人生の命題

2005年10月30日 | 随想
友人が脳梗塞で緊急入院した。
その情報を聞きつけた僕は、すぐにでもお見舞いに行こうとも思いつつ、
病状を考慮して一週間ほどのちに病院を訪れた。
ナースステーションで、彼の病室を訪ねると
「昨日、退院されました」
と聞き、ほっと胸を撫で下ろした。

友人は、1週間の入院を経て3日間の自宅療養の後に職場に復帰した。
幸いにも勤務中に自覚症状があり、
自らの判断でかかりつけの医院に足を運んだところ、脳梗塞と診断され緊急入院した。
脳幹にできた血栓を溶かす薬物を投与され、事なきを得たのだという。

身近に脳梗塞になった人が何人かいるのだが、
身体には何らかの障害が残っている人が殆どだ。
麻痺による言語障害や、運動機能障害により、
薬物治療やリハビリを続ける生活を余儀なくされている。
頭蓋には痛々しい手術跡が残り、生涯その傷が消えることはない。

先日友人に会う機会があったのだが、思ったよりも元気そうで安心した。
いろいろと話を聞いていたところ、
同席していた友人の彼女が父親の看病の為に実家に帰るということを知った。
彼女の父親は突然倒れ、植物状態に陥り、現在も意識がないのだという。

「おれはひとりモンになるけど、よかったら一緒にまた呑もうな」
と僕に言う友人の言葉に物悲しさを感じ、やりきれない気持ちになった。

彼女は言う。
「この年になるとね、再就職しようとしても年齢で切られる事が多いのよ」

「自分は何も変わっていないと思っていても、世間はそうはみてくれないのよ」

それがいわゆる「社会の常識」というものなのだろうか。
「この年」とはいっても、彼女は確か僕よりもひとつ年下の筈なのだが。
僕は現在30歳だが、それほど歳をとったという感覚がない。
たんに自覚していないだけなのかもしれないが。

生老病死は、人間にとって避けては通れない永劫の命題であろう。
旅やスリルに身をやつしてきた僕も、
いずれの瞬間にかそれらと対峙することになるのは必然である。

「私の父親はね、お金は持っていたけど幸福にはなれなかった人なのよ」

彼女のその言葉が、耳の奥のほうでいつまでこだましていた。
そんな夜だった。
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たのんます

2005年10月13日 | 日々の出来事
「おれは、今でも新しいギターのフレーズを探しているんだ」と、
50過ぎのレゲエなおっさんがおれの顔に唾を飛ばしながら熱弁する。

「それはすごいですね」とあいずちを打ちながらも、
「そんなんあたりまえやないか。しょうもないことで自慢すんな。あほらし」
というもうひとりのおれがいるんだ。

いったい、どっちが、ほんとうのおれなのか。

とりあえず、おれに神戸弁を使わせないでくれないか。
たのんます。
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日々是精進哉

2005年10月10日 | 日々の出来事
このごろ、当ブログを読んだのがきっかけで石垣島に移住した人がいるということを知った。

どの記事がその方の心の琴線に触れたのかはわからないのだが、
「あの記事かな?それとも、この記事かな?」などと勝手な想像を膨らましてみたりするのが、
けっこう楽しかったりする今日この頃。
ごくごく私的な日常を記したこのブログが、なにかしら人様の役に立っているのだろうか。

このところ、めったに更新をしていないのだけれど、どういうわけか訪問者数にはそれほど大きな変化がない。
アクセスIP数(訪問者数)に対してPV数(閲覧記事数)が2倍の状態が通常のパターンなのだが、
ときにPV数がアクセスIP数に対して4倍にも5倍にもなったりすることがあるのが興味深い。
過去の記事をたんねんに読み返してくださる方がいらっしゃるということなのだなぁ。

親兄弟から親戚から石垣在住の人たちにも読まれているらしいので、
めったなコトを書くことができないのが心苦しいところではあります(うそやん)。。
コメントをつけにくいということはあると思いますが、へんくつな男なもんですから。
勘弁してやってくだせえ。
これからも精進してゆきます。
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