持ちを持ってがんばっていれば、応援してくれる人は必ずいるということをサッカー人生で学びました。新潟を離れて10年たつのに、今日、東京まで話を聞きにきてくれたサポーターがいる。一生懸命生きていれば「何人」とか関係なく、応援してくれる人がいる。

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 (李漢宰選手)
彼が悩んでいたときに「会いたい」という連絡をもらったことがあります。もしその時に会っていたら、「一緒にがんばろう」と言っていたと思います。

彼は決して気持ちを捨てたわけではない。

今後、日本国籍を取り、日本代表を目指す後輩がいると思いますが、自分に置きかえたときは別です。

僕自身は、「(朝鮮の)国家代表を背負わされている」と思ったことはなく、「背負うこと」が自分の宿命だと考えてきました。偉大な先輩たちが生きてきたように、自分たちも(生き様を)見せていかなければと思っています。                                                    

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二人の発言に会場からは温かい拍手が送られ、その空気に満たされる思いだった。しっかりと生きている後輩たちがただただ誇らしかった。


3時間にわたるトークショーでは、東京朝高サッカー部の黄金期を築かれた金明植監督やFCコリアの成燦淏さんの話も聞くことができ、とてもいい時間だった。

 2017年が、在日サッカーマンたちにとって、最良の年になることを祈らずにはいられない。

 すばらしいトークショーを企画してくれた木村さん、集英社の皆さんに感謝します。(瑛)

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